帰ってくる街、梅丘【東京都世田谷区梅丘】

著: た し 

「すみません内見予定の物件が決まってしまったみたいで、本日ご予約いただいていた物件は内見いただけないんです……」

「え?」

大阪から家探しのために早朝の新幹線でやって来たわたしの、その日初めての会話がそれだった。後から知る話だが、東京の3月の物件探しとはこういうものなのだ。卒業、就職、転勤、転職といった4月からの新生活に向けて新居を探している人は大勢おり、掲載された翌日に決まる物件も珍しくない。中には内見しないで物件を決めてしまう強者もいるらしく、間違いなく日本一の熾烈を極めているのが東京という地なのだ。そんな激しい物件戦争の戦場に鎧をつけることなくコート一枚で来てしまった男がわたしだった。

新卒から8年間暮らした大阪を離れ、東京の会社に転職することに決めた。そこに至る物語はエッセイ一冊分ほどの物語があるのだが、今その話は置いておこう。

通勤距離を調べて、なんとなく聞いたことのある駅名だったから、と予約したある街での家探しは、見事に出鼻を挫かれてしまった。その後も運が悪いことに、気に入った物件との出会いはなく不動産屋さんをあとにした。「収穫ゼロ……さて、ホテルの予約は2泊分……コレ結構やばいかもな」と思い、とっさにGoogleマップを開いて、検索窓に「ユニクロ」と「無印良品」の文字を打ち込む。完全なる偏見だが、いつも大変お世話になっているこの二つがある街は住みやすい確率がかなり高いという謎の自信があった。「ホテルに戻る前にもう1軒、不動産屋に行った方がいいな」と考え、検索結果をもとにユニクロと無印がある街に移動し、適当な不動産屋に入ってみることにした。

「予約してないんですけど……」

とお店の扉を叩くと、「大丈夫ですよ、どうぞ」と快く引き入れてくれた。どうやら彼が店長さんらしい。いくつかの条件を伝えると、

「なるほどなるほど、それならこの近くの街なんですが『梅丘(うめがおか)』が良いかもしれませんね。僕も昔住んでいたことがあるんですよ」

「なんか良い名前の街ですね!」

植物が好きなわたしは、「梅丘」という名前に何か惹かれるものを感じた。そんな会話をしながらも、店長の手元でパソコンのキーボードが凄まじい勢いで叩かれ、パパパッといくつかの物件を出してくれた。

「とりあえず梅丘の下見のつもりで2軒くらい今から見に行ってみませんか? 近くなので」

そういってサササッと内見予約が進み、車で梅丘へ向かうこととなった。

「カレーはお好きですか? 僕は食べるのもつくるのも好きなんですが、梅丘にも美味しいお店があるんですよ」

「カレー、大好きです!」

「あっ、ここは「美登利寿司(みどりずし)」っていう美味しいお寿司屋さんなんです。お寿司はどうですか?」

「お寿司も大好きです!!!」

そんな話をしているうちに「小田急電鉄梅ヶ丘駅」前に着いた。(街の名前は「梅丘」なのに駅になると真ん中に「ヶ」の字が入るんだ……神戸の「三宮(三ノ宮)」みたいだな。)

「結構、人がいるんですね。」

「そうですね、梅丘は飲み屋街がないので飲みに来るというよりも、【帰ってくる街】という感じです」

気付くと日はもう沈んでいたが、駅前は明るく広く、人がたくさんいて、焼き芋を売るトラックまでいて、さっき不動産屋の店長さんが言っていた「帰ってくる街」という言葉がなんとなくわかった気がする。

「(梅丘は)閑静な住宅街というイメージがある人もいますが、大学も近所にあるので、若い人も結構いるんですよ」そんな会話をしながら、翌日も店長さんと梅丘で物件を巡り、なんとか無事家を決めることができた。

「梅ヶ丘駅ってどこ?」と聞かれたら「東京の西側。小田急線、下北沢駅の次の次。豪徳寺駅の一個前」と説明する。梅ヶ丘という名前でピンとくる人はそこまで多くないけど「昔住んでたよ」「そこ、友達が住んでいる」「美登利寿司おいしいよね!」という言葉がたまに返ってくることもあった。悪いことを聞いたことがなく、そこまで有名ではないけれど、いい街としてひそやかに知られているのかもしれない……。

「梅丘ってどんな街?」と聞かれたら、わたしは「街ガチャに勝った」ということを話している。「ガチャ」とは「ガチャポン」の略で、土地勘のない東京への引越しで、いきなり好きな街に当たった運を例えたものだ。東京都には現在、717の駅があり、2位の北海道に100駅以上の差をつけぶっちぎりの駅数を誇る。関西から越してきたわたしにとって、当たりのわからないガチャを引くのと同じくらい、東京で暮らす場所を決めることが難しかったが、梅丘(梅ヶ丘)にたどり着いたのは幸運だったと思う。そう思えるほどこの街と駅のことを気に入っている。

いいところを挙げればキリがないので、今回はわたしのおすすめの行動、通称「梅丘ムーヴ」とともにどんな街かを紹介していきたい。(それでもたくさんになってしまったのだけど)

平日の梅丘ムーヴ

出勤するために「梅ヶ丘駅」へと向かう朝。小田急線梅ヶ丘駅には各駅停車の電車しか止まらない。でも新宿駅まで15分程度で行けるし、千代田線に直通している電車もあって、困ったことは一度もない。どこにでも行きやすい駅なんじゃないかと思う。

仕事を終えて都心から帰ってくるときは、各駅停車の駅だからか比較的電車も空いてたりする。そうしてゆったり揺られながら梅ヶ丘駅へ帰ってくる。

改札前は開けていて、夜でも明るくきれい。犬の散歩がてらに家族を迎えにきた人たちをよく見かける。連れられた犬が帰ってくる人に気付いてテンションMAXになっている姿を見るのはいつも微笑ましい。わたし的に良い駅の条件だと思う。

駅前には大きなスーパーが二つもあってとても助かる。こちらの「Y’smart」の方は魚介類の品ぞろえが良く、たまに静岡の「生しらす」や、「ホヤ」までも売っていて意外な驚きがあるのも楽しみだ。お寿司コーナーも充実しており、中でも498円の「焼きサバ寿司」が絶品なのでぜひ一度食べてもらいたい。

スーパーだけでなく、マクドナルドやコンビニもあって充実しているので、疲れた日に買って帰る晩ごはんには困らないのもうれしいポイントだ。不動産屋の店長さんが言っていた通り、飲み屋街はなく焼き鳥屋やラーメン屋、洋食屋などたくさんの飲食店が並びバーもいくつかあるが、酔っぱらって絶叫しているなど怪しげな人を見かけたことがない。適度な人通りとお店の明かりで安心して暮らせる街だと感じた。

休日の梅丘ムーヴ

駅から徒歩1分に位置するパン屋「pain de LASA」で目に留まったパンをいくつか買って、さらにそこから1分ほどのところに最近できたばかりの「FUGLEN COFFEE」でコーヒーをテイクアウト。どうやら、このコーヒーショップはその道の人には有名らしい。

また、さらにそこから歩いて1分ほど、「羽根木公園」で足を止めた。ベンチがいくつもあるので、散歩中のデカイ犬や、人々を眺めながらパンとコーヒーで朝ご飯にするのが休日朝の至福の時間。

羽根木公園はとても広く緑も多い公園で、子どもが創意工夫して遊べるエリアや、健康遊具ランド、バスケットコートなどもある。

梅丘という地名の通り、さまざまな梅も植林されており冬になれば梅の花が咲き、初夏のころは青々とした実が目にも楽しい。

朝食を済ませた後、公園に隣接する図書館で、小説や図鑑を借りることも楽しみの一つである。

夏は自習室で勉強する小学生を横目に本を読みながらよく涼んでいる

公園から家までの帰り道、梅ヶ丘駅前に「ミコ珈琲と髪」がある。こちらは理髪店とコーヒースタンドが合わさっているというなんとも珍しいスタイルのお店で、オーナーの山崎さんに「いつもの感じで、なんか適当にお願いします」と言えばいい感じにしてくれるから、梅丘に来てからヘアカットはここでお願いしている。

「ミコ珈琲と髪」のその少し先、駅のすぐ南には「梅ヶ丘商店街」が広がっている。噂の「美登利寿司」もここにあって、お昼ごはん用にパック寿司を買って帰るのがちょっとしたぜいたくだ。

ちょうどこの日は、梅が咲いている時期だからか駅前がとてもにぎわっていた。老若男女幅広い世代の人がいるのは良いことだ

美登利寿司の一本先の角を曲がると「燻製工房 PERTICA」が見えてくる。最近クラフトビールの販売を始めて、かなり凝った品ぞろえがとてもアツい。「すごい品ぞろえですね、何者なんですか?」と聞いてみると「ただのクラフトビール好きな料理人です」と笑う店長。ビールとスモークされたおいしいフードを立ち飲みすることもできるけど、今日は買って帰りたい気分。

そこからまたちょっと歩いて、豆腐屋「小野田屋豆腐店」で湯葉と、おやつにおからドーナッツも購入した。

豆腐屋から徒歩1分、家までの帰り道にこれまたイカした植物屋「HANACHO」がある。切り花から苗物、サボテンの仲間のユーフォルビアまで取り扱う珍しいお店で、いつも季節の切り花を買って帰る。

先ほどからやけに「徒歩1分」とか「ちょっと歩く」という言葉たちを繰り返し使っているので、もうお気付きの方もいるかもしれないけれど、ここに登場している場所は、全て梅ヶ丘駅を中心に徒歩3分以内にある。そう、この街はコンパクトに個性豊かなお店が立ち並んでいるのだ。

わたしには、街の情景を思い出すときに、天気のイメージもセットで思い浮かべるという癖がある。梅丘はすっきりした晴れのイメージだ。怪しさやいかつさがなく、人も街も心地よい雰囲気が漂っている。

東京717駅のひとつ、「梅ヶ丘」。ふらっと寄った不動産屋の店長さんが教えてくれた「梅丘」。出合えたのは間違いなく運命だった。

そしてこの原稿を書いているころ、悲しいことにわたしは仕事の都合で梅丘を離れることが決まってしまった。新しい場所に行くことにあまり抵抗がないわたしもこの街を離れるのはとても寂しい。いつかまたもう一度【梅丘へ帰ってくる人】になれたらと思う。もちろん、そのときはまたあの不動産屋の店長さんを頼ってみるつもりだ。そして、あのときうっかり聞けなかったカレー屋さんの名前を教えてもらおう。

著者:た し

た し

デザインや生産管理の仕事をしながら、生活の隙間に指輪作ったりイラスト描いたりしています。
Twitter:@wonder_aaaa

 

 

編集:ツドイ