父親にうどんをぶつけられて上京を決意し、恥をかくことで作家になれた爪切男さんのターニングポイント【いろんな街で捕まえて食べる】

著: 玉置 標本 

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2018年のデビュー作『死にたい夜にかぎって』がテレビドラマ化され、今年の2月に『もはや僕は人間じゃない』、3月に『働きアリに花束を』、4月に『クラスメイトの女子、全員好きでした』と、3カ月連続で単行本を出版した人気作家の爪切男(つめきりお)さん。

文章を書く仕事に漠然と憧れて香川県から上京し、町田駅(東京都)の横の相模大野駅(神奈川県)、中野駅も利用できる新井薬師前駅、その一駅先の沼袋駅と引越して作家になるまでの経緯を、散る桜を愛でつつ散歩しながら伺った。

ゲームブックを自作する子どもだった

爪さんは1979年生まれの42歳。嫌いなものは虫。まだ幼いころに両親が離婚をしたため、アマチュアレスリングの猛者だった厳格な父親によって育てられる。細かい話は『働きアリに花束を』を読もう。

――爪さんはどんな子どもだったんですか。

爪切男さん(以下、爪):「ガキのころはすごくイヤな子どもだったと思いますよ。本にも書いたけど、小学生の段階でどの親戚がうちに悪い感情を持っているのかわかっていました。大人の言っていることが、ニュアンスでわかるというか」

――子どもらしくないって大人に言われる子どもだ。そのころからもう文章は書いていましたか。

爪:「ゲームのストーリーブックはよく書いてましたね。父親にゲーム機を買ってもらえなかったので、ねだるより自分で本を書いたほうが早えなって思って。

『ドラクエIII』だったら、戦士がいて、魔法使いがいて、遊び人がいて、商人がいて、みたいな聞きかじった職業だけで話をつくっていく。ときどきカンダタっていう単語をジャンプとかの立ち読みで見るから、そういう盗賊の存在を重要なヒントとして書いたりとか」

――今でいう二次創作ですね。一次をよく知らずに書いたんでしょうけど。

爪:「書くと楽しくなっちゃうんですよ。どんどんつくりました。『ヘラクレスの栄光』とかだと知っているのはタイトルだけで、まったくヒントがなかったから完全創作。

プロレスも好きだったから、選手の名前を書いた紙を丸めて適当に並べて、それを広げて対戦カードを決めて、試合内容を想像して、古舘さんの真似をしながら自分で実況して、カセットテープで録音するような一人遊びをしていました。凝ってましたよね」

――試合内容を想像するまでは、僕もキン肉マンの消しゴムとかでやっていましたけど、実況を録音するっていう発想はすごい。エア実況だ。

爪:「試合が終わった後に『古舘さん、古舘さん! こちら試合が終わったビッグバン・ベイダー選手の会見です』って中継のアナウンサーまでやって、ベイダーの真似して『ウァーウァー』って、一人何役もやってました」

f:id:tamaokiyutaka:20210421220336j:plainこの日の爪さんは新日本プロレスなどで活躍したスコット・ノートンのTシャツを着ていた。中野ブロードウェイの明屋書店にサイン本があります

爪:「自作したゲームブックを見せていたクラスメイトの絵日記代行もしていました。有料で。家族の名前とかを聞いて、今年の夏はどうするの? 花火大会いく? 海いく?って予定を確認して、適当に配置して書いて、これをそのまま写せばいいからって。

『黒川君はよく書き間違えをするから、ここちゃんと書き間違えておいて』とか、『するとって無茶苦茶使うから、するとをたくさん使っておいたよ。そうすると黒川君っぽくなるから』とか。嫌なガキですよね」

――それはもうプロの仕事、ライフスタイルブックのゴーストライターだ。

爪:「子どものころから文章は楽しかった。それでなんでも美化するクセがついた。美化っていうと例えがいいだけで、嘘つきになりましたよね。嘘をついて、なんとか嘘を本当にする努力をしていく、変なやつになりました」

f:id:tamaokiyutaka:20210421220611j:plain11時に中野駅北口で待ち合わせをして、新井薬師方面を案内してもらった

f:id:tamaokiyutaka:20210421220618j:plainサンモール商店街にはお寿司屋さんがたくさんあった。爪さんは卵とシーチキンしか食べないそうだ

f:id:tamaokiyutaka:20210421220623j:plainうどん県出身である爪さんが気に入っているうどん屋は、北口側だと嵐

f:id:tamaokiyutaka:20210421220627j:plainシーシャ(水煙草)を吹かしながらゼノビア料理が食べられる店。この商店街は通るたびに新しい発見がある

f:id:tamaokiyutaka:20210421220633j:plain梅家にて「ここのいなり寿司が超うまいんです」と言うので購入。正月は初詣の帰りにぜんざいを食べるのがお約束。右の男性は『死にたい夜にかぎって』『働きアリに花束を』の編集者である高石智一さん。100年くらい前のかっこいい服を着こなしている

父親にうどんをぶつけられて

――作家になりたいと思ったのはいつごろですか。

爪:「高校生のころから。県で上から2番目くらいの進学校に通っていたんですけど、音楽をやろうと思ったけど挫折して、演技ができる訳じゃないし、スポーツも全国一位じゃないと意味がないって親父に言われて確かにそうだなって。

残っていたのが、ガキのころにやっていたストーリーブックとか、日記代行とかだった。文章だったら好きで今までやれてきたからいけるかなって思ったけど、でも小説とかは考えていなかったです。当時読んでいたのは村上春樹とかで、よくここまで話をつくれるなって。プロレスの試合を考えるみたいに単発なら自信があったんですけど、ストーリーは無理だと思っていた。

本当は漫画ができたらよかったんですけど、絵をある程度描いてみたところで、今の実力プラス自分が努力できるかどうかを客観的にみちゃって、絵はがんばれねえな、上手くなれる努力はできねえなって。文章だったら書いていけるかもしれないなって、結局は取捨選択だったんです」

――高校を卒業してすぐ、文章の仕事を目指したわけではないですよね。

爪:「国公立の大学だったら安く行けるからって言われて、センター試験を受けたんですけど、四年間で考えたら結構な学費になる。だから絶対受からないように大っ嫌いな数学とか生物はマークシートを全部1だけ塗りつぶして、好きだった世界史と国語しか本気を出さなかったです。

家が貧乏で俺もガキのころから内職とかしていたから、別に大学に行かなくても、なにかしらでやっていける自信があったんですよね。スーパーでも魚屋でも、実家に住んでなにか仕事して、家に金を入れようかなって思っていた。そしたら親父が俺に何も言わずに『もう一回やってみろ』って予備校に申し込みをして金も払ってきた」

――父親としては、貧乏をしても息子を大学に入れたかった。

爪:「でも今更やる気にもなれなくて。予備校の横にゲーセンができちゃったから、ずっとそこにいくようになっちゃって。結局、一次試験がセンター試験の得意な三科目だけっていう長崎の大学を受けることになった。二次試験は小論文だし。そこに一浪で受かったんですけど、そういう入試だから一芸に秀でた変なやつが多くて楽しかったです。

大学を卒業するときに付き合っていた初めての彼女とは家族ぐるみで付き合っていて、結婚してもいいかなって思っていたけど、いろいろあってうまくいかなくなって、結局実家に帰りました。

長崎の会社に就職が決まっていたけど、好きな人がいなくなったならこの県にいる必要ないなって思ったんですよ。普段あんまり度胸ないくせに、そういうときになるとゼロかイチかの判断をしちゃう」

――それはお父さんもびっくりだ。せっかく大学まで行かせたのにってなりますね。

爪:「彼女が美容師だったんで、少しでも接点があればいいなと思って、たくさん受かった中から総合アパレル商社に就職を決めていたけど、彼女がいなくなった途端、トイレで鏡を見て『おれはどこにいこうとしているんだ? ……ファッション?』って冷静になって」

f:id:tamaokiyutaka:20210421221855j:plain中野といえばブロードウェイ。サブカルの店だけでなく、ラーメン390円の中華料理屋、タバコが吸える渋い喫茶店、ジブリで働いていた人がやっているうどん屋、活アワビが安い活気ある魚屋などを教えてくれた。高級時計店では爪さんによく似た人が商談をしていた

爪:「実家暮らしは一時的なもので、引越しの資金を貯めたら出ていこうと近所のうどん屋で週七バイトをしていたけれど、びっくりしたんですよね。四年間一人暮らしをしてきたからか、昔は折り合いが悪かった地元の年寄り連中と、いい距離感で話せるようになっちゃって。

絶対こいつらと喋らずにうどん屋をやっていこうと思っていたのに、意外と世間話をしながら働いちゃってたんです」

――地元に馴染んじゃいましたか。良くも悪くも自分が大人になっていたんだ。

爪:「それで親父は『もしかしたらこいつはうどん屋をずっとやるかも』って思ったらしくて、4カ月経ったときに店まで来て、俺が作ったうどんをひっくり返して顔にぶつけてきた。

そこはターニングポイントでしたね。どこまで狙ってやったかはわからないですけど、出ていかせたかったんだと思います。実家を出て好きなことをやってみろと。こっちもそこまでされたらさすがにもういられない。人に向かってうどんを投げつけるやつと同じ屋根の下にいたくないって、出ていく踏ん切りがつきました」

f:id:tamaokiyutaka:20210421221906j:plainうっかり午前中に来たので、やっていない店ばかり。それでも「シャッターの閉まっているブロードウェイもRPGのダンジョンみたいでおもしろいです」と爪さんは前向きだ。たまたま明日香(アスカ)の前を通り過ぎた

f:id:tamaokiyutaka:20210421221914j:plain元はおもちゃ屋さんだったというガチャガチャ屋は、閉店時に明和電機のオタマトーンを買った思い出の店。熱心に仏像を見る爪さん

f:id:tamaokiyutaka:20210421221919j:plain小学校2年生のときに内職でフタを締めていたタレビンのガチャがあった。醤油の入った魚に赤いフタをして一個0.5円。授業より先に小数の概念を学んだ思い出を語ってくれた

四畳半で始まった東京(正確には神奈川)での新生活

爪:「すぐ東京に行きたかったけど、とりあえず大阪の友達の家にいきました。そいつは京都の大手企業に勤めていて、俺が紹介してやるからお前も会社に入れって誘われたんです。それで迷っていたら、京都の三条に夜になると出てくる路上占い師のおばあさんが『お題はあなたが決めてください。納得しなければゼロ円で構いません』って言うから、遊び半分で占ってもらった。そしたらガチだったんです」

――ガチですか。

爪:「『あなた猫を飼っていたでしょう!』って勝負にくるから、『いや飼っていないです!』って」

――外れているじゃないですか。

爪:「それでもガチのチャレンジをしてきて、たまに当たるんですよ。最後に今悩んでいることないのって聞くから、東京に行くか関西に残るか悩んでいるって言ったら、結構食い気味に『東京いけ!』って言われて。俺が関西にいれば、このおばあちゃんのお客さんになるかもしれないのに出ていかせようとする。実家だけじゃなく、ここでも追い出された。

じゃあそこまで言うなら、みたいな感じで東京行きを決めました。だから結構流されやすいというか、人のせいにしているというか。でもその占いは当たっていました。関西にいたらダメだったと思います」

――確かに爪さんは関西より関東のような気がします。東京のどこに住みたいっていう希望はあったんですか?

爪:「最初はね、おのぼりさんなんで、下北沢に住みたかった(照れながら)。ホットドッグ・プレスとか読んでいたから。吉祥寺とかね。

でも現状の貯金額から考えて、いろいろ探して探して、町田という答えに辿り着いたんです。いろんなものがそろっていて、郊外だけど暮らしやすいのが町田らしい。それで町田の不動産屋と話していたら、『こだわりがないなら神奈川側にいってみませんか? 隣の相模大野はどうですか?』って」

――小田急線の町田駅から一駅先の相模大野駅に行くと神奈川県になって、家賃が少し下がるんですね。東京にこだわらなければ、そっちのほうがお得だぞと。

爪:「探してもらったら相模大野に4万3000円で、四畳半だけど一人で住むには十分のところがあった。小田急の快速に乗れば新宿まで30分。でも実際に住んだら新宿とかそんな行かないんですよね。町田とか新百合ヶ丘とか海老名とか、そこら辺で全然済むみたいな。住みやすい街でした。

――無理して下北に住んでいたら、人生変わっていたでしょうね。そのころから作家になるための努力はしていたんですか。

爪:「なにもしていなかった。おのぼりさんなんで、自分が読んできた本の名所巡りとかをしました。吉祥寺だったらろくでなしBLUESの前田のとこや、渋谷行ったら鬼塚のとこやって。どこに行っても楽しかったんですよ。東京いいなって」

――ろくでなしBLUESが好きなのはわかりました。『働きアリに花束を』で書かれていた日雇いの仕事は、この時代の話ですね。

爪:「金がなくなったら実家に帰るかなって思っていた。暮らせなくなったら諦めて帰るくらいでいいかなって。そのころに『死にたい夜にかぎって』で書いたアスカと出逢って同棲するようになって、もう帰れなくなりました」

――四畳半で同棲してたんですか。

爪:「きつかった。いきなり自分のスペースが無くなったし、パソコンも一台しかなかったし。これは作家の夢とか無理だなって思いましたね。

彼女ができた途端に彼女を幸せにすることに集中して、作家の夢はそれを言い訳に諦めようみたいになっちゃって。アスカが中野周辺に住みたいって言うからバイトで金を貯めて新井薬師前に引越した。アスカと出逢わなければ、ずっと相模大野にいたかもしれない。

人ですよね。親父もそうだし、占い師もそうだし、アスカもそうだし、全部人に流されて。

アスカにフラれたのも震災の直後だったから、親父もすごく心配していて、もう帰って来いって言われていた。仕事(ラッパーだらけのWEB制作会社)も辞められる状態だったんで、帰るタイミングとしてはベストかなと」

――原発事故もあったので、西へ引越す人が多かったのを覚えています。

爪:「でも帰らなかったんですよね。その理由がしょうもないから本に書いてないですけど、武藤敬司(プロレスラー)が関東にいるのにお前は帰るのかって友達に言われて。いや帰りません、好きな人がいるところにいますって」

――武藤が残るなら俺も残ると。……ただのファンですよね。

爪:「地震もそうだし、もし戦争が起きてミサイルが落ちてきても、好きな人がいる街で一緒に死ねばいいじゃんって友達に言われて、そっちのほうがいいかって踏みとどまった。危なかったです。あのとき香川県のくそエロい女に、帰っておいでよって言われていたら100%帰っていました」

f:id:tamaokiyutaka:20210421221930j:plainちょっと脇道に入ると、全然違う街になった。そういえば爪さんは力士という香水をしている

f:id:tamaokiyutaka:20210421221940j:plainある意味で中野らしい建物、ワールド会館

爪:「アスカと別れてからの話は『もはや僕は人間じゃない』に書きましたが、同棲していた部屋にそのまま住んでいると、彼女のものが地雷みたいにまだ残っている。アスカから自分が写っている写真は全部捨てろって言われて捨ててましたけど。気持ち悪いことに使うんじゃないかって。

ここを出ないと物事が進まないよってお世話になっていたオカマバー店員のトリケラさんに言われて、確かにそうだな、でも中野を出ていきたくないなって、結局一駅ですよ。新井薬師前駅から沼袋駅へ。引越しも自分でレンタカーを借りて行ったり来たり。

この時は無職だったけど、お世話になった不動産屋が大家のおばあさんと仲が良かったら、おばあさんが『どうなのこの人、信用できるの?』って不動産屋に聞いて、『大丈夫そうよ、仕事をする気はあるみたい』って言ったら審査が終わりました。

今の部屋は1Kで9畳くらい。西武線からも中央線からも中途半端な場所を狙ったんで家賃は6万円。でも周りにコンビニはたくさんあるし、コインランドリーもあるし、ドラッグストアもある。近所で生活必需品は全部そろいます。中野周辺って家賃が高いイメージがあるかもしれないけれど、ちゃんと探せば結構あるよっていうのを一番言いたい。すぐ決めないでじっくり探せば意外とあるから。

沼袋は参道で栄えた新井薬師とは雰囲気が違って、もう少し落ち着いています。不思議なもんで、たかだか一駅くらいの移動でも、やっぱ人生が変わりましたね。こんなに変わるんだなって思いました」

f:id:tamaokiyutaka:20210421221944j:plain『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎完結篇』で的場浩司がチャリで爆走したあたりだと嬉しそうに教えてくれた。ところでイクラはかり売りってなんだろう

恥をかくことで開けた作家への道

――彼女と別れて、仕事も辞めて、引越しをして、作家の夢を追う状況がようやくそろった感じですか。

爪:「その時点ではクソみたいな時期です。まだ付き合っているときにアスカがツイッターを始めて、そんなゴミカスみたいなツールでなにやっているんだって笑っていたのに、俺がハマってしまって。いろいろ練っておもしろいネタを書いて、『いいね!』を稼いでいた。そこが一番イタい時期ですね。

それが運よく『けつのあなカラーボーイ』とか、インターネットでおもしろいことをしている人の目に留まって、一緒になんかやりましょうよって誘ってくれた。それでようやく文章を書いてみようかなって。きっかけはここでも人なんです。

ツイッターやけつのあなで知り合ったのが、のりしろさん、ポテチ光秀さん、ぼく脳さん、後に『夫のちんぽが入らない』を書くこだまさん、とか」

――こだまさんのエッセイやツイッター、たまに爪さんが出てきますね。借金の回収に付き合ってもらったとか。僕が爪さんを知ったのもこだまさん経由だったかな。

爪:「けつのあなをやりつつ、そろそろ個別の活動もせなあかんとブログを始めた。バイト先であったおもしろいこととか、初体験の話とか、文章を書くのが楽しかった。

のりしろくんとこだまさんとたかたけしさんが同人誌をつくるときに誘ってくれて、それが2014年に出た『なし水(すい)』。

ここら辺の時期でいろんなのが重なりました。アスカもいないし守るものもないから、歌舞伎町にあるホストとか大陸系の怖い人が集まるバッティングセンターでバイトをしていて、激しい接客も全部クリアして、歌舞伎町に慣れてきたころ。その名残りが歩き方に出ているかもしれないですね。前からホストが来ても避けないから」

f:id:tamaokiyutaka:20210421221955j:plain猫と爪さん。この歩き方は歌舞伎町で鍛えたのか

爪:「『なし水』の後、こだまさんが『塩で揉む』っていうブログをまとめた本を文学フリマ(同人誌即売会)で出すってなったとき、俺もブログをやっていたからお前も出せやって言われたんです。でも俺はひねくれていたから、いややって言って。

だって同じブースで人気者のこだまと並んでいたら、あいつが三冊売れて俺が一冊売れるような感じになる。そんなつらい即売会はやりたくないって断ったら、たかたけしに結構ガチめに、初めて怒られて。売れているやつが横にいてくれているときがチャンスなんだから恥かけって」

――それで出したのが2015年の『小野真弓と今年中にラウンドワンに行きたい』ですね。小野真弓さん、いいですよね。

爪:「イベントでは俺の計算通り、こだまが3冊売れたら俺のが一冊売れるペース。会場が開いた瞬間がすごくて、こだまの本が一気に15冊とか売れたのに、俺の本は誰も買わない。ここまで差をつけられるかって。手伝いに来てくれていたたかたけしが、そのときの俺の落ち込みをみて笑いをこらえるのに必死。つらかったですね。でも現状を知れてよかった。

これもターニングポイントでしたよ。めちゃめちゃ嫌でしたからね。こだま目当てできたお客さんが、じゃあこれもってこだまのほうをみながらついでに買われるのとか。自尊心がどんどん傷つけられる。でも結果的にあれがあったから高石さんと会えたし、名刺交換できた人もいた。やっぱりあのタイミングで本を出すべきだったんですよね。

そこで恥ずかしいとか、嫌やなっていう経験をしたほうがいいと学んだので、今では仲良くしてもらってる燃え殻さんみたいに、俺よりすごい人や昔から憧れている人との対談も卑屈にならず、楽しめるようになった。知ってもらえるチャンスだから。

運がよかったのは、こだまさんと同じ分野じゃなかったこと。書くものが全く違うので。似ていたら嫌な関係性になったんだろうなって。こだまさんがこの先、何を書きたいのかわからないですけど。

本も最初に高石さんとつくったのはこだまだし、先に週刊SPA!で連載したのもこだま、クイック・ジャパンもこだま。全部こだまさんが突っ込んでくれて、俺がこぼれたところをもらっていってるから、ありがたいですよ。ずっと恩義は感じています」

f:id:tamaokiyutaka:20210421223112j:plain新井薬師の参道に到着。JRの中野駅と西武新宿線の新井薬師前駅の距離は約1.5キロ、徒歩20分程度と歩けなくない

f:id:tamaokiyutaka:20210421223117j:plain家具屋が好きで、棚を見ていると落ち着くと足を止めた。家は島忠のオーダーでつくった棚だらけ

f:id:tamaokiyutaka:20210421223123j:plain中野駅前よりは落ち着いた雰囲気の薬師あいロード商店街。弁当が安い精肉店など魅力的な店が多い

f:id:tamaokiyutaka:20210421223128j:plain天然温泉が湧く中野寿湯温泉。高石さんはサウナが好きすぎて、スーパー銭湯で清掃のバイトをしている

f:id:tamaokiyutaka:20210421223133j:plain爪さんが女性へのプレゼントをよく買うという、バルセロナに本店があるパパブブレという飴屋さん

f:id:tamaokiyutaka:20210421223140j:plainホワイトデーのお返しもここでたくさん買ったそうです

f:id:tamaokiyutaka:20210421223145j:plainおじさん三人でいっても優しく接客してくれる良い店でした。中にチョコレートが入っているリンゴの飴を購入

f:id:tamaokiyutaka:20210421223153j:plain路地をぶらり。じゃりン子チエのはるき悦巳が描く猫になった気分だった

f:id:tamaokiyutaka:20210421223158j:plain廃品回収車スピーカー音量注意

爪さんと高石さん

――高石さんはこだまさんの『夫のちんぽが入らない』の担当編集者であり、爪さんの『死にたい夜にかぎって』『働きアリに花束を』も担当してますけど、お二人とはどこで知り合ったんですか。

高石智一さん(以下、高石):「漫画家のまんきつさんと週刊SPA!で映画の紹介コラムをやっていて、まんきつさんが『アル中ワンダーランド』を出版して忙しくなったから、次に書いてくれるおもしろい人いませんかねって聞いたら、こだまさんと爪さんの名前があがったんですよ。

それで二人のブログを読んで、どっちもおもしろいなと思いつつ、こだまさんに連載をお願いすることにしました。爪さんはなんとなくヤバい感じがしたので。

こだまさんとは連載を始めても、家が遠くて会えずにいて。それで、こだまさんが文学フリマに出店するというタイミングで挨拶しにお邪魔したら、そこに爪さんがいた。腰の低さがヤバかった。

文章がおもしろいのは知っていたので、名刺をお渡しして、なにかできたらいいですねっていう漠然とした話をしました」

爪:「それからバッティングセンターのバイトをクビになって、高石さんに仕事をクビになりましたって連絡をしたら、じゃあ身軽に動けるの?って言われて、日刊SPA!(週刊SPA!のWEB版)に空きがあるからやってみようって。クビですら良いタイミングだったんですよ」

高石:「爪さんは初体験の話とか、めちゃくちゃおもしろかった。ただ『自分の体験』を書いてもらうにしても、注目を集められるほどの知名度が彼にはなかったので、タクシーの運転手さんとのやり取りをベースにするっていう連載を始めました。そのうちタクシーの話よりも同棲していたアスカとのやりとりが好きだって言う人が出てきたから、本にするとき、思い切ってアスカを前に出して、タクシーはなかったことにしようって。それが『死にたい夜にかぎって』です。

――読みましたけど、タクシーはほとんど出てこないですね。

爪:「一回だけ出てきます。よくあるじゃないですか、『連載を大幅加筆修正しました』って。大幅加筆修正どころじゃない、ほぼ書き下ろしですよ」

――でもそのおかげで本が売れてドラマにもなった。そこは編集者の力ですよね。

高石:「僕は無茶ぶりをしたっていうだけです」

爪:「初校で残っている部分はあるんでしょうかってくらいどんどん変わっていて。『私の笑顔は虫の裏側に似ている』っていう書き出しも、3回目くらいの直しでようやく決まった。

タイトルもなかなか決まらなくて。高石さんにゲラを渡したら、『最後のほうに出てくる、死にたい夜にかぎってっていう語感がすごくいいから、これタイトル案の一つですね』って言われて、『高石さんも疲れているんだな、俺そんなこと書いた覚えないのに』って心配したんです。でも読み返したら『書いとる!』って。限界ギリギリで書いた原稿だから、まったく覚えていなかった」

高石:「それまで『虫の裏側』とか呼んでいて」

――印象が全然違う。それだと江戸川乱歩みたいになっちゃう。

爪:「編集、大事ですね。自分の気づかない部分に気づいてくれることがこんなに助かることなんだって。あれが文フリとかで出す自費出版本だったら、『虫男の恋』にしていたと思うんですよ。

高石:「自分で『死にたい夜にかぎって』なんて、恥ずかしくてつけないですよね」

爪:「そのときに人と本をつくるのいいなって思いました。包丁を研ぐみたいに、まず俺が研いだら、編集の人が別の角度から見てもらって、こう研いだほうがいいよって研ぎなおしてくれる。よくなっていくか、ならないかは相性ですよね。今回、それぞれ違う編集者と三冊の本をつくったのは、いい勉強になりました」

f:id:tamaokiyutaka:20210421223204j:plain新井薬師門前に到着。歩いて楽しい通りだったので、この辺りに住んでも中野駅まで行くのは苦じゃなさそうだ

f:id:tamaokiyutaka:20210421223228j:plain新井薬師「梅照院」は『もはや僕は人間じゃない』の舞台イメージをもらった場所。あくまでイメージであり、ここにギャンブル好きのお坊さんがいるわけではない

f:id:tamaokiyutaka:20210421223234j:plain作者本人と巡る、贅沢な聖地巡礼だ

f:id:tamaokiyutaka:20210421223238j:plain本を読んでイメージしていた通りのお寺だった

f:id:tamaokiyutaka:20210421223245j:plain寺を抜けると気持ちのいい公園に出た。ここでいなり寿司を食べましょうか。「中野は公園が多いですね。シムシティでも公園をつくんないといい街にならないから、やっぱり公園は必要。商業地から少し離して住宅地、病院と学校をコンボで人口密度を増やすとすげえいいっす」

f:id:tamaokiyutaka:20210421223252j:plain「ツイッターをやっていて一番うれしかったのは、シムシティの音楽が好きってつぶやいたら、その作曲家御本人からリプライをもらったときですね」

f:id:tamaokiyutaka:20210421223257j:plain梅家のいなり寿司は揚げが大きくてしっかりと甘く、爪さんが勧めるだけの味だった。また中野に来たら買うと思う

f:id:tamaokiyutaka:20210421223302j:plainいなり寿司を一口で食べちゃって、甘さを感じる前に飲み込んでしまったと後悔する爪さん

f:id:tamaokiyutaka:20210421223307j:plain全体的に白昼夢みたいな日だった

――
アスカさんから最後にもらった手紙の「最高に楽しい時間の無駄遣いだったよ」っていう一文が印象的でした。その無駄な時間がこうして本になっているんだなーって。

爪:「アスカからしたら、すごくうまく美化してそのシーンを書いたねって思っているでしょ。お前のがんばりは無駄だったっていう、そこそこの悪意が籠っているすかしっぺ。それを友達によく言われる『なんでもかんでも美化する爪のクセ』で作品に昇華させていただきました」

――最初の本がいきなりテレビドラマ化されるのってすごい展開ですよね。いきなり売れっ子作家じゃないですか。

爪:「よく燃え殻さんとかこだまさんとかと同じ括りにされますけど、あっちは俺の何倍も売れていますから。同列に扱われるとちょっとそれきついぞって。

でもドラマ化されたおかげで、出演してくれた安達祐実さんに会えて幸せでした。『聖龍伝説 LEGEND of St. DRAGON』の話ができて、もうその話やめてーって言われたのが一番うれしかったです」

――そこなんだ。『働きアリに花束を』の、つらい仕事の中にも楽しいことは必ずあるという父親に教えられた姿勢で、文章に落とし込むスタイルもすごく響きました。

爪:「せっかく読んでくれた人に全部をひっくりかえすようで悪いですけど、内職とか日雇いの仕事はまったく楽しくなかったですからね。意地っ張りなんですよ。だからつらい思いをしていたのを人にしゃべるときに、意地でも笑い話にしてやる。

ツイッターでも愚痴を言わないですね。いじけないのを俺のいいところだと黙ってみてくれている人が一人くらいいると思って、今日も言わないようにしようって。愚痴を言う人を否定する訳ではないですけど、俺には向かない。俺がくじけだしたら違いますもんね」

――怪我をしてもサポーターを絶対しない、黒パンツのプロレスラーみたいでかっこいいっす。

f:id:tamaokiyutaka:20210421223328j:plain中野通りの桜を眺めながら中野駅方面へと戻った

f:id:tamaokiyutaka:20210421223334j:plain中野周辺はバスの路線も多いので、うまく使いこなせばより便利に暮らせるそうだ

f:id:tamaokiyutaka:20210421223347j:plain爪さんがお気に入りの薬局へ。飲めばアタマがファーっとはっきりして、気が付いたら仕事が終わって運動場を三周しているという薬を店主に勧められて購入。爪さんも原稿を書くときによく飲んでいるそうだ

f:id:tamaokiyutaka:20210421223351j:plain爪さんと高石さんはタバコにしか見えないタンがよく切れるという医薬品を買った。「会話がしたくなるとここに来ます。自分が住む街にこういう場所を見つけるといいですよ。大人の駄菓子屋みたいなところで、友達を連れてくるとみんな何かを買う。変なのど飴とか」

f:id:tamaokiyutaka:20210421223357j:plain子どもがココアシガレットを嗜むようにタバコ風の医薬品を吸う二人。「この喫煙所に集まる人とは仲良くなれる気がする。中野のパワースポットです」

f:id:tamaokiyutaka:20210421223402j:plain「住んでいる街にオリジンがないときついっすね。生きる上で必須。作り置きの冷えた弁当が好き」と語る爪さん。「ここよりおいしい唐揚げは食ったことがないですね」と頷く高石さん

――しばらくは中野周辺に住む感じですかね。

爪:「住み心地はいいですね。でも昔、ピエール瀧さんが中野は40歳までに出ていかないとダメになる街だって言っていて、もう越えたなって。俺には住みやすすぎるんです。中野で培ったものを別の街で試してみるのも必要なのかな。三茶とかでね」

――まとめて三冊の本を出したので少し落ち着くと思いますが、もう次の出版予定は決まっていますか。

爪:「いやもうね、恥ずかしいお話ですが、最近おもらしばかりするんで、まず体調をなんとかしたいです。三冊連続刊行作業の疲れが思った以上に来ているんですよ。おもらしが癖になってます。すべてが終わったら自分の身体を治す。ペットにパグを飼いたいとか言っている場合じゃない」

――じゃあ次の本はちょっと先ですか。

爪:「でもコロナのせいにしたくないっていうのはあって。コロナでも、もうちょっと笑かしたろうかなっていう気にはなっていますね。作品で救いとかは考えないですけど、笑える部分は絶対書きたいです。これは意地です」

――次回作、楽しみにしています!

f:id:tamaokiyutaka:20210421223407j:plain四季の森公園には家族連れがたくさんいた。「中野は高円寺ほど若い人ばかりじゃなくて、年配者や子どもも多い。いくら本を出してすごいねって言われても、子育てしている人たちのほうがすごいんですよ。俺は家庭を持っていないから自分のことだけしてればいい」

サービス精神が旺盛な爪さんは、ここに書いた以外にもいろんな話をしてくれた。

三回洗濯したらダメになる海外のTシャツ屋、中野のガールズバー事情、スケッチブックを持つ女性への想い、子どものころに手に入れられなかったカードダスが買える店、死んだ兄貴に似ていたのでとごまかすライフハック、給食のマーガリンで食べた雑草の味、アスカが好きな声優の桃井はるこの大ファンがいるバー、夏の夜に取り合いになる寝心地のいい土管、アスカと別れてしばらく野宿した公園、お湯が溜まらない壁の薄いラブホテル、燃え殻さんを古本屋に連れてきたら喜んでたくさん買ったのに五日後のトークイベントで『いらない本』として持ってきたことなど。

今日は晴れてよかった。三人で道端のノビル(食べられる雑草)を食べたのも一生の思い出になった。これまで恋愛だったり仕事だったり家族だったり、自分の実体験を意地っ張りの美学で笑い話へと昇華させてきた爪さんが、過去という引き出しを開けずに完全な創作小説を書くとき、どんな物語を選ぶのかがとても楽しみだ。


【いろんな街で捕まえて食べる】 過去の記事 

suumo.jp

著者:玉置 標本

玉置標本

趣味は食材の採取とそれを使った冒険スペクタクル料理。週に一度はなにかを捕まえて食べるようにしている。最近は古い家庭用製麺機を使った麺づくりが趣味。『育ちすぎたタケノコでメンマを作ってみた。 実はよく知らない植物を育てる・採る・食べる』(家の光協会)発売中。

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