「場」をつくれば予想外の出会いが生まれる。20点から始まった東京での生活――曽我部恵一さん【上京物語】

インタビューと文章: 柴那典 写真:谷浦龍一

曽我部恵一さん

進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。地方から東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。

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今回の「上京物語」に登場いただくのは、ミュージシャンの曽我部恵一さんです。

香川県で育った曽我部さんは、大学進学を機に上京し、1992年にサニーデイ・サービスを結成。バンド解散後は下北沢にインディーズレーベル「ROSE RECORDS」を設立し、やはり下北沢の駅近くにレコードショップとカフェを併設した「CITY COUNTRY CITY」を開業するなど、街に根ざした活動を続けてきました。

田舎の洋服屋で知り合った仲間とバンドを結成した思春期のころから、サニーデイ・サービスの名盤『東京』をつくったときのこと、そして変わりゆく下北沢への思いまで。さまざまなお話を伺いました。

狭いからこそ生まれた洋服屋での出会い

―― 曽我部さんが育った香川県坂出市は、どういう街でしたか?

曽我部恵一さん(以下、曽我部):何もないところです。瀬戸内海の島なので山と海がどっちも近くて、田んぼはあるけどそれぐらい。讃岐うどんのお店もあったけれど、今みたいなブームにもなってないから、外から観光客の人が来ることもほとんどない。瀬戸大橋ができたのだって僕が高校生のころで、それまでは船で来るしかなかったですからね。閉ざされていて、当時の僕にとっては何もない街でした。

―― サニーデイ・サービスのベースを務める田中貴さんとの出会いは高校時代だったそうですが、どんなきっかけだったんでしょうか。

曽我部:出会ったのは洋服屋ですね。「バリールイス」という小さなショップが隣町の丸亀市にあって、中学生のころから遊びにいくようになったんです。そこに地元の数少ない音楽好きが集まっていて、その中に田中もいて仲良くなった。

その店は、当時表参道のショップに入ったばっかりのクリストファー・ネメスの洋服を置いていたり、『The Face』や『i-D』のようなイギリスの雑誌もあったりして。商店街の化粧品屋の一角を間借りした四畳半くらいの店だから、行くと知り合いにならざるをえないような狭さなんですよ。みんなでレコードの情報を交換したり、レコードを貸し借りしたりして、音楽やいろんなサブカルチャーを吸収していった。場所は移転したけれど、店は今でもありますよ。

―― そのころ、曽我部さんが夢中だったアーティストというと?

曽我部:セックス・ピストルズですね。マドンナとかプリンスも聴いてたけど、とにかくパンクに影響を受けた。そこからファッションも気になりはじめて、ヴィヴィアン・ウエストウッドとか、セディショナリーズとか、パトリック・コックスみたいなモッズスーツのブランドとかも欲しくなるんですよ。そういうロック好きにとっての定番のファッションを扱っていたのがその店だった。

曽我部恵一さん取材は曽我部さんがオーナーを務める「CITY COUNTRY CITY」で行われた

―― 当時、東京に対してはどんなイメージをもっていましたか?

曽我部:とにかくはやく東京に行きたいなと思ってました。卒業して先に上京している人に「東京、どう?」って手紙を書いたりして。「田舎よりも猫に愛想がない」って返事に書いてあったのを妙に覚えてますね。

当時は情報源が雑誌しかないから、毎月『宝島』とか『フールズ・メイト』とか『ロッキング・オン』とか『ドール』とか、いろんな雑誌を読んで、行きたいお店をチェックしてました。高校時代や浪人してたころからちょくちょく東京には行っていて、「新宿レコード」でラモーンズのファーストアルバムを買ったり、「ディスクユニオン」とか、「ヴィニール」とか、「UKエジソン」とか、いろんなレコード屋さんを回ってましたよ。

名盤『東京』に込めた思い

―― 大学入学を機に上京して、東京で初めて暮らしたのはどこの街だったんでしょうか。

曽我部:練馬区の氷川台ですね。そこに2年住んでました。学校があったのは池袋だったけど、渋谷とか新宿の方によく遊びにいってました。

―― 大学生活はどうでしたか?

曽我部:大学では授業にほとんど出なかったです。DJサークルに入って、そこのみんなで遊んだり飲み会に行ったり、そんなことばかりしてました。サークルの仲間はみんなディープに音楽が好きで詳しい人だったんで、楽しかったですよ。

僕が上京したのって、結局、そういう話をしたかっただけなんで。新井仁さんとか、野中モモちゃんとか、そこで出会った人とはいまだに付き合いがあります。

―― サニーデイ・サービスはどういう風に始まったんでしょうか?

曽我部:田中も同時に上京してたんで、田中と、同時期に上京した何人かの地元の友達で「バンドをやろう」って言って始めたのが最初です。

紹介してもらってライブハウスには何度か出てましたけど、ライブもあんまりうまくできなかったし、最初はたいした活動をしていなかったですね。デモテープをたまにつくったりしていたくらい。でも、デビューしたい、音楽で食べていきたいというのは夢見ていました。

曽我部恵一さん

―― 氷川台には2年住んでたということですが、その後に住んだのは?

曽我部明大前ですね。築30年くらいの木造アパートで、2DKくらいの部屋でした。新宿と渋谷、あとは下北沢と吉祥寺に近いっていうことで明大前に決めて。バンドが解散するちょっと前まで同じ場所に住んでました。

―― 1996年にサニーデイ・サービスは『東京』というアルバムをリリースしています。「東京」という曲も収録されていましたが、どんなイメージでつくったんでしょうか。

曽我部:曲単体というより、アルバム全体を「東京」という言葉で象徴させようとしていたんです。つまり、当時の自分の全てですね。可能性とか、欲望とか、日々の面白いこと、楽しいこと、出会いとか、恋愛とか、それを全て含めて「東京」と呼んだ

田舎から出てきたわけだから、当時の自分にとっては、そういうもの全てを「東京」って言葉で言い表せると思ったんだよね。東京生まれ東京育ちの人がそれを見たときにどう感じるかは全く想像つかないですけれど。

―― 日本のロックやポップスにおいては、「東京」というタイトルの曲に名曲が多いということはよく言われていますよね。

曽我部:くるりの「東京」とかね。基本的に「東京」って曲は、上京するときの物語や心情をピンポイントで書いた曲が多いんですよ。でも、僕にとってはそうじゃなかった。今着たい服とか、今会いたい人とか、今行きたいところとか、その日の自分の欲望とか夢とか気分とか、その全てを言い表すための言葉が「東京」だったんです。

「場」をもつことが出会いを生む

―― サニーデイ・サービスは2000年に一度解散します。そのころまで明大前に住まれていたそうですが、その後はどこに住まれたのですか?

曽我部下北沢ですね。バンドが解散するちょっと前、結婚することになってから住み始めました。もともと下北沢にはバンドのみんなと来ていて、「ラ・カーニャ」とかでよく飲んでた記憶があります。

―― 下北沢の第一印象ってどうでした?

曽我部:居心地が良かったですね。比べると、例えば当時の高円寺は本格的な人しかいないという印象があったんですよ。腹を括ってる人が多くて、俺らみたいなチャラチャラした学生が行ったら怒られそうというか(笑)。今も古いお店とか小さなお店がちゃんと残ってるしね。下北沢は変化が激しいんだけど、そのぶんもうちょっとゆるさがあって、溶け込みやすかったような気がします。

曽我部恵一さん

―― 2001年にソロデビューをしたあとは、しばらくして下北沢に「ROSE RECORDS」という自らのレーベルを立ち上げたわけですが、そこにはどういった経緯があったんでしょうか。

曽我部:所属していた事務所を辞めて独立したときに、まず家の近くに仕事場を借りようと思ったんですよ。それで不動産屋に行って「事務所物件ありますか」って訊いたら、「いいのありますよ」って連れていってくれたのが最初に借りた事務所の物件。

路面で、ガラス張りで、ちょっとした雑貨屋や洋服屋の店舗もできるようなところだったんだけど、値段もそんなに高くなかった。物件を見ているうちに、「ここだったら、なんちゃってレーベルみたいなこともできるかもな」と思うようになって、ROSEを立ち上げた感じ。だから完全に物件ありきですよ。

―― その後は今日お伺いしている「CITY COUNTRY CITY」もオープンしますよね。こちらはどういったきっかけで?

曽我部:レコード屋をやるのが夢の友達がいて、そいつとよく「やろう」って話していたんですよ。そうしたら、あるとき彼が仕事を辞めて物件まで探してきて(笑)。気付けばもう10年以上経っていますね。自分の会社がやってるんで、形としてはオーナーですけれど、お金ももらってないし、彼らが自主運営してるという感じです。

―― この場所が下北沢にあったのは自分にとって大きかったですか?

曽我部:最初に借りた事務所も含め、「場」をもつことは自分にとってすごく大きかったですね。もともと場が欲しいとは思っていたんですけど。

―― 場が欲しい、というと?

曽我部:当時からすでにレコードはネットで買えるようになっていたし、コミュニケーションもネットで完結するようになっていた。だけど、特にたいした理由もなく会えて、ただお茶やビールを飲んだりする場があるって重要だと思うんですよ。「場」があることで思いもかけない人が訪ねてきて、思いもかけないつながりが生まれたりするので。実際、お店で出会って結婚されたお客さんもいますし、いまだに自分も最初に事務所を立ち上げた時に知り合った人たちとつきあったりしているので。場をもつのは大事ですね。

曽我部恵一さん同席したマネージャーさんと「いつ知り合ったっけ?」「さあ……」という会話が繰り広げられる

―― このお店には、レコード目当てにいらっしゃるお客さんも多そうですね。

曽我部:実際のところ、CITY COUNTRY CITYはレコードで商売がまわってるわけでは全然ないんです。でも、レコードが一つのきっかけになって、DJも来てくれるし、最近は海外からの人も来てくれる。純粋なカフェだけではこうはいかないと思いますし、振り返ってレコードが軸になっていてよかったなと思っています。

正解を選べる中で、いかにバグを起こすか

―― 近年、さらに下北沢の街はどんどん変わっていますが、曽我部さんはどんな風に見ていますか?

曽我部:ここ10年くらいで、いわゆる普通のお客さんが増えたのは感じますね。以前は劇団員とかバンドマンとか、ちょっとディープで、癖がある人が多かったと思うんですけど、今は女子高生とか、海外からの観光客の方とかもすごく多い。そこが混じり合っている感じというのは、僕は純粋にすごく面白いなと思っています。

あと変化でいうと、今は企業ががっちり開発に入ってくることも多いと思うんですけど、それでも個人の思いつきレベルの取り組みが気軽に始められる場所であってはほしいなとは思います。今は閉まっちゃいましたけど、下北沢ケージとか良い意味で学祭ノリの感じがあって面白かったですよね。

―― 東京に上京してもう25年以上になりました。地元に対して、あらためて思うことはありますか。

曽我部:正直、最近は田舎に暮らしてみたいなって思うことはありますね。それは自分の地元じゃなくてもいい。地元には毎年子どもを連れて帰ってますけれど、地元って、場所というよりも親とのかかわり合いが強いじゃないですか。そうじゃなくて、人口密度の少ない田舎で暮らしてみたい。どんな感覚になるのか、興味があります。

―― 先日はベスト・アルバム『The Best Of Keiichi Sokabe -The Rose Years 2004-2019-』もリリースされました。2020年の音楽活動にはどんな展望がありますか。

曽我部:今はサニーデイ・サービスの新しいアルバムをつくっています。それをちゃんと出すのが一番重要ですね。丸山(晴茂)くんが離れてから、どう埋めるかというのをずっと考えてきたんですけれど、彼が亡くなってしまった以上は埋められないので。この二人で復活させる。やっぱりサニーデイ・サービスって、看板なんですよね。それを背負ってる以上、誠意あるものをつくろうって気持ちになります。

『The Best Of Keiichi Sokabe -The Rose Years 2004-2019-』『The Best Of Keiichi Sokabe -The Rose Years 2004-2019-』。ROSE RECORDSからリリースされた音源のみで構成されている

―― 最後に、今上京を考えてる若い世代の人たちにアドバイスするなら、どんな言葉がありますか?

曽我部:最近思うのは、ネットやSNSが普及したことで、みんな正解を選べるようになったということ。楽器にしても、筋トレにしても、カブトムシの育て方にしたって、YouTubeで全部分かる。ミュージシャンでも、若い人のほうが全然楽器がうまいんです。練習の方法が分かるし、メソッドが確立してるので。だからみんな100点で、ダメな感じの人がいないんです。

でも、サニーデイ・サービスって、20点くらいのところから始めたんですよ。田舎から出てきて、本当に何もできてないところから、なんとか自分なりのものをつかんでいった。だから、今の時代は安易に正解に飛びつかず、どうやってエラーやバグのようなものを起こしていくか。それを考えるのが、何かものづくりをしたいと考えている若い人にとって大事なことかもしれないなと思いますね。

曽我部恵一さん


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お話を伺った人:曽我部恵一(そかべけいいち)

曽我部恵一さん

1971年8月26日生まれ。香川県坂出市出身。90年代初頭よりサニーデイ・サービスのヴォーカリスト/ギタリストとして活動を始める。 1995年に1stアルバム『若者たち』を発表。'70年代の日本のフォーク/ロックを'90年代のスタイルで解釈・再構築したまったく新しいサウンドは、聴く者に強烈な印象をあたえた。2001年のクリスマス、NY同時多発テロに触発され制作されたシングル「ギター」でソロデビュー。2004年、自主レーベルROSE RECORDSを設立し、インディペンデント/DIYを基軸とした活動を開始する。2019年12月に、ROSE RECORDSから出した音源をまとめたベストアルバム『The Best Of Keiichi Sokabe -The Rose Years 2004-2019-』を発売。2020年元日にサニーデイ・サービスの新曲「雨が降りそう」をMVで先行公開。現在、各種音楽ストリーミングサービスにて絶賛配信中。

HP:曽我部恵一 Twitter:@sokabekeiichi

聞き手:柴 那典(しばとものり)

榎並紀行(やじろべえ)

1976年神奈川県生まれ。ライター、編集者。音楽ジャーナリスト。ロッキング・オン社を経て独立。雑誌、WEB、モバイルなど各方面にて編集とライティングを担当し、音楽やサブカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー、記事執筆を手がける。

「CINRA」にてダイノジ・大谷ノブ彦との対談連載「心のベストテン」、「日経MJ」にてコラム「柴那典の新音学」連載中。著書に『ヒットの崩壊』(講談社)、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)、共著に『渋谷音楽図鑑』(太田出版)がある。

ブログ:日々の音色とことば Twitter:@shiba710

編集:はてな編集部