同居人・隣人たちとの奇妙な出会いに満ちた、私のマンション遍歴|かあいがもん

20歳当時の河相我聞さん
20歳当時の著者

私が初めて自分で賃貸物件を借りたのは18歳の時。それから45歳の現在に至るまで、仕事場として借りたマンションも含めると8部屋ぐらい借りてきたと思う。

マンションを借りるたびに、私は面白い出来事や大変な出来事に遭遇してきた。騒音問題に悩まされたり、玄関を開けたら全裸の女性がいたり、隣の部屋で殺人事件があったり、発砲事件があったり。

その中で特に思い出に残る賃貸マンションの話と、そこでの暮らしを経た現在の私の住まいに対する価値観について話したいと思う。

都心のプール付きマンションと、スターになった同居人

20歳の時にプール付きのマンションに住んだ。新宿から徒歩10分ぐらいにある14階建てのオートロック付きマンションで、13階の私の部屋からは都心の夜景が一望できた。

家賃は8万円ほど。80万円ではない、プール付きで8万円ぐらいだった。

立地とプール付きということだけを聞けば「いやいや事故物件でもない限りそんな家賃でそんな場所に住めるわけないだろ」と思われるだろうが、詳しく話せばとても妥当な値段かと思う。

ちなみに私がこの物件を選んだ理由は見栄を張りたかったから。

今の私からは想像できないかもしれないが、当時の私はアイドル雑誌に載ったりトレンディーなテレビドラマに出たり、多忙な俳優として少しばかり知名度があった。

しかし、その時の私の給料は大卒の初任給より低かったので、とてもじゃないが芸能人のような高級マンションには住めず、それでも何とか見栄を張って高級っぽいマンションに住みたいと探していたら「新宿から徒歩10分、屋外プール付きのマンション、家賃8万円台」という物件を見つけた。

当時の給料から考えたら1/2ぐらいが家賃になってしまうので相当無謀だったが、テレビやアイドル雑誌に出ているのだからこれぐらいは無理をして見栄を張らなければと思い、この物件にした。

あぁ今日は暑いなぁ。帰ったらマンションのプールにでも入ろうかなぁ

とさりげなく言えば、それだけ聞いた人は「やっぱりテレビに出てる人は違うなぁ」と勝手に思ってくれるんじゃないかと考えていた。

実際には、住んでいる間に一度もプールに入ることはなかったし、ギリギリの生活だったが。

マンションの築年数は20年ぐらい。間取りは20平米ほどのワンルームで、玄関は靴を脱ぐようなつくりではなくそのままカーペットになっていて、オフィスのようだった。いやむしろオフィスだった。同じフロアの部屋はほとんど会社の事務所だった気がする。

部屋にはビジネスホテルにあるような小さな冷蔵庫と収納式のベッド、お湯を沸かすための電気コンロと小さな流しがあり、少し狭めのユニットバスが付いていた。

私の記憶が正しければこんな間取りだったと思う。


プール付きマンションの間取り図


部屋には洗濯機置き場はなく、コインランドリーがマンションの3階にあり、プールも同じ階の屋外にあった。

夏の間のみ使用可能なそのプールは、長さが15メートルぐらい。水深は腰より浅く、泳ぐというより水浴びをするようなプールで、高速道路がすぐ目の前を走っていた。高速が渋滞すると、車に乗っている人からゆっくり眺められてしまう。住んでいる間も水着を着てプールで泳いでいる住人は見たことがなかったので、あまり良いものではなかったのかもしれない。

新宿という場所は、仕事に行ったり飲みに行ったりするにはこれ以上ないぐらいアクセスが良く、生活感のない生活を味わえた。マンションについて私が感じた難点といえば洗濯は共有のコインランドリーを使うので、知らない人の髪の毛や陰毛が洗濯物に付いてしまうということぐらい。

全てを総合的に考えると、プール付きでも8万円台というここの家賃は妥当だったと思う。

ふとしたきっかけで始まった不思議な同居生活

この部屋には3年半ぐらい住んだが、その中で忘れられない思い出がある。

住み始めて少ししたころに撮影現場で仲良くなった人がいた。

名前はつるの剛士

彼はエキストラで、教室のシーンで私の後ろに座って話しかけてきた。「ドラムをやってるんですよね? 僕はベースやってるんですよ」と、私が出たアイドル雑誌の切り抜きを見せてくれた。

当時の私は、アイドル雑誌でつくられた自分に興味を持たれるのは心地悪かったのだが、その時は「男の人でも自分のことをよく調べて好いてくれる人もいるんだなぁ」とうれしく思い、撮影の空き時間にずっと話していた。

何日か現場を一緒にするうちに「今度スタジオに入ってセッションしようか」と盛り上がり、仕事終わりでスタジオに入った後、彼が私の部屋に遊びに来ることになった。

当時の彼は実家に暮らしながらたまにバイトする生活だったようで「暇だったらいつでも遊びに来なよ」と私が言ったら、ほぼ毎日のように遊びに来てくれた。スタジオに行ったり、ご飯を食べたり、部屋で缶ビール片手に自分たちの価値観や将来の夢を熱く語り合ったりしていた。

あまりにも楽しく、気が付くといつもあっという間に終電の時間になっていた。

「もうこのまま泊まっていけば」と私が言うと彼は頻繁に泊まっていくようになり、いつのまにか狭いワンルームで同居しているみたいになっていた。「同じ年なんだから、君付けとかさん付けとかそういうのはやめよう」という彼からの提案もあって、会って1カ月ぐらいでマブダチのようになっていた気がする。

部屋には彼の荷物や楽器も増え、いつのまにか彼が描いた絵が壁に貼ってあったり、私が仕事から帰ってくると洗濯までしてくれていたりした。ちなみに彼が以前、テレビのバラエティー番組か何かで「2人はいつも部屋の中で素っ裸で生活していた」と言っていたが、それは話を盛り過ぎで、実際にはパンツは履いていたということをここで訂正したい。

そして、彼と一緒にいると驚くことが多かった。

ギターを始めたばかりなのに、いつのまにかレッド・ツェッペリンの曲のほとんどを頭を振りながらノリノリで弾けるようになっていたり、想像だけでいろんな絵が描けたり、有名人のたくさんいる飲み会に一緒に行ってもすぐに打ち解けて、皆に好かれた。

やがて彼はウルトラマンになった

絵の才能といい楽器の才能といい話の面白さといい「なんなんだ同じ年でこの能力は? 私よりはるかにタレント性があるではないか」と思った私は、自分がパーソナリティーをしていた生放送ラジオのレギュラー番組に彼を連れて行った。一緒に住んでいる話を番組でしたらディレクターが面白がり、彼は急きょ生放送に出演することになった。

本当にビックリしたのはここからで、彼は初めてのラジオの生放送なのに全く緊張もなく、いつも部屋で話しているノリでトークを炸裂させた。もはや彼の番組なのではないかと思った記憶がある。

ディレクターは彼をとても気に入って、ついには番組に「つるちゃんの幸せデリバリー」というコーナーができた。自分のラジオの現場に友人を連れて行ったら、その友人がレギュラーでコーナーを持つようになったなんて、聞いたことがない。

話はそれだけではない。その放送を聞いたレコード会社の人が「彼を大手事務所に紹介したい」とやってきた。それも超大手の事務所2つ。もう、何が起こっているのかわけが分からなかったが、彼はいつのまにか大手事務所に所属することになった。

それから半年ぐらいたったころだろうか、彼も仕事が入るようになって一人暮らしを始め、あまり遊びに来なくなった。

それからしばらくして、彼から電話があった。

俺、ウルトラマンになったと。

それを聞いた時は彼が何を言っているのか全く分からなかったが 「ウルトラマンダイナ」の主演になったと教えてくれた。あれは首がもげるぐらい驚いた。

その後は皆さんご存じのとおり「羞恥心」というユニットでお茶の間のアイドルとなり、彼は超有名人になった。

まさかワンルームで一緒に過ごした人が、こんな有名人になるなんて思いもしなかった。今でも近くを通り過ぎるたびに、あのマンションに住んでいたことを思い出す。

初めて住んだタワーマンションで出会った、ありえない隣人

24歳のころに初めてタワーマンションに住んだ。

タワーマンションを選んだ理由は、当時、くっついたり離れたりしていた女性といろいろな事情があって再び一緒に住むことになり、彼女から「住みたいタワーマンションがある」と提案されたから。彼女にはいろいろ苦労をかけたし、私も見栄を張りたかったので、提案に乗った記憶がある。(後に彼女と結婚するが、これは長く険しい話になるのでここではやめておく)

家賃は確か、管理費は別で20万円ほど。

当時所属していた事務所の社長が家賃100万円ぐらいのマンションに住んでいたので、

「僕1人しかいない事務所なのに、なんで僕は何年も休みなく馬車馬のように働いても社長みたいな高級マンションに住めないんですか?」

ゴネまくっていたら、会社でマンションを借りてくれることになった。場所は先ほどの物件と同じく、新宿から徒歩10分ほどの距離にある、21階建てのタワーマンション。

間取りは、リビングとダイニング、そして寝室が1部屋の1LDK。13という数字に縁があるのか、このマンションでも13階の一室に住んでいた。


タワーマンションの間取り

とりわけ変わった設備はなかったが、壁が厚く高級感のあるタワーマンションで、歯医者やコンビニやレストランが入っていてとても便利だった。私の見栄を張りたいという願望も、このマンションに住んで満たされた気がする。

隣人からの突然の誘いと、まさかの行き先

そしてこのマンションでも、忘れられない思い出がある。

住んでしばらくしたころ、エレベーターで少しヨレッとした感じのスウェットを着ている50代後半ぐらいの男性に声をかけられた。「君、ボクシングやっているんだって?」と。

その人は隣の角部屋に住んでいる隣人だった。初めて会話したのに、なぜか私が体力づくりのためにボクシングジムに通っていることを知っていた。

来週2、3日暇だったら、一緒にボクシングの試合を観に行かないかい?

と言うので、話したこともない隣人とボクシングを観に行って楽しいものだろうかと考えてしまい、私はひとまず「予定を確認してみますね」と答えた。

隣人は「大丈夫そうならチケットを渡すから後で取りにおいで」と言って、部屋に入っていった。話し方がとてもぶっきらぼうだったので、少し不気味に思えた。

私は急いで家に戻り、妻に相談した。

「今、隣の人にボクシングの試合に誘われたんだけど。私がボクシングジムに通っているのを知っていたし、何でだろ」

「あぁ、私が少し前に挨拶した時、あなたがボクシングをやってるって会話をしたかも。お隣さんなんだし、ボクシングくらい観に行ってくれば」

と言われたので、私はしばらく悩んでからチケットをもらいに行くことにした。

私が隣の部屋を尋ねると、隣人から「何も持って来なくて手ぶらでいいから」とチケットを渡された。

「何も持って来なくて?」

その言葉を不思議に思いながらチケットを確認すると、それは航空チケットだった。行き先を見るとLas Vegasと書かれていた。

ラスベガス?!

「え? あ、あの? ボクシングって、ラ、ララ、ラスベガスに観に行くんですか? 後楽園ホールとかではなく?」

と私がビックリして隣人に聞くと、

「何を言ってるんだい、ボクシングはラスベガスだろ。心配しなくても大丈夫だからパスポートだけ持って手ぶらでおいで。2、3日で帰ってくるから。詳しくはまた後で」

という感じのことを言われ、ドアが閉まった。

確かに2、3日暇かと聞かれたが、まさかボクシングを観にラスベガスに行くなんて想像だにしなかった。私は慌ててに家に戻り、再び妻に相談した。

「なあなあなあなあなあなあ、ボクシングの試合、ラスベガスなんだけど」

「え? ラスベガスってアメリカのラスベガス?」

彼女もチケットを見てビックリしていた。

「いくらなんでも、初めて話した相手をいきなりラスベガスに誘う? しかもこのチケットよく見たらビジネスクラスだよ? どう考えてもおかし過ぎないか?」

私が不安そうに言うと、妻はパソコンで何かを検索し始め「多分この人なんじゃないかな。同じマンションの人からチラッと聞いたんだけど」と、画面を見せてくれた。

そこには私が先ほど会った姿ではなく、ビシッとした格好の隣人の写真が載っていた。どうやら長者番付にも名前が載るような、有名なお方らしい。

「なんで、こんな人が隣に住んでるんだ?」

「さあ、面白そうだから行ってくれば。ラスベガスだしカジノで勝って何かお土産買ってきてよ」

妻は能天気に返してきた。

「面白そうだから」と、一度しか話したことのない人とラスベガスに行って良いのだろうか。いくらなんでもタダでラスベガスなんて、もしかしたらそのまま帰って来ることができない可能性すらある。ラスベガスの砂漠に捨てられてしまうかもしれない。カジノで借金を背負わされて売り飛ばされるかもしれない。断るなら今しかないけれど、理由をキチンと言えないとお隣さんだし今後が気まずくなる。さてどうするか。

悩んだ。かなり悩んだが、よくよく考えたらそんな有名な人が隣人に変なことをする理由もないだろうと、行くことを決めた。

なぜ隣人は、私をラスベガスに誘ったのか?

ラスベガスについて細かく話すと長くなってしまうので、簡単に話そうと思う。いや、とにかくすごかった。

何がすごいって全てがすごかった。

まず、ラスベガスの空港に着いたら金のリムジンが迎えに来て、ホテルは門の高さが10メートルはあるんじゃないかという豪華なVIP専用の入り口から入り、迷子になるぐらい広いゴージャスな部屋に泊まらせてもらえるし、ボクシングは最前列で観られるし、カジノに一緒に行くと「好きに楽しんでおいで」と100万円ほどチップを渡されるし、普通の人は入れないようなVIP席で楽しませてもらえたりと、未体験の世界で全てがすごかった。

後にも先にもこんな体験をすることはないだろう。すごかったとしか言い表せない。ちなみにその隣人は1回の掛け金が300万円単位で、人には言えないぐらいの金額を負けていた気がする。

ボクシングの試合以外は自由行動だったので隣人とはあまり話せなかったが、泊まった初日に一緒にお酒を飲みながら話を聞くことができた。

まず一番気になっていた「一度しか話したことがない私をなぜラスベガスに誘ってくれたのか」を聞いてみると、

たまたま隣人の君がボクシングをやってるって聞いたから。一緒に観に行くならボクシングを楽しめる人が良いと思って」

と言っていた。どんな人かも分からない隣人をそれだけの理由でラスベガスに連れて行こうなんて、完全に理解不能だ。さらに私が「どうお礼をしたらいいか分からない」と伝えると、

「カジノでたくさんお金を使うから、カジノから飛行機やボクシングのチケットが送られてくる。だから気にしないでいい、タダみたいなものだ」

と言われた。本当に、ただ一緒にボクシングを観るために私をラスベガスに誘ってくれたらしい。

夢のような2泊3日を過ごして帰国し、不思議な気持ちで隣人と同じマンションに帰った。隣人は部屋に入る前に「これからもよろしくな」と私に言ってくれた。ちなみにこのマンションは、職場に近くて富士山が見えるという理由で、セカンドハウスとして買っただけだそうだ。

こんな夢みたいな話があるなんて、無理をしてタワーマンションに住んでみるものだ。

そういえばこのマンションに住んでいる時に、つるの剛士氏がウルトラマンダイナの隊員服を着て子どもに会いに来てくれた思い出もある。あれはうれしい「つるの恩返し」だった。

思い出はまだまだたくさんあるが、長くなるのでこのあたりにしたいと思う。

いろいろな場所に住んで見えてきた「本当の心地よさ」

若いころはとにかく面白い物件や、自分の身の丈以上の立地や家賃の物件を求めていた。それは自分がどのように人に見られたいかという、見栄を優先していたからだろう。自分に自信がない分、大きく見せたかったのかもしれない。見栄の裏には常に不安があった。でも当時は若かったので、それはそれで楽しめたとは思う。

しかし年を重ねるとそうはいかなくなってきたのか、住まいに対する価値観が変わってきたと感じる。年齢を重ねるにつれ「住み心地」や「自分に合った地域」という点に重点を置くようになった。

物件でいえばほどよく近くに自然があり風通しと日当たりが良いところだったり、地域でいえば近隣の人が穏やかで地元に長く営んでいるスーパーや商店街があるところだったり。オシャレさや便利さよりも、心地よさを優先的に求めるようになってきた。

自分にとって住まいには何が本当に必要で何が不必要なのか、いろいろな物件に住むうちに変わってきたのだろう。そして自分に合った本当の心地よさを見つけることができると、生活や人生に余裕が出てくるのではないかと私は思う。

だから、もう見栄も張らなくていいようになったのかもしれない。もしかしたら年を取っただけかもしれないが、とにかく今の私は、昔よりも快適な生活を送れている。刺激的な出来事には出会わなくなったが。

現在は一軒家に住んでいるが、コロナで仕事のスタイルも変わってきたので、いずれは仕事部屋として古いマンションを購入してリフォームをしたいなと考えている。もし将来孫ができたら、そこは「孫と遊ぶ部屋」になったりするのかもしれない。

著者:河相我聞(かあいがもん) (id:otousan-diary)

河相我聞(かあいがもん)

俳優。2人の息子を持つ父親でもあり、独自の子育てをつづるブログが話題を呼び2017年に書籍化。

ブログ:かあいがもん「お父さんの日記」

編集:はてな編集部