帰る場所を失った私が新しい故郷に選んだ、岡山のちいさな港町「玉野」

著: 古性のち 

私の暮らす岡山県・玉野市はゆったりと揺蕩(たゆた)う、瀬戸内に開ける港町だ。
初めて訪れたのは、2年ほど前。旅の途中に、岡山駅からなんとなく目的もなく乗ったバスの終点がここだった。
「降り立った時に何だかビビッときて……」のような運命的な直感もなければ「あの日たまたま出逢った人とそのまま恋に落ちて……」なんてドラマチックな展開も特になく、最初の率直な感想は「なんにもないところだなあ」だった。

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駅前の横断歩道。初めて訪れた日はもう陽が傾いていて、誰もいない横断歩道と夕焼けがさらに哀愁度を増していた

人のいない港、ちいさな駅、がらんとした駅前に、哀愁を感じる。まさか、数年後に私がここに家を借りて住んでいるだなんて、一番びっくりするのは過去の私だろう。
今ではあの日なんとなくバスに乗った私に、花まる。百点満点をあげたい気分だ。

バースト状態で旅暮らしをしていた20代に強制ピリオド

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家具付き・プール付き・ジム付きのバンコクのタワマン。家賃はなんと約3.5万円。ここを拠点に荷物を置いて世界を飛び回っていた

20代中盤から後半にかけて、狂ったように世界中を旅していた。
「狂ったように」以上にぴったりくる言葉が見つからない。国から国へ渡り鳥のように、何かに追われるように、何かを求めるように駆け回っていた。
フィンランド、アイスランド、飛行機に揺られインドやスリランカ。しまいには勢いでタイ・バンコクに家を借り、そこを拠点に私の世界旅は更に加速していく。
心臓からは常に「ひゃっほー!」という吹き出しが出ていたと思う。「鞄ひとつで好きなところに行ける人生、これより楽しい生き方はない」と、確信していた。
そんな時、日本で暮らす母が亡くなった。今もまだこうして文字にしてしまうと辛い。病気が発覚した半年後には母が亡くなり、実家を引き払い、猫と父がちいさなアパートに引越し、私もバンコクの家を出て日本へ帰国。そしてコロナ。世界が変わった。

10代から長々と切望してきた旅暮らしは、数年で一旦ピリオドを打つことになった。
すべてが一瞬の出来事だった。良かった事も悪かった事も、もはや全部夢にしたかった。そこからは何だか無気力で、何に対しても心が動かなくなって、当時一緒に暮らしていた彼の家で毎日、悲しみが過ぎ去るのをじっと待っていた時、ふと、「私が世界中を安心して飛び回っていたのは、帰る家と家族があったからなのだなあ」と気づいた。
絶対的に安心できる実家。それがこの世界からなくなってしまったことに気づいた時、ゾッとした。足の下が急に柔らかな砂になったようにずぶずぶと私を飲み込んでいく感覚の中、なぜだか頭に浮かんだのが、あの静かな港町、岡山の玉野市の風景だったのだ。

移住ではなく二拠点暮らしの選択肢

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電車は40分に1本程度。ぱっと目を引く黄色いフォルムが茶色っぽい駅に滑り込んでくる姿が愛おしい。ちなみに乗車人数はめちゃくちゃ少ない。いつもほぼ貸切状態

実家の代わりになるような場所を探すべく、私の選んだ暮らし方。それは、完全移住ではなく「二拠点」暮らしだった。1カ月の間、半分ずつ、東京と岡山を行ったり来たりする暮らしをしようと決めた。
理由は色々ある。東京には最愛の彼がいたし、(過去形で書かれているのは色々察してほしい)なにより私が欲していたのは「実家に代わる故郷」だったから。定住する家ではない、心の栄養になるような場所を求めていたのだ。
どっぷりと生活の基盤を置くのではなくて、軽やかに生きるために。愛を持って程よい距離を保つために、2つの家を持つことは譲れなかった。

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ぶっちゃけてしまうと、玉野市の利便性はさほど良くない。……オブラートに「さほど」と柔らかに包んでみたけれどはっきり言ってしまうと、良くない。
東京から岡山駅までが新幹線で約3時間とちょっと、そこから更にローカル線を乗り継いで約50分。合計で片道4時間ほどかかる。周りにスーパーや買い物ができる場所は多少あるけれど、1日遊べるような施設はない。だからと言って困ってしまうほどの田舎ではない。ほどよい田舎だ。
そんな話を友人にすると「えー、なんでそこにしたの?」と驚かれるのだけれど、私としては、だからこそ玉野が良かった。

東京からガタンゴトン、窓の外に広がる風景が徐々に「街」から「町」になり、田んぼになり、自然の中へ体が運ばれていく。「ああ私は今、移動しているんだなあ」という情緒みたいなものがじんわり広がっていく感覚が気持ちいい。
電車を降りたらすぐ、目の前には港が広がる景色や、瀬戸内の島々、直島や豊島へと行き交う船が出迎えてくれるのも気に入っている。

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最近は仕事がひと段落したら船に乗って、用もなく直島に訪れるのにハマっている。たった30分で島に渡れる生活なんて、小島好きにはたまらない。
都会に暮らしているとのんびりする事や用もなくふらりと出かける事をついついサボってしまうのだけれど。こういう、なんでもない時間を人生どれだけ持てるかで、豊かさが変わるのだと思う。
だからこそ私にとって4時間分の距離、東京から離れる事は逆に必要なことなのだ。

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HYM Hostelの1室。窓の外は市場で、たまに朝早くからセリが行われている。土日は市場で朝ごはんを食べられることも。家を持つ前は大体ここに泊まっていた

玉野市への2度目の訪問は、町の輪郭を掴むためにもゆるりと1週間滞在することにして、港の側にあるホテル「HYM Hostel」を借りた。

ネットでこのホテルを見つけた時、「玉野市にこんなお洒落な宿泊施設があったのか!」と、正直びっくりした。「これは、私が思っているよりもこの町はずっとずっと、面白い人たちが、にんまりしながら面白いことをして暮らしているのではないか」と確信したのが、HYM Hostelの存在だったのだ。

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今ではすっかり仲良くなったオーナー西野さんの所有するビル「東山ビル」。1Fには珈琲屋さんとハンバーガー屋さん、2,3,4Fは宿「HYM hostel」として運営中。屋上では海と船を見ながらご飯を食べたりできる本当に気持ちの良い場所

滞在中、特定の予定は入れずに、街を歩き回る。ふらふら彷徨っているうちに、何となく、私が故郷を失って絶望したタイミングでこの町が浮かんだ理由がわかった気がした。
この町は、なぜかひたすら懐かしさを感じさせてくれるのだ。初めてきた場所なのに、よそよそしい感じがしない。知っている匂いがする。
これは完全に自論なのだけれど、今世縁のあるものっていうのは、必ず懐かしい匂いがする。人であれ物であれ場所であれ、匂いがある。ビビビッと来なくても、心の何かに引っかかって、ひたすら懐かしさを呼び覚ますもの。
玉野市は「哀愁」という形で私の懐かしいセンサーにばっちり引っかかった。

巣づくりに選んだのは、賑やかな大家さんのいるちいさなアパート

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部屋は洋室と和室がひとつずつで2K。家賃は管理費込みで約4万円。窓からは森と海が見える最高の立地

何軒かの内覧を終えて、私が選んだのは駅から徒歩15分、海からは徒歩5分のちいさなアパート。築年数はだいぶ古く、もしかしたら私よりも年上かもしれない。決め手は何より、窓から海が見えることと、賑やかな大家さんがいることだ。
「困ったら何でも頼ればええが」
と恰幅の良い体で笑う大家さんは、ちゃきちゃきで世話好きで、時々果物や自分でつくったお菓子をくれる。こちらが口を開こうとすると、違う話題で畳み掛けてくる。そんでもってその事にハッと気づくと「ごめんね〜、喋りすぎやね〜」と恥ずかしそうに笑う。そんな愛しい大家さんが管理するお部屋。今思うと、本能的に私は母の代わりを求めていたのかもしれないなあ、とも思う。
大家さんに限らず、なんだか玉野市に暮らす人たちは外からのお客さんに対して開いている感じがする。
「港がある町って、外からの受け入れに慣れている人が多いんですよ。昔から海からいろんなものが入ってきてたでしょう」と岡山市内で少しだけ移住相談をさせてもらった市役所の職員さんに、後から教えてもらった。

行きつけのお店があるってちょっと良くない?

「何もない」と思っていた玉野市には実際には素敵なお店がたくさんあった。その多くが、月並みな言葉を並べるのであれば「秘密にしたい」場所だ。だって、いつでも気軽に行きたい。混んでしまっては私が困る。
近所に何度も足を運びたくなる場所があるっていうのは、気持ちがいい。大人になった感じがするし、第三の場所ができた感じもする。
私は人見知りなので、二度、三度と同じ店に足を運ぶことに、かなり抵抗がある方なのだけれど、玉野市の落ち着きなのか、岡山人の県民性なのか、程よくほったらかしてくれるのが、とても心地よい。
いくつかお気に入りのお店を紹介したい。
ちなみに私は車を持っていないので、ご紹介するのはすべて駅から自転車でいける範囲にあるお店ばかり。車がなくても生活できないこともないけれど、最近はやっぱり車が欲しいなあと思ってる。更なる素敵なお店が眠っているであろうこの地をもっと開拓をしたいからだ。

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名物のカツ丼。毎回写真を撮るのを我慢できずにテキトーにシャッターを切ったこんな1枚しか残ってなかった。フォトグラファー泣かせのカツ丼。美味しすぎて罪

ひとつ目が宇野駅から徒歩5分くらいにある「大阪屋」。
ここのカツ丼は本当に本当に、内緒にしたいくらいに美味い。のだけれど、私が内緒にしたところでこの美味しさは誰も放っておかないと思うので、開き直っておすすめする。
ひとりなのに「うまっ」と笑ってしまうくらいに美味しい。キングオブカツ丼。語彙力が追いついてなくて申し訳ない。
お店はこぢんまりとしていて、席数も多くない。カウンターではいつも元気なお母さん達がにぎやかにご飯をつくってくれている。中は昔ながらの食堂といった感じ。あたたかさと安心と、懐かしさに包まれている。
このカツ丼が玉野市にある。それだけで胸を張って「この町は最高だ!」と自慢できる。

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いつもつい語らいを始めてしまうカフェ。初めましての人とも話が弾んでしまうのは、この場所に魔法がかけられているからなのかもしれない。不思議

もうひとつは「belk 街」。寂し気な通りに突然現れる異空間のようなカフェだ。玉野市の空気がそうするのか、肩肘をはらずに過ごすことができる不思議な場所。
日本中お洒落なカフェは数あれど、こんなに肩の力の抜けるお洒落カフェは、意外と少ないんじゃないかと思う。地元の人は、みんなここで語らいをする。玉野市に、しかも宇野駅近くにこのカフェがあることは、私を含め多くの人の支えや救いになっていると思う。

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いつものお気に入りの窓際席。右下にはバス停があって、おじいちゃんとおばあちゃんの井戸端会議が行われている。この日は後ろの席で俳句の会の集まりが行われていた

最後はショッピングモール「メルカ」の2Fに入っているカフェ「うのまち珈琲 玉野店」。
ネット上ではクリームソーダが有名だけれど、私の推しは客層の広さ。老若男女が集う玉野市のこのカフェは、可愛い女の子が一生懸命クリームソーダを激写する隣で、おじいちゃんやおばあちゃんが俳句を読み合っていたりする。このアンバランスさが最高にクールだ。あの光景にほっこりした気持ちになりたくて、ついつい今日も足を運んでしまう。

玉野市という名のコックピットからきっと私はまた、世界へ

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大好きな瀬戸内の夕暮れ時、撮影に寄ったときの1枚。条件次第で真っピンクに染まる空が、鏡ばりのような海に色を落とす光景はあまりの美しさに涙が出る

私は30代。この先きっと、人生のいろんな選択がある。結婚するかもしれないし、まあこのままひとりで生きていくかもしれない。突然海外に住みたくなるかもしれないし、それこそインド人と恋に落ちてしまって現地でカレー屋を始めてしまうかもしれない。
それでも、やはり今世は旅と生きていくことを決めている。旅をするために生まれてきたのだと、32才になった今も、16才の頃と思いは変わらない。
だけれどそのためにも、故郷は必要不可欠だ。私がふるさとに選んだこの玉野市という場所との関係性を、きちんと育てていきたい。

言わば玉野市は私にとってのコックピット。ここがなければ走れない。エネルギーチャージの場所、蓄える場所。世界中を飛び回って、疲れたらまたここに羽休めにくる。そんな場所になるのだと思う。
今日も玉野市のちいさなアパートで、窓から海を見ながらそんなことを思っている。

著者:古性のち

古性のち

写真家・コラムニスト。岡山と東京の二拠点暮らし。SNSでは美しい日本語と写真を編んでいます。2020年からBRIGHTLOGG,INC取締役。共著に「Instagramあたらしい商品写真のレシピ」。三度の飯より猫が好き。

編集:小沢あや(ピース)