ファッションからDJ、そして「パン屋」に行き着いた私の人生【長野県東御市】

著:平田はる香

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人は自分が思い描くような人生は、多分生きられないんだろう。

 

子どものころになりたいものになれる人間は一握りだろうし、多くの人はなりたいものさえ見つからない。子どものころ、将来の夢を聞かれて何度も無理やり書いたけど、ノートの隙間を埋めるために鉛筆を動かしただけで、そこに何の意味もなかったし、そうなりたいと思って書いたことは一度もなかった。

 

ただこんな田舎にはずっと住むのは嫌だと思っていて、何かがあるだろうと都会に憧れた子ども時代であった。

 

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私は東京生まれ、静岡育ち。

 

その後また上京して、人生の波に揺られるがまま、今は長野県東御市に住んでいる。これまで生きてきたなかで住む場所を主体的に選んだことはほとんどなく、流されるままに今ここに住み暮らしていると言っても過言ではない。文字通り東御市には流れついたと言っていいと思う。

 

もともと家や住むこと、暮らしには全く興味がなかった。そういう家で育ったし、物や人に関心を持つよりも、今思えば自分と徹底的に向き合わされた気がしている。

 

なのに、いつの間にか、家族との暮らしを人生の真ん中に持ってくるような人間になってしまった。なってしまったと後ろ向きな言い回しになったが、悪いわけではない。

 

ただ、あまりにも自分には予想外の人生になったことに驚いていることは確かなのだ。



東御市に流れ着くまで

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静岡の片田舎で育ち、今思えば素晴らしい環境としか思えない状況であったが、当時はそれを知る由もなかったわけで。早く大人になりたいという思春期独特の背伸びした気持ちのままに、東京へ上京したのが19歳。

 

わりかし適当に選んだファッション系の専門学校は意外と面白くて、でも本当にやりたいのは、ファッションじゃないなと漠然と感じながら、ただバイトと学校を往復する生活を続けていた。

 

そんな時に、ふらりと訪れたクラブに衝撃を受け、それから夢中でDJの夢を追い続けた。それから7年間はDJに傾倒して、本当にそれで食べていきたいと必死になっていた時期がある。

 

東京では家を転々としていて、アパートやマンションの更新期限が切れる度に新しい土地に引越すようなことを繰り返していた。ただ、それはいつも受動的で、友達とルームシェアするからとか、家賃が安いとかが理由で、特にどこに住みたいとか自分の強い意志を持って、住んだ場所はあまりなかったと思う。

 

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唯一、主体的に選んで2年弱だけ友人とルームシェアして住んだ場所が、代々木八幡だった。今でも時々思い出す街の風景が懐かしい。渋谷、六本木、新宿、都心のクラブにはほぼ自転車で行けるような距離で、電車の時間を気にすることもなく自由に時間を謳歌することができた。

 

家に帰るとき、必ず通る路地裏に青い木枠のガラスドアが印象的な謎のお店があって、いつも気になって覗き込むのだが何屋か全く分からない。ある日、謎のお店の前でバイクをメンテナンスしているお兄さんがいて「あ、人がいる」と驚いてボッーと見ていると、「夜においで。22時オープンだよ」と声を掛けられた。

 

よく分からないけど、クラブとオープンの時間が一緒だからクラブかもしれないと足を運ぶと、メニューのないバーだった。昼間のお兄さんと、きれいな年上のお姉さんと、ダンディなおじさんが3人で切り盛りしている。ご飯は1000円で日替わり1種類、お酒は全部ワンコインだった。居心地がとてもよくて、時々立ち寄り家に帰る前に1、2杯飲むというリズムが程なく出来上がった。

 

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後に3人は、元彼(ダンディ)、今彼(お兄さん)と、彼女の構成だということが分かったのだが、今彼と元彼が一緒に店を営む関係性が生み出す、不思議なリズムにみんなやられて通ってたんだなぁと思う。

 

広告業界、編集者、宝石商、集まる人はちょっと変わった大人ばかりだった。あれは確か、私21歳。最終的に、お店の人に群馬旅まで一緒に連れて行ってもらいかわいがってもらい、いい思い出になっている。

 

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とにかく、東京は楽しかった。満員電車も排気ガスも高コストも織り込み済みで、全く嫌だと思わなかった。夜になれば、黒で全て汚いものが覆い隠されて、美しいネオンだけが輝いた。そのまま自分は東京の人間になるのだと思っていたし、それが私の人生に違いないと信じていたのだ。

 

 

長野に引越す

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夫が友人だったころ、長野への転勤の命が突然下った。

 

急に呼び出されて下北沢の居酒屋で飲むことになって、2週間後には引越しをしなければならないと、ほとんど泣きながら話す人を励まし続けた。その4年後に自分も長野に引越すことになるとは夢にも知らずに……。

 

彼はほとんど田舎に住んだことがない都会の人だったが、転勤は一時的なものですぐに東京に戻ってくるという話だった。結局、彼はその後一度も東京に帰ってくることはなかった。

 

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時は過ぎ、いつの間にか私たちは友人から恋人になり、なかなか東京に帰ってくることのない人を、追いかける形で長野に引越してきた。2004年、27歳の春である。私たちは程なく一緒に住むことになり、結婚し、子どもを授かった。私は29歳になっていた。

 

子どもを授かると、今までやってきた仕事を全部リセットし、パンと日用品の店を開業することにして、家を建てることを決意した。

 

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私たち夫婦は、いつの間にか長野が好きで好きでたまらなくなって、レコードの代わりに土をいじり、自分たちで食べる野菜をつくり、電子音は小鳥のさえずりに代わり、ネオンは星の輝きに置き換えられ、平穏な暮らしを好むようになっていた。

 

夫は会社を辞めて、地元の企業に転職。長野にいつまでも住んでいられるようにしたのだった。東京の楽しい日々が嘘みたいで、もう思い出すことはほとんどなくなっていた。

 

そして9年後、夫は転職した会社を辞め、私のつくった店(今は会社)に入社することになる。私は38歳。お腹には二人目の子どもをみごもり、上の子は9歳になっていた。

 

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店が軌道に乗りはじめ、産休に入ることでこの勢いを消したくないと一人悶々と悩んでいると、夫が一言「会社辞めるよ、俺がやる」と急に言ったのだった。まさかの発言がうれしかったことは言うまでもない。

 

それから4年が経ち、私は今42歳になって、二人の娘と夫に囲まれて、十数人のスタッフと共に「わざわざ」という会社をやっている。

 

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オンラインストアと実店舗でパンと日用品を販売していて、2017年に株式会社を設立した。DJをやっていた時の自分に、今の状況を教えたらぶっ飛ぶと思うし、小学生だった自分に長野県東御市に住んでいると話したら、タイムマシンに乗って未来を変えにくると思う。

 

それくらい違和感のある人生の選択だったと思うし、だからこそ、今でも自分が描く未来についてはまるっきり信用をしていない。

 

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人間は思い通りの未来を描くことはほとんどできない。だがしかし今、10年前とほぼ変わらない生活を営んでいる。相変わらずパンと日用品の店を営みながら、こうやってその話を書き続けている。

 

「わざわざ」は小さな店から会社に変わり成長しているが、その心は依然として変わっていない。変わること、変わらないものを抱えながら、この先、私たちはこれからもきっと長野県東御市で生きていくのだろう。

 

 

10年間そこにあるもの

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自分が店を営んでいるからこそ、好きな店には通い続けたいという気持ちがある。引越してきて以来、よく行く店はほとんど一緒で、体にその味を刻み続けている。共通しているのは、きれいな味で、いつも変わらずそこにあること。

 

特別な話もしていないのに、顔を見ればお互い笑顔になって、なぜか安心をしてしまう。いつも笑顔でいらっしゃいって、本当にうれしくなっちゃう。いつまでも元気で長く店を続けてほしい。これからも通い続けます。

 

■勝味庵

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トンカツといわし料理の店。イワシの刺身とヒレカツがセットになった勝味庵定食をいつも頼む。イワシの入荷がない日もある。ロースカツ定食も旨い。とんかつ屋のコロッケも旨い。パン粉はパンからつくっているというから驚きだ。

 

■そば茶屋さくら

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おいしいそば屋はありませんか?と店で聞かれたときには、必ずここの店を紹介している。女性のご主人が打つ10割そばは細打ちで、冷たい水で締められていて喉越しと香りが最高だ。

 

■恵比寿家

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引越してきた当初に「かるかや」という、好きなラーメン屋が一軒あった。ドアにたくさんの張り紙をしてあるいわゆるがんこ親父の店だった。私語禁止、子ども禁止、香水禁止、営業日も限られていて、簡単に行ける店ではなかったが、生姜の効いた鶏ガラスープと手打ち麺がおいしかった。

 

その店が閉店しショックを受けていると、別の場所に恵比寿家が開店した。かるかやの味を再現した店だという。張り紙もなく明るい店内で子どもも連れて行ける。ラーメンが食べたくなったらここへ行く。味を受け継いでくれたことに感謝している。

 

■ヴィラデストワイナリー

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お客さまが来ると、必ず案内するのがエッセイスト玉村豊男さんのヴィラデストワイナリーだ。現在、東御市はワイン特区になっておりワイナリーや農園が十数軒点在している。その発端となったのがここだ。玉村さんのご尽力により、ワイン特区になったと言っても過言ではないだろう。おおよそ3000坪の敷地にはワイナリーとレストランカフェ、ガーデン、畑などが点在し、美しい風景を描いている。



東御市は美しい

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東御市は2004年に市町村合併でできた新しい街だ。美しい田園風景に囲まれていること以外は、特筆するべきこともないのかもしれない。何もないと言えば、何もない。だが、その何もない場所がどれだけ日本に残っているだろうか。澄んだ空気、手入れの行き届いた田畑、遠くに見える美しい山々、青い空。私たちが、今、買えないものがここにある。だからわざわざ足を運ぶ必要があるのだ。

 

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著者:平田はる香

平田はる香

(株)わざわざ 代表取締役。
前職は WEB デザイナーをしつつ東京で DJ をやっていた。パン焼きにハマり、元々好きだった日用品の収集と掛け合わせた店、パンと日用品の店「わざわざ」を2009年に開業する。段々とスタッフが増えていったことで、店舗や事業を拡張。2017 年に株式会社わざわざ設立。初年度の決算で売上 1 億 7500 万円。2018 年度も前年度比 1.6 倍で成長中。二人娘の母でもある。

Twitter :@wazawazapan

 

編集:Huuuu inc.

撮影:平田はる香・若菜紘之