浅草も香る田原町【銀座に住むのはまだ早い 第6回 台東区】

著: 小野寺史宜 

家賃5万円弱のワンルームに住みつづけてうん十年。誰よりも「まち」を愛し、そこで生きるふつうの「ひと」たちを描く千葉在住の小説家、小野寺史宜さんがいちばん住みたいのは銀座。でも、今の家賃ではどうも住めそうにない。自分が現実的に住める街はどこなのか? 条件は家賃5万円、フロトイレ付きワンルーム。東京23区ごとに探し、歩き、レポートしてもらう連載です。

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 たぶん、僕は閉所恐怖症だ。高所はそうでもないが、閉所は苦手。病院にあるMRI装置に入るのがこわいと言う人の気持ちがわかる。自分が検査を受けることになったら、足のほうから入っちゃマズいですか? と医師の先生に言ってしまいそうな気がする。

 でも、こぢんまりした町やこぢんまりした都市は好きなのだ。その手の初めから大規模なものなら、狭いほうが好き。例えばパリよりはブリュッセルに行きたいし、ロンドンよりはダブリンに行きたい。

 今回は台東区。

 前回の大田区とは反対に、23区で面積が一番小さいのが台東区だ。上野と浅草という知名度の高い町が二つあるのでそんな印象はないが、実際には大田区の6分の1ほどしかないらしい。23区と安易にひとまとめにしてしまうが、そのなかでの大小はかなりあるのだ。

 その台東区で町をどこにするかは迷った。区が小さいだけに選択肢も少ない。どこも上野や浅草に近いわけだから、家賃も高いはず。

 ということで、その二つのあいだに位置する田原町を選んだ。旧浅草田原町。今は銀座線の駅名として残るのみ。田原町という町はないらしい。

 例によってSUUMOで検索。管理費・共益費込みで家賃5万円のワンルーム。

 無理でした。

 その代わり、駅から徒歩7分で家賃6万円という物件が見つかった。安さゆえちょっと独特な間取りだが、その立地でそれは悪くない。いや、悪くないどころか、上野にも浅草にも歩いていけるというのはそそられる。はい、決定。ゴー!

 と、その前に。

 物件について少し触れる。今回の物件についてではなく、物件全般について。あくまでも私見ですので、いい悪いではありません。念のため。

 まず、何階の部屋にするか。これは悩ましいところだ。

 3階建て以上のアパートだと、1階の集合郵便受箱に郵便物が配達されるので、わざわざ取りにいくのは結構な手間になる。

 2階建てのアパートでも。2階だと、窓にシャッターが付けられていない部屋も多い。僕、シャッターはほしいのだ。たとえ昼間でも寝るときは真っ暗にしたいので。

 1階だと、出入りは楽だが、虫たちの出入りも楽になることが予想される。特に黒くて素早いあの彼らとの自室での邂逅はできる限り避けたい。

 と、まあ、細かいことを言いだせばきりがない。上階だと1階より家賃が高い場合もある。結局は、自分がどの条件を優先するかだ。

 ただ、一つ言えるのは。やはり物件は直接見たほうがいいということ。町も物件も、自分の目で見なければわからない。写真は現場の空気感まで伝えてはくれない。そこは慎重にいきましょう。

 などと不動産屋さん気分を味わったところで、ようやくゴー!

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 6両編成で小さくてかわいらしい銀座線に乗り、田原町駅で降りて外へ。

 微妙な方向音痴ぶりを発揮して一度進む道をまちがえ、10分後にリスタート。計17分でどうにか物件にたどり着く。

 大通りから一本入っただけで静かになる。東京ならではのこの静けさにはいつも驚かされる。ここは東京、との自覚があるから、それにしては静かだ、と感じられるだけで、実はそう静かでなかったりもするのか。

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 物件をあとにしてかっぱ橋道具街に入り、そこを北上。

 自作に『ひと』という小説がある。両親を亡くした主人公の柏木聖輔が、父と同じ料理人を志し、この道具街で三徳包丁を買う。その場面が出てくるわけではないので、執筆の際に訪ねはしなかった。今回が初訪問。

 で、思っていた以上に楽しい場所であることがわかった。

 まさに道具街。調理器具。食器。食品サンプル。店舗装飾品。料理人のユニフォーム。さまざまなものを扱う店がずらりと並んでいる。歩いているだけであちこちに目を奪われ、一軒一軒すべてにお邪魔したくなる。僕は自炊をするわけでもないのにそれ。飽きない。

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 今日は町探索が目的だから素通りするだけだが、いずれまた来よう、と密かに決めて左折。言問通りを西に進む。そして昭和通り手前の清洲橋通りへ。

 その辺りはもう浅草より上野に近い。南下して浅草通りに出ると、そこにあるのが稲荷町駅だ。

 隣駅の田原町へと戻り、左折して国際通りを北上する。

 国際通りと言えば沖縄のそれが有名だが、ここも有名は有名。松竹歌劇団が本拠地としていた国際劇場が通り沿いにあったため、その名になったらしい。

 松竹歌劇団も国際劇場も、今はもうない。4千人近く収容できたというその劇場で華やかなレビューを観てみたかったな、と、跡地にある浅草ビューホテルを横目に思う。

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 こんなふうに、昔ここに何々があった、と考えるのは、楽しくて、ちょっと悲しい。

 時は経ってしまう。50年だって、経てばその50年という一言で簡単に片づけられてしまう。不動産。土地は動かない。そこで人が動くだけ。土地はなくならないが、人はいなくなる。そこに悲しさの源があるのかもしれない。

 悲しい悲しい言いながら、国際通りを渡り、浅草花やしきへ。

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 行こう行こうと大学生のころから思いつづけている花やしき。もし田原町に住んだら、そのときこそ本当に行こう。改修前のあらかわ遊園で当時最も遅いと言われていたローラーコースターに乗ったからには、ここで日本現存最古のローラーコースターにも乗らなければなるまい。

 子ども向けの遊園地ではあるが、この花やしきなら、50すぎのおっさんが一人で行っても許されるような気がする。あぁ、花やしきに一人で来る50すぎのおっさんなのね、と思ってもらえるような気がする。って、誰に?

 今日は外から眺めるだけにとどめ、花やしきを離れる。この辺は観光地としての浅草。カラフルな着物を着た若い女性や人力車を見かける。

 浅草寺の気配を感じながら、居酒屋が軒を連ねるホッピー通りを南下する。昼から楽しく飲めそうな場所だ。

 煮込み、おいしいですよ~、と店員さんに声をかけられ、煮込み、おいしいんだろうなぁ、といくらか揺らぎつつも我慢して通りを抜ける。

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 でも我慢するのはお酒だけ。ここでランチタイム。

 お店の看板に書かれたその文字を見て即決。今日は釜めしだ。

 釜めし春さんに入店。五目釜めしを頂く。メニュー写真を見て、おっと思った玉子焼きも頂く。どちらもおいしかった。

 その後は、またも浅草寺の気配を感じながら東に進み、隅田川へ。

 多摩川を訪ねた前回の大田区編で、隅田川はこれから行く可能性がある、と書いたが、早くも来てしまった。

 江戸川も荒川も多摩川も好き。でも東京を代表する川はやはり隅田川なのだろうな、と思う。

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東京放浪』を書いたとき、僕は取材のために日本橋から小型水上バスに乗った。日本橋川・神田川めぐり、という小ツアーだったが、隅田川にも出た。いつもの、町から見る川、ではなく、川から見る東京、がとても新鮮だった。

 その隅田川を、隅田公園から眺める。夏には隅田川花火大会がおこなわれる公園だ。左方には言問橋も見える。

 言問。こととい。いい名前だ。平安時代に在原業平が詠んだ歌からきているらしい。字面もいいし、音もいい。カッコいいし、美しい。橋や通りにその名前を付けた人に何らかの賞をあげたくなる。

 少し歩いてその言問橋に立ち、対岸の東京スカイツリーをしばし眺める。それから江戸通りに入り、東武浅草駅の横を通る。

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 浅草という名の駅は四つある。東武鉄道と東京メトロと都営地下鉄とつくばエクスプレスのそれだ。四つもあるのに、JRの駅はない。僕が好きな銀座同様、東京の名高い町としては珍しい例だろう。

 と、こうも浅草浅草言ってしまうと、自身、今回は田原町回ではなく浅草回だと錯覚しそうになる。いや、もっと広く、まさに台東区回か。

 そこで今一度地図を見る。

 確かに台東区は小さい。北に三ノ輪駅があり、東に浅草駅があり、南に浅草橋駅があり、西に上野駅がある。ゆったり半日散歩、で区全体をひとまわりできてしまいそうだ。

 地図上のJR上野駅と鶯谷駅を、近っ! と思ったので、検索してみた。駅間900メートル、徒歩11分、と出た。徒歩11分て。それ、駅から駅じゃなく、駅からアパートの距離でしょ。

 でも鶯谷の次、お隣荒川区の日暮里駅と西日暮里駅間は、わずか500メートル、徒歩7分。ここが山手線内で最も短い区間だそうだ。

 ちなみに、最も長い区間は、品川駅と大崎駅間。かつては品川駅と田町駅間だったが、高輪ゲートウェイ駅ができたことで順位が変わったという。

 それにしても。山手線はすごい。ひたすらぐるぐるまわる電車なんて、大都市以外には存在し得ない。事実、日本でそれをしているのは山手線と大阪環状線だけらしい。

 今やっているこの企画は、23区ならどこに住むか、家賃5万円ならどこに住めるのか、というものだが、範囲をより狭め、山手線環内ならどこに住むか、家賃5万円で住めるとこはあるのか、いくらならどこに住めるのか、という企画をやってみたいような気もする。

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 さて、田原町に戻り、コーヒータイム。

 駅の近くにあるfrom afarさんに入る。思いのほか広く、きれいな店だ。若いお客さんが多い。

 その若さに煽られ、ついついマキアートを注文した。背伸びをするおっさん。ちょっと恥ずかしい。でもおいしかったから、よしとした。

 この田原町に自作の登場人物は誰も住んでいない。が、台東区ということなら、三ノ輪に『その愛の程度』の高橋成恵が住んでいた。この田原町にも誰かしら住ませたいな、と今は思っている。

 小さな小さな台東区。その真ん中よりやや東南にひっそりとある町。今は駅名としてのみ存在する田原町。

 侮れない。


『銀座に住むのはまだ早い』第7回は「豊島区」へ。5月末更新予定です!



過去の記事

suumo.jp

著者:小野寺史宜(おのでら・ふみのり)

千葉県生まれ。2006年、『裏へ走り蹴り込め』でオール讀物新人賞を受賞。2008年、『ROCKER』でポプラ社小説大賞優秀賞を受賞。『ひと』で2019年本屋大賞2位を受賞。著書は『ひりつく夜の音』、『縁』、『食っちゃ寝て書いて』など多数。エッセイ集『わたしの好きな街』(監修:SUUMOタウン編集部)では銀座について執筆した。

写真提供:著者

編集:天野 潤平