ほんのり愛着をおぼえる新代田

著: 小原晩 

 京王井の頭線新代田駅の改札を降りると環七通りがばーんとある。その奥には朝焼けや快晴や夕暮れやどしゃぶりがいつものんびり広がっている。あの風景が好きだった。

 新代田は、初めてひとり暮らしをした部屋の最寄駅だ。もう6年前のことである。下北沢のとなりの駅で、もともと下北沢に住みたがっていた私に「ここならあんたも住める家賃の部屋があるよ」と両親が見つけて、選んでくれた部屋だった。うちの両親は八王子に住んでいて、旅行以外で八王子からでることはほとんどないのに、どうしてこの時だけ1時間も電車に揺られてこの街をすすめてくれたのか不思議だったけれど、それほど娘のひとり暮らしは親からすれば不安なものだったのかもしれない。たしかに両親おすすめの新代田から憧れの下北沢までは、ちょっと歩けばつく距離だった。だから私はこの街に住んでみようと思った。



新代田駅の改札を出たところの風景、環七通りと空

 新代田駅前にファミリーマートがある。私が住んでいたとき、ここの店長はどの時間に行っても、いた。そんなわけはないのだけれど、深夜も昼間も早朝も夕方もいつもいるのだ。それがふしぎというか、心に引っかかっていて、今でも新代田に行くとあの店長を探してしまう。しかし最近は見ないのだ。あの何年間はいつもいたのに。

 なにはともあれ、あの当時、ねむれない夜ばかりだった私には、24時間ひかり続ける近所のコンビニがありがたくてたまらなかった。

 改札を出て、横断歩道をわたると『COFFE CHERRY』という喫茶店がある。新代田に住み始めてからしばらくのあいだ通りすぎていたのだけれど、たしか2年くらいたったあたりで、そういえばここには喫茶店があるな、という感じでふと気になり始めた。

 22歳のクリスマス、曇りの朝だった。もらったばかりのふかふかのマフラーを巻いて、ぎりぎりパジャマに見えない部屋着で、古着屋で買った重いコートを羽織って出かけた。前や後ろを歩く人たちはビシッとした服を着て、かたそうな靴を履いて、かたそうな鞄を下げていたから、なんだか自分が自由気ままな人間みたいでほこらしかった。ドアを開けるとコロンコロンと鐘が鳴り、店主はほんのりほほえむだけでなにも言わない。その無言は好きな席に座っていいよということだと受け取って、奥の席に座る。モーニングの「サービスセット」はAのトーストも、Bのチーズトーストも、Cのハムサンドも、Dのハムトーストも、どれもブレンドコーヒーとゆで卵付きで550円だ。私がBセットを頼むと「はいよ〜」と店主がこたえてくれる。私がコートを脱いだあたりで、常連らしきおじいさんが一人でやってきて席に座るや否や新聞をバッと広げて、Cセットを勢いよく頼んだ。「はいよ〜」店主はこたえる。常連さんと店主はよく喋る。ゲラゲラ笑う。いきなり黙る。その沈黙にはちっとも気まずさがない。私は読みかけの本をひらく。Bセットが届く。おなかはすいているけれどゆっくり食べる。ゆで卵の殻をむく。熱々のブレンドを冷ましつつ飲む。

 あのころはまだひとりで知らないお店に入ることがこわかった。だからこそ些細な冒険みたいでうれしくて、ひとりで過ごすクリスマスを特別に思えた。これからも自分を急かしたり焦らせたりするなにかから、ずっとほったらかされていたいような気がした。

 ひとり暮らしの部屋の風呂場はユニットバスで、これがものすごく狭かった。狭いというより小さかった。しばらく住んでいたら慣れはするけれど、慣れたところで小さい空間にぎゅうぎゅうということには変わりないからお風呂はいつもシャワーで済ませていた。

 そんなある日、家のまわりを歩いているときに銭湯を見つけた。その名も『宇田川湯』。「大きい湯船には、ぜひつかるべきだろう」と直感した私は、何も考えず、すぐ部屋に帰って、お風呂セットを用意して宇田川湯へ向かった。「ゆ」と書かれたのれんが風に揺れている。今月の定休日が書かれた張り出しの下には「さわやかに……今日の疲れを……流しましょう………」と書いてあって、そうだ……私はいまから……からだに残る疲れという疲れを……流してしまうぞ…………と心に決めた。

 松竹錠の下駄箱、明るい脱衣場、手渡す小銭、針がぐるんと回る古い体重計、ベルベットのマッサージ機、お釜のドライヤー、無造作に置かれたいくつかのイス。ふるきよきを守ることはきっと大変で、この街にこうして存在しつづけていることがどれだけすごいことかと思う。はやるきもちを抑えつつ、青色のセーターを脱ぎ、スカートを脱ぎ、下着を脱ぎ、いい加減に畳んでロッカーに放り込む。裸一貫(と持参した覇気のないタオル)でお風呂場へいざまいる。高い窓から差し込む太陽の光がきもちいい。慣れない固定シャワーに苦戦しながらも、周りに座っている常連らしきみなさんをまねて使い方を勉強する。ひととおりきれいにしたら、ぶくぶくと泡の出るお風呂に入る。熱めの湯加減に「あう」と声がもれそうになる。カバみたいに肩までつかる。熱きもちいい。常連さんに「見ない顔ね」と話しかけられて若さだけを真っ直ぐに褒められる。それらがぜんぶ心地いい。ゆったり湯船につかったあとは、からだが芯からあたたかかった。それからは何度も、ここへ通った。

 東京でいちばん好きなラーメン屋さんは新代田にある。それは環七通り沿いにある『BASSANOVA』というラーメン屋で、グリーンカレーソバやトムヤムソバ、ラクサソバなどのちょっと変わったエスニック系のラーメンが有名なお店なのだけれど、私はそれらを食べたことがない。私がいつも決まって食べるのは「豚濁和出汁ソバ」で、これがとんでもなく旨い。豚骨と出汁が半々のスープということらしいのだけれど、そんなことはよくわからない。わからないけれどめちゃくちゃに旨いのだ。私はラーメン屋の娘として生まれ育ったので(そのくせわからないことはわからない)ラーメンの味にはたぶんうるさいほうだけれど、お昼に食べても、飲みながら食べても、〆に食べても、ここのこれが一番旨い。新代田から引越したいまもよく食べに行っている。

 新代田は散歩がたのしい。いろんなお家を眺めながら勝手に暮らしを想像するのがおもしろい。大先生の家としか考えられない門構えの家に慄いたり(きっと中には縁側があり、夏になれば西瓜の種をぷすぷす飛ばす孫を大先生はかわいがるのだろうな)、おしゃれなシェアハウスらしき建物に東京を感じたり(華もある、お金もある、時間もある、余裕もある人間たちがやさしい世界を築いているにちがいない)、こんなところにパン屋が!とおいしいパン屋さんを見つけたり(パン屋さんになりたい夢をかなえたひとがいるんだな)。私は調べるのが苦手だから、散歩しながらすこしずつ、この街のいろんな面を見つけて、知って、妄想してたのしんだ。

 新代田駅からすこし足を延ばせば『羽根木公園』という大きな公園がある。はじめて行ったときは春で、そこかしこに桜が咲いていて、木漏れ日のなかで見知らぬ家族がよく笑っていた。それがあまりにも健やかに見えて、すこし泣いた。夏は手持ち花火好きのともだちと光をぱちぱちさせた。手持ち花火をしていい公園は都内では限られているので、離れた街に住んでからも夏になるとしばしば行っている。羽根木公園の真夏の夜の蝉時雨はすごい迫力で、風流なんていえないくらい命そのものの音がする。

 地元が好きになれなかった私にとって、新代田は初めてできた愛着のある街だ。愛着という感情をさりげなく教えてくれた街だ。あの角に、あの布団屋の前に、あの豆腐屋に、あのなくなってしまった中華料理屋に、あのコンビニに、みんなとの、ひとりでの、あなたとの思い出がある。それはかけがえのないことだ。この街で、歳をとり、かなしくて、いやされて、元気をだして、よく生きた。ちいさな自分にとってのちいさな激動を、この街で過ごせたことが私はうれしい。


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著者:小原晩(おばらばん)

小原晩(おばらばん)

1996年東京生まれ。作家。歌人。2022年3月、初めてのエッセイ集『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を刊行。

編集:ツドイ