人生の節目で引越しをする際、どんな風に部屋を選べばいいのでしょうか。連載「家愛遍歴」では、著名人の方々に下積み時代やブレイク後の価値観の変化、部屋へのこだわりを伺います。
カンニング竹山さんは、福岡県から上京後、東京都中野区で約20年間もの下積み生活を送ってきました。結婚してからは、夫婦二人の「身の丈に合った生活」を大切にする賃貸派を貫いています。堅実で、節約志向も垣間見える竹山さんに、住まいへの考え方について伺いました。
――竹山さんは吉本興業の福岡事務所に約1年間所属した後、上京したそうですね。最初に住んだおうちはどんな部屋でしたか?
最初に住んだのは西荻窪のあたりですね。キッチン1畳と部屋が6畳の1Kで、風呂なし和式トイレ付きのコーポでした。家賃は2万9000円くらい。西荻窪を選んだのは、6歳年上の兄貴が早稲田大学に通っていて、下井草に住んでいたからです。最初はしばらく兄貴の家に居候してたんだけど、追い出されて(笑)。だから近場で、便利そうな駅に決めました。
――中央線沿線は、芸人さんがとても多いエリアの印象があります。
そうそう。西荻窪では、福岡から飛び出してきた中島忠幸(のちの相方)と、大家さんに内緒で一緒に住んでいたこともあったんです。彼は3カ月くらいしたら「自分でアパート借りるわ」って出ていきましたけど。結局、西荻窪に住んだのは1年半くらいかな。中島とカンニングを結成して、渡辺プロダクションに入れてもらって。事務所の先輩や友達に恵まれ、中野や高円寺でよく遊んでいましたね。
――お引越し後、西荻の次に住んだのはどのあたりですか?
高円寺ですね。先輩から、「お前も来いよ」って誘われて。木造1階で、間取りは西荻窪とそう変わらない部屋で、家賃は3万6000円くらいでした。そこも風呂なしで。
――高円寺は老舗銭湯「小杉湯」が有名で、銭湯文化が根付いているイメージがあります。
当時は銭湯が今よりもたくさんあって、文化というより「生活の一部」という感じでした。よく利用していた銭湯が、高円寺だけでも3軒くらいありましたから。もう閉店したけど、当時は「サウナ宮下」でバイトしてたんです。バイトに行けば風呂に入れて、賄いも食えるので、しばらくしたら銭湯には通わなくなっちゃいましたね。店長の台湾人のおばちゃんから料理を教わって、このころからガンガン自炊するようになりました。
――生活コストが安く済んでいたんですね。
でも、このころから借金をつくり始めたんですよ。本当にお金がなくて、「家計簿をつけて節約」とかのレベルじゃないですね! 1カ月130円とかで過ごさないといけなかったから(笑)。
――その後は、ずっと高円寺に住んでいたんですか?
いえ、引越しました。ある日、先輩から「お前は高円寺にいるから駄目なんだ」って言われて。もちろん高円寺が悪いわけじゃなくて、「居心地が良すぎて、芸を磨く努力をしない」という意味なんです。パジャマのままでメシを食いに行ったり、朝までだらだら飲んだりしていたから。
――昼間から飲めちゃうし、寛容な街ですからね。
そう。「確かに。仕事のことを考えると、ここで腐っている場合じゃないな」と思って、今度は方南町駅近くの中野区南台に、家賃が6万5000円くらいのコーポを借りました。家賃を無理やり高くしたら、頑張れるんじゃないかと思って。
――家賃、ジャンプアップ! 方南町は比較的落ち着いた雰囲気の住宅街ですよね。
方南町って、他のところに比べて家賃が安いわりに、チャリで新宿や渋谷、下北沢に行ける穴場なんですよ。いわゆる芸能人が住んでいるような都会的な街にも憧れましたけど、売れてないから夢の世界ですよね。ライブさえうまく出られていなかったし、「きっと売れないだろうな」というあきらめにも近い思いを抱いていましたから。
――家賃を思い切って上げてみて、お仕事はどうでしたか?
それが、まったく……そのうち家賃を滞納するようになりました。どうしようか考えていたところに、付き合っていた今の妻が「実家を出る」と決めたので。「じゃあ、一緒に出よう。暮らそう」ということになりまして。
――初めての同棲生活が始まるんですね。
そうですね。それで、中野区江古田にある4階建てのアパートに移ったんです。間取りは、キッチンが1.5畳、部屋が4畳と6畳の1DK。部屋同士は、木でできたアコーディオンカーテンで区切られていました。もともと家賃は折半の予定だったけど、お金がないから無理で。妻にはずいぶん迷惑をかけました。
でもね、そこで生活を始めてから2年目くらいで、急に売れ出したんですよ。
――ついに「キレ芸」が開花……!
人生がガラッと変わりました。当時はマネジャーに車で送迎してもらっていたから、「ここに竹山が住んでる」って周りにバレるじゃないですか。そうしたら近所の子どもがやってくるようになっちゃって。やむを得ず、また引越すことにしたんです。
――ブレイク後、初めての引越しはどんなお部屋に?
ずっとコーポやアパートに住んでいたから、「マンション」に憧れたんですよね。それで当時、仕事へ向かう途中によく見かけた中野坂上の物件へ移ったんです。家の窓からは、新宿の高層ビル街がパーッと見えて。幼いころからの東京への憧れが目の前にあるような気がして、「すごいね、これ」と妻と興奮して話したのを覚えてますね。
僕は単純に利便性がいいから選んだけど、後にそこが「芸人の出世マンション」と呼ばれていることがわかりました。東野幸治さんやロンドンブーツの田村淳も住んでいたらしいです。
――華やかなメンバーですね。マンションの家賃が払えるレベルになったからこそ、みんなポーンと羽ばたけた可能性もありますか?
それもあるでしょうね。家賃も30万円くらいでしたから。結局、中野坂上のマンションには4年くらい住んでたのかな?2回目の更新を機に引越しを決めました。僕は「次は、ついに山手線の内側に住めるかな」なんてワクワクしてたんですけど、妻は「そんな贅沢しなくていいよ」って。
――堅実なパートナーですね。
それから、場所を決めずに青山とかいろいろ探したんです。けど、まあ家賃が高いですわ。そんなときに知り合いの不動産から、「話題の分譲マンションが、オーナーの意向で、賃貸で出ていますよ」って紹介されたんです。それが今の住居。環境がすごくよくて、ペット飼育可。ベランダからは国立競技場が見える。今はもう見慣れてしまったけど、神宮外苑花火大会では、花火が目の前で上がるんですよ。
――引越しを何度か経験して、これまで「家を買おう」という発想には至らなかったんですか?
漠然と「いつか持ち家を」という思いがありましたけど、妻は執着しないタイプ。それに、僕たちは子どもがいない夫婦二人の生活だから、家を買ったところで、「その後はどうするんだ?」という思いもありました。僕たちが死んだ後、残った家は甥や姪に行くわけでしょう。相続で争うのは、嫌ですからね。年を取ったら、もっと小さいマンションを借りるのもいいかなと考えています。
――ダウンサイズの方向なんですね。
自分の身の丈にあった生活というか……。今僕らが住んでいる家は2LDKなんですけど、大人二人だったらそのくらいがちょうどいいですよ。3LDKだと広すぎます。だいたい、同じ部屋で過ごして、お互いにスマホで漫画を読んだりゲームしたり。好きなことをやってますからね。
――竹山さんのお話を伺っていると、お互いを尊重した夫婦仲の良さが感じられますね。
どうですかね(笑)。僕は相手の話をちゃんと聞かないし、「部屋を片付けて!」って言われてもやらないから、よく怒られますけど。
――竹山さんはキャンプやバイクなど多趣味ですけど、物件を決めるときに収納へのこだわりなどはお持ちですか?
収納が少ないと嫌だな、とかはありますけど。重視するのは利便性だけかな。生活してみないとわからない部分ってあるじゃないですか。
――自分の生活を把握してから「もっとこうすればよかった!」ってなりますよね。
僕の事務所はワンルームだけど、コロナ禍でTV番組用にリモート撮影したり、YouTube撮影したりで、荷物やスタッフの出入りが増えたから、思ったよりも狭すぎたかな、と感じています。
――ここの事務所は家具の配置がすてきですよね。すごくおしゃれです。
自宅よりも、事務所の方がこだわりの家具。このテーブルと椅子はスペイン製で、あっちの一人掛けソファは、エルメスと同じ革を使っているそうなんですよ。元値100万円だったのを、50万円に値下げしてもらったんです。
――半額ですか!?
そう。もう閉店したんですけど、青山三丁目のあたりの家具屋で。「すてきだな、でも高いな」といつも外から眺めていたんですが、事務所をつくるときに思い切って店に入ったんです。そうしたら、そのオーナーが福岡出身で、「同郷のよしみで、応援してますから、半額にします」って。
「まじで!?」って買ったけど……。この椅子が50万円ですよ!? 個人事務所をつくるのに少しハイになっていて、「社長の椅子が必要だ!」と騒いで購入したけど、今は誰も座ってないですね(笑)。
――竹山さん、大物買いして頑張るタイプですか?
張り切って無駄な買い物をして、後悔することの方が多いですね。家具もそうだし、キャンプ用品もそう。人をもてなすのが好きだから買うんだけど、そんなに大勢でキャンプへ行かないから、こんなにたくさんいらなかったなと思う(笑)。
――賃貸派の竹山さんですが、ハワイに物件を購入したと聞きました。海外に家を持つって、夢がありますね。
ハワイへ旅行するうちに楽しくなって、先輩からも「買えば」とアドバイスされて買ったんです。「東京は賃貸なのに、ハワイに家を持ってるって面白いな」って思って(笑)。
「ハワイで家を買った」と聞くと、「ええ!?」って驚かれるけど、お金があるから買ったわけじゃなくて、銀行に借金をして買ったんです。
――賃貸派が、不動産を買った理由は……?
うちは子どもがいない分、教育費がいらないから、夫婦二人でどう生きるかを考えていけばいい。僕は税金をまじめに納めているし、そろそろ投資目的に物件をひとつ持っていてもいいかな、と思ったんですよね。ハワイの家も、最終的にどちらかが死んでやばくなったら売ればいいんだから。夫婦二人、唯一の資産ですね。
贅沢かなって妻と話し合ったけど、「二人の人生だから、僕らが楽しければいいじゃないか」って踏ん切りをつけました。
――どんな感じのお部屋なんですか?
家具付きのマンションですね。アメリカ人のおばちゃんから買ったんですけど。住宅ローンは外国人だから組めない分、銀行からお金を借りる手続きがややこしかったです。
――買ってみて、やっぱりよかったですか?
投資目的だけでは、とてもじゃないけどマイナスだなと感じることがありますよ。コロナ禍で世の中が変わったから、海外へ気軽に飛べなくなったし、飛行機代も高くなった。資産としてハワイの家が値上がりしても、その分払う金も大きいから、本当にハワイが好きじゃないと損だなと思います。
――今後、竹山さんの暮らしの野望は。
何となく考えているのは、福島に家を建てて、貸別荘にしたいなって思ってるんです。「竹山の別荘」と銘打ってもいい。そうすれば、そこに人を運べますよね。バーベキュースペースなんかがあれば、ファミリーで来てくれるかも。そうしたら、福島のいいところを観光しつつ、遊んでくれないかなぁ。もちろん、僕と妻も年に何回か遊びに行って……と妄想しています。
――全国の中でも、なぜ福島に家を建てようと考えたんですか?
震災後、福島へ行くのを自分のライフワークにしているからです。遊んでいるうちに現地の友達もできて、「ここに自分の家があったらいいな」って感じるようになったんですよね。でも、マンションを借りるのは味気ない。海沿いは安いって聞くから、「じゃあ思い切って家を建てちゃうか!」って。それで、「福島に人を運びたいな」といつも思っていたから、貸別荘がいいんじゃないかと。
もちろん、自分たちが死んだ後に、その家をどうするんだっていう悩みはありますけど、寄付とかやりようはあるし。……まあ、まだやりたいって思っているだけで、進めてはないですけどね。
――資産としてのハワイの家、おもてなしとしての福島の家なんですね。
将来的には、地方にいくつか家を借りられたら面白いでしょうけど、家を建てるのは福島だけでしょうね。もう少し旅行しやすくなったら、大阪や福岡にある僕のなじみの店に、妻を連れていきたいなぁ。それに自分のペースでハワイへ遊びに行けたら楽しいでしょうね。
<編集:小沢あや(ピース株式会社)>
<撮影:小原聡太>
<構成:結井ゆき江>