「誰かの幸せ」を考え、皆が心地よい空間をつくる。建築家・浅利幸男さんが考える理想の集合住宅

拳山荘
拳山荘(撮影:西川公朗)

普段はなかなか意識することがないかもしれませんが、私たちが暮らすマンションなどの集合住宅も、誰かが考えデザインしたものです。

直接住まい手の要望を取り入れながら設計できる個人住宅とは異なり、多くの場合、誰が住むかわからない状態で設計される集合住宅。設計者はどんな思いを込めて、デザインを決めていくのでしょうか?

今回そんな疑問に答えてくださったのは、個人住宅だけでなく、神楽坂と中野の「薫木荘」、立川の「拳山荘」といった緑豊かで個性的な集合住宅を多数手掛けている、一級建築士事務所「LOVE ARCHITECTURE」の浅利幸男さんです。

集合住宅に住む人の「居心地のよさ」を実現するために、日頃から建築家としての感性を磨き、デザインや素材選びには徹底してこだわっているという浅利さん。インタビューを通じて、暮らしを豊かにしていくための、住まい選びのヒントが見えました。

「実際に住んだ後」を想定して、居心地のよい空間をつくる

──浅利さんの設計された住宅を拝見していると、とても居心地がよさそうだなと感じます。建築を設計する際に大事にしていることをお聞かせください。

浅利幸男さん(以下、浅利):ありがとうございます。建築は人の行動や感情に影響を及ぼすものなので、人間の特性をよく知った上で、どんな空間を人は心地よいと感じるのかを考えてデザインしたいと思っています。

──集合住宅の場合は「誰もが心地よいと感じる空間」を目指すのでしょうか?

浅利:いえ。僕の場合、不特定多数の人の快適さを追求しているという感覚はないですね。誰か特定の人をイメージして、その人が暮らしやすい住宅をつくるようにしています。

よくいわれることですが、皆が使いやすいように考えられたものは、誰にとっても100%使いやすいとはいえないものになってしまうんですよ。だから特定の誰かを100%幸せにできるような空間を考えて、それが結果的に多くの人にとって心地よいものになるようにしています。

個人住宅を設計するときは建て主の方の好みを徹底して探るようにしていますが、経験として多くの人が共通して豊かさや安らぎを覚える空間というのがあるんです。その感覚を信じて設計する、という意味では、集合住宅も個人住宅の考え方に近い部分はありますね。

例えば窓がある部屋でも、背後は壁になっているほうが落ち着くといわれます。周囲を見渡せるほうがいいけれど、囲われている安心感はあるほうがいい。これは、元々人間が自然の中で生活していたときからの、基本的な身体感覚が受け継がれているためだと思います。

浅利さん
浅利さん

──個人住宅の経験が、集合住宅のデザインにおいても生きてくるんですね。

浅利:その影響は大きいですね。建築の設計は「予測の仕事」で、実際に人がどう使うだろうか、ということを予想しながらデザインするんです。だけど僕は「建った後、実際どのように使われているのか」「住んでからその建築のどんな場所を気に入ってくれているのか」など、住んだ後の現実そのものに強い興味があって。建て主の方の現実を知り、その後の設計に活かしたいと考えています。これも、個人住宅の経験からです。

以前、ある小説家の方の住宅を設計した際に、「物が散らかっていないと落ち着かないから、散らかった状態をデザインしてほしい」と言われたことがありました。デザインにはいろいろな要素を整理していく役割があるので、散らかるようにデザインする、というのは言葉の定義から考えると矛盾しています。だけどその方にとっては、散らかった状態が良くデザインされた状態、ということになる。それが僕にとっては衝撃的で「自分がデザインしたものがどう使われるのか」に興味をもつきっかけになりました。

それ以来、建物は竣工したときではなく、人がそこでしばらく住んでから完成するのだと思うようになりました。そのような考え方で、住宅の竣工写真は建物の完成時ではなく、しばらくたってから、生活している様子を撮らせていただいています。

竣工写真の例

竣工写真の例
個人住宅における竣工写真の例(撮影:西川公朗)

──実際、お施主さんからはどんなことを言われますか。

浅利:住んだ後に「私が求めていたのはこういう家だったんだ」とおっしゃっていたことがあって、とても印象に残っています。

また「浅利さん、こことここの目地がそろうように設計してたんですね」とか、「何時ごろにこの場所に日光が差し込むようになるのか考えられてたんですね」とか、こちらがこだわっていた部分に気付いていただけるとうれしくなりますね。それだけ、毎日の生活を大切に暮らしていただいているということなので。

住む人がわかってくれる、という信頼関係があるからこそ、妥協なくこだわり抜いて設計できているんだろうなと思います。

──住まいを選ぶ際、自分にとって居心地のいい家を見つけるには、どんな点を見ておくといいと思いますか?

浅利:いくつか内見した中で、後から思い返したときに「落ち着く」という感慨が湧くものを選ぶと良いと思います。そういう身体感覚って、本質的で間違っていないと思うんです。便利さみたいな表層的なものより、本質的な感覚を大事にしてほしいですね。

──浅利さんご自身の感性を磨くために、工夫していることなどはありますか?

浅利:自分が旅先などで出合った心地よい空間を、そのまま記憶しておくようにしています。なぜそこを気持ち良いと思ったのか、あとから再現できるように。

例えば神楽坂の「薫木荘」では、エントランスから入ったところに階段の手すりがあって、上から落ちてくる光に向かってすうっと延びているんですが、ぐるっとカーブを描いた曲線や手に持ったときの感触、紅葉の葉っぱが枝垂れている光景など、フェティシズムといってもいいほど、振り切って設計しています。

神楽坂「薫木荘」のエントランス
神楽坂「薫木荘」のエントランス(撮影:西川公朗)
神楽坂「薫木荘」の手すり
神楽坂「薫木荘」の手すり(撮影:西川公朗)

どこかで体験した気持ち良さを、僕の中で再編集して再現しています。「絶対にわかってくれる人がいる」という確信があるから、そこまで思い切れるんです。

──集合住宅の場合、個人住宅とは異なり、ビジネスとしての側面も重視されると思います。設計の上で、どんな考え方の違いがありますか?

浅利:少し難しい話になるのですが、建築の設計には論理的に正解を導き出していく「アルゴリズム的思考」と、感性を頼りにデザインする「非アルゴリズム的思考」の両方が必要だと考えています。

──アルゴリズム的思考というのは、法律の規制や敷地、予算など与えられた条件の中でいかに建物に求められる性能を満たしていくか、という考え方のことでしょうか。

浅利:そうですね。極端にいえば、アルゴリズム的思考は誰にでもできる、正解を導いていく方法です。しかし僕は非アルゴリズム的思考こそが、建築が人間に与える影響を決定づけると考えています。

例えば中野の「薫木荘」では、旗竿敷地*1に対して必要な住戸数分の玄関がすべて面するような通路を考えていった結果、とぐろを巻くような通路ができました。

中野「薫木荘」
中野「薫木荘」(撮影:西川公朗)
中野「薫木荘」の通路
中野「薫木荘」の通路(撮影:西川公朗)

集合住宅の場合は高い利回りが要求されるので、このように、アルゴリズム的思考が先行して建物の形が決まり、その後に非アルゴリズム的思考によって「空間の豊かさ」を追求していくことが多いですね。通路を抜けた先に見える印象的な風景や、建物の屋根によって切り取られる空といった感性に働きかける部分は、非アルゴリズム的思考によってデザインしています。

中野「薫木荘」の内部
非アルゴリズム的思考でデザインした中野「薫木荘」の内部(撮影:西川公朗)

他の集合住宅にはない魅力を生む、デザインや素材へのこだわり

──神楽坂の「薫木荘」は、玄関までのアプローチが印象的ですね。共有部分を庭としてデザインしてほしい、というお施主さんからの要望があったのでしょうか?

浅利:いえ、僕から提案しました。敷地の隣が高さ4mの擁壁になっていて、それを隠してほしいというオーダーがあったんです。僕としては、結果的に隠すモノが圧迫感を与えるようなデザインをしたくなかった。そこで作庭家の方に擁壁が気にならないように、足元に注意が向くようにしたいとお願いをしました。

そうしたら、凹凸の激しい、危なっかしくて上なんか見ていられない石の路地庭をデザインしてくださったんです。

神楽坂「薫木荘」のアプローチ
神楽坂「薫木荘」のアプローチ(撮影:西川公朗)
凹凸のある足元の様子
凹凸のある足元の様子(撮影:西川公朗)

──まさに、人間の特性をよく知っていないと考えもしないアイデアですね。

浅利:ほかにも立川の「拳山荘」を設計した際には、ある建築雑誌の編集長の方から「浅利さん、集合住宅でやっちゃいけないことを全部やってるね」と言われて、それが僕にとってはうれしかったんですよ。

──具体的にはどのようなことでしょう?

浅利:足元がデコボコしているのも、共有部から室内が見えるようになっているのも、メンテナンスが必要な庭をつくっているのもそうです。

それらのデザインは最初、お施主さんにも驚かれることが多いですが、それが他の集合住宅にはない魅力にもなっていると思います。

──「薫木荘」の石庭もそうですが、浅利さんの設計する建物には自然素材が多く用いられています。素材に対するこだわりを教えていただけますか。

浅利:素材選びにはものすごくこだわっていますね。使っている素材も多いですし、自分で開発することもあります。

なぜそこまでするかというと、空間の情緒を形づくる重要な要素の一つが「光」だと考えているからです。建築を豊かにするために、光をどう魅せるのかはとても重要です。では人がどのように光を知覚するのかというと、建物の表面に反射した光が人の目に届くんですね。直接光を見ているわけではないんです。なので、建物の表面がどういう素材でつくられているのかが重要になってきます。


光のデザインの例(吉祥寺「朱合院」 撮影:木田勝久)

光のデザインの例(吉祥寺「朱合院」)
光のデザインの例(吉祥寺「朱合院」撮影:木田勝久)

──特にどのような点に気を付けていますか。

浅利:人間の空間認知って、均質じゃないんですよ。特に人がよく触れる部分、あるいはよく目が行くところは空間の印象に強い影響を与えるので、重視しています。それこそ色や質感だけでなく、物質の粒子の密度までよく吟味して選ぶようにしています。

集合住宅に公共性を託すことが、豊かさにつながる

──浅利さんの設計する集合住宅は、住民同士の共有スペースに外部の人が入ってきやすいように設計されている印象です。どのような狙いがあるのでしょうか。

浅利:集合住宅には個人個人の専有スペースと、皆で使う共有スペースの二つがありますよね。入居者は専有スペースを借りている、あるいは買っていると思われがちですが、僕は専有スペースと共有スペースの両方にお金を出しているのだと考えています。

集合住宅に住むというのは、この共有スペースも合わせた建物全体に住んでいるわけですね。なので、住む人たちの公共意識を高めることで、集合住宅全体の豊かさにつながっていくのではないかと思います。

──住民の公共意識、ですか。

浅利:はい。例えば先ほども話した神楽坂の「薫木荘」では、アプローチの庭をつくり込むことで、住む人達が庭を愛でる感覚を養おうと考えました。そうすることが、庭をきれいに保とうとする意識や、さらには集合住宅全体への愛情を育むことにつながると思っています。

また、芦花公園駅近くの「白游居」という集合住宅では、各住戸の専用庭を建物の前面に配置しました。建物の前を通る人にとってはまずその庭が目に入ってくるので、庭のメンテナンスが建物の印象を決定付けるわけですね。

「白游居」
「白游居」(撮影:木田勝久)

──住む人からすると緊張感がありそうです。

浅利:人から見られる意識があると、自分の庭だからといって手入れを怠って放置したりできないですよね。管理が行き届いていないと汚く見えてしまう可能性もありますが、きっときれいに保ってくれるはずだと、見えない住まい手を信じて設計しました。

20代のときに公立中学校の設計をしたことがあるのですが、最初、役所の人は廊下の壁が汚れるからと「下半分をグレーに塗れ」と言ってくるんです。僕はそれに強く反発して、白いまま残しました。そして数年たって見に行ったときに、真っ白なまま使われていたことに強く心を打たれました。美しいものは、誰も汚そうとしないんですよ。人間の美意識について、深く考えるようになったきっかけでもあります。

──吉祥寺の「朱合院」では1階の通路が通り抜けられるようになっていますね。

吉祥寺「朱合院」の通路
吉祥寺「朱合院」の通路(撮影:木田勝久)

浅利:ヨーロッパの広場や、東南アジアの屋台など、海外を旅すると誰のものでもないけれど、誰もが自分の居場所のように使っている空間をよく見かけます。日本にも昔はそういった空間があって、僕も子どものころは学校から帰ってくるときに人の家の塀や庭を勝手に通り抜けたりしていましたが、今はそういったものが失われてしまっているように感じます。皆の場所であるはずの公園も、あれをやっちゃだめ、これをやっちゃだめと規制が多いですよね。

──コンビニやスーパーで花火を売っているのに、遊べる場所がない、みたいなことがよくあります。

浅利:そうそう。それが、日本の街をつまらなくしてしまっていると感じます。僕は集合住宅の設計を通して、日本の街に「公共性のくさび」を打ちたいと考えているんです。

──公共性のくさび、ですか。

浅利:僕は大手のデベロッパーが手掛けるような大規模な開発にはかかわれないけれど、どんなに小さな建築でも、街全体に影響を及ぼし得る可能性をもっていると思っています。街が美しくなければ、とびきり美しい建築を。街に緑が少なければ、緑豊かな庭をもった建築をつくればいい。


拳山荘の共用部

「拳山荘」の共用部
緑豊かな「拳山荘」の共用部(撮影:西川公朗)

──建築家が社会に対してどんな価値を提供できるのか、一つの究極的なあり方のように感じます。

浅利:昔あるテレビ番組で、ギリシャの街に住むおばあさんが街路の壁を一生懸命真っ白に塗っている姿が映っていたんですよ。僕はそれを見て衝撃を受けて。彼女にとっては街路の壁も自分の家の一部で、だから街を美しく保ちたいと思うのだと。

そんな一人ひとりの公共意識が、街全体を美しくするんだなと。海外から日本に帰ってきていつも思うのは「なぜ日本の街はこんなにきれいで清潔なのに美しくないんだろう」ということなんです。

──建築や街だけの話でなく、いろいろなことにつながっていきそうなお話です。

浅利:例えば、家電製品がその特徴をよく表しています。日本の家電はとにかくいろんな機能が付いていて便利かもしれないけど、僕は美しいとは感じません。一つ一つの製品が、単体として目立とうとしてデザインされているからだと思います。僕は海外製のオーブンを使っていますが、ボタンなんて三つしかないんです。

──iPhoneが登場したときに、日本の携帯電話は機能や性能はすごいのになぜシンプルで美しいものがつくれなかったのかと言われていましたね。日本人の消費行動がそういう状況を生んでいるんでしょうか。

浅利:それよりももっと根が深い、日本人の根本的な価値観がこのような結果を生んでいるのではないかと考えています。

建築についていえば、日本の建材メーカーが開発しているマテリアルの種類が多すぎると感じます。目の前のお客さんの要望に対応していった結果なのかもしれませんが、僕は表層的なスペックの多さが本当の豊かさにつながるとはとても思えません。

皆がバラバラのものを選んでしまっては、美しい街並みにはならないと考えています。ヨーロッパの街に行くと、街並みに統一感があってすごく美しい。少しずつでも、公共意識を育んでいく必要があると考えています。

──そうした問題意識から、公共性を意識するようになったんですね。

浅利:今、自分で設計した建物の一室を事務所として使っているんですが、前を通る人達が皆、建物を見上げていくんですよね。決して目立つデザインをしているわけではないですが、美しいものをつくればそれはきちんと伝わっていくんだろうなと。

僕は日常の何気ないシーンを幸せと思えるような建築であってほしい、街並みであってほしいと思っていつも設計しています。僕が設計した建物の周りに、数年たつとデザインを真似したような建物が増えていったりします。それはすごく良いことだと思っていて、文化というのはそうやってつくられていくんだと思うんですよね。複製されることで残っていく。

おこがましいかもしれませんが、文化として残っていくようなものをつくっていきたいという思いをもって設計しています。

──2020年からの新型コロナウイルスの感染拡大で、住宅設計においても、その影響を受けざるを得ない場面があったかと思います。浅利さんの住宅設計に対する考え方にも、何か変化はありましたか?

浅利:コロナ禍に入ってから、住宅設計の依頼がすごく増えています。多くの人にとって自分が本当に大切にしたいものは何か、考え直す機会になったと思いますが、その中で住まいを豊かにしたい、大事にしたいと考える人が増えたのはとても良いことだと感じます。

一方で経済格差は拡大しています。それこそ、自分の家を持てない人がこれから増えていくかもしれない。僕のところに住宅設計の依頼をされるのは経済的に豊かな人が多いので、葛藤はあります。

そんな中で思い出すのは、以前雑誌の取材で立川の「拳山荘」を訪れた際に、内見に来てくださっていた方のことです。その方が「浅利さんの設計した住宅に住みたいのだけど、予算が潤沢にはないので集合住宅に住むことにした」とおっしゃっていて。妥協せずに設計すれば、受け取ってくれる人はいるんだと感じました。

僕が設計する集合住宅によって、一人でも多くの人に居心地のよい住まいを提供していくことが、建築家としての使命だと思っています。

お話を伺った人:浅利幸男(あさりゆきお)

浅利幸男

1969年東京生まれ、一級建築士。武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業、芝浦工業大学大学院建築工学科修士課程修了。2001年に「LOVE ARCHITECTURE」を設立。個人住宅のほか、「拳山荘」「朱合院」などの集合住宅も多数手掛け、2017年には「中野薫木荘」「神楽坂薫木荘」でグッドデザイン賞を受賞。

公式サイト:LOVE ARCHITECTURE INC. | ラブアーキテクチャー一級建築士事務所

取材・執筆:ロンロ・ボナペティ
写真提供:LOVE ARCHITECTURE
編集:はてな編集部

*1:道路(公道)に接する出入口部分が細い通路上の敷地になっており、その奥に家の敷地がある形状の土地のこと