
目が覚めて、身支度をして、出かけて、今日1日のやることのひととおりを終えて帰宅する。
ふと部屋の時計を見ると、まだ朝の6時だったーー。
小学生のときに読んだシュールなギャグ漫画「じみへん」に描かれていた、老後の1日だ。

中崎 タツヤ (著) / スピリッツじみコミックス
くすり笑ってしまいながらも不思議な恐怖感が心に刻まれ、こんなふうに時間余りの暮らしをするようにだけはなりたくないよなぁ。そう思い続けてきた。
流浪の90年代シティボーイ
愛知の田舎で育ったボクは、中高生時代、ファッション、カルチャーに溢れた都市生活に強烈に憧れていた。当時は雑誌(加えて深夜TV、深夜ラジオ)が最先端の情報源だったから、毎日本屋に通ってほとんどの時間を過ごしていた。まだ何者でもなくて、何者にでもなれる自分の可能性を知れる気がして、雑誌に出ている人生の先輩に未来の姿を重ねていた。
いつか誌面に載る側になりたいという想いは、雑誌を創る側、もっと言えばカルチャーを発信する側になりたいという想いに育っていった。大学時代は、ダウンタウンがパーソナリティをつとめていたAMラジオ「ヤングタウン」のヘヴィリスナーだった影響で、大阪へ。学校にはほとんどいかず。バイトに明け暮れ、時間ができれば服屋、本屋、レコード屋に入り浸り、週末はクラブで踊り明かした。
当時は、さまざまなサブカルチャー、ユースカルチャーのムーブメントが勃興していた90年代。国内外のストリートブランドから古着、クラブミュージックから歌謡曲、漫画やアートまで、知識と経験を詰め込んでいたボクは、いつしか街の先輩たちに情報通のヤツだと認められるようになっていた。
当時はパンクはパンク、ロックはロック、ヒップホップはヒップホップと服装からライフスタイルまでジャンル分けがはっきりしていたから、ジャンルをクロスオーバーするボクは珍しかったらしい。
ポパイでいうところのシティボーイ。
大学卒業後しばらくフリーターだったけれど、先輩たちのフックアップによって、ライター、編集者のはしくれになり、26歳になったときには、関西のファッション・カルチャー雑誌の編集長にまでなった。案外早くひとつの夢を叶えてしまったもんだ。
チルでレイドバック。でも雑多で刺激的。
ブログ、SNSの登場に影響を受けて、雑誌の仕事を辞めて以降、いくつかのベンチャーを転々とし、その度に住む場所も転々とした。その間結婚もして、子どももふたりできた。30代なかば、世間一般からすれば立派なパパだ。情報ジャンキーの癖は相変わらずだったけれど、雑誌はネットに変わり、そして服も音楽もネットでゲットするようになっていった。昔のようにお金を注ぎ込まなくてもカルチャーにアクセスできる世界を謳歌していた。
そんなサブカルおやじが漂流の末にたどり着き、ようやく定住した街が、神奈川県の辻堂だ。2011年、3.11の震災直後に引越してきた。
なぜ辻堂だったのか?
きっかけは震災で多くの人の行動によって顕在化した脱東京の流れ。都内に通勤ができる最西端を探すなかで、直感で選んだ。

直感とはいえ理由はあった。野村訓市さんがIDEEの支援で活動していた伝説的ビーチハウス・プロジェクト「SPUTNIK」(2000年〜2007年)が辻堂の海岸だったし、雑誌編集者時代に伝説のスケーターの取材で訪れたことがあり、オープンな雰囲気が記憶にあった茅ヶ崎の隣街だし、そのときのフォトグラファーが茅ヶ崎に引越したという話を聞いていたからだった。
(鎌倉も選択肢ではあったけれど、坂が多くて少しごちゃっとした印象を受けたのとなにより値段が高すぎたから却下した)
この街なら90年代のあのころのようにカルチャーに溢れたライフスタイルをリアルに取り戻せるかもしれない。あのころよりも、もっとチルでレイドバックした感じで、等身大で楽しめるかもしれない。そう思った。

辻堂海岸でも夏には海の家ができる、このローカル感がいい
家を探す作業のなかで直感は確信に変わった。まだ辻堂駅前のテラスモールができる前の話。
庶民的で今も地元民が愛する「湘南モールフィル」「ミスターマックス」という2つがドッキングしたモールを訪れたときのこと。老若男女問わず、9割がビーチサンダルだったのは衝撃だった。
パパもママも遊びになれた雰囲気だったし、センスだって悪くない。(テラスモールと湘南T-SITEができてからは、そういう人たちはテラモかT-SITEに移ったけど)

辻堂民にとって、ファッションはテラスモール、カルチャーはT-SITE、その他もろもろは、「湘南モールフィル」「ミスターマックス」

辻堂駅直結の街のランドマーク「テラスモール」
家は地元民のオアシス辻堂海浜公園の近く、海まで歩いて5分の距離の新築マンションを購入した。流浪の家族が定住を決めるという意思の表れでもあった。
辻堂をひとことで表現するならば、“キブンがいい街”だ。キブンはバイブス。いいバイブスの街と言い換えるとわかりやすいだろうか。
昔ながらの銭湯、駄菓子屋も健在だし、商品むき出しの八百屋だってある、昭和なキブン。

昭和なまんまの銭湯「不動湯」


辻堂海浜公園近くには駄菓子屋、八百屋も近くにある
ハンドメイド作家のマーケットや、地元生産者のマルシェが頻繁に開かれ、インディペンデントなスモールショップが次々と現われるDIYでヒップなキブン。

Minami Curryは、音楽シーンと繋がりが濃い地元の人気カレーショップ。ライブが催されることも

辻堂駅から辻堂海浜公園につづくストリートには、時折マルシェも開かれるカフェなどが点在する
気持ちいい音楽を鳴らしながらの仲間同士のBBQや、ヨガやインディースポーツの集いがそこかしこで開かれているアウトドア&スポーツなキブン。


近くの鵠沼海岸にはスケートパークがある。インディスポーツ、スラックラインはスケートパークでも海浜公園でもできる
上半身ハダカの昔からのサーフ文化に、都心から移住してきたミュージシャン、アーティスト、クリエイティブ業界の人の先進的な文化がほどよく混ざりあって、雑誌のように、雑多で刺激的なキブンが漂う。
最高だ。

江の島には、パーティー&カルチャースポットでもある「CURRY DINER OPPA-LA」がある

サーファーでもある芸人、ほんこんさんがオーナーのたこ焼き屋
何しようかって考えるだけで楽しい。いくら時間があってもたりなさそうだ。

辻堂は住みたい街のランキングでも上位だと聞いた。リゾートライフを満喫しながら都内へのアクセスがしやすい、子育てがしやすいってのが理由のようだが、この街の魅力はそんな単純なものじゃない。キブンを共有する好奇心と遊び心旺盛な住民が、JUST DO ITのマインドセットで、どんどん新たな彩りを重ねていっている現在進行系のニューウェーブなカルチャーにこそが魅力の本質だと思う。
もう10年も住んでいるが、いってみたいところ、やってみたいことをコンプリートできていない。
釣りを極めてみたいし、BBQもキャンプもハマってみたい。1回しかやっていないサーフィンをいまさらやってみるのも楽しそうだし、気の合う仲間に声をかけてコミュニティやコレクティブとして地元発のブランドやビジネスやアクティビティを興すことだってやってみたい。
インターネットでは完結できないありとあらゆる手触り感のある趣味の素材が手の届くところに、手にしやすいサイズで溢れている。
嗚呼、夢想のセカンドライフ。
これから何から手をつけてやろうか。
この街ならばボクの老後は時間が足りなくて仕方がないことになりそうだ。
著者:RSK

渋谷で働くクリエイティブディレクター。Spiritual Vibes主宰。メディアをやりたい気持ちが再燃中。
編集:ツドイ
