清く正しく美しい街「宝塚」。タカラジェンヌと地元の絆

著: 天真みちる 

桜のはなびら舞い踊る花のみち

銅像写真提供 みきぽん

タカラジェンヌを志したのは、三歳のころ。

おばあちゃんに「アンタはタカラジェンヌになりな」と言われ、おばあちゃんの許可さえあれば入れるところだと勘違いした私は「オッケー!」と、軽い気持ちで受験し惨敗。その後1年間ほぼ毎日習い事に勤しみ、なんとか一次試験を突破し、最終試験会場の宝塚音楽学校に来たのが、今から18年前のこと……。

初めて降り立った宝塚駅の印象は、「荘厳」だった。なんか駅の天上高いし、空間広々としてるし、まずもって電車が高級感ある気がするし、改札抜けたら吸い込まれる位置に阪急百貨店あるし……。

阪急百貨店を抜け、駅内アーケードも吹抜けでこれまた天上が高く、屋根があるのに開放感があり、贅沢な空間が広がっている。ありとあらゆるものに目を奪われまっすぐに歩くことが出来ず、改札を出てアーケードを抜けるまでのたった数百mの距離に小一時間ほどかかってしまった。

駅を抜け、宝塚大劇場へ繋がる「花のみち」に到達した。その名に相応しく、四季折々の花が咲き誇る美しい道。その道の先に宝塚大劇場が見える。

観る者全てを夢の世界へと誘う、赤い屋根の城。

「これが、タカラヅカという街なんだ」

美しくもあり、怖くもあった。あと数百mで、自分の将来が決まる……。

満開の桜のはなびら舞い踊る花のみちを歩みながら、「翌年はタカラジェンヌとして、この桜を眺めることは出来るだろうか」と、不安と緊張と、なぜかワクワクする想いに胸がいっぱいになった。

それから15年間、タカラジェンヌとして眺めた桜の美しさを、私は一生忘れることは無い。

タカラジェンヌと、地元のお店との絆

初めて宝塚駅に降りたった時、目を奪われたものの一つに「ポスターと写真はがき」があった。

駅から直結した阪急百貨店、その先に続くアーケード、花のみちのショップ、というか街の至る所に、現在公演中のポスターと、スターさんからの暑中お見舞いや公演の御礼状がびっしりと貼られ、一枚一枚メッセージやサインが施されている。しかも、「直筆」の。

初めて目の当たりにしたときは、「ほんもののタカラジェンヌのサインだ……!」と、ポスター越しに感じる直筆感を指でなぞろうとした。だが、通報されても困るのでグッと堪えた。

ポスターに記載された宛名は全て、「お店の名前+さん」だ。

これは単に、書物をお送りするときだけではない。タカラジェンヌは普段からお店に「さん」を付けるのだ。例えば、終演後にご飯に行くとき、「今日シルビアさん行こうよ!」という風に話す。

ただ、全てのお店に「さん」を付けるわけではない。宝塚市で古くから営んでいるお店を、さん付けで呼ぶのだ。

私が宝塚歌劇団へ入団する前からずっと、タカラジェンヌ一人ひとりを美味しい食事と素敵な空間で応援してくれる、あたたかいお店の数々。

全組全公演を観劇してくださっていて、時にはアドバイスや叱咤激励なども頂戴したり……。悩んでいることがあれば、個室を用意してくださったり……。

私にとって特に思い出深いのは、「夏鈴」さんというお弁当屋さん。音楽学校生時代からお世話になっていたので、タカラジェンヌでいた15年間、夏鈴さんのお弁当で育ったといっても過言ではない。もはや、第二の「おふくろの味」だ。

また、私の誕生日の時には、可愛らしいおにぎりやオードブルをサプライズで届けてくださったりと、美味しさだけでなく心意気でも楽しませてくださった。

長い歴史の中で、生徒全員の「父親母親」のように支えてくださるお店の方々に、タカラジェンヌ達は感謝を込めて、写真はがきの御礼状を送る……。この、愛と信頼に溢れた大切な関係性は、今後も大切にしていきたいと思う。

天真みちる初めてのオリジナルグッズは朝日屋さんで

宝塚音楽学校での二年間にわたる授業を終え、宝塚歌劇団の入団式を目前に控えるころ……。

晴れて自分の劇団での「芸名」が決まったタカラジェンヌは、宝塚南口駅直結のサンビオラという建物の中にある「朝日屋」という文房具屋さんに向かう。

自分の芸名の「千社札」をつくるのだ。

千社札とは、芸名が印刷された名札シールで、書体やベースのカラー、サイズなどを自分でカスタムすることが出来る。カスタムは無限で、自分の組のロゴを入れたり、出演中の作品名や役名などを入れる、なんてことも出来る。出来上がった千社札は、前述の写真はがきに貼られていたり、お店の扉などにも所狭しと貼られていたりする。

千社札は、多分、殆どのタカラジェンヌが最初につくる「オリジナルグッズ」だ。

当時私も、同期と共に朝日屋さんへ行き、店主のお姉さんに「千社札つくりたいのですが!」と話しかけ、沢山の上級生の方々がつくられたとてつもなく重いサンプルのファイルを手に、「この方のデザインカッコいい!」とか、「この書体にする!」とか、やんややんや言いながら注文した。

その後、白地に深緑色の草書体で「天真みちる」と書かれた、若干渋めな千社札が仕上がった。

世界に一つだけの、初めての芸名のグッズ。それがとっても嬉しくて、同期一人ひとりと交換していった。そうして、全員分の千社札を机一面に並べ、満足感に浸っていたのも束の間、私は愕然とした。

何故なら、初々しい印象のカラフルな千社札に挟まれ、ただ一人ベテランの専科さんの様な風格漂う自分の千社札があったから……。

宝塚で出会った、紫のバラの人

私が劇団に入団した当時は、宝塚大劇場では「お花」の差し入れが可能だった。

ファンの方は「らんすいえん」さんや、劇団入口の直ぐ近くにある「カサブランカ」さんなど、昔からお世話になっているお花屋さんに注文し、生徒の好きな色や組カラー、演じる役のイメージに沿ったフラワーアレンジメント、更には豪華絢爛な胡蝶蘭の鉢など、さまざまな花束が差し入れされていた。

差し入れされた花束は、楽屋入口の棚に所狭しと飾られる。特に、初日や千秋楽、新人公演など、公演の節目には沢山の花束が届き、さながらちょっとした庭園の様に、生花の華やかな香りが充満した楽屋入口だったのを憶えている。

ただ、その中に「自分宛て」の花束が、必ずしもあるとは限らなかった。数え切れない程の花束は、トップスターさんやスターさん方宛てのものばかりで、自分宛ての花束は無い時の方が多かった。

生徒は毎日終演後に自分宛てのものがあるかどうか、自身で確認することになっていた。私も楽屋から楽屋口に向かう際に、仄かに漂ってくる花の香りを感じながら、「どうせ自分宛てのものなんて無いんだ」と、次第に憂鬱になっていった。

そんなある日の終演後、いつもの様になかば諦めながら花束を確認していた時、ふと「天真みちる様へ」と書かれたプレートが目に飛び込んできた。

「うそ……!」

信じられない気持ちで何度も何度も確認する。何度確認しても、そのプレートには自分の名前が記載されていた。可愛いらしい色味のお花がカゴに入ったフラワーアレンジメント。

花束には素敵なメッセージが添えられており、差出人はお会いしたことの無い方だった。一作品70名以上でつくる宝塚の舞台。芝居とショーで約150分ほどの構成の中で、当時私が出演していた時間は、どれだけかき集めても20分程度……。

それでも、私を見つけ、応援の気持ちを花に乗せて届けてくださった……。

心の底から嬉しかった。ガラスの仮面でマヤが紫のバラの人から初めて花束を貰った時の様に、私は喜んだ。あの時のマヤの気持ちが痛いほどわかった。頂いた花束は、家に持ち帰って陽が一番当たる窓辺に飾り、来る日も来る日も眺めていた。

シュプールさんへ花束を

初めて花束を頂いてから数年後……。一つだった花束が、二つになり、三つになり……と少しづつ花束の数は増えていった。そしてとうとう、大変ありがたいことにとある公演の千秋楽に五つ花束を頂いた。

楽屋入口に並ぶ、自分宛ての五つの花束。それを目の当たりにし、私は思った。「とうとう来たか……あれを遂行する時が」。

「あれ」とは……「頂いた花束を、お店に飾る事」。

毎日、抱えきれない程の無数の花束が差し入れされるトップスターさんやスターさん達は、家に飾るとそれだけで足の踏み場がなくなってしまう(……と思う)。そのため、頂いた花束は、お世話になっているお店のエントランスなどに飾らせていただいていた。店内は華やかになり、お花を見つめる眼差しも増える。劇団と宝塚の街の関係性をつくる、とても素敵な慣習だったと思う。

まだ花束を頂いていなかったころ、よく行くお店の入り口に飾られた花を見ながら、早く自分も「『お花を沢山頂いたので、よろしければお店に飾っていただけませんか?』って言ってみたい……!!」と、心の底から憧れていた。

そして、とうとう、その時が来たのだ。千秋楽の終演後、両手に五つの花束を持って、私は真っ直ぐ「シュプール」さんへ向かった。

シュプールさんは、宝塚南口駅にある喫茶店。明るすぎず暗すぎない丁度良い照明、レトロな琥珀色のお砂糖入れとシンプルな食器たち、革張りのソファ……全てがストライクゾーンに入る、大好きなお店だった。

雰囲気もさることながら、一番好きだったのは「静けさ」だった。シュプールのマスターと奥さんは、いつも良い感じに「放っておいて」くれたのだ。手紙を書いたり、本を読んだり、ただただボーっとしたり……何をしていても放っておいていてくれる。その距離感がとてもありがたく、とても居心地が良かった。

「沢山お花を頂いたら、一番初めにシュプールさんにお花を飾らせてもらおう」そう心に決めて過ごしてきた。その想いは叶おうとしている。私ははやる気持ちを抑えながら、シュプールの扉に手をかけた……。

その後も、花束を頂いたらシュプールさんへ飾らせていただいていた。初めて繋いだ、お店との大切な絆。今でも大事な思い出である。

清く正しく美しい街「宝塚」

劇団の創始者である小林一三先生の遺訓「清く正しく美しく」。

この教えは決して、タカラジェンヌだけに向けられたものではない。

四季折々の美しい花々に囲まれた街並み、心から応援してくださる街の方々、宝塚の街の全てに支えられながら、タカラジェンヌは日々を過ごす。

稽古の日も、初日が開けた日も、休みの日も、病めるときも健やかなるときも……。

どんな時も支えてくださるお陰で、タカラジェンヌは夢の世界を創り出すことが出来る。

宝塚の街の全てが、清く正しく美しい。皆様にもぜひ、宝塚で美しい時間を過ごしていただきたい。

著者:天真みちる

天真みちる

2006年宝塚歌劇団に入団し、2018年10月まで花組で男役として活躍。「おじさん役」を極めたことで知られ、タンバリン芸でも注目を集める。2021年に宝塚歌劇団で過ごした日々を綴ったエッセイ『こう見えて元タカラジェンヌです』(左右社)を発売。現在は舞台企画や脚本演出を手掛ける『株式会社たその会社』を設立。代表取締役社長を務める。また、『観劇』を愛する方とのオンラインサロン『天真みちるの歌ん劇(カンゲキ)団応援組』を運営中。メンバー主体の『劇団天真みちる』の旗揚げ公演が6月に控えている。

編集:小沢あや(ピース)