「無駄なこと」をする大切さに気付いた、わたしのマンション遍歴|藤原麻里菜

藤原麻里菜さん

「無駄づくり」と称した個性的な発明・工作で知られる藤原麻里菜さんに、初めての一人暮らしから現在までの住まい遍歴を振り返っていただきました。初めて住んだアパートでは、物件選びで失敗して早々に引越しを決意。その後別のマンションに引越して制作に集中できる環境になったそうですが、仕事に没頭しながら暮らすなかで、あらためて「自分が本当に大切にしたいもの」が見えたといいます。住まいと作業場の移り変わりに伴って、創作活動や自身にどんな変化や気付きがあったのかつづっていただきました。

一人暮らしのスタートは、中野のボロアパートだった

初めての一人暮らしに選んだ家は、中野にある2階建て、1Kのアパートだった。

当時のわたしには「東京での一人暮らしといえばボロボロのアパートだろ!」という固定観念みたいなものがあり、不動産屋さんに「とにかく趣のある家がいいです」という条件を出して見つけてもらったその家は、正面から見るとテトリスのこういうブロック↓みたいな形をしていて、わたしはその2階部分に住んでいた。

中野のアパートの形

寝室部分は階下が駐車場になっていて、外から見ると、2階の床は3本の細いパイプで支えられていた。トラックが通ると家がガタガタと大きく揺れる。

中野のアパート
中野のアパートの様子

わたしは当時から「無駄づくり」ということをしている。頭に浮かんだ役に立たないものをつくって発表する活動で、そのボロアパートには「無駄づくり」で使う道具をひっさげて「このボロアパートでたくさんの無駄を生み出すぞ!」という気持ちで引越した。

しかし壁が薄いこの部屋は、隣の部屋からは深夜に西野カナと住人がすすり泣く声が聞こえてくるし、いつも決まった時間に矢沢永吉を爆音で流す車が下の駐車場を利用する。西野カナも矢沢永吉もこの部屋のことも、どんどん嫌いになった。自宅が嫌いになるということは、つまり作業場のことも嫌いになるということで、このときは全く物をつくらず、バイトばっかりしていた気がする。

西日暮里のマンションに引越して、「無駄づくり」が仕事になった

西野カナと矢沢永吉に怒りが向いてきたところで、もう引越そうと思った。怒りは2人に向くだけでなく、中野という街、ひいては中央線全体に向いていた。このころは、駅前の大勝軒以外を愛すことができなかったと思う。怒りに支配される前に、なるべくこの土地から遠く離れようと、東京の東側で物件を探すことにした。

その時のわたしは地下鉄が「地下にあるから」という馬鹿な理由で苦手だったので、かなり選択肢が絞られた。山手線沿線で安いところ、大塚〜鶯谷あたりで探したら、西日暮里にある2Kの広いマンションを見つけた。日当たりもよく、テトリスでいうと■の形をしており頑丈そうだ。中野のアパートと違って木造ではなく鉄筋のつくりで、壁も厚い。すぐに入居の申し込みをして、わたしは中野の街から西日暮里に移動した。

西日暮里のマンションにいたころ
西日暮里のマンションにいたころ

2Kなので、キッチン、作業場兼リビングと寝室に分かれた。

このマンションは本当に住みやすく、怒りに支配されていた精神もだんだん落ち着いてきて、平和が訪れた。大きな机を置いて、壁に有孔ボードを取り付けて、工具をそこに引っ掛けたりなんかして。物をつくることがしやすい環境を手に入れられたのがうれしかった。

ずっとバイトをしながら「無駄づくり」の活動をしていたけれど、この家に引越してしばらくしてから「無駄づくり」で食べていけるようになった。企業とコラボレートして無駄なマシーンをつくったり、あとはこうしたウェブ媒体に無駄づくりの記事を寄稿したりする機会が増えたのだ。

バイトをしながら趣味のような感じで「無駄づくり」をしていたときも、まあまあ忙しかったけれど、仕事になったらもっと別のベクトルの忙しさみたいなものを感じるようになった。なんというか、自分と「無駄づくり」の境界がなくて、生活と「無駄づくり」の境界もないような感じだ。全てが「無駄づくり」に向かっていって、「無駄づくり」が自分の全てみたいな感覚のままこの家で生活していた。

そのときは、その感覚が好きだった。寝る以外はずっと無駄づくりをしており、その生活が自分のアイデンティティをつくっているような感じがした。

アトリエを借りて、自宅と作業場を分けた

仕事をいっぱいやったおかげで、自宅とは別にアトリエを借りられるくらいまでになった。プロダクトデザイナーやエンジニアなど、物づくりをする人たちで集まって一つの広い物件を借りる話が出て、それに乗っかることにしたのだ。

6畳ほどの個室を手に入れた私は、壁を黄色と白に塗って、「さすがに住居には置けないよな」と諦めていた音がデカい工具などを好きなように置いた「無駄づくり」に特化したアトリエをつくり上げた。

アトリエの入口
アトリエの入口

作業場が自宅に必要なくなったから、「家は手狭でいいや」って今度は極小ワンルームに引越した。中野のボロアパートよりもだいぶ狭いワンルームだ。自宅と作業場が分かれて通勤が生まれたことで、今までとは違って生活と制作に境目ができた。

アトリエ近くのワンルーム
アトリエ近くのワンルーム

自宅から作業道具がなくなったことで、わたしの部屋は綾波レイの部屋くらい殺風景になった。こんなにも自分の物がないのか。ずっと生活と制作の境目がなかったから、趣味もないし、家で何もすることがない。殺風景な部屋を見ていると、自分がすごくつまらない人間に思えてきたのを覚えている。

わたしは今まで何かに追われるように仕事として「無駄づくり」をしていたけれど、がらんとしたワンルームを見ていると、それがすごく空虚なものに思えて仕方なかった。

ずっと自分は忙しいって思い込んでいたけれど、それは空間と時間の使い方が整っていなかったから、そんな気がしていただけなのかもしれない。何というか、忙しさの渦のなかに自分を追いやっているのは自分だったのではないだろうかと、少しだけ気付いた。

これを機に、生活を見直して、規則正しく「無駄づくり」をやることにした。

朝早く起きて、ちょっと運動をして(部屋が狭いからあんまりちゃんとした運動はできないんだけど)ご飯を食べて、アトリエに行って無駄づくりをする。18時くらいに家に帰って、そこから自分の興味のあることを勉強したり、苦手な料理をノリノリでしたりして夜22時には眠る。

ルーティーンをつくることで、限りある時間を焦らずに過ごせるようになったし、空間が分かれたことで、「無駄づくり」とは別の面の自分がだんだんと形成されてきたように思える。そうするうち、空虚に感じていた部分が少しずつ埋まっていくように感じた。

それは、無駄づくりとは全く関係ない、ただ私が興味のある勉強をしたり、急に腹筋を割りたくなって筋トレをしたりすること。別にしなくてもいい余計なこと、生活においてそういう無駄なことを自分にさせる空間と時間の余裕をもつことって大切なんだなと、あらためて感じた。

ルーティーンのメモ
ルーティーンのメモ

毎日のルーティーンのなかには、「別にしなくてもいいけど、やったほうが楽しいもの」を取り入れるようにしている。こういう無駄な余計なことというのは、後回しにされがちで、わたしは今まで「無駄づくり」をする忙しさにかまけてほかの無駄を大切にしてこなかった。無駄づくりをしているのに、今まではそれに気付けてなかったことがちょっと情けない。

わたしは人生のなかでできるだけたくさんの無駄なことを成し遂げていきたい。だから、今まで必死にやっていた仕事の「無駄づくり」をセーブして、今は個人制作を中心にサイクルを回すようにした。昔よりも不安定な収入にはなったけれど、まあわりとなんとか楽しく生きられている。

ちゃんとした家に引越した

現在のマンション
現在のマンション

作業場はそのままに、最近ちゃんとした家に引越した。1DKの広々としたマンションで、前の家の綾波レイ感はまったく消えた。

観葉植物なんか置いちゃったり、なかなか高いソファを買ってみたりした。好きな絵や本、ゲームとか勉強や運動の道具もある。今まで失くしていた趣味が復活して、「ああ、そういえばこういうのが好きだったんだ」って、毎日確認できている。

好きなものはあふれるくらい見つかったけれど、ルールとしてなるべく物を増やし過ぎないように、部屋に“ある程度の空間”をもたすようにしている。

無駄なことをするのには、何にもない余白が大切だからだ。

著者:藤原麻里菜

藤原麻里菜

頭の中に浮かんだ不必要なものを何とかつくり上げる「無駄づくり」を主な活動とし、YouTubeを中心にコンテンツを広げている。2016年、Google社主催の「YouTube NextUp」に入賞。2018年、「無用發明展- 無中生有的沒有用部屋in台北」を開催。総務省異能vation採択。でも、ガールズバーの面接に行ったら「帰れ」と言われたことがある。

Twitter:@togenkyoo / ブログ:藤原麻里菜のブログ / YouTube:無駄づくり / MUDA-ZUKURI - YouTube

編集:はてな編集部