一人出版社として「阿佐ヶ谷書院」を営む島田真人さんに、阿佐ヶ谷(阿佐ケ谷駅周辺)の魅力を教えてもらった

JR新宿駅から高尾方面行きの中央線に乗り込めば、中野駅、高円寺駅、阿佐ケ谷駅、荻窪駅、西荻窪駅、吉祥寺駅。独自のカルチャー色を持った街が続いており、そこに住んでいる人々は自分が暮らす街に強い愛着を持っている印象だ。

今回訪れたのは阿佐ケ谷駅。外国料理に関する本を得意とする「阿佐ヶ谷書院」という出版レーベルを一人で運営している島田真人さんに、レーベル名にしたくなるほどの阿佐ヶ谷の魅力、そして阿佐ヶ谷書院の成り立ちを伺った。

ちなみに街の総称は「阿佐ヶ谷」、駅名は「阿佐ケ谷」、地名や住所は「阿佐谷」と表記するそうだ。

上石神井生まれ、中央線カルチャー育ち

昼過ぎに阿佐ケ谷駅前で島田さんと待ち合わせて、街を案内してもらいながら話を伺った。

島田さんとはカレー関係のイベントで知り合い、何度もインド料理やネパール料理を食べたりしているが、二人だけで会うのは初めて。

大きな木が印象的な阿佐ケ谷駅南口のロータリー

――島田さんは阿佐ヶ谷生まれなんですか。

島田真人さん(以下、島田):「生まれは練馬区の上石神井です。だから最寄駅は西武新宿線だけど、上石神井は中央線も近いから、小学生の頃から自転車で吉祥寺とか西荻窪によく行っていました。

それが中学生になると、だんだん荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺、中野あたりまで足を延ばすようになった」

――吉祥寺から中野が遊び場だったんですね。まさに中央線カルチャー育ちだ。


西武新宿線とJR中央線は並行に走っており、島田さんはその間で生まれ育った©Google

島田:「高校は西武新宿線の上井草駅の近くだったけど、電車で新宿や渋谷に行くよりも、友達と自転車で中央線沿線に行くほうが断然多かった。だから僕の文化圏は中野から吉祥寺までで完結している。

ちょっとマイナーな音楽とか漫画が好きだったから、中古レコード屋とか古本屋とかを巡ったりしてましたね。東京生まれだけど六本木とか中目黒とかは全然詳しくなくて」

――ちなみにどういう音楽を聴いていましたか。

島田:「一番好きだったのは近田春夫さんなんです。近田春夫&ハルヲフォン(1972年結成~1979年解散、2006年再結成)とか、近田春夫&ビブラトーンズ(1981年結成~1984年解散)とか。僕が1971年生まれだから、全然リアルタイムの世代じゃなくて、あと追っかけ(昔の音楽を追いかけて聞くファン)で聴いていた。

他にはザ・ファントムギフトとか、戸川純さんとか、ななきさとえさんとかいろいろ。そういう音楽って普通のレコード屋さんに行ってもなかなか置いてないから、中古レコード屋巡りが楽しかった」

――テレビに出ているような人気バンドの新譜を買うのではなく、昔の知る人ぞ知るバンドを掘り下げて中古盤を探して買うタイプの音楽ファンだ。私もちょっとやっていました。

島田:「漫画は江口寿史先生が大好きで、吉祥寺に実在する『コーヒートーマス』っていう喫茶店をネタにする漫画もあったので、その店に行ったりもしていましたね」

――今でいう聖地巡礼。

島田:「楳図かずお先生も大好きで、吉祥寺で何度もお見かけしました。僕が住んでいる場所が中央線に近かったからそういう漫画を好きになったのか、好きな漫画家が中央線に縁のある人だったのか。まあ両方だと思うんですけど」

阿佐ケ谷駅周辺には、スターロード、一番街、かわばた通り、いちょう小路などの魅力的な飲み屋街が無限に広がっている

阿佐ヶ谷は住みやすい街

――阿佐ヶ谷に住みだしたタイミングはいつですか。

島田:「確か26歳の時だから、もう30年近く前。阿佐ヶ谷の中で一回引越しをしているけれど、ずっと阿佐ヶ谷です。

でも最初から阿佐ヶ谷に住もうと思っていた訳ではなくて、一人暮らしをするときに中野から吉祥寺ぐらいで探してたら、高円寺の不動産屋さんから『その条件ならこんな物件もありますよ』と、高円寺駅よりも阿佐ケ谷駅に近い物件を紹介してもらったんです」

――たまたま阿佐ヶ谷だったんですね。住み心地はどうでしたか。

島田:「すごく住みやすかったですよ。何が中央線カルチャーかって言われると難しいんですけど、そういう感じの本とかレコードとかが手に届く。やっぱりサブカルが好きな人にとっては憧れの街じゃないですか。

三善里沙子さんの『中央線の呪い』(扶桑社文庫)という本が好きなんですけど、それを読めば中央線沿線とはどんなところかが少しわかるかと思います。

阿佐ヶ谷は吉祥寺とか西荻ほど詳しくなかったんですけど、だからこそ毎日のようにいろんなお店を巡るのが楽しかった」

――確かに開拓しがいのある街っぽいですね。日々新しい発見がありそう。おすすめのお店を教えてください。

島田:「ネパール料理だったら『マティナダイニング』によく行きます。他にも『シバダイニング』、『エベレストダイニング(&バー)』ってあるんですよ」

――阿佐ヶ谷のネパール料理店はダイニングがつくんですね。

島田:「荻窪と阿佐ヶ谷にはネパール政府公認の学校(エベレスト・インターナショナルスクール・ジャパン)があるから、この辺はネパール人がすごく多い。カレー屋だけでなくコンビニやスーパーなどでもネパール人がたくさん働いていて、彼らがいなくなったらこの街は確実に回らなくなるんじゃないかな」

――確かにそうですよね。街を歩いていても、外国人が自然と融合している感じがします。

当たり前のように日本人と外国人が共に暮らし、共に働いている

島田さんがよく行くというネパール人が経営する食材店「エベレストスパイス&ハラールフード」。在日ネパール人の生活を支える化粧品や日用雑貨なども幅広く揃っている

島田さんにレトルトカレーを選んでもらった

島田:「ネパール以外にも、南インド料理だったら『プラバート』、スリランカ料理なら『FukuLan』とか。タイ料理は居酒屋風の『ダオタイ』に、東京で五本の指に入る老舗の『ピッキーヌ』。イラン・ペルシャ料理の『ジャーメ ジャム』もおいしいですよ。

魚が食べたくなったら『おさかな食堂』。和菓子だったら『たおや』や『菓人結人』があるし、かき氷の気分なら『ちもと』ですね。

サンドイッチは『Sandwich Store Laugh』のプレスリーが愛したというピーナッツバターとバナナとベーコンを挟んだエルビスサンドが好きだったんですが、最近メニューからなくなっちゃって残念なんです。でも他のサンドイッチもおいしいです」

――あー、もう全部行きたい!

タイ屋台居酒屋の「ダオタイ」もよく行く店とのこと

島田:「カフェは気分によって行く店を変えています。階段を上った3階にある隠れ家的な『COFFEE&BAKE achoo!』、ボーっとしたいときに最高の『カフェドゥワゾー』、ガロ系漫画のイベントとかもやっている『よるのひるね』とか。

僕はお酒をやめてしばらく経ちますけど、飲み屋だったら『四文屋』とか『つきのや』とか『越川』とか、それこそどれだけあるのかっていう感じ。阿佐ヶ谷なら自分の好きな店が絶対見つけられる。

学生の頃に住むよりも、社会人になってお金の自由が利くようになって住むのがいいかもしれないですね」

――阿佐ヶ谷での一人暮らし、絶対楽しそう(妄想中)。

夜にしか営業していない喫茶店の「よるのひるね」もお気に入りの場所

島田:「普段の買い物だったら、北側に西友とヨークフーズがあります。この二軒は阿佐ヶ谷住人の冷蔵庫ですよね。南側に行けばピーコックストアとかアキダイもあるし。

駅前から青梅街道までずっと続いている阿佐谷パールセンター(アーケードの商店街)は、良くも悪くもチェーン店も充実している。昔から阿佐ヶ谷に住んでいる人はチェーン店が増えたことを嘆いていて、僕もそう思わないではないけど、やっぱり暮らす上では便利ですよ」

――昔ながらの個人商店も魅力的ですが、徒歩圏内にドラッグストアと100円ショップとファストフードはあってほしいですよね。

北口ではヨークフードと西友がしのぎを削っている

南口から青梅街道まで延びている阿佐谷パールセンター

島田:「カルチャー的に楽しいところだったら、トークライブハウスの『阿佐ヶ谷ロフトA』、映画館の『ラピュタ阿佐ヶ谷』、その地下にある小劇場の『ザムザ阿佐谷』、ZINEを扱っている『ポポタム(以前取材した店が南阿佐ヶ谷に移転した)』、古本の『古書コンコ堂』とか」

オーナーが阿佐谷パールセンターの雰囲気を気に入って物件を決めたという「阿佐ヶ谷ロフトA」。私も演者や客として来たことがあり、ネオン輝く看板の下の階段を降りていくときの緊張感が好き

系列店である新宿歌舞伎町の「ロフトプラスワン」とは少し違った雰囲気を持ったトークライブハウス

「阿佐ヶ谷の商店街だからこの店が受け入れられている。子どもたちが『いつかあの階段を降りてみたい』と思える場所、すべての文化を尊重する場所でありたい」と語ってくれた中野生まれの齋藤航店長。島田さんと「独立系出版社のイベントをやりましょう」と盛り上がっていた

阿佐ヶ谷ロフトAの少し先にある階段を上がったところにあるのが、「mogumogu」というカフェバー

中国からやってきたmoguさんが、音楽を通じて日本と中国の橋渡しをしている

店の奥にはライブスペースがあり、日本、中国、ヨーロッパなどのアーティストが演奏をしているそうだ

――ざっくり中央線カルチャーと言いがちですけど、阿佐ヶ谷は阿佐ヶ谷独自の香りがしますね。

島田:「僕が紹介する場所がちょっと偏っているのかも。でもロックのイメージが強い高円寺とは違うし、ちょっと落ち着いた雰囲気の荻窪とも違う。まさに阿佐ヶ谷はその中間なのかもしれない。

阿佐ヶ谷神明宮という立派な神社もすごくいいですよ。漫画『ひらやすみ』(ビッグコミックス)にも出てくる釣り堀の寿々木園は今や阿佐ヶ谷のランドマーク。誰にとっても暮らしやすいんじゃないかな」

線路沿いにある杉並区立阿佐谷地域区民センターは、広々とした屋上がぼんやりするには最高の場所だった

――たまたま住み始めた阿佐ヶ谷でしたけど、この街に住んで正解でしたか。

島田:「良かったと思います。高円寺の人は高円寺が好き、西荻の人は西荻が好き、阿佐ヶ谷の人は阿佐ヶ谷が好きというだけの話かもしれないけど。

一人暮らしを始めた場所から引越したときも、また阿佐ヶ谷で物件を探して、高円寺寄りから荻窪寄りの阿佐ヶ谷に移っただけ。もし次に引越すとしても、家賃さえクリアできればやっぱり阿佐ヶ谷がいい。もう阿佐ヶ谷書院という看板も背負っちゃっているし(笑)」

駅前に当たり前のようにある書店、八重洲ブックセンター阿佐ヶ谷店

阿佐ヶ谷という街の雰囲気をなんとなく掴んだところで、数年前に閉店した「書楽 阿佐ヶ谷店」を引き継いだ「八重洲ブックセンター阿佐ヶ谷店」へと向かう。

書楽の最後の店長だった人であり、今も八重洲ブックセンターに勤める石田充さんから話を伺った。

南口のロータリーに面した場所にある「八重洲ブックセンター阿佐ヶ谷店」

――阿佐ヶ谷の老舗書店が廃業して、別の書店が引き継いだというニュースは話題になっていましたね。

石田充さん(以下、石田):「『書楽 阿佐ヶ谷店』はこの場所で40年以上の歴史があった書店で、私は25年くらい働いていました。

赤字経営が続いたという訳ではなかったのですが、諸々の事情で2024年1月に閉店することになった。そこからいろいろな人が動いてくれて縁が繋がって、『八重洲ブックセンター阿佐ヶ谷店』として再オープンすることができました。

営業を終了しますって発表したときは、地元の人たちがすごく心配してくれて。たくさん本を買っていただいたり、クラウドファンディングで資金を集めましょうって提案してくれる方までいたり。本当に阿佐ヶ谷の人たちのありがたみを感じました」

島田:「僕も心配しました。阿佐ヶ谷の駅前から本屋がなくなるのは嫌でしたから」

石田:「この店は阿佐ケ谷駅周辺では唯一残っていた書店。階段やエスカレーターで昇ったり降りたりする必要がないので、年配の方も多く来てくれます。そういったお客様たちが、これからどうやって本を買っていけばいいんだろうっていうのはすごく思いました」

――本屋は文化的インフラですよね。駅前に書店が当たり前のようにあることの大切さ。

「書楽 阿佐ヶ谷店」から「八重洲ブックセンター阿佐ヶ谷店」へと移った石田さん

石田:「多くの人にとって、本屋に寄るという行動が生活の中のルーティンになってる。おこがましい考えなんですけれど、例えば仕事からの帰り道に書店が開いてるだけで、相当の癒やしになるって僕は思っていて」

――お酒を好きな人が、1杯飲んで気持ちを切り替えるみたいな。

石田:「まさにそう。私はお酒飲まないので、余計そう思うのかもしれません。

今はネット通販とかもありますが、こうやって現物が並べられてる中から見つけるっていうおもしろさもありますよね。今夜読む本をこの中から選ぶっていうのが楽しい。

だから仕事帰りに寄ってもらえるように、書楽時代は深夜24時まで、今も23時まで営業しています。その分スタッフは大変なんですけど。私も本屋が好きだったので、地元にこんな本屋があったらいいなって思える店を目指しています」

――阿佐ヶ谷ならではの品揃えというのはありますか。

石田:「私は地方から上京してきたのですが、ここに勤め始めたとき、やっぱり中央線カルチャーみたいなものをビンビンに感じて。具体的にうまく説明できないのですが、60年代、70年代のテイストを持ったカルチャーですかね。

中央線の中でも各駅ごとに雰囲気が違う訳ですよ。阿佐ヶ谷は高円寺とも吉祥寺とも荻窪とも違う。じゃあ阿佐ヶ谷らしさってなんだろうっていうところで、いろいろ模索しながら今もやっている感じです」

阿佐ヶ谷書院の最新作である、サラーム海上さんの『グローカル・フーディー・ツアー』も並んでいた

――この店ならではの売れ筋の本を教えてください。

石田:「阿佐ヶ谷が舞台の漫画がいくつかあって、よしながふみさんの『きのう何食べた?』(モーニングKC)、近藤聡乃さんの『A子さんの恋人』(HARTA COMIX)は長く売れています。

近藤さんはニューヨーク在住なのですが(『あき地』というサイトで『ニューヨークで考え中』を連載をしている)、たまたま訪れた阿佐ヶ谷を気に入ってくれたみたいで、漫画の中にこの店も登場しているんですよ。書楽時代にはサイン会もやっていただきました」

――近藤さんに関する展示もたくさんあって、ファンにはたまらない空間ですね。

石田:「真造圭伍さんの『ひらやすみ』(ビッグコミックス)は、今この店で一番売れている本。本当に老若男女に買っていただけて、普段は漫画を読まないであろうご年配の方とかも、阿佐ヶ谷が舞台ならと手に取ってくれています。

だからこの店は、よしながさんや近藤さんや真造さんのように、阿佐ヶ谷を愛してくれている作家さんの作品に助けられているという一面もあるんですよ」

――漫画の中に知っている場所が登場したらうれしいですよね。

店頭に貼られた『ひらやすみ』の巨大ポスター

石田:「ちなみに私は真造さんの連載デビュー作だった『森山中教習所』(ビッグコミックス)を読んで、この作家さんはすごいなと思って、単行本がでるとすぐ平積みにしていたんですよ。

そうしたら小学館に行く用事があった時、たまたま打ち合わせで来ていた真造さんを編集者の方から紹介していただいた。

また真造さんがお客さんとして本を買いに来てくれたりもしていたっていう中で『ひらやすみ』が始まったから、僕的には思い入れがすごく強かった」

――そんな縁があったとは!

石田:「ポスターなどを貼らせてもらっていますが、阿佐ヶ谷が舞台だからプッシュしているだけではないというのは言っておきたいですね(笑)」

島田:「僕も『ひらやすみ』は新刊出るたびに、ここで買っています。漫画に阿佐ヶ谷のいろんな風景、お店が出てきたりするのを見つけるのも楽しいです」

ずっと裏方仕事をしたかった

ここからは個人的な興味になるのだが、島田さんが阿佐ヶ谷書院という出版社を立ち上げることになった経緯を伺った。

ちなみに阿佐ヶ谷書院から阿佐ヶ谷に関する本は、今のところ一冊も出ていない。

ネパール料理店の「MATINA DINING」にてインタビュー

――最初に就職したのが出版社だったのですか。

島田:「大学は八王子のほうに実家から通って、割と堅めの会社から内定をもらっていたんだけど、ちょっと家族の事情もあってその会社に行けなくなってしまった。そんな卒業直前の2月に、新聞広告で近田春夫さんが過去に所属していた憧れのインディーズレコード会社の求人を見つけちゃったんですよ」

――運命が転がりだす瞬間だ。新聞広告というのが時代ですね。

島田:「新卒募集じゃなかったんだけど、ダメ元で応募したら運よく採用してもらえて、そっちに行くことにしたんです。社員が10人ちょっとの会社で、当時はパール兄弟のサエキけんぞうさん、スケボーキングとかが所属していました」

ネパール人によるネパール人のためのネパール料理店のようだが、お得なランチを食べに来たり、夜にお酒を飲みに来る日本人客も多いそうだ

――そこでどういう仕事をしていたんですか。

島田:「カッコよく言うと制作宣伝部所属。新人のペーペーなので、とにかく社長とかからの指示で動いていました。

大きい会社はまた違うんでしょうけど、そこは自分が担当したアーティストのレコードは自分で売れっていう感覚だったから、雑用全般をやりました。

レコーディングについていって楽器を片付けたり、レコードのジャケットとかライナーノーツを作るために印刷会社やデザイナーとやり取りをしたり、音楽雑誌の出版社にデモテープを送ったり、レコード屋を回って置いてもらったり、ツアーがある時は物販とか車の運転もして」

――わー、大変そう。自分がアーティスト側に行こうとは思わなかったんですか。

島田:「高校の頃にちょっと遊びで楽器とかやってはみたけれど、自分は才能がないとわかっていたので、裏方仕事がやりたいなと前から思っていた。

裏方気質なんですよ。今日はこうして一生懸命しゃべっていますけど、表に出るのが似合っていないんですよね。

すごい人ならいっぱいいるじゃないですか。そういう人の神輿を担ぎたい。学生時代から僕が興味を持つのは、一般的な知名度がまだ低い人が多いので、僕がやらなければいけないんじゃないかって。変な使命感なんですけど」

――なるほど。

島田:「だからレコード会社の仕事そのものはおもしろかった。ミーハーですけど憧れの人にもたくさん会えたし、毎日が刺激的だった。でもその生活を続けるには限界があった。2年で退職しましたけど、まさに青春だったんじゃないかな。

一人で作って一人で売るっていう今の仕事の形は、この時代に感覚として学ばせてもらいました。レコード会社と出版社では全然違うけれど、実務的な話ではなく生き方として」

タカリセットをポークカレーで注文。島田さんが推薦する店だけあって本当においしくて、インタビュー中なのにライスをおかわりしてしまった

――そのあとはどちらへ。

島田:「阿佐ヶ谷に本店があった書原(しょげん)という書店の新宿店で働きました。阿佐ヶ谷で一人暮らしを始めたのはその書店員時代。

音楽が好きだからレコード会社に勤めて、その次は本が好きだから本屋に勤める。自分の趣味を仕事にするのは良くないっていう考えもあるし、実際そうだなと思うことも多かったけど、どうせ働くならやっぱり好きなことがいいなと。

接客とか返品対応とか一通りの仕事をやるんですけど、その中でもガロ系(青林堂の漫画雑誌)とか太田出版とかのコミックを自然と任されるようになってましたね。別に担当という訳ではないんだけど」

――島田さんの体から中央線カルチャーが滲み出ていたんですよ。

島田:「それから2年後に今度は普通の会社へ転職しました。ただ、普通の会社にいると自分が向いていないなって思ってしまう。居場所がないなって。

それで会社で働きながら、カレー屋の紹介や店主のインタビューをするミニコミを作って文学フリマで売ったり、阿佐ヶ谷ロフトAで『印度百景』というインド好きが集まってトークするイベントを企画したりしていました。

水野仁輔さんが司会で、ゲストにタブラ奏者のU-zhaan(ユザーン)さんとか、『ガンジス河でバタフライ』のたかのてるこさんなどに出てもらって。かれこれ15回くらいやったのかな」

――本業ではなかなかできないジャンルの仕事を、趣味としてやっていたと。

島田:「2010年頃からマサラワーラー(日本人インド料理ケータリングユニット。メンバーの鹿島さんのインタビューはこちら)にイベントの料理を出してもらっているうちに、南インドの料理とか文化を紹介する本を出せないかと相談されたんですよ。

僕もぜひそれを読みたいと思ったから、いくつか知り合いの出版社に企画を出したけれど、当時の日本ではまだ南インドのことがほとんど知られていないこともあって、著者の実績や類書がないからと断られてしまった」

どこでも南インド料理を作るマサラワーラー

――その頃だと、インドといえばガンジス川とかタージ・マハールみたいな、北インドのイメージしかないかも。

島田:「インド本という括りの一部に南インドを入れる形なら出せたのかもしれない。でもそれだと物足りない。僕も頑固なところがあるし、南インドを好きな人が一定数いるのはわかっていたから、じゃあ個人で出しましょうという流れになって」

――誰もやらないなら俺が一人でやってやるぞ。

島田:「出版社を言いくるめられるだけのトーク力があれば、そっちから出せたのかもしれないけど、そういうのが苦手だったから。

その前にやったミニコミ作りが楽しかったというのもあって、会社員を続けながら『阿佐ヶ谷書院』という屋号で出版社を立ち上げて、ISBN(国際標準図書番号で書籍の流通に必要)を取得した。

2014年にマサラワーラーと井生明・春奈さんの共著で出したのが『南インドカルチャー見聞録』です」

井生明・春奈&マサラワーラー著「南インドカルチャー見聞録」。重版を重ねて現在も発売中

――まだ一人出版社が少なかった時代に、自分の本を出すためではなく、読みたい本のために出版社を立ち上げるってすごいパワーですね。私も持っていますけれど、この本が阿佐ヶ谷書院の1冊目だったんだ。

島田:「デザイナーに頼んだり、流通方法を調べたり、お金の計算をしたり、そういう裏方仕事が好きなんですよね。仮に出版社という組織の中で作るよりも、著者と読者だけに向き合って自分で全部やるほうが楽しいと思えた。

おかげさまで赤字にならなかったけれど、これだけでご飯を食べて行けるかといったらまったく食べてはいけないので、それからも真面目に会社員は続けていました。そんなに出したい本がポンポンあった訳でもなかったし」

――2冊目はどんな本を出したのですか。

島田:「2018年に『MEALS READY』という南インド料理のミールスをテーマとしたミニコミっぽい本を出して、2019年に『日本の中のインド亜大陸食紀行 』を出版しました。

著者の小林真樹さんは『アジアハンター』というインドなどの食器や調理器具の輸入販売をしている人で、最初は『印度百景』に出てもらおうと思ったんだけれど、あっさり断られた。人前に出たくないって」

アジアハンターの小林真樹さん

島田:「でもそれからちょくちょく会うようになって、神戸で大きめのインド関連イベントがあったときに小林さんが現地で手伝ってくれる人を探していて、たまたま前日に別件で京都にいたから、僕でよければって立候補したんです。

そのときの小林さんがすごかった。まさにカルチャーショックでしたね。インド人を相手にヒンディー語で普通に会話しているし、食器だけでなくインド料理にもものすごく詳しい。

そういう衝撃的な現場が何回か続いて、小林さんに本を出す予定とかないんですかって聞いたら、ないっていうから阿佐ヶ谷書院からオファーをさせていただいた」

こうしてできあがったのが小林真樹「日本の中のインド亜大陸食紀行」。すごいボリューム!

――それまで小林さんはSNSでの発信くらいで、ウェブサイトや雑誌で連載をしていた訳でもないのに、出来上がった本がこのボリューム。しかも内容が濃い。すごい人を発掘しましたよね。

島田:「大手出版社から出す本と比べたら全然ですけど、すごく売れて重版もかかった。自分がやりたいのはこういうところなのかなって。

SNSとかを見ていても、こんなおもしろい文章を書ける人が、なんでまだどこからも声が掛かっていないんだろう、じゃあ僕がやるしかないかなと思ってしまう」

――裏方魂に火が付くと。

島田:「阿佐ヶ谷書院はインディーズレーベルだと思っているんですよ。同人誌とかZINEみたいなISBNのない本ではなく、なかなかメジャーでは出せないようなテーマの本をちゃんとISBNをつけて書店で流通できる形で発表する。

それは著者側の希望でもあるし、僕としてもそうしたかった。出版社ごっごがしたかったのかもしれないけど」

――尊い仕事だと思います。もう勤め先は退職されたんですよね。

島田:「2022年に退職しました。ちょうど50歳になったタイミングだったし、仕事も落ち着いたところだったので。ちょっとした早期リタイヤです。

マサラワーラーのレシピ本、小林さんの2冊目、Twitter(現 X)で知った岡崎伸也さんがトルコの食文化を紹介する『食で巡るトルコ』などを出しましたが、まだこれだけで生活できる訳ではないから、フリーとして編集を請け負ったり、たまに短期のバイトをしたりもしています」

岡崎伸也「食で巡るトルコ」も圧倒的なボリュームと情報量

――こうやって話を聞くと、いろいろな回り道をしつつも今につながっていますね。

島田:「学生時代から芯の部分はずっと変わっていないんですよ。だから僕は今後も裏方として、『最初に見つけて応援する係』なのかなと思っています」

 

■阿佐ヶ谷書院

著者:玉置 標本

玉置標本

趣味は食材の採取とそれを使った冒険スペクタクル料理。週に一度はなにかを捕まえて食べるようにしている。最近は古い家庭用製麺機を使った麺づくりが趣味。同人誌『芸能一座と行くイタリア(ナポリ&ペルージャ)25泊29日の旅日記』、『伊勢うどんってなんですか?』、『出張ビジホ料理録』、『作ろう!南インドの定食ミールス』頒布中。

Twitter:https://twitter.com/hyouhon ブログ:https://blog.hyouhon.com/