400戸が1週間で完売。マンションブームの火付け役に
新築マンション分譲価格の高騰を受けて、中古マンションを検討する人が増えている。特に若い世代を中心に、中古をリノベーションして自分らしく暮らす動きも目立つ。新築相場の上昇に伴って値上がりを見せているものの、いまのところ中古の人気が衰える気配はなさそうだ。
では、中古マンション市場を形成する日本のマンションストックはどのくらいあるのだろう。国土交通省の調べによると、2020年末時点で総数は約675.3万戸。値ごろ感のある築年数の古いマンション、例えば築30年超は約231.9万戸、築50年超になると約15.8万戸にまで絞り込まれる。後者はマンションストック全体から見ると、約2.3%と極めてレアな存在だ。
築50年超。竣工後ほぼ半世紀経ったマンションでの暮らしとは…?筆者のそんな好奇心に快く答えてくださったのが、1970年竣工、築51年目を迎えた湯島ハイタウンにお住まいの方々だ。
学問の神様「湯島天神」として知られる湯島天満宮向かいに立つマンション2階のロビーを訪ねると、管理組合理事長の中川一郎さん、マンション住人で構成される湯島北町会町会長の御木夏代さん、管理会社の担当者が出迎えてくれた。
まずは、新築分譲時に購入し、暮らし続けている御木さんの話。
「このマンションを買う前は、御徒町の店舗兼自宅の一戸建てに住んでいたんです。この界隈は今はすっかりにぎやかですが、50年ほど前は閑静な住宅街だったんですよ。御徒町から徒歩10分程度の距離なのに、かなり静かな場所でした。
御徒町の家は商売するのにはもちろん便利だったのだけど、国鉄の線路のそばで電車が通るとうるさくてね。だから、ここに鉄筋コンクリート造のマンションができると聞いたときは、すぐに『住みたい!』と思いました。当時、そもそもマンション自体がとても珍しかったこと、16階建ての高さがあったこと、店舗も合わせて440戸のとても大きな集合住宅だったことなどで話題になり、かなり人気が高かったですよ」
価格帯は、専有面積も広めでグレードの高いA棟が約800~980万円、B棟が480~880万円程度だったと記憶しています、と御木さん。ちなみに湯島ハイタウンが分譲された1970年4月の国家公務員上級(甲)(注:現在の国家公務員Ⅰ種)の初任給は3万1510円(人事院調べ)。当時“高嶺の花”と言われたのも納得だが、それでもほぼ1週間で完売したという。湯島ハイタウンは、その後の東京で増加していくマンションの先陣を切った物件のひとつになった。
ただ、1970年代、つまり昭和40年代後半には、都心の大規模マンションで暮らした経験を持つ人はほとんどいなかったはず。他人同士でひとつ屋根の下に暮らすことへの不安はなかったのだろうか。
「いえ、まったくありませんでした。それよりもハイカラなマンションに住むことの憧れ、うれしさのほうが大きかったですね。地元の文京区や台東区、さらに都内のほかの区など、元々東京に住んでいる人が多く、すぐお互いの家を行き来して、お付き合いするようになりました」(御木さん)
御木さんのほかにも、新築分譲時に購入し、今も住み続けている住人は少なくないとのこと。竣工以降、自然発生的に複数のサークル、同好会が立ち上がり、俳句や習字、読書、さまざまな趣味を楽しみながら女性住人同士の親睦を深める「ライフの会」などがあり、令和の今も活動を続けているそうだ。
湯島ハイタウンの“名物”、外壁の室外機の行列はいかに生まれたか
管理組合理事長の中川一郎さんも、湯島ハイタウンに抱いていた憧れが購入の大きな動機だ。
「私は同じ文京区の千駄木のほうで生まれ育ったんです。小さいころからここの前を通るたびに『大きな建物だな~』と子ども心に感動していました。いつかこんなところに住めたらいいな、と」
もっとも、中川さんが湯島ハイタウンの住人になったのは、一昨年の2019年のこと。
「自宅ではなく、私の会社の事務所として使用しています。ここは3階以上が住戸なのですが、事務所としての使用も認められているんですよ。事情があってここに居住用の住戸を買うことはなかったのですが、それでもオーナーとして湯島ハイタウンを拠点にでき、子どものころの夢が叶いました」(中川さん)
1970年代半ばから継続して湯島ハイタウンの管理責任者を務めている、管理会社の菊地信一さんが補足説明してくれた。
「かつて1・2階には『味のプロムナード』と名づけられたレストラン街やスーパーマーケット、幼稚園、クリニックなどが入居していました。さらに隣地に併設されていた、財団法人中央労働福祉センターが経営していた池之端文化センター(注:2005年に営業を終了)のボウリング場やプールも住人は優先的に使うことができた。物件名に『タウン』と冠しているのは、このように生活に必要な機能がひととおりそろった“マンションの枠を超えたひとつのまち”、というコンセプトが反映された証なんです」
湯島ハイタウンは、特に1990年代後半から多く見られるようになった、職・住・遊・憩などの都市機能を集積した、複合再開発プロジェクトの草分け的存在だったというわけだ。
なお、現在は竣工時から継続して入居しているパン屋、郵便局のほか、軽食喫茶、クリーニング店、天ぷら屋、加えて多くの会社事務所が入っている。
「立地も良いんですよ。千代田線の湯島まで徒歩1分ほどですし、マンションエントランスの目前にバス停があって数分に1本の割合で都バスが発着します。徒歩10分程度でJRの御徒町駅にも行けますし」(中川さん)
さらに、近隣の環境も気に入っているそうだ。
「エントランス前に湯島天満宮、裏側には旧岩崎邸庭園。ちょっと足を延ばせば不忍池、樋口一葉旧居跡、竹久夢二美術館、キャンパス内を散策できる東京大学など、何度行っても飽きの来ないスポットが周囲にたくさんあるんです。仕事に疲れた時の息抜きによく散歩をしていますね」(中川さん)
ちなみに、湯島ハイタウンの名物(?)とも称され、時折、建築系や美術系の学生が観察に訪れるという、マンション外壁のエアコン室外機の行列はどのような経緯であの姿になったのだろうか。
「マンション完成直後は、A棟にはセントラル冷暖房システムが導入されていたので、A棟の住人はエアコンを買う必要はありませんでした。
ただし、B棟にはセントラル冷暖房がなかったため、住人が自前でエアコンを買い、室外機を外壁に設置するようになりました。
その後、経年でA棟のセントラル冷暖房システムが劣化したため、セントラル冷暖房システムを終了。2006年に、管理組合がAB棟共通で、エアコンの頑丈な室外機置場を設置し、今の姿になったんです」(管理会社・菊地さん)
築50年超の時間が生み出す課題に真摯に向き合う
続いて視点を変え、マンションのハード維持管理について聞いてみた。
「50年以上前に竣工したマンションですから、例えば、電気部品ひとつとっても、現在ほぼ市場に出回っておらず、専門業者でも修理に頭を悩ませたり、代替部品を見つけることが大変だったりする場合もあります。また、各戸でリフォームが進められたことで給排水管の配置が複雑化して、共用部の給排水管更新にまで影響を及ぼすケースも見られます」(中川さん)
半世紀という時間が建物に及ぼす影響を修繕するのは、やはり一筋縄ではいかないようだ。
強いて課題を挙げるとすると?との問いに即返ってきたのは「防災」だった。
「住人の高齢化が進み、万が一の際の避難に時間がかかることも想定されるため、避難マニュアルを分かりやすくするなど意識を高める取り組みを進めています。
以前には消防署の指導で防火扉を増設しました。できる範囲で防災訓練も充実させていきたいと考えています。また、ここは新耐震基準以前に建てられたマンションのため、耐震補強についても検討を進めているところです。
さらに課題に挙げられているのが、リモートワーカーの増加によってニーズが高まったインターネット環境の改善です。現在は光ファイバーケーブル+電話回線のVDSL方式ですが、もっと通信速度が早く、容量が大きな回線にしてほしいとの声が上がっていて、光配線方式も検討しています」(中川さん)
築50年超と古いので、正直、修繕が追いついていない部分もある。しかし、ひとつひとつの課題に誠意をもって着実に解消していくことで、住まいとしての機能は変わらず維持できると考えています、と中川さんは話してくれた。
多様な世代が暮らすことで機能性と味わいが増していく
居住満足度に大きく影響する、活発なコミュニティの維持についても改革が始まっているという。
「これまで、湯島ハイタウンでは、管理組合と、マンション住人のみで構成する、湯島北町会が一体となっていました。管理規約に理事長が湯島北町会の町会長を兼ねることと明文化されていたんです。
ただ、現実的に組合理事長と町会長を兼任することは困難なため、町会長の仕事を他の理事に委任できる決まりになっていました。現在は、御木さんに代行として町会長に就いていただいています。
しかし、今年6月の住民総会を経て新たなメンバーが加わった理事会では、一体となっている組織を再編して、管理組合と町会を分離するための検討が始まっています。
というのは、住人の皆さまから徴収した管理費は、本来、建物の維持管理に充当されるべきものですが、一部が町会活動にも充填されるのは、やはり良いことではないとの意見が増えてきたためです。
別々にした後、町会費をどのように確保するか、これまでの町会活動のノウハウをどのように継承していくか、町会活動の担い手をどうするか……決して簡単に解消できない課題が山積していますが、先に述べたマンションハードの維持管理や更新同様、ひとつひとつに取り組んでいくしかないと思っています」(中川さん)
住人の交流を促し、絆を深めてきた、湯島北町会主催のイベントや行事は、現在コロナ禍において、中止や縮小を余儀なくされているそうだ。しかし、前述した複数のサークルや、マンションと湯島のまちづくりに同時に貢献する活動などが継続している。
「まちづくりにも貢献する取り組みのひとつに『湯島花いっぱいの会』があります。これは13年前に発足しました。東京都から助成金をいただいて、マンション前、春日通りに面したバス停横の花壇の手入れや清掃などをしています。
花壇はマーガレットなどの花苗やハナカイドウ、ムクゲといった低木など、いろいろな種類の植栽を植え付け、マンション前の歩道を通る方、バス停でバスを待っている方の目をなごませています」(湯島花いっぱいの会会員・釜井英二さん)
2018年には会の活動が評価され、東京都から『道路功労者 建設局長賞』を受賞したとのこと。今後もぜひ継続してほしい取り組みだ。
優れた利便性と下町情緒が融合する街・湯島のランドマークといえる湯島ハイタウン。近年では、購入してから自分らしくリノベして暮らす若い世代も増えてきたとのこと。新たな住人も融合して多様な世代が一緒に暮らすことで、今後、さらに味わい深いマンションになりそうだ。
※2021年のイベント開催、共用施設の使用は新型コロナウイルス感染症対策のため上記の通りではありません。今後の開催は未定です