東京の下町エリアで、今、若者たちの注目を集めている街のひとつが、江東区の「清澄白河」。以前から、美術館やギャラリーが多く点在する「アートの街」として、アンテナの鋭い人たちの間では、それなりに人気のあった清澄白河ですが、最近は、アメリカ発の「ブルーボトル コーヒー」や、ニュージーランド発の「オールプレス エスプレッソ」など、国内外の有名ロースタリー(焙煎所)&カフェが続々とオープンし、都内随一の「カフェ激戦区」としても話題を呼んでいます。
今のところ、清澄白河は「みんなが選んだ住みたい街ランキング」(リクルート住まいカンパニー調べ)の上位には登場してきてはいないものの、話題性、都心部へのアクセスの利便性、閑静な住環境等を鑑みると、今後「住みたい街」として確実に人気が高まっていくことが予想されます。
いったいこの街のなにが、今どきの若者たちを引き付けているのか? 街を歩きながら清澄白河の魅力を探っていくことにしましょう。
では、皆さんにまずは質問です。「清澄白河とは、東京のどこにあるのでしょう?」
清澄白河がアートとカフェの街だということはなんとなく知っていても、場所を聞かれると「ん?」と言葉に詰まってしまう人が多いのではないでしょうか。都心にありながら場所を知られていないのも不思議な気がしますが。じつは、この地に「駅」がつくられたのは2000年代以降のこと。2000年に都営大江戸線、2003年に東京メトロ半蔵門線の駅が開業するまでは、清澄白河という呼び方すら、まだ存在しませんでした。駅名を付ける際に、近隣の「清澄」と「白河」という二つの地名を合体させて新しく生まれたのが「清澄白河」なのです。
土地勘がない人のために、まずは、位置関係を簡単に説明しておきましょうか。
富岡八幡宮や深川不動尊の門前町としてにぎわっている下町「深川」ですが、深川観光の際には、地下鉄の「門前仲町駅」が起点となります。その北側(大江戸線で一駅先)に位置するのが清澄白河駅。ちなみに「深川」と「清澄白河」は別々のエリアを指す地名と思われがちですが、深川とは広い地域(森下~清澄白河=門前仲町)を表すエリア名で、ここ清澄白河も「深川の一角」という位置づけになります。
清澄白河とは、そもそもどんな街だったのでしょう? 江戸時代後期の深川の街並を実物大で再現している「江東区深川江戸資料館」の小張洋子さん(資料館職員)に、街の成り立ちについて尋ねてみました。
「下町深川と聞くと、多くの人は門前仲町界隈をイメージしがちですが、もとはといえば深川は、森下(現・森下駅周辺)と、ここ清澄白河を起点に発展を遂げたエリアなんです。江戸幕府を開いた徳川家康は、塩を江戸市中に運び込むために、掘割(運河)の掘削工事を計画しましたが、掘割のなかで最初に整備されたのが、現在、清澄地区を流れる小名木川。そのため、この地は江戸初期の時代から「物流の拠点」となり、川沿いには物資を貯蔵する蔵などが多く建ち並んでいたと伝えられています」
明治以降も、物流の拠点・倉庫街としての街の機能は、そのまま引き継がれたようで、現在も隅田川沿いや運河沿いには、企業の倉庫が多く建っています。しかし、歴史ある下町というわりに、清澄白河にはかつての街の繁栄ぶりや、下町情緒を偲ばせるような街並みはほとんど残っていないように感じられますが……。これは、なぜなのでしょう?
「関東大震災と東京大空襲で、残念ながら古い建物はほとんど焼けてしまったんです。そうはいっても、松平定信の菩提寺である「霊巖寺」や「松尾芭蕉ゆかりの史跡」など、街には歴史スポットが多く点在しているし、掘割も昔のままの姿で残っています。想像力を働かせれば十分歴史散策が楽しめるはず。訪れた際には、カフェやアート巡りだけでなく、街の歴史にもぜひ注目していただきたいですね」(小張さん)
深川江戸資料館で街の基礎知識を仕入れた後は、いざ街へ繰り出してみることにしましょう。資料館の前には、土産物店や雑貨店、呉服店、駄菓子店、飲食店などさまざまな店舗が軒を連ねる「深川資料館通り商店街」が伸びています。古い店に交じって、現代アートを展示する小さなギャラリーや、美術書系の古書店などがポツポツと点在しているのを見ると、この街が単なる下町ではなく、アートの街でもあることがうかがえます。
800mほど続く商店街を抜けると「東京都現代美術館」に到着。洗練されたガラス張りの外観は、下町にはちょっぴり場違いのようにも感じますが、清澄白河を「アートの街」へと進化させるきっかけをつくった最大の功労者が、この施設です。
1995年に「東京都現代美術館」がオープンしたのを機に、最先端のアートを見るために、日本全国から多くの人がこの街に集まりはじめます。やがて、周辺に現代アート系のギャラリーがどんどん増えていき、いつのまにか清澄白河はアートの聖地と呼ばれるようになっていったのです。そう書くと、「この地にギャラリーが増えたのは、美術館がつくられたのがきっかけなのか」と思われがちですが、じつは清澄白河が「アートの街」となったのには、街の歴史も深く関係しています。
先ほど、清澄白河は水運の拠点で倉庫がもともと多い場所だったとお話ししましたが、清澄白河のギャラリーの多くは、倉庫をリノベーションする形でつくられていったのです。倉庫内部は柱が少なく、天井が高いため、大きなアート作品を展示するにはうってつけ。それに加えて、輸送の中心が陸路に移ったことで空き倉庫が増えつつあったことも、街にアートを根付かせる大きな要因になったというわけです。
横浜や北海道小樽のレンガ倉庫など、リノベによって空き倉庫が観光スポットへと進化した例はこれまでにもありましたが、清澄白河もそうした流れのひとつといっていいでしょう。
アートをたっぷり堪能した後は、いよいよ話題のカフェ巡りを楽しむとしましょう。清澄白河には、すでに2014年ごろからコーヒー豆のロースタリーやこだわりのカフェが増え始めてはいたようですが、「カフェの街」として本格的に注目されるようになったのはごく最近のこと。2015年2月にアメリカ西海岸で人気の「ブルーボトル コーヒー」の日本1号店がこの街に進出したのがきっかけです。
ふつうに考えれば、多く人が集まる青山や原宿などの繁華街に出店したほうがよさそうなのに、なぜブルーボトルコーヒーは、あえて日本初出店の場所に、清澄白河を選んだのでしょう? 広報担当の方にお話をうかがうと、こんな答えが返ってきました。
「清澄白河が、本社のあるオークランドに似ていたからというのが一番の理由です。工場や倉庫も多いけど、住宅や緑もある。おまけに高い建物が少なくて空が抜けている……そんなところに創業者兼CEOのジェームスは魅力を感じたようです。また、地域に根ざした店づくりというのも弊社のモットーなので、都会よりも、地元の人と一緒に成長できる環境のなかで最初は試してみたいという気持ちがあったのです」
ちなみに「ブルーボトル コーヒー」をはじめ、清澄白河の人気カフェの多くは、駅前ではなく、駅から少し離れた倉庫街や住宅地にあります。それなのに、どこもかなりの盛況ぶり。土日ともなるとお客が入りきれずに行列をつくっているところも少なくありません。こうした繁華街や駅前にこだわらない店づくりは、サードウェーブと呼ばれる昨今のカフェ業界の動きが少なからず関係しているようです。
日本には、これまでも何度か、コーヒーブームと呼ばれるものが到来しました。まず第1期は、昭和の純喫茶ブーム。第2期は、スタバやタリーズなどのチェーン店の台頭、そしてサードウェーブ(第3期)が、スぺシャリティコーヒーブームです。スペシャリティコーヒーとは、豆の産地にこだわり、ブレンドではなくシングルオリジン(単一豆)を使って淹れるコーヒーのことで。例えるならばワインを飲むような楽しさがそこにはあります。
これまでカフェといえば、一息つきたいときにふらりと訪れる場所というイメージがありましたよね。しかし、サードウェーブ系のカフェは、たまたま近くにあったから立ち寄るのではなく「おいしいこだわりのコーヒーを味わいたくて、わざわざ出かける場所」なのです。だからこそ、繁華街や駅前に出店せずとも人が集まるというわけです。
清澄白河のカフェにはサードウェーブ系が多いだけでなく、もうひとつ大きな特徴があります。それは、もともとあった倉庫を改装してつくられた「リノベ店舗」がやたらと目につくという点です。煙や匂いの出るコーヒー豆の焙煎を行うロースタリー&カフェには、先ほどのギャラリーと同様に天井が高くて広い場所が適しています。空き倉庫が多かったこの街にカフェが増殖していった理由も、そこにあると思っていいでしょう。改めて考えてみると、面白いですよね。江戸時代に倉庫街として発展した街の歴史が、巡り巡ってアートやカフェへとつながっているんです。
カフェ巡りやギャラリー巡り、下町散策などが楽しめるだけでなく、清澄白河は、住環境の面でも魅力的です。取材班が実際に歩いてみて感じた「住みたくなる要素」を以下にまとめておきましょう。
江戸時代から続く下町ということで、「新しく住み始めた場合、旧住民たちとうまくやれるだろうか?」と、ご近所付き合いに不安を感じる人もいるようですが、そんな心配も無用のようです。資料館通り商店街で土産物屋「たかはし」を営むご主人は、こんなふうに清澄白河に住む人々の人柄について語ってくれました。
「このあたりに古くから住んでいる人たちは、下町育ちだけあって気持ちが温かい人が多いんだよ。かといって、へんにおせっかいなわけでもない。下町というと長屋が密集した路地風景をイメージしがちだけど、ここいらは道幅も広いし、新しい家も多いせいか、人間も総じて上品。だから新しく住み始めた人でもすんなり地域のコミュニティに入れるはず。若い人が始めた店と、古くからの店が仲良く共存しているこの商店街を見れば、そんなこと言わなくても分かるよね」
また、高層マンションから一戸建て、昭和テイストあふれるレトロ物件まで、バラエティに富んだ住宅物件がそろっているのも、清澄白河ならではの魅力といえます。
基本的には低層住宅の多いエリアなのですが、かつて同潤会清砂通アパートが建っていた場所(白河三丁目)には、再開発でタワーマンション群「イーストコモンズ清澄白河」が2006年に完成し、周辺には新しめのマンションも徐々に増えてきています。
一方で、清澄通り沿いには昭和8年に建てられた「清洲寮」なるレトロな共同住宅が残っていたり、古いアパートや銭湯があったり……。新築にこだわらなければ、選択肢の幅はかなり広がりそうです。
ちなみに家賃相場は、都心部にしては意外とリーズナブルで、賃貸1Rで7.6万円、2LDKで14.1万円程度。物件価格も2LDKの中古マンションなら2000万円台からそろうので、中古物件を購入して自分の好みにリノベーションするのも、この街らしい暮らし方かもしれません。(価格情報:「SUUMO」2015年8月31日時点)
新旧の人間、文化、風景が分離することなく、絶妙なバランスを保ちながら溶け込み、共存しているこんな街は、広い東京といえども、めったにないはずです。さらに、2015年の5月にはシチリア発のスイーツ店「ブリジェラ」もオープンし、今後は、カフェだけでなく、スイーツやおしゃれ雑貨の店も増えていきそうな気配……。
今は「遊びに出かけたい街」として注目されている清澄白河ですが、「住んでみたい街」としての人気が急上昇するのも、そう遠くはなさそうです。
清澄白河は、大手町まで3駅、新宿まで乗換なしで行けるなど、都心へのアクセスが便利
過去は水運の拠点であったため、空き倉庫をリノベーションして作られたお店やギャラリーが多い
史跡や商店街名などの下町らしさと、トレンドのカフェやアートなどの最先端が共存する街