著者: まえかわゆうか
正直いって、西日暮里は妥協して選んだ町だ。
はじめての一人暮らしをスタートする前のこと。住む場所を選ぶのに「知名度」という尺度しか持っていなかった私は、本当はもっと有名な町に住みたいと思っていた。けれど、結果的に西日暮里に住み、町のことを知っていくうちに、その考えは大きく変化する。
育った町では経験したことのなかったご近所さんとのお付き合いを、この町で教えてもらったのだ。住む場所の選び方はひとつじゃないんだと学んだ、日々の話。
住んでいるのに、町のことが分からないという感覚
東京都・杉並区。私の実家は、西武新宿線沿いにある賃貸マンションだった。たくさんのファミリーが都心至近の住宅地で幸せを営むなかで、私も同じ幸せを享受して育ってきた。
学校にはひと学年に150人もの同級生がいて、自転車さえあれば荻窪にも吉祥寺にも行けるから、遊ぶことには困らない。塾、習い事などのコミュニティも充実しているおかげで、子どもの私が楽しく暮らすのに不自由はなかった。
だから、実家を出る22歳のころまで、自分が住む町にまったく関心を持っていなかったし、はじめての一人暮らしをする物件を選ぶにあたっても、町なんてどうだってよかった。
強いて言うならば、その当時重視していたのはその町が有名であるか否か。「へぇ、そんなところに住んでるんですか。おしゃれですね」と言われたくて、下北沢、幡ヶ谷、代々木上原、家賃6万円以下のバストイレ別、南向き物件を検索する。好都合な物件は、なかなか現れない。
じゃあ東京の東側ならどうだろう。当時は「谷根千ブーム」の直後で、ちょっと憧れていた。しかし千駄木の家はどれも7万円を超えていたし、日暮里・谷中の安価な部屋は窓の外にお墓が広がっていて、気が引ける。
私は仕方なく、「誰もが羨む有名な町」に住むことを断念した。
家賃5.5万円、木造、トタン壁の1Kは、妥協の末にたどり着いた最善の選択肢。
西日暮里なんて……と思った。
「それどこですか?」「通過したことならあります」なんて言われるんだろうな。でも現実はこんなもん。稼げるようになったら世田谷区にトライすればいい。バイト代を握りしめ、未来に希望を託すことにした。
神保町から歩いて帰れる住宅地
偶然住み始めた西日暮里。そこでは、育った町では経験することがなかった『ご近所さん』と出会うことになる。
意外にも、いちばん身近なご近所さんは神保町の職場にいる上司だった。私を指導をしてくれていた上司は、仕事がなかなか終わらない新米雑誌編集者の私よりも、はるかに多くのタスクを抱える中堅編集者。同じ媒体を担当していたことから、だいたい似たようなリズムで生活を送っていた。
雑誌編集プロダクションらしく、毎晩終電近くなってから駅に駆け込む生活をしていたが、私はそれがまったく嫌じゃなかった。
1年で3年分働いてやろうなんて、体育会系の思考を持ち合わせていたのは幸運だったとして、それ以上に、いつでも正解を示して見せてくれる上司がいることが働くモチベーションになっていた。
私は、フリスビーを追いかける犬のごとく上司を追いかけていた。
ある日、 終電を超えて1時間が経ったころ、上司が「俺そろそろ帰るよ」と言う。そして「歩くけど、来る?」と、加えた。終電を逃したからといって、タクシーを使う選択肢はどのみち私にはなかったのだけど、正直驚いた。
「夜の散歩は気持ちいいじゃん。俺はよく歩いてるよ」
神保町から西日暮里までは歩いて約50分。ロードバイクなら15分だ。とても西日暮里がお散歩のしがいがある町だとは思えなかったけれど、上司と話しながら帰れることがうれしかったわたしは、西日暮里までの約5kmを歩いて帰ることにした。
水道橋駅を越え、東京ドームシティの観覧車を横目に東京大学へ続く坂を下る。緑に覆われた夜道は夏でもひんやりと涼しい。なるほど、この散歩は重たい頭をリフレッシュする良い運動かもしれない。
不忍通りにでたら、根津を越え、「ブックカフェ ブーザンゴ」が深夜まで営業していることを確認して、ぼんやりと灯りを灯している「古書ほうろう」を目印に道灌山交差点を目指す。それは西日暮里駅に繋がるT字路だ。私と上司はここで解散する。
私は山手線の内側に住んでいたので家までは50分だったが、先輩は外側に住んでいたので1時間ちょっとかかっていたと思う。山手線の内側を選んだのは無論「山手線の内側に住んでるんですね!すごい!」と言われたいがためで、より家賃の安い外側は検索の対象外にしていた。
暮らしているうちに分かったのだけど、山手線の外側には安くて美味しい飲み屋がたくさんあった。だから西日暮里で誰かと会うときは、決まって外側だった。
一緒に帰った上司はとても面倒見のいい人で、私を西日暮里の飲み屋に何度か誘ってくれた。
入社してすぐの時に、上司と、その奥さんと、私の3人でいった、寿司屋「玄海」。「ここがうまいんだよ」と、上司が得意げに店をすすめるものだから、良い感想を言わなくてはと身構えたのだっけ。
出された甘エビの唐揚げを食べて「ハッピーターンのような(まるで魔法のこなをかけたかのような)味がします!」と言ったら、食べさせがいのないやつだと顰蹙(ひんしゅく)を買った。でもホクホクした甘エビの身は、本当に魔法がかかったかのように美味しかったのだ。
玄海の近くに、「なかよし」というコンビーフの鉄板焼きが有名な居酒屋があって、ここもよく訪れた。この店で、バイスサワーという飲み物を知った。そういえば、これまた近くの居酒屋「のりまる」には、自家製のバイスサワーがあったな。
「なかよし」とバイスサワーを教えてくれたのは、西日暮里の隣町田端で生まれ、長年暮らしている友人だ。彼が言うには、地元の人は山手線の外側、地図上で見て上側にあたるエリアを「下」と呼び、その逆を「上」と呼ぶのだろう。とても紛らわしいけれど、山手線を境に高低差が発生していることから呼び分けられているようだ。飲み屋が多く集まるエリアは「下」になる。
たしかに、西日暮里駅に続く南西側の道は切通しになっている。名門・開成高校があるメインストリートだ。
日陰がないおかげで、通勤通学時間帯は東からの日差しを、下校時刻には西日をダイレクトに浴びる。夏場は目をしばしばさせながら往来したものだ。開成高校に通う男子生徒たちの白い夏服が、キラキラと光を跳ね返していたっけ。
切通しに架けられた歩道橋を登れば、小高い丘に上がれる。丘の上は緑豊かな遊歩道になっていて、体感温度でいうとマイナス4度くらいの効果があるんじゃないかと思う。遊歩道がある丘の逆サイドの丘からは、荒川区の住宅群を一望できる。
これはたしかに、「上」「下」と呼び分けられるわけだ。
私は町の人たちと同じ言葉を持てたことを少しうれしく思った。
「ただいま」を言える人たちがいる
「上」——私が暮らしていた山手線の内側には、目立った飲み屋はなく、代わりに生活のためのお店がいくらかあった。
駅前に店を構える、手づくりサンドイッチの「ポポー」では、出勤前に220円の野菜サンドをよく買った。食パンにマーガリン。大胆に刻まれた野菜が挟まっているシンプルなもので、コンビニで買うサンドイッチよりもみずみずしかった。昼には野菜から滲み出たエキスでパンがいい具合に湿る。私はそのべっちょりとしたサンドイッチが大好きで、お弁当をつくり損ねた日には買っていたものだ。
早く帰宅できた日には、ここぞとばかりにお店を開拓した。
最も通った「シルクロード」は、南インド出身のシェフが一人で営む、カウンター6席のカレー屋さん。クマールさんがつくるカレーはとてもさらっとしていて、遅めの晩御飯として食べても胃もたれをしない。女性の常連さんもたくさん見かけた。
お店に立ち寄らない日でも、店閉め作業をするクマールさんに挨拶をして帰ったりした。ただいまを言う相手がいる。西日暮里は文字通り、私の帰る町になっていたのだ。
実家が東京にあるとはいえ、やっぱり帰る場所には飢えていたのだと思う。
帰宅したら、締め切っていた窓を開けて空気を取り込み、仕方なく音楽をかける生活。引越したばかりのころは、一人暮らしの寂しさに浸ってみたりもした。でもそういう時間には簡単に飽きてしまった。
寂しさを紛らわせたいときには、住宅地にひっそり店を構えるの居酒屋「天下一」に行った。深夜の2時ごろまで営業しているから、終電で帰った日でもふらりと立ち寄れるのがよい。店の前に掲げられた「うどん」の看板が、敷居を低くしてくれているように感じた。江戸っ子夫婦が、あれこれと話しかけてくれる、下町の居酒屋である。大将は薄い色の入ったメガネをかけている威勢のいい人で、奥さんは道で会うとUターンしてまで声をかけてくれる人懐っこい人。
私が店の前を通ると、「あら今日は遅いのねー!」とか「こないだ歩いてるのをを見たよ」とか「こないだテレビに写ってなかった?」と声をかけてくれて、いくらか会話を交わす間柄だった。生活圏にいる人たちが私のことを認識していて、気にかけてくれているということは、なんと新鮮なのだろう。こそばゆくも感じるけど、その視線の心地よさは私にも分かった。
店を訪れては、BGMがわりのに流れるテレビ番組をぼうっと眺めて、最後に明太子うどんを食べ、膨れた心とお腹を抱えて徒歩3分の家に帰っていった。
西日暮里は、山手線、京浜東北線、千代田線、日暮里舎人ライナーの4路線が使える利便性の高さとは裏腹に、人が閑散としていて穏やかだ。夜の道には、ほんの少しのサラリーマンと、たくさんの猫だけがいる。
ゆるやかに人の目があるから、夜道に危険を感じたことはない。かといってそこまで干渉的な人がいるわけでもない。
例えば私が住んでいたアパートには、1階部分の倉庫を「鳥人間コンテスト」への出場準備場所として使っている人たちがいた。住宅地の一角で、有人飛行物をつくるというのだ。彼らの作業はかなり大きな音を伴っていたと思うが、苦情を持ちかける人はいないようだった。思っていたよりも寛容な雰囲気に驚いた。
近所には他にも面白い人たちが住んでいた。空き家をリノベーションして「西日暮里のシェアハウス」を運営している人たち、地域メディアの「TABATIME」をやっている櫻井さんほか、町を起点とした挑戦を行っている人に出会えるのもまた、西日暮里界隈の魅力。
住む場所の選び方をおしえてくれた、西日暮里
しばらくして私は西日暮里を出た。
彼氏との同棲をはじめるにあたって、よりカップルで楽しめる町はどこかと考えた結果、当時の私は西日暮里を選ばず、やはり町の知名度で選びなおした。
ご近所さんがいることの心地よさは身にしみていたから、西日暮里から動かないという選択肢も、もちろん考えた。でも、次の引越しが最後ではないだろうと思っていたから、一度はどうしても叶えたかった、知名度で町を選ぶということがしたかったのだ。
そんな理由で、私たちは西荻窪を選んだ。
いつか、長く住む町を選ぶタイミングが来たら、「人」で町を選びたい。
その町のお店やイベントに行ってみたりして、自分がその町でご近所さんをつくれるか考えよう。
ベッドタウンでもない、都会でもない、下町的なコミュニティが、自然と私のご近所さんライフを切り開いてくれた。気軽に立ち寄れるお店が多く、親しみやすい人が住んでいる西日暮里が、はじめて一人暮らしした町でよかったと思う。
西日暮里駅の不動産を探す
賃貸|マンション(新築マンション・中古マンション)|新築一戸建て|中古一戸建て|土地
著者:まえかわゆうか
編集プロダクションやフリーランス期間を経て、現在はクリエイティブプロダクション所属。執筆分野はライフスタイル、アウトドア、ファッション、ローカルなど。主食はカレーでたまにインドを旅する。現在の関心事は、スパイスの育て方と南アジアの民俗学。Twitter:@ppyuukaqq
写真:Ryuichi Kataoka・まえかわゆうか
編集:Huuuu inc.