「今日はありがとう!徳島、めっちゃ良いところやん!また来たい!」
Uターンして1年。最近、仕事で出会った人や県外に住む友人に徳島を案内することが増えた。喜んでくれた様子で帰る後ろ姿を、見送りながらニンマリする私。
「徳島って、あんまり知られてないけどめっちゃ最高なんだよなー。もっとみんな来たら良いのに!もったいないー!」と思いながら帰路につく。
24歳の私がこんなことを考えていると知ったら、18歳の私は膝から崩れ落ちているだろう。あの頃の私は、刺激や情報、チャンスに恵まれた都会から取り残されているような気持ちにさせられる地元に対して、「早くここから出たい」としか思っていなかったから。
そんな自分がいたことが信じられないくらい、今は徳島での生活を気に入っている。帰ってきてから、地元をどんどん好きになっている。どうして徳島をこんなに好きになれたのか、私はどこを気に入っているのか。そんな話を書いてみようと思う。
まず、徳島は大きく東部・西部・南部の3つのエリアに分けられる。私が住んでいるのは東部エリア。Uターン後も、生まれ育った東部エリアにまた住み始めたのは正解だったと感じている。地元に戻って車を買い、自由を手に入れた私は、この場所を拠点に徳島を縦横無尽に走って遊び尽くしている。どこに行くにもアクセスが良いので、住んでいるのは東部だけど、自分の遊び場や活動範囲は徳島全域だと思えるようになった。
便利でちょうど良い、東部エリア
私が生まれ育ったまち、東部エリア。県庁所在地の徳島市のあるこのエリアは、徳島の中では比較的市街地が多く、生活のインフラが整っていて便利な場所だ。高校生の時は、家から自転車で行ける範囲くらいの狭い世界で生きていたので、まちのことを何も知らなかったけど、大人になってからその住みやすさに気づいた。
中でもお気に入りなのが、いろんな地域に行きやすいところ。県内では、車で1〜2時間走ったら西部にも南部にも遊びに行ける。お隣の香川県の高松市も車に乗って1時間ほどで行けてしまう。
四国の外に飛び出すにも都合がいい。空港や港、高速バス乗り場やICも、私の住んでいるところからは車で20分ほどで着く。関西なら、神戸まで高速バスで約1時間半。東京なら、飛行機で約1時間。
意外とおすすめなのがフェリーで、南海フェリーを使えば2時間ほどで和歌山にも行ける。
ライターとしていろんな場所に取材に行くため、各地へのアクセスの良さはありがたい。
実は、東部エリアだけでも相当広くて地域によっては山間部や小さな集落も含まれていて、全く違う表情を持っている。地方都市的な場所と、静かでのどかな場所との距離感がちょうどいいのもこのエリアの持ち味だと思う。そんな東部の中でも私の好きな場所を紹介したい。
まずは、毎日通勤で眺める吉野川。朝日に照らされて光る水面も、夕陽に染まる流れも、月明かりに揺れる夜も、いつ見ても美しい。数え切れないくらい同じ眺めを見ているのに、毎回「綺麗だな」と目を見張る。この景色に毎日触れられるだけでも、帰ってきた意味があるとさえ思っている。
ちょっとした気分転換に、こんな景色を見に行けることを自慢したい。これは、「鳴門スカイライン」から見える「ウチノ海」と呼ばれる内湾。お気に入りのラジオを聴きながらこの道路を走るのが好き。鳴門に来たら、渦潮や大塚国際美術館に行く人も多いと思うのだけど、ぜひタクシーやレンタカーを走らせて鳴門スカイラインを走って、このウチノ海を一目見てほしい。
徳島の中心部から1時間ほど車を走らせれば、見える景色は様変わりする。上勝町は、東部の中でも過疎化が進む人口約1450人ほどの地域。国内外から注目されている“ゼロ・ウェイスト”というキーワードを通して、このまちの名前を知っている人も多いだろう。
そんな上勝町にある「Cafe polestar」は、豊かな徳島の四季と自然を教えてくれる場所。季節の移り変わりを身体で感じながら、旬の食材をほおばる。そんな上勝の暮らしを五感で体験できるこの店に、四季を慈しむまなざしを教えてもらった。
ここのオーナーの東輝実さんは私の憧れの人のひとり。私と同じくらいの年齢の時にUターンしてきて、このカフェをオープン。生まれ育った上勝で、今も働きながら暮らしている。「Cafe polestar」ができて10年が経つ。その月日を、自分もこれから徳島で生きると思うと、その途方もなさにちょっとだけ不安になることもある。
でも、少し先を行く先輩がいて、いつでも会いに行くことができるから大丈夫。そんな風に思える人に、徳島に帰ってきて出会うことができた。
世界を広げてくれた、西部エリアでの出会い
徳島での暮らしを「大丈夫」と思わせてくれた人たちが他にもいる。そんな出会いがあったのは、西部エリアでのこと。特に、私は美馬市脇町周辺によく足を運んでいて、ここでの出会いが、私の地元への向き合い方を大きく変えてくれた。
一番のきっかけになったのは、「-みんなの複合文化市庭-うだつ上がる」だ。ここは、古着屋や本屋、雑貨店、間借り喫茶などが入居する小さな複合施設。この場所のオーナーで建築家の高橋利明さんは、私が徳島に帰るきっかけになった人のひとり。当時大学生で神戸に住んでいた私はアルバイト先で高橋さんに出会った。その後、高橋さんのFacebookの投稿を見て驚いた。私の地元で、なんだか楽しそうに暮らしている人がいる!
神戸にいた頃の私は、徳島に対してポジティブなイメージを持てていなかった。高校生の頃から「早く地元を出たい」「チャンスは都会にしかない」「好きな仕事は地元ではできない」と思っていた。大学生になってからは、そんな地元に対しておこがましくも危機感を抱いて「自分から動かないと、地元はずっとこのままだ…!いつか帰って何かやらなきゃ!」と思うようになっていた。
そう思っていたタイミングで見つけた高橋さんの楽しそうな投稿の数々。案外、私が思っているほど悪くないのかもしれない。地元に帰っても、好きな仕事をして自分らしく暮らせる気がしてきたのだ。そして、私も高橋さんみたいに自分の好きな生活を実現できたならば、高校生の頃の自分のように悩んでいる若い世代の人に少しでも前向きなメッセージを伝えられるのかも。そんな存在に自分もなれたらいいな、と考えが変わり始めた。
大志を抱いて戻ってきたものの、帰ってきた頃の自分は情けなかった。「楽しくない」「つまんない」「同世代がいない」と文句ばかり言っていた。
そんな時に手を差し伸べてくれたのも高橋さん。実は、当時の徳島には私と同世代の人がたくさんUターンしていたそうで、気の合いそうな人にたくさん繋いでくれた。
その出会いから、同じような未来を見つめる友達がたくさんできた。友達と企画するイベントも生まれた。そのタイミングから、徳島での暮らしが加速度的に楽しくなっていった。
休みの日は、みんなで「うだつ上がる」に集まって、ああでもないこうでもないと言いながらイベントの企画会議をする。用事がない時もフラッと遊びに行けば誰かがいて、雑談をしていたらあっという間に日が暮れている。瞬く間に時間が過ぎた。忙しくも楽しく、充実した日々を過ごす中で、徳島に向けるまなざしも変わっていった。
私は、「もっと暮らしを楽しみたい」と素直に思うようになった。「徳島の課題を解決しよう」と躍起になっていた頃に比べて、まずはもっと自分が楽しむことが大事なんだと気持ちが切り替わった。そう気付いてからは、自分が知らない場所に足を運ぶ回数が増えたと思う。そして、この場所のまだ知られていないポテンシャルを伝えたい、とワクワクできるようになった。
今もほぼ毎週のように東部から車を1時間ほど走らせて「うだつ上がる」に行き、友達がつくったお菓子とチャイを飲みながら過ごす。そんな日々がとても楽しい。
今年の1月にオープンした泊まれる本屋さん「まるとしかく」も、私の心に新しい風を吹かせてくれる場所。神戸から帰ってきて大きなギャップだったのが、独立系書店や古本屋さんの少なさだった。悶々とした思いを抱える中、ここが生まれてどれだけ救われたことか。決して広くはない店内だけど、何周見ても新たな発見がある。また、頻繁に棚が入れ替えられているのでいつ訪れても飽きない。私も、たまにお店番をさせてもらっている。古民家の宿も素敵なので、泊まってみてほしい。「ゆっくり時間を使うこと」という贅沢さを教えてくれる。
どこまでも行ける気がする、南部エリアに広がる海
地元に帰ってきてから、海が好きになった。こんな綺麗な海があるなんて知らなかった。今では、行き詰まった時や考え事をしたい時には決まって南部エリアに車を走らせる。帰り道では、いつもスッキリした気持ちになっている。南部エリアの私のお気に入りポイントは、表情の違う3つの海が見えること。私のいつもの海をめぐるドライブコースを紹介したい。
まずは美波町から牟岐町を通る「南阿波サンライン」へ。徳島市から車で約1時間で行けるこの場所では、ダイナミックな海が出迎えてくれる。崖から見える海には太陽が燦々と降り注ぎ、眩しいほどの水面の青さに私は目を細める。どこまでも広がる自然のスケールは、自分の悩みをちっぽけに思わせてくれる。
さらに南へ30分ほどドライブして牟岐町にある「松ヶ磯」に降り立つ。貝の資料館「モラスコむぎ」のすぐ裏手にあるこの場所で、透明度の高い水を眺めながら腰を下ろしてぼんやりするのが至福の時間。遠くに見える島々の影に四国らしさを感じて愛おしくなる。
さらに南に30分ほど車を走らせ海陽町へ。ドライブの終着点「道の駅 宍喰温泉」の前には、太平洋が広がっている。まっすぐに延びる水平線は、ずっと遠くまでこの海が続いていることを感じさせてくれる。
海を見ていると、どこまでも、どこまでも行ける気がする。この気持ちは、徳島に帰ってきて出会った人たちから教えてもらったことに似ている。
高校生の時は、徳島のことを「自分の可能性を狭められる場所」だと決め付けていた。帰ってきた最初の頃も、「徳島であること」にとらわれすぎていて、狭い世界に閉じこもっていたように思う。
でも、実際はそんなことはなかった。徳島で出会ったかっこいい大人たちは、徳島に軸足を置きながら、活動範囲を県外・国外と広げ、数十年先の日本や世界のことを考えて「今」できることを楽しみながらやっていた。徳島のことを❝足かせ❞と捉えていた私の上を軽やかに飛び越え、私の知らない世界や、できることがまだまだたくさんあることを教えてくれたのだ。彼らの横顔を見ていると、自分のフィールドをすごく小さく捉えていたことに気付かされた。
「そうか、私はあくまで徳島に住んでいるだけで、いつでも出て行ってもいいし、他県の仕事をしてもいい。可能性はもっと遠くに広がっているんだ!自分次第で、できることはもっと増えていくんだ」と思うことができた。「徳島のことを考えないといけない!」と、勝手に自分につけていた重りから解放されたことで、徳島だからこそできる仕事の仕方や、楽しみ方にも目が向くようになった。
世界を広げてくれた人たちのおかげで、ここにいてもいろんな人と仕事ができるようになった。今はそんな生活を心から楽しんでいる。徳島の残したいもの、伝えたいこと、紹介したい人がたくさんできた。
もちろん、徳島に残された山積みの課題は避けて通ることができない。今でも複雑な思いで地元に向き合っている。でも、それと付き合うにはまずは自分への呪いを解く必要があったことに、今更ながら気がついたのだ。
どこへでも行けることを、徳島の人たちと、自然が教えてくれた。この場所を愛して、暮らしながら、仲間たちと一緒にもっと遠くに行けると知った。生まれ育った場所で再スタートして2年目。まだまだこれからだ。
著者:髙木晴香
1998年生まれ。2022年より徳島県にUターンし、地元のタウン誌の出版社に入社しプランナーを務める。2023年より、フリーランスのライター・編集者としても活動を開始。銭湯とドライブが好き。
Twitter:@takagichan98
編集:乾隼人(Huuuu)