
「人がいっぱいいるから、何かおもしろいこともあるだろう」。富山県高岡市で生まれ育った私の考えはとても単純だった。田んぼのど真ん中で高校生活を過ごした私は、そんなわけで東京へ進学することを決めた。
通学は自転車で30分、週末にはイオンで映画鑑賞。お小遣い欲しさにこっそりアルバイトをし、いい加減な恋愛をして気がついたら受験シーズン。特別なことは何もなかったように思うし、だからこそ「なんでもありそうな」東京に行けば何かが起こるような気がしていた。
「お父さん、手続きも受験も全部自分でやるので100万円だけください。あとはなんとかします」
そう頭を下げて受験を乗り越え、東京に引越した。
大学生活をそこそこに過ごし、進級のタイミングで選んだ引越し先は中央線沿線の阿佐ヶ谷だった。それまでと異なる校舎に通学することになり、利便性や家賃相場のバランスを考えて選んだ場所だった。中央線カルチャーなるものに惹かれていたのもあった。
中央線。いいかもーー。
新宿から電車で10分前後。隣駅は高円寺。インターネットで見つけた物件の内見に行ってみると、古くはあるものの広さも十分なマンションだった。ダイニングキッチンに加えて、6畳ほどの和室。家賃は6万9000円、駅徒歩10分。ここにしよう。即決だった。

引越してからは、友人らを招いてボードゲームでよく遊んだ。アクセスの良さ、家賃の割に広い室内ということもあり、休日のたびにみんなで高円寺のボードゲームショップ「すごろくや」に通ってゲームを集めた。
ワードバスケットという、しりとりをカードにしたゲームが好きだった。カードに書かれた文字が頭にくる単語を出していき、最後までカードが残ってしまった人が負け。そんなルールだった。私たちはアホだったので、全員でシモネタを言い合った。腹の底から笑った。
コロナ禍ではリアルで集まってゲームをすることも難しくなってしまったが、当時のことは今でも懐かしく思う。

社会人になってからも引越すことなく暮らし続け、その居心地の良さにすっかり満足していた。駅前には主要なチェーン店もあれば、飲み屋街もありスーパーも複数店舗ある。古本屋だっていくつもある。「小綺麗な」街ではないかもしれないが、人馴染みのする街だと感じた。
働き始めて少しずつ交友関係も限定されていき、ひとりの時間も増えた。特別なライフイベントもなかったので、このころから少しずつひとりで飲み歩いたり、文字通り散歩したりということが日常的になっていった。

20代も後半に差し掛かり、当時はシフト勤務、土日も関係なく働くことが常態化していた。たまに飲みに行くのも仕事で関わった人たちばかり。ひとりの時間は加速度的に増えていった。
プライベートの友人と連絡をとることが減り、誰かと遊びに出かけることも億劫になりつつあった。そんな私にとって、阿佐ヶ谷をはじめとする中央線の街はとても好ましいものだった。歩けば小規模の何かしらの店舗に出会える。小腹が空いたら適当なお店に入ってつまみながら一杯やる。自由で、とても好きな時間だった。

阿佐ヶ谷の駅前には2つの商店街がある。南側のパールセンター商店街と、北側のスターロード商店街。パールセンター商店街は大きなアーケードのある人通りのにぎやかなもので、スターロード商店街はこぢんまりとした飲み屋などが並ぶものだった。
私はスターロード商店街をはじめ、北側でよく飲んでいた。北側の方が人通りも多くなく、どこか牧歌的な雰囲気で性に合っていた。

ビアバー「ストーン」や、「立呑焼鳥 阿佐立ち」など、気軽に入れる飲み屋に足を運んだ。ビールを飲んで、飽きたらお会計を済ませてまた別のお店へ。どのお店もそれぞれ特色があり、肩肘張らず、押し付けがましくなかった。
今では好きになったワインを教えてくれたのは、2021年に店名を変えて再オープンした旧「升要酒店」だった。今は「BIRRA e VINO MASUYO」としてビールとワインのセレクトショップを営んでいるらしい。

阿佐ヶ谷で最も記憶に残っているお店はどこかと聞かれると、やはり焼き鳥「川名」になるだろう。誇張ではなく、毎週末通った。おそらく数百回は行ったと思う。
なんてことはない、普通の町中にある焼き鳥屋さん。だがしかし、私にとってはそれでいて思い出深いお店だ。なんらかの偶然によって神におすすめの飲み屋を聞かれることがあったなら、私は迷うことなくここを紹介するだろう。

いきなりの話ではあるが、私はいわゆる「ウェットな」飲み屋やバーが苦手だ。友人らと同席するときは問題ないのだけど、ひとりで飲んでいるときにやたらと話しかけられるのは端的に言って嫌いである。
『マッドマックス2』を見たかどうかって? そんな話は別の誰かにしてほしい。
川名はそういった意味で、距離感のとても好ましいお店だった。
私はいつもカウンターに座り、ビールやホッピーに合わせてたまご焼きをよく注文した。気分に合わせてトマト、キムチ、たくあんの3種類を楽しんだ。

それから持参した本を開き、少しずつ飲みながら読み進める。お皿が空になったら、次は串物を注文する。追加で冷奴を、ホッピーもおかわりして最後にまた別のおつまみを……。
川名の店内BGMはいつも松任谷由実で、読書に疲れるとその歌を聞いた。頭を上げてテレビを見る。ほかのお客さんが、巨人対阪神戦の様子を見守っている。どうやら巨人の調子が悪いらしい。マスターとお客さんが何か話している。私はその輪に入ることなく、ぼんやりと話を聞いている。
この間、マスターは注文を聞いたら粛々と料理をつくり、できあがったものから運んできてくれる。無駄に会話をすることなく、しかしこちらのことは把握してくれている。会計をする際には「山口さん、いつもありがとうございます」と丁寧にお辞儀。予約の際に告げた名前を、律義にも覚えてくれていた。


その美味しさ、居心地の良さもあり、川名はすっかり私にとっての飲み屋兼読書スペースになってしまった。早めに仕事を終えたら、または休日に暇をしていたら本を持って川名に行く。それが日常になった。
マスターはいつも「山口さん、いらっしゃいませ」と迎え入れ、読書の邪魔をすることなく淡々と料理や飲み物を提供する。読書がしたくて川名に通っているのか、川名に通いたくて読書をしているのか、よくわからなかった。
ひとりでいる楽しさを味わっていた私は、「ほっといてくれる」ことの良さを実感した。
マスターと会話することは少なかったし、プライベートについて話すこともほとんどなかった。お互いのことはほとんど何も知らない。それでも、私はそこに居場所を見つけたのだった。

そうして阿佐ヶ谷にいたのは10年弱ほど。結婚を機に引越し、子育てもあって今は妻の実家に近い鎌倉に住んでいる。富山にいたころにぼんやりと想像していた「何かおもしろいこと」があったかというと、どうだろう。いろいろあった気もするし、さほど何もなかったような気もする。
それを探し求めて東京に来たはずなのに、気がついたらひとりで酒を飲んでいた。東京の街に出歩くこともなく、阿佐ヶ谷の街で本を片手に。
それでも、青春を思い出すとき。私はいつも阿佐ヶ谷の飲み屋街で、ひとり静かに飲んでいたときのことを考える。カウンターで本を開き、ホッピーと焼鳥を注文してページをめくる。時々、店内を流れる松任谷由実の「中央フリーウェイ」に耳を傾ける。
私はひとりで、しかし孤独ではなかった。あれは確かに私の幸せで、私のとても大事な一部を構成するものとなった。由比ヶ浜の海岸を前に、私はいま阿佐ヶ谷のホッピーを思い出している。
著者:山口 亮

富山県高岡市出身、1987年生まれ。メディア系IT企業のプロダクトマネージャー。ワインと料理が趣味で、子どもが生まれてから毎日が大変。元気に生き抜こう。
Twitter:@d_tettu
編集:岡本尚之
