不安な私と横浜の団地暮らし

著者: 増田薫(思い出野郎Aチーム)  

 

母が当時まだ新築だった横浜の団地に引越して来たのは小学生のとき。

十数年後、その団地で生まれたのが私だ。いろいろあって兵庫、千葉、愛知、埼玉………と引越しが多く、そのせいか今でもあまりそれぞれの土地に対する思い入れのようなものがない。ただ盆と正月には母の実家の団地に遊びに行っていて、そのたびに「横浜だよ〜」「ここで生まれたんだよ〜」と言われていたので、なんとなく自分は横浜出身なんだな……と思っていた。

 

「出身地どこ?」と聞かれてうっかり「横浜」と答えようものなら、「神奈川だろ」「なんで横浜生まれの奴は神奈川県じゃなくて横浜って言うんだ」などボロカス言われることがあるが、そう刷り込まれてきたからなので許してほしい。

おもちゃを買いにおばあちゃんと行った駅前の高島屋、バスの窓越しから見る永遠に終わらない駅前の道路工事、川沿いに並ぶビニールシートで囲まれた屋台、母が生まれ育ちおばあちゃんが暮らす団地。ここが自分の生まれた街。中華街とか赤レンガ倉庫の存在を知ったのはずいぶん後のことだ。

 

f:id:Huuuu:20210302140520j:plain

この生まれたけれど育ってない街に、18歳から7年ほど暮らしていた。

私の大学進学と時を同じくして、件のおばあちゃんが介護が必要になり、母がそれを引き受けた。まだ横浜の団地の部屋は残してほしいというおばあちゃんの要望で「じゃあ大学まで電車で一本だし、おばあちゃんの口座から引き落としになってて光熱費もタダだし家賃もかからないし薫が住んだらいい」ということに。

 

f:id:Huuuu:20210302140612j:plain

笹山団地

しかし、大学まで片道1時間半以上かかるこの団地はあまりに使い勝手が悪かった。

美術の学校に通っていたので作品制作に必要な画材の出費もあり、家賃も光熱費もかからないというから住みはじめたはずが、交通費と画材代で常に金がなかった。深夜にバイトしてたら昼に何もできなくなる、みたいなこともよくやった。

移動時間がすごくもったいないことにようやく気付いた大学生活の終盤には、学校の近くに友人たちとシェアハウスをはじめ、笹山団地の部屋はたまに様子を見に帰る別宅のような状態になった。

卒業をきっかけにシェアハウスが解散し再び団地に戻ってきたとき、私は就職が決まらずフリーターで、ほぼ無一文だった。

 

団地とバスの街

f:id:Huuuu:20210303130028j:plain

私にとって横浜は、団地とバスの街だ。

自分が団地住まいだったからそう思うということもあるが、実際横浜にはかなりの数の団地がある。そしてそのほとんどはバスが必要な場所に建てられていて、横浜のそこら中でバスが走り回っている。

 

日本に『団地』が登場したのは昭和30年初頭。戦後の住宅不足を受けてものすごい規模の土地開発が行われ、各地に低所得層を対象とした『公営賃貸住宅』が建てられたのがその理由らしい。

同時期に横浜市でも多くの団地が建設されたが、市の想定以上に都内から人口が流入。というのも当時の人々にとって、2DK鉄筋造・風呂・トイレ・キッチン別など、いまでは当たり前のような設備が標準搭載された団地はかなり最新鋭だったらしく、住宅不足も手伝って何十回応募しても入れないという人が続出したそうだ。

その後も加速する団地建設はどんどん横浜の市街地から離れていき、最終的には規模が大きくなりすぎて、40年代には山林を切り開いてまで建設を行ったという。

しかし、建物の老朽化、交通の不便さなどから団地の人気はやがて下火になっていく。高齢化が進みゴーストタウン化するなど問題を抱えている部分もあるが、経済的に困窮する世帯や単身の高齢者など、社会的な弱さを持つ人たちにとっての安全地帯でもある。

 

f:id:Huuuu:20210302140932j:plain

商店街もあるが、現在開店しているのは、喫茶店やスナックなど数店のみ

私の住んでいた「笹山団地」も山林を切り開いて建てられた団地の一つ。

コンビニもなく、まるでそこだけ昭和から時が止まったかのような場所で、常に工事ばかりして大型ビルがどんどん建てられていく横浜駅や、山のふもとの『ららぽーと』から家に戻ってくると、いつも不思議な感覚になった。

 

f:id:Huuuu:20210303130056j:plain

横浜では『いちょう団地』が多国籍な人たちが暮らしていることで有名だが、県営住宅の応募には国籍が問われないので、笹山団地にも外国人が多く暮らしていた。

私が彼らと一番多く遭遇した場所が深夜の相鉄ローゼン。閉店前を見計らって半額になった惣菜を探しに行くと、同じ目的のエスニックな格好をした人たちが半額シールを貼る店員の挙動に目を光らせている。ヒジャブをかぶった女性と弁当を取り合ったり、譲り合ったりしたものである。

 

f:id:Huuuu:20210302141129j:plain

笹山団地の住民と会う場所は基本的に相鉄ローゼン以外ではバスのみ。バスの乗客のほとんどがおじいちゃんおばあちゃんで、団地が高齢化しているのは本当なんだなあと思う。

バスに乗っていると、この静かな団地にも自分以外の人が暮らしていることを実感できる。特に横浜発・笹山団地行のバスが終点に近づき、乗客全員が団地の人だけのようなときに感じる謎の一体感には、ほぼ家に帰ってきたかのような安心感と居心地のよさがあった。 

日が落ちて相鉄ローゼンが閉まり、バスもなくなる時間になると、団地の外を出歩く人はほとんどいなくなる。たくさんの人が暮らしているはずなのに恐ろしく暗くて静かで、当時の自分の足元グラグラ感と金のなさが相まって、ものすごく寂しくて不安な気持ちになったりしたものだった。

みなとみらいが華やかな光を放っている一方で、実際の横浜はこんな感じのところが多いんじゃないだろうか。

 

お金がなくて行き着いた、差し押さえ品撤去の仕事

f:id:Huuuu:20210302141242j:plain

日雇いで稼いだお金を握りしめて向かう狸小路

横浜駅前の派遣事務所に登録したのは、事務所に直接取りに行く条件で日払いで給料を受け取ることができたからだった。

大学卒業後、就職活動とバンド活動を並行していた私はとにかくお金がなかった。本当にお金がないと実際に身動きが取れないのはもちろんだが、どんどん気持ちが落ち込んでくる。そんなとき数千円でもすぐに現金が手に入るのは何より嬉しかった。

日雇い派遣の給料が手に入ったら、狸小路にある老舗「豚の味珍(まいちん)」で一杯やるのが定番コース。お金のない私は常連のおじさんたちに混ざって、『ヤカン』と『ラッパ』だけで居座ることが多かった。

ちなみに『ヤカン』とはコップなみなみに注がれる焼酎のことで、テーブルに置いてある梅シロップを垂らすとぐいぐい飲める。『ラッパ』は甘辛い白菜の漬物。味珍は豚のテールや頭など豚の珍味のお店だけど、個人的にはラッパのほうが珍しい味だと思う。ヤカンもラッパも300円とか400円だった気がする。

酒を飲むようになっても、小さいころと変わらず横浜の生活の基本は団地・バス・横浜駅の往復。金もないし付き合ってる女の子もいなかったので、相変わらず中華街とか赤レンガ倉庫には縁がなかった。ちなみに今もない。

 

f:id:Huuuu:20210302141336j:plain

味珍のヤカンとラッパ

派遣事務所から紹介される仕事は、ステージ設営や工場の軽作業などいろいろあったが、あるとき『横浜市内の家賃滞納者の差し押さえになった家財を部屋から撤去する仕事』をしてから、謎にそればかり紹介されるようになった。撤去する部屋はほとんどが団地だった。

トラックの荷台に乗って滞納者の部屋に行く。少しでもお金になりそうなものをトラックに詰めて、それ以外を捨てるのが仕事だ。どういうわけだか部屋にエアガンが置いてあることが多く、仕事仲間とは「エアガンだけは買わないようにしよう」とよく話していた。

 

そんな仕事をしていると住民の身の上がめちゃくちゃ気になるが、住民との会話は固く禁じられているので、滞納の理由を知ることはない。ただ唯一の例外として、滞納の理由がわかる場合がある。

頭から靴まで覆う防護服が配布されマスクに布を挟んで作業するが、それでも時折鼻に届く他に形容し難い臭いで、この部屋で起きたことがはっきりとわかる。時代を感じる小物や部屋に積まれたアルバムが、自分が住んでいる団地の部屋と重なり、気持ちが重くなる。

もしかしなくてもあの団地でも同じことが起きているだろう。それらをすべてゴミ袋に詰め、無心で家具を運び出し、手を合わせて解散する。道すがら事務所に終了の連絡をして、給料を受け取りに横浜駅に向かう。

 

駅に着くと繁華街は仕事帰りの人たちでにぎわっていて、それを見た途端たまらない気持ちになる。みんなどんな家に帰るんだろう。おれは今さっき、家をいくつかなくしてきたっす……。

 

どこにでもあることだけど

f:id:Huuuu:20210302141534j:plain

おでん屋台が一掃された駅前の川

横浜駅にはかつて川沿いにおでんの屋台が軒を連ねていた。幼いころは自分もあそこでいつか酒を飲むものだと思っていたし、実際行ったこともある。

しかし、大人になってから知ったのは、その見た目に反してちょっとした酒場より高いことと、路上の不法占拠として問題視されていることだった。

 

久しぶりに横浜駅に行ってみると、屋台はすべて撤去されて跡形もなかった。

駅前の工事も終わり横浜がどんどん新しく生まれ変わっていく一方で、おでん屋台が撤去されたり、団地にも住めなくなってしまったりする人がいると思うと胸が痛む。

側から見れば「不法占拠するなよ」「家賃払えよ」としか言いようがないかもしれないし、どこにでもあることだけど、私は横浜でそういう部分を見ることが多かったので複雑な気持ちになる。どこにでもあることだったら仕方ないのか?

 

日雇い派遣生活が数年経ったころ、おばあちゃんが亡くなって団地の部屋は明け渡すことになった。私は東京に住む友人の部屋に転がり込んで、気付いたらいままで住んでいたどこよりも東京での暮らしのほうが長くなってしまった。

東京は横浜よりももっと早いスピードで日々街が生まれ変わり、それによって居場所を追われる人たちのニュースも目に入る。そのたびに横浜での暮らしや出来事を思い出す。

いま、あの団地で暮らす人たちがどうか幸せでありますように。

 

f:id:Huuuu:20210302141629j:plain

著者:増田薫(思い出野郎Aチーム)

増田薫

多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒。児童向け絵画教室勤務。フリーランスで主に紙媒体のデザイン、イラストなどを制作。8人組ソウルバンド・思い出野郎Aチームのサックス担当。ウェブメディア「ジモコロ」で『いつか中華屋でチャーハンを』を連載し、2020年末にスタンド・ブックスより刊行。
twitter:@masudakaoru_ 

 

増田薫さんが定番から一歩外れた「美味」を求めて描く、グルメ漫画エッセイ『いつか中華屋でチャーハンを』好評発売中!

f:id:s06216to:20191218124415j:plain

増田薫(著) / 1,760円(本体1,600円) / スタンド・ブックス刊


 

関連記事

suumo.jp

編集:Huuuu inc.