大人になりかけのわたしを支えた「ベランダのない部屋」【私のマンション生活】

窓から外を眺める女性

立地や間取り、設備など似通った要素を持つ物件は数あれど、そこでの生活の様相は人により全く異なるはず。「私のマンション生活」では、住んだ人だけが知っている住まいとのエピソードをお届けします。今回はブロガーのはせおやさいさんに、初めて一人暮らしをした「ベランダのない」部屋での生活について執筆いただきました。

初めての一人暮らしは「ベランダのない部屋」だった

20代半ば。初めての一人暮らし。ある出来事をきっかけに、当時のわたしは仕事に何が何でも打ち込もうと、会社から近い三軒茶屋エリアで物件を探していた。

いくつか内見をしたなかで、「新築デザイナーズマンション」「東急世田谷線の若林駅から徒歩2分」という良い物件と出合った。当初、譲れない条件であった「二口コンロ」「エレベーター付き」「二階以上」という点も含めて完璧だ。

ただ、一つだけ気になったのが、この部屋にはベランダがないという。

少し悩んだが、「その代わりに浴室乾燥機があるので、不自由はしませんよ」という不動産屋さんのアドバイスに納得し、初めて自分で自分だけが住む部屋を契約した。

一人暮らしのきっかけは、婚約破棄だった。

結婚がなくなりアイデンティティが揺らいだ

「結婚して専業主婦になり、たまに腰掛けで働きに出ればいい」。

婚約破棄をするまでのわたしは、そんな気持ちでしか仕事に取り組んだことがなかった。だから相手との話し合いが不和に終わり、結婚がなくなったとき、自分のアイデンティティが揺らいだ気がして怖くなった。相手に依存した人生設計というのは、「なんと危ういものか」と初めて実感したのだ。

もし今後誰かと結婚することがあっても、そのときは自分の仕事を持っていたい。今まで甘い気持ちで仕事をしていたぶん、自分は人の何倍も努力をしなければいけない。だから会社のそばに住み、終電を気にせず働きたい。

そんな思いからの一人暮らしだった。

とはいえ、初めての一人暮らしに心は踊った。部屋にベランダこそなかったが、浴室乾燥機という実家になかった設備は、なんだか都会で働く大人のようでうれしくもあった。実際のところ、無理をすれば窓際に干せないこともなかったが、女性の一人暮らしで洗濯物を屋外に干すのはリスクもあったので、結果として重宝した。

住居が会社から徒歩圏内になったおかげで時間に余裕もでき、休日は新しい家具や食器を見たり、雑貨屋へ足を運んだりするのが楽しくなった。家族に茶化されたりすることもなく、自分の身の回りのものを、誰の目も気にせず選べる楽しさは本当に愉快だった。

買い物する女性

このころから、一人で出かけることが消極的選択肢ではなく、積極的選択肢になったような気がする。自由気ままに、行きたいときに出かけて、帰りたいときに帰る。そして誰の目を気にすることもなく、夕方まで惰眠をむさぼることだってできる。一人暮らしの自由さは、さまざまな好奇心を刺激してくれた。

初めての一人暮らしを満喫する日々

もともと料理は好きだったが、「スーパーに並ぶ食材で旬を知り、自分でそれを選んで料理する」という日々の楽しみもこのとき覚えた。近所にはスーパーがあり、さらにほんの10分も歩けば商店街がある。仕事は激務だったが、よくスープや味噌汁をつくった。

そのときそのときに手に入る野菜を適当に味噌やコンソメで煮ただけだったが、「自分の身体をつくるものを自分で料理する」ということも、大人っぽい作業のような気がして胸がはずんだ。もう今はなくなってしまったが、お豆腐屋さんで豆腐を買い、壊れもののようにそっと持ち帰ったのも楽しい思い出だ。

同時に、職場がある三軒茶屋から、自宅の最寄りまでにあるお店を飲み歩く楽しさも覚えた。会社での飲み会も仕事帰りの一杯も、二次会も三次会もすべて完結できるほどに、三軒茶屋エリアはおいしい飲食店が充実している。

このころ、職場でできた友人たちと本当によく飲み歩いた。家が近く、終電を気にしない間柄というのは、気軽に飲みに行く関係をつくるのに大きく作用したと思う。

酔いつぶれた同僚をわたしの部屋に運び、朝まで介抱した日もあった。いい雰囲気だった友人と家の前でロマンチックな空気になることもあった。当時は分からなかったが、あのころがわたしの第二の青春だったように思う。毎日が文化祭の前日のように忙しく、楽しく、興奮に満ちていた。

寂しさも窓から街の景色を眺めれば

一人で飲みに出かけるときは、混雑している三軒茶屋の人気店は避け、最寄りの若林駅周辺で飲むのを好んだ。ほどよく都会で、ほどよく住宅地である「若林」には、小さいお店がぽつぽつとあり、選択肢が豊富というほどではないが、行きたいと思えば生ビールを出すお店がなんとかある、という感じだった。

そのなかで一つ、なじみの店ができた。幹線道路沿いにある、元寿司屋だったという古い店舗だ。店には50代、60代のお客さんも多く、自分の父親世代の人と一緒に、ちょっと背伸びをしながらお酒を飲むのは、なんだか大人の仲間入りをしたようで楽しかった。

いま振り返ると、あのころのわたしはまだ大人に「なりかけ」で、大人になりきれていないまま結婚をしようとしたからうまくいかなかったのかもしれないなと思う。

当時はそのことを認めたくなかったから、婚約破棄のあとに親ときちんと話し合うこともなく家を出て、ひとりの家を手に入れた。内面が大人になれない焦りをそのままに、状況だけでも大人になりたかったのだろう。

そんな風にして過ごしていたある日、やはりその日も軽く飲んでから帰宅したのだと思うけれど、部屋のカーテンを開けたまま出かけてしまったらしく、部屋に街灯の光が差し込んでいた晩があった。

街灯の差し込む部屋

電気を点けようとする手を止め、そのまま窓辺に歩み寄った。ベランダがない部屋の窓からは、そのまま自分の住む街が見下ろせて、ぽつりぽつりと帰路を急ぐ人の影が長く伸びていた。なんとなくその景色が好ましく思え、折りたたみの椅子を運び、窓辺に座って、飽きることなく街を眺めていた。

なりかけの大人を支えてくれた思い出の部屋

さまざまな人がいて、さまざまな事情を抱えて家に帰る。楽しい一日だった人もいるだろうし、そうでない一日がやっと終わったという人もいるだろう。

わたしもついさっきまで、あの街灯に照らされ夜道を歩くなかの一人だったのだと思うと、「都心に一人で住んで、働いて、この部屋を借り、暮らしているのだということ」が実感として立ち上ってきた。それはわたしに大人の実感を与えてくれた。

その後、その部屋には最初の結婚をするまで住まうことになるのだが、大人になるというのは、思ったより手強いらしい。最初の結婚に失敗して、またわたしは「大人になりきれていない自分」と向き合うことになる。

それでも最初のよちよち歩きを支えてくれたあの若林の部屋は、「ベランダがない」というつくりも含めて、街に浮かぶわたしだけの四角いシェルターのようだったと思う。

仕事に疲れ、恋に破れて泣く日があっても、家に帰れば一人になれた。一人になれば、思いっきり泣いたり笑ったり、自分の思うままに過ごせた。そんな場所を自力で持てていたというのは、事実として変わらずわたしの中にある。

何度も何度も、あの部屋で「明けない夜はない」と思って泣いた日のことを思うと、なんとも情けなく、頼りないような気持ちになる。それでもあの夜の景色を思い出すと、頼りないなりに自分の足で立ち上がろうともがいていた過去を、肯定してあげようと思えるのだ。




舞台になったマンション:ラグジュアリーアパートメント若林CQ
所在地:東京都世田谷区
竣工年:2006年
総戸数:18戸


著者:はせおやさい (id:hase0831)

はせおやさい

会社員兼ブロガー。仕事はWeb業界のベンチャーをうろうろしています。一般女性が仕事/家庭/個人のバランスを取るべく試行錯誤している生き様をブログに綴っています。

ブログ:インターネットの備忘録