愛しい地元は観光地「横浜」

著: 前田紀至子 

不意に「横浜に“帰りたい”」と、口を衝いて出ることがある。
もっとも、私の生まれ故郷は和歌山だし、親戚がいるわけでもない。
横浜を居住地にしたのは大学に入学してから27歳までの10年弱。それでも私は横浜に並々ならぬ思い入れがあるし、今だって仕事や他諸々の都合がついてどこにでも好きなところに住めるとしたら、迷わず横浜を希望するだろう。

当時私が住んでいたのは横浜市中区。最寄駅で言えば馬車道駅。赤レンガ倉庫や横浜ワールドポーターズからも最寄りの駅だ。
そんな場所だけに、「馬車道に住んでいる」と言うたび、当たり前のように「住むところ、あるの?」と聞かれていた。
意外と住むところがある(後になって知るが、東京に出て来てから出会った気の合う上司もまた、同じ時期に目と鼻の先に住んでいたらしい)馬車道は、横浜の「横浜らしさ」を存分に体感しながら、自由気ままに暮らすには最高の場所だったように思う。

前述の赤レンガ倉庫や横浜ワールドポーターズ、みなとみらいにランドマークタワーといった観光スポットが飽きるほどあるし、横浜美術館や東京芸術大学 大学院映像研究科 馬車道校舎、バンクアート、神奈川近代文学館などもあって、芸術や文学もごく自然に日常生活の中に溶け込んでいた。

天気が良い日には、日本大通り沿いの横浜港郵便局まで郵便物を出しに行きがてらそのまま元町まで散歩するのも気持ち良かったし、関内のスターバックスのテラスでラテを飲みながら麻雀の牌を磨くような暇の潰し方も好きだった。

f:id:SUUMO:20210825100702j:plain

古めかしさやあやしさ、曖昧さといった側面が、横浜の持つ魔性の魅力ではないでしょうか

そうしているうちに、いつしか私は「ラテを片手に麻雀の牌を磨く」の側の横浜にどっぷりと浸かっていった。

まずは伊勢佐木町にある老舗ホットドッグ&カフェバーでのアルバイト。年中ビートルズやサイモン&ガーファンクルのBGMが流れている店内だった。そこでお客さんにカクテルのつくり方を教えてもらったり、レンジでホットドッグを温めたりと、限りなくゆるく、そして楽しく過ごした。ここではマニュアルなんて一つも無い分、この街だけの特殊なルールや常識を徹底的に叩き込まれる。それと同時に、自分も相手も快適に過ごすための程よい距離感なども十分に学ばせてもらった。

このお店のママは、お客さんがいなくてぼうっと店番をしていたら「息抜きにちょっと散歩してきたら」と言ってくれるし、初めての接客業でお客さんとの距離の取り方をはかりかねていたら「あまり愛想良くしすぎなくても大丈夫。きしぼん(私のあだ名)はホットドッグ出して、ドリンク出してりゃそれで十分なのよ」とアドバイスしてくれるしで、常に肩の力を抜いた快適な自分でいられる働き方を教えてくれる素敵な人だった(そんなママはその数年後、癌で亡くなってしまうのだけれど、その時は伊勢佐木町全体が悲しみに暮れた。お通夜は葬儀屋さんが驚くほど、実に1500人もの人が訪れたというのだから、彼女の人としての魅力は改めてすごいと思う)。観光地であり、港町でもある土地だからか、このママに代表されるように、横浜の人々は人との距離感が実に気持ち良い。私が思う「いい加減で格好良い大人たち」は伊勢佐木町にたくさん居た。

伊勢佐木町からそう遠くない場所に野毛という飲み屋街がある。数年に一度ブームが訪れては雑誌やテレビで特集されるのでご存じの方も少なくないかもしれない。野毛には焼き鳥、中華、ホルモンなどありとあらゆるお店が並び、大抵の人は何軒もはしごをする。私もまた、この街ではしごを覚えた。

f:id:SUUMO:20210825100801j:plain

人気の焼き鳥屋さんは観光として野毛を訪れる人からの人気も高く、油断するとあっという間に行列ができるから、平日の17時に一軒目として入店するのがお約束だった

開店と同時に行列になる焼き鳥屋さんではなんこつや鳥皮、レバーを。レビューサイトには「兄弟2人でやっている」と書かれているけれど、実はまったくの他人同士である中国人と台湾人2人が営む中華料理屋さんでは、水餃子と茄子の炒めがマスト。まるで漫画にでも出てきそうな佇まいのクラシックスタイルなホルモン屋さんではガツ塩とハツ。といった具合に、延々ロングプレイで食事とお酒を楽しめるのがこの街の醍醐味だった。

f:id:SUUMO:20210825100855j:plain

中華料理屋さんで誰もが注文する看板メニューの一つ、茄子の炒め。茄子と青唐辛子、ニンニクというシンプルな味付けながら抜群においしく、20時以降の入店だと「茄子切れ」で売り切れていることも多々。どうしても食べたくて近所の八百屋に茄子を買いに走ったことも

やけ酒もしたし、泥酔もした。なんとなく顔見知りになってなんとなく言葉を交わす「知らない人」もたくさん居た。十分大人になって、横浜を離れた今、きっともうあのころのように明け方までお酒を飲むことは無いだろうし、あかの他人と乾杯して騒ぐことも無い。自分にはなくてはならない街だったはずなのに、今はもうあの町の登場人物の一人では無いと思うと、時々妙にさびしくなったりもする。

対して、日々日参するようなレギュラーでなくとも誰もがほどほどにホームだと感じられるような温かい場所。それが元町だと私は考えている。元町商店街はいつだってアットホームでホスピタリティに溢れている。
バーニーズ ニューヨーク横浜やホテルニューグランド、霧笛楼といった、ちょっぴり背筋が伸びるイメージを持つスポットだって、一歩足を踏み入れるとなんだか親しみやすい。そういえば、「気取らないほうが格好良い」というスタンスもまた私が横浜という土地と人に教えてもらったことの一つであるような気がしている。

f:id:SUUMO:20210825100933j:plain

横浜元町商店街を歩くのは楽しい。モダンさと懐かしさを兼ね備えた街並みと、程よく肩の力が抜けたムードが実に横浜らしい。年に数回行われるチャーミングセールは地元の人たちにとってのお楽しみイベント

今の季節になると、横浜元町プールが日々の楽しみだった。毎年夏の訪れを感じると7月第2土曜日のオープン日を指折り数えて待ち、早々に出かけては「元プー」を満喫した。山手のてっぺんにある元プーは、樹々に囲まれて開放感が抜群。何より場所柄さまざまな国籍、LGBTQ +、タトゥーのあるなしに至るまで人間の多様性にきわめて寛容で、勝手にサンクチュアリのような場所だと思っていたし、人々が皆これくらい他人を受け入れられたら幸せなのに、と深く考えさせられる場所でもあった。

横浜に住んでいたころの私は、今とは比べ物にならないくらい稼ぎも仕事も少なくて、特に贅沢はできなかった。その分、時間と心の余裕だけは十分過ぎるほどにあった。何も考えていなかったと言われればそれまでだけど、毎日が楽しかったし、横浜という土地には日々新しい発見や知見が溢れていた。きっと今また移り住んでも、あのころとは違う気付きがたくさんあるだろう。横浜ってそういう場所なのだ。

そういう場所だからこそ私は大学を卒業して、そこにいる必要がなくなっても横浜に居を構え続けた。第二の故郷という言葉があるけれど、自分にそれを当てはめるとすれば、間違いなく、そして迷いなく横浜だと即答する。

大学入学のタイミングで上京してきた時、私は不安で人知れず泣いた。ボーイフレンドと喧嘩をして別れた時、マンションの下のコンビニで馴染みの店員さんに抱きついて泣いた。人生に行き詰まって先が見えない時、野毛の馴染みのバーで明け方にデバージのI Like Itを店員さんと口ずさみながら泣いた。そして、横浜を離れることが決まった時、心にぽっかりと穴が空いたような気持ちになって泣いた。

そして今、別の土地で、横浜で過ごしたのと同じだけの時間を過ごしているけれど、比べ物にならないほど涙を流していない。忙しなく、慌ただしく、寝て起きて仕事をする日々を送っている。もちろん大人になって泣いている暇なんて無いというのもあるだろう。

けれど、それだけじゃない。横浜という街が持つメロウでエモーショナルな空気感が、日常の輪郭をくっきりと、濃くて深いものにしてくれていたと思えてならない。

そういえば、亡くなったホットドッグ&カフェバーのママが入院していたとき、不意に涙を流して、こうささやいてくれた。

「涙は心を浄化してくれるから、たまに泣くと良いわよ」

思い出すと、今もまた少し涙ぐんでしまう。やっぱり横浜という土地は、私の胸を熱くする。



著者:前田紀至子

前田紀至子

1985年4月5日生まれフェリス女学院大学文学部卒業。新潮社nicola専属モデルや、光文社JJ編集部でのライターを経て、旅記事、美容記事を中心に雑誌やウェブサイトに寄稿。

 

編集:ツドイ