阿佐ヶ谷の声

著:川崎祐

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 友人との待ち合わせだったと思う。早稲田から総武線直通の東西線に乗り、高田馬場を通り過ぎた。大学一年生の夏はまだ西武新宿線沿線の街に住んでいたから、高田馬場以降の各駅は知らなかった。落合という駅名を人の名前のようだと思った。すると、次は中野、とアナウンスされた。高校の教室のようだと思った。今度呼び出されるのは誰だろうか。そんな一人遊びをはじめるやいなや、突然、視界が白くおおわれ、急に世界が色づいた。そのとき、いつかこの沿線に住みたい、と私は思ったのだった。

 その年の二月、晴れて志望していた大学に通うことになった私は、親を連れて上京して四月から住処とするアパートを決めた。西武新宿線沿線の最寄駅から徒歩十五分、六畳のロフト付きワンルームにユニットバス、築年数は二十五年で、家賃は五万円。地方出身の大学生が東京で一人暮らしを始める物件としては妥当というのが不動産屋の見解だった。むしろ時期を考えたら掘り出し物に近いという説明も受けた。

 しかし、東京に伝手も土地勘もない私たちは不動産屋にしてみればいい客だったのだろう。肝心のアパートは、屋根裏から小動物が走り回る音が聞こえたり、深夜に新青梅街道を走り抜ける大型トラックによって建物全体がガタガタ揺れたり、いきなり窓に亀裂が走ったり、雨の日には天井の数カ所から必ず雨漏りするような、望んでいない「掘り出し物」があまりに多かった。だから、東西線に揺られながら感じた「いつか」は思いのほか早く訪れることになった。

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 古着屋や安くて美味しいお店が多いと聞いていたからどうせ引越すのなら高円寺にしようと考えていたのだが、高円寺のにぎやかでどこかアジア的な雰囲気は、小動物やトラックの生み出す音によって不眠症気味で疲れ切った身体にはすこし刺激が強かったようだ。不動産屋の担当者もそんな様子を察したのだろうか、高円寺ではなく阿佐ヶ谷をしきりに勧めた。阿佐ヶ谷の北はいいですよ、この部屋は特に静かだからオススメなんです、それに僕は高円寺より阿佐ヶ谷のほうが好きです。聞いてもいない個人的嗜好を交えて行われるプレゼンテーションになかば押し切られるように、十一月、私は阿佐ヶ谷に引越した。

 あたらしく契約したアパートは阿佐ヶ谷駅北口から商店街を歩いて五分程度の住宅街にあった。もともと一軒家だった家屋を改装した変則的な造りになっており、一階には高齢の大家夫妻が住み、二階には単身者用にふた部屋あるだけだったから、なるほど静かだった。部屋は十畳ほどのワンルームで、床はフローリングに張り替えられ、バス・トイレは別、収納も大きな押入れがあって十分、それに一口とは言えぐるぐるうず巻いた電気コンロではなくガスコンロだったこともうれしかった。アパートは風と猫の通り道になっているようで、窓を開けると気持ちの良い風と猫の鳴き声が部屋のなかをこだました。家賃は上がったけれど、アルバイトのシフトを増やせばなんとかなる程度だった。それは理想的な部屋だった。

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 誰にも邪魔されることなく気の向くままに本を読んでいたい。文学部に進んだ理由なんてこのひと言に尽きる。もちろん昔から本を読むことは好きだったのだけれど、このアパートでの二年間は読書を飛躍的に加速させた。実際、中杉通りにはいくつも良い古本屋があって、引越してすぐのころは古本屋をハシゴしたものだ。幸いなことに平日に休日が増えるという僥倖にもめぐまれて時間だけはたっぷりあった。探している本がなければ別の古本屋を探せばいい。そうやってひと月ほど古本屋に通っているうちに、自分の好みの中心を射止めながら、ゆるやかに興味を自分の外側にまで広げてくれる一軒の古本屋に落ち着くことになった。

 五十代なかばのご夫婦が時間を入れ替えて店番をつとめるその店で、どれくらいの時間を過ごしただろうか。第三の新人を皮切りに、小島信夫に躓き、文体の妙な感じが機縁となって、小島信夫の訳した『ワインズバーグ・オハイオ』を読む。その著者シャーウッド・アンダーソンを経由して彼が影響を与えたというフォークナーを読み耽り、安部公房や大江健三郎にも手をのばす。そんな乱読生活のさなかにあって、店主ご夫婦とまともに会話をしたのは、たしか興味が中上健次に向いたころだった。それまでの数カ月間、週に二、三回はその店に通っては何かしらの本を購入していたにもかかわらず、である。振り返ってみてひどく人見知りをする自分の性格には心底呆れ果てるのだが、一度話し出すともう、止まらなかった。

 読んできた本と読んでいる本の話。ときおり話題は時事方面にまで及ぶことはあったけれど、会話のほとんどは本の話に終始した。でも、それで十分だった。本について何かしかの言葉を費やすとき、その言葉には話す人のそれまでの経験や生活の断片が混じるものだから。それに大学やアルバイトで培われる関係とは異なる関係がそこにはあるような気がした。日常のなかに気まぐれに生じた愉快な裂け目のようなその場所で、読んだばかりの本について語ったたどたどしい言葉のつらなりが、いつの間にか店主ご夫婦の四半世紀前の仕事の話に変わっている。そんなたゆたうように流れる時間のなかに身を置いていたものだから、当然、大学の成績は驚くほど悪かった。

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 本ばかり読んでないで外にも出なくちゃいけないよ。もし何か困ったことがあったらいつでも言っておくれ。それにちゃんとご飯は食べてるかいーー。何かにつけて声をかけてくれたのは大家夫妻だった。心のうちでは気ままな生活を送っているつもりが、部屋のなかで本ばかり読んでいる様子は外から見れば不健康に映ったのかもしれない。アルバイトがある日をのぞいて一日のほとんどを部屋のなかで過ごす私を、ときどき食事に誘ってくれた。

 大家のおばあちゃんがつくってくれる手料理は、焼き魚や野菜の煮物といった男の一人暮らしではまず食べられないようなものばかりだった。料亭で仲居をしていたという彼女の、板さんから教わったという味付けは抜群だったし、食事のあいだ快活に話すおじいちゃんの話は、戦前と戦後を行き来する、阿佐ヶ谷という街の過去から現在までの変化を語り下ろすスケールの大きなものだった。古本屋での本をめぐる時間も、生きる字引のようなおじいちゃんの話も、料理をこしらえながらかん高い声で笑うおばあちゃんの姿も、阿佐ヶ谷はたぶん、私には居心地が良すぎたのだ。二年後の秋、契約更新を待たずに、私は早稲田の築四十五年のアパートに引越した。

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 引越しをひと月後に控えた夏のある日、大家のおじいちゃんが亡くなった。授業が終わって帰宅するとアパートには近所に住む人たちが弔問に訪れていた。私の姿を見つけたおばあちゃんは、おじさんが死んだんだよ、と私の手を握って言った。その手は力強く、しかし、声は震えていた。

 親族でもないのに、私は、翌日から高円寺の堀ノ内斎場で執り行われた通夜と告別式の両方に親族の一員として出席した。親族以外の参列者は通夜か告別式のどちらかに出席すればいいという常識も知らなかった。焼香のあげ方も満足に分からなかったから見よう見まねでその場をやり過ごした。そんな私を見ておばあちゃんは笑って言った。あんたはちょっと抜けたところがあるねえ。いつものようにかん高くて明るいその声は、たしかな悲しみをたずさえていた。




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著者:川崎祐

川崎祐

写真家。1985年滋賀県生まれ。第17回写真「1_WALL」グランプリ受賞(2017)

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