名古屋の街 歴史と今

公開日 2017年09月20日
名古屋の街 歴史と今

日本の東西を結ぶまんなかの街、名古屋。そのはじまりを古代までさかのぼり、今の姿に至るまでどんな歴史をたどってきたのかひもといてみよう。歴史ある熱田神宮を中心とした熱田の街と、徳川家康によって築かれた城下町の2つのエリアが中心となって拡大した名古屋。歴史を知ることで、今まで気が付かなかった新たな魅力が見つけられるかも。

【古代~中世】
名古屋のはじまり熱田

【名古屋市 熱田区】
かつて東海道最大の宿場町今も残る信仰の街の面影

名古屋市 熱田区

名古屋の歴史のはじまりは熱田にある。三種の神器のひとつ、日本武尊(やまとたけるのみこと)の草薙神剣をご神体とする熱田神宮。1900年を超える歴史をもつ熱田神宮を中心に街ができたのがはじまりだ。

その後、江戸時代には東海道の宿場町として繁栄。堀川の河口にあった魚市場も活気にあふれ、天保の時代には旅籠が250軒近く並ぶ日本一の宿場町となる。2位の桑名が120軒程度だったので、2倍以
上という突出した繁栄ぶりだった。今も熱田神宮は国内外からの参拝者が絶えず、門前町や宿場町、湊町として栄えた面影が街のいたるところに残る。

区の北部はJRや名鉄、地下鉄が乗り入れる金山駅に隣接しており、各路線沿線にはマンションも増えている。古くからのにぎわいが今に息づく、歴史を色濃く感じられる街だ。

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南区と隣接する一帯はかつて「熱田湊」と呼ばれ、現在は「宮の渡し公園」がある

【江戸時代】
名古屋城下に街ができる

【名古屋市 中区】
家康が築いた城下町は名古屋を代表する繁華街へ

名古屋市 中区

名古屋を代表する繁華街である栄。徳川家康が名古屋城を築城した後に起きた万治の大火後、碁盤割地域の南端に位置していた堀切筋を拡幅し、「広小路」と呼んだことにはじまる。広い道筋に人が集ま
り、次第に寺が開帳され、売店や見世物小屋も軒を連ねるようになり、名古屋随一の繁華街となっていった。

明治時代に愛知県庁ができて以降、警察や郵便など官庁街としての機能も整う。その後、松坂屋、丸栄、オリエンタル中村(後の三越)と大型のデパートが開業。複数路線が使える主要駅となり、ビジネ
ス・商業ともに名古屋の中心地となる。

今ではブランドショップや最新のグルメスポットが集まる街として国内外から観光客が訪れる。緑豊かな白川公園には名古屋市美術館や名古屋市科学館が集まり、文化的にも楽しめる街となった。

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名古屋テレビ塔、オアシス21が並ぶ栄エリアでは、BRT(バス高速輸送システム)の導入も検討されている

【名古屋市 北区】
城下町を支えた水路沿いが豊かな自然の身近な街に

名古屋市 北区

名古屋城築城の際、家康は福島正則に命じ、城下の食料や材木などの物資運搬のため名古屋城の西側から伊勢湾にかけて堀川を開削。その約50年後、庄内川からお堀の浄化と住民の飲み水を引くため
に掘られた水路が「御用水」だ。お堀からは木の升ますや樋といを使って各家に配水する水道がつくられ、堀川の西の街でもおいしい飲み水が手に入るようになった。

明治初期に黒川がつくられてからは、川沿いには御用水や黒川の水を利用して染物業が増え、名古屋一の染物工業地帯となった。御用水がなくなった今でも名古屋友禅の染物工場が残っている。1974(昭
和49)年に御用水を埋めてつくられた御用水跡街園には桜が植えられ、春にはお花見が楽しめる。名古屋都心へのアクセス利便に恵まれ、名城公園にもほど近く豊かな緑が感じられるエリアだ。

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黒川沿いには御用水跡街園として遊歩道が整備され、桜の名所としても知られる。旧木曽街道など城下町の面影を伝える風景も残されている

【江戸時代】
熱田に続く東海道のにぎわい

【知立市】
名古屋と三河を結ぶ人・モノが集まる交通の要

知立市

古くから交通の要衝として栄え、江戸時代には東海道39番目の宿場町である池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく)として繁栄した知立。物資の集積場としての役割も担い、毎年春に開かれた馬市には、遠くは甲斐
や信州の馬が集まり、400~500頭の馬と馬方、商人、見物客でごった返したといわれる。また木綿市も毎年開催されるなど、地方経済の要となっていた。

その立地条件のよさから、名古屋のみならず豊田・刈谷など工業都市のベッドタウンとしても発展。今や西三河の交通の拠点ともいえる存在だ。名鉄の2路線が利用可能な知立駅前では、商業施設やマン
ションが一体となった新たなシンボルとなるビルの建設計画が進行中。名鉄三河線の立体交差事業が進められ、踏切による慢性渋滞の解消も目指しており、より暮らしやすい街に生まれ変わりつつある。

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黒川沿いには御用水跡街園として遊歩道が整備され、桜の名所としても知られる。旧木曽街道など城下町の面影を伝える風景も残されている

【名古屋市 緑区】
緑豊かな丘陵地帯に今も残る歴史的街並み

名古屋市 緑区

東海道の池鯉鮒(ちりゅう)と鳴海の宿の間に江戸時代初期に開かれた村、有松。そこに住み始めた知多郡阿久比村からの移住者が、農家の副業として生産していた木綿に、九州から伝わった絞り染めの技術を応用して有松絞を完成させる。有松絞は藩の庇護のもと、全国の大名からも人気を集めて名を知られるようになり、明治期には全国に販路を開拓していった。今でもこの近辺は、広重の浮世絵にも描かれた美しい街並みが残るエリアだ。

緑区はこうした古い街並みを保全しつつ、その名前に表される通り、大高緑地もある緑が豊かな住宅地となった。地下鉄桜通線始発の徳重駅近辺には、区役所支所や図書館が入った共同ビルと一体となった大規模商業施設「ヒルズウォーク徳重ガーデンズ」もあり、利便性が高く自然環境に恵まれたエリアのひとつだ。

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110の専門店が入る「ヒルズウォーク徳重ガーデンズ」で買い物が楽しめる徳重駅は、始発駅なので座って通勤・通学しやすい点もメリットだ

【近代~】
名古屋の発展を支えた街

【一宮市】
綿から毛織物の街へ名古屋のモノづくりの原点

一宮市

木曽川の豊かな水と濃尾平野の地勢を活かし、江戸時代から大阪に次ぐ木綿栽培地となった一宮。濃尾大地震による被害で綿が栽培できなくなると、ウールを輸入し、洋服地を中心とした毛織物産地と
して発展。昭和初期には「毛織物王国・一宮」の名前が全国に知れ渡った。こうした繊維産業は、瀬戸や常滑に代表される陶磁器産業と並び、その後の工作機械、航空機、自動車産業の発展へと続く、名
古屋のモノづくりの原点となった。

今ではかつての工場跡地に大型商業施設が建設されるなど、より暮らしやすい街に成長している。尾張一宮駅・名鉄一宮駅には名鉄百貨店など大型複合施設が集まる駅ビルがあり、買い物利便性は高い。
名古屋都心まで電車で15分圏内とアクセスがよく、名古屋高速・名神高速道路と東海北陸自動車道が通る車にも便利な街だ。

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尾張一宮駅前ビルには図書館や子育て支援センターもある。保育園や教育施設が充実し、総合病院も近いなど、子育てしやすい環境も人気だ

【名古屋市 港区】
発展の歴史を支えた港町スマートタウンも開発中

小船しか入港できなかった熱田海岸に代わる港として、その沖合に1907(明治40)年に開港した名古屋港。名古屋経済の発展を支えた陶磁器や織物、自動車などの製造業を物流面で支える港として発
展し、今では取扱貨物量日本一を誇る。

名古屋港周辺には広い土地を活かしてレジャー施設や商業施設が集まっている。2017年春には国内初のレゴのテーマパーク「レゴランド」と、隣接する商業施設「メイカーズ・ピア」がオープンする予定で、さらににぎわいがアップしそうだ。

港区役所駅西側の中川運河沿いでは、先進エネルギーシステムを導入した、中部圏初のスマートタウンも開発中。大型ショッピングセンターや約500戸の集合住宅、スポーツ・レクリエーション施設など
が一体になった街が誕生予定など、今注目が集まるエリアのひとつだ。

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名古屋港周辺では工場や港湾施設の跡地がレジャー施設や商業施設に生まれ変わるなど、めざましい発展が続いている

SUUMO新築マンション 2017/1/31発行号より転載

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取材・文/大森広司 撮影/アトリエあふろ イラスト/タカセマサヒロ デザイン/taraco design 監修/池田誠一(NPO白壁アカデミア世話人)
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