おじいちゃんの姿を追い求め、今日も背筋を伸ばして店に立つ/駒込・霜降銀座商店街「パリーシューズ」中村翔志さん【商店街の住人たち】

インタビューと文章: 小野洋平(やじろべえ) 写真:小野 奈那子 

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長年、そこに住む人々の暮らしを支えてきた商店街。そんな商店街に店を構える人たちにもまた、それぞれの暮らしや人生がある。
街の移り変わりを眺めてきた商店街の長老。さびれてしまった商店街に活気を呼び戻すべく奮闘する若手。違う土地からやってきて、商店街に新しい風を吹かせる夫婦。
商店街で生きる一人ひとりに、それぞれのドラマがあるはず。本連載では、“商店街の住人”の暮らしや人生に密着するとともに、街への想いを紐解いていく。

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東京都北区にある「霜降銀座商店街」。昭和31年、霜降銀座栄会(さかえかい)が発足したことから歴史が始まった。前年にGNP(実質国民総生産)が戦前の水準を超え、「もはや戦後ではない」の流行語が生まれたのもこの年だ。冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビが“三種の神器”と呼ばれ、力道山を目当てに街頭テレビに人が集まる、そんな時代。ちなみに、ホッピングも大流行している。

商店街発足から8年後の昭和39年に開業したのが「パリーシューズ」だ。中村翔志さん(32歳)は、その三代目。子どものころは商店街が遊び場で、成人するまで店舗上の住居で暮らした。その後、コム・デ・ギャルソンの販売員を経て、9年前に家業を継いでいる。

人生の大部分を霜降銀座で過ごしてきた中村さん。商店街という特殊な環境のなかで、どのように育ったのか。一度は世界的ファッションブランドに勤めながら、なぜ街の靴屋を継ぐに至ったのか。年齢を重ねるにつれ地元・駒込への思いはどう変わっていったのか。じっくりと伺った。

「パリーシューズのせがれ」として、子どものころから街の有名人

―― 昔ながらの商店街は、店舗と住居を兼ねていることが多いです。中村さんも生まれてからずっと、パリーシューズの上にある住居で暮らしていたそうですね。

中村翔志さん(以下、中村):はい。なので遊び場といったら、この商店街でしたね。近所の八百屋さんの店先をうろちょろしたり、自転車の練習中にお店に突っ込んだり、時には金魚が泳ぐ防火水槽に飛び込んだりしていました(笑)。いま思えば、相当やんちゃな子どもでしたが、商店街の大人たちはみんな優しかったです。

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パリーシューズ向かいの防火水槽には、今も金魚が泳いでいる

―― 商店街のお店同士は、やはり家族ぐるみのお付き合いという感じなのですか?

中村:そうですね。特に、おじいちゃんや父の時代は店主たちの年齢も近く、今よりも横のつながりが強かったように思います。店舗の数も多かったですし、商店街自体にもっと活気があったと記憶しています。僕もよく「パリーシューズのせがれか!」って、可愛がってもらいましたよ。

おじいちゃんと中村翔志さん

―― 当時、自分が「商店街」という特殊な環境で暮らしている認識は?

中村:なかったです。どこに行っても声はかけられましたけど、僕の中ではそれが当たり前のことでしたから。そもそも特殊な環境であるという意識はなく、普通に過ごしていましたよ。

―― 商店街に同世代の子どもはいましたか?

中村:商店街の中にはいなかったです。近辺に住んでいる友達はたくさんいましたけどね。そう考えると、確かに特殊だったのかも。でも、寂しくはなかったです。歳の離れた3人の姉がいつも遊んでくれて、一緒に買い物に行く度にお菓子や焼き鳥をねだったりもしました。その時は、商店街に住んでいてよかったなと思いましたね(笑)。

―― お姉さんたちも末っ子がかわいくて仕方なかったんでしょうね。ちなみに、商売をしている家の子になんとなく憧れがあるんですが、中村さんは実家が商店街にあることを友達に自慢したりしましたか?

中村:それはなかったですね。そもそも、うちは学校用品も販売しているので、わざわざ自分で言わなくても同級生には「パリーシューズの中村」として存在が知れ渡っていたんですよ(笑)。小学生や中学生のころは、同級生もよく買いに来てくれましたよ。

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中村翔志さん

―― 成長するにつれて、商店街に対する思いに変化はありましたか?

中村:思い返してみると、中学から20歳あたりは、ちょっと恥ずかしかったですね。

―― 恥ずかしかった? なぜですか?

中村:生まれた時から、いや、なんなら母のお腹の中にいる時から商店街の全員が僕のことを知っているわけじゃないですか。自分の成長過程の全てをみんなに見られているような気がして……それが嫌だったんでしょうね。思春期であまり大人と関わりたくない時期でもあったし、そのころはなんとなく商店街と距離を置いていたような気がします。

―― 確かに、思春期の少年からすると、若干わずらわしく感じられるかもしれません。

中村:なのに、どこに行っても挨拶、挨拶ですからね。そのおかげで、迂闊な行動はとれませんでしたよ。悪いことなんてもちろんできないし、女の子と一緒に歩いているだけで「昨日デートしてたな」って、すぐに広まってしまいますから(笑)。

でも、不思議と商店街や駒込を嫌いになることはなかったです。距離を置きつつも、やはりどこかで「パリーシューズ」が自慢というか、誇らしい場所だと思っていたんでしょうね。家業に対してマイナスの感情を抱いたことも、一度もなかったです。

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“都会”への憧れから世田谷へ

―― 高校卒業後は服飾の学校に進んでいますが、実家が靴屋だったことも進路に影響しましたか?

中村:どうなんだろう。ずっとファッションには興味があったけど、そこはあまり関係ない気もします。ただ、高校は進学校で大学に進む同級生が多いなか、抵抗なく服飾の専門学校を選べたのは実家が靴屋だったからかもしれません。

―― ちなみに、当時はどこで洋服を買っていたんでしょうか?

中村:シュプリームが流行っていたので、主に原宿や渋谷ですね。アメカジも好きだったので、上野のアメ横にも通ってました。よく行くお店に憧れのお姉さんがいて、お金のない高校生にも優しく対応してくれたのが思い出深いです。

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―― 商店街でも洋服は買っていましたか?

中村:高校生の時も普通に買っていましたよ。すぐそこの「ジーンズファースト」というアメカジショップで、エドウィンのジーパンを買いました。商店街ってあまり若者向けの洋服は売っていないイメージかもしれないですけど、普通にカッコイイものが手に入ります。霜降銀座には他にも「haikara」という渋い古着屋があって、今も時々のぞいています。

―― 本当にここだけで何でもそろいますね。ただ、そんなに便利な環境なのに、20歳で駒込を離れて一人暮らしをしています。やはり、いったんは親元を離れてみたかった?

中村:20歳になったことで自立しようと思ったのと、“都会”への憧れですね(笑)。特に、東急東横線の沿線はお洒落なイメージがあって、一度は住んでみたいと思いました。それで祐天寺で一人暮らしを始めたんです。ただ、僕の肌にはあまり合わなくて……、やっぱり根が田舎もんだなって痛感しました。

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―― いやいや駒込も十分に都会ですから。祐天寺の次に住んだのは?

中村:江東区の森下です。森下には下町の名残があったんですよね。良い意味でざわついてなくて、なんだか駒込と似た雰囲気もありました。近くに「高橋のらくろード」という商店街があって、霜降銀座と同じ匂いを感じたりもして。おそらく、どこかで地元のような安心感を求めていたんだと思います。

世界的ファッションブランドに就職も、2年半で辞めて家業を継いだワケ

―― 就職先は、世界的ブランドのコム・デ・ギャルソン(以下ギャルソン)だったんですよね? 仕事はどうでしたか?

中村:楽しかったですよ。憧れのブランドでしたし、好きなファッション業界で働く夢がかなったので。

―― ただ、2年半で退職し、家業を継いでいますよね。何かきっかけがあったのでしょうか?

中村:そのころ、パリーシューズの創業者でもあるおじいちゃんが体調を崩してしまったんです。高齢だったこともあり、どんどんお店に立つ時間も短くなっていってしまって……。その時に初めて、家業を継ぐことを具体的に考えるようになりました。いま決断しなければ、おじいちゃんと一緒に店へ立つ機会は二度となくなってしまうかもしれない、と。

―― 迷った末に、継ぐ決意を固めたと。

中村:はい。とはいえ、ギャルソンでは2年半ほどしか働いてなかったので、かなりの葛藤はありました。なかなか入れる会社じゃないですし、もう少し頑張ったら違う景色が見える気がしていたので。パリーシューズを継いでしばらくしたころ、同期がパリコレに行ったことを聞いたときは「自分は何も成し遂げられずに終わってしまったな……」と思いました。

―― それは後悔の気持ちですか?

中村:いや、後悔や未練というほどではなく、少し落ち込んだ程度です。というのも、あそこで決断したからこそ、幼いころから仕事ぶりを見てきたおじいちゃんと一緒に働くことができたので。あのままギャルソンに勤めていたら、それこそ後悔することになっていたんじゃないかな。

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―― おじいちゃんとは、どれくらい一緒に働けましたか?

中村:2年ぐらいですね。おじいちゃんは本当にすごくて、病気になる1週間前までお店に立っていたんです。それも背筋がスっとしていて、めちゃくちゃ姿勢が良くて、すごくかっこよかった。もちろんギャルソンでの経験は貴重なものでしたが、僕にとってはおじいちゃんのその姿を間近でみられたことこそ、かけがえのない財産になりました。

―― お店を継ぐと言ったとき、おじいちゃんの反応はいかがでしたか?

中村:すごく喜んでくれました。それが僕も嬉しくて。仕事終わりには、おじいちゃん、おばあちゃん、両親とよくご飯に行き、一緒にお酒を飲んだりもしました。とても幸せな時間でしたよ。

―― おじいちゃんやご両親は、やはり継いでほしいと思っていたんでしょうか。

中村:分かりません。少なくとも、継いでくれと言われたことは一度もなかったし、プレッシャーをかけられた記憶もありません。だからこそ、変に気負うこともなく自ら言えたのだと思います。仮に、今から外の会社で働きたいと言っても、親は反対しないんじゃないかな。本心はさておき、そんなふうに接してくれたことには、とても感謝しています。

継いで分かった商売の厳しさ

―― 靴屋の仕事はすぐに慣れましたか?

中村:いや、やっぱり苦戦しましたよ。ギャルソン時代も販売員でしたが、靴は売っていなかったので。靴屋って、かなり経験がものを言う仕事なんですよ。お客様それぞれの足にフィットする一足を選べるようになるまでは、数多くの接客を重ねて経験値を積んでいくしかない。その点、おじいちゃんや父はやはり凄くて、常連さんの足のサイズだけでなく形まで把握していました。お客さんの顔を見た瞬間に、その人に合う靴をパっと出してくるんですよ。僕はというと、継いだ当初なんて靴選びは完全にお客さん任せ。「いいですね!」と言うのが精一杯でしたから。

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中村さんのご両親。現在は3人で店を切り盛りしている

―― 常連さんメインのお店では必須のスキルかもしませんね。他に、例えば自営業ならではの難しさを感じることは?

中村:それはもう、未だに感じています。会社員時代は売れても売れなくても、給料に直接的な影響はなかった。でも、今は1日にどれくらい売ったかが、ダイレクトに生活に響いてきますから。数字に敏感になったし、よりお客さんを呼び込むにはどうすべきか、日々考えるようになりました。うちは父と母、そして僕の3人しか従業員がいないから、意見も反映されやすいですしね。

―― 例えば、どんな提案をするんですか?

中村:あくまで街の靴屋だから高額すぎる商品は置けないけど、可能な限りトレンドを取り入れてみたり。あとは、お店のSNSを始めたり、ショップカードに凝ってみたり、ですかね。ショップカードは駒込在住の漫画家・織田博子さんにお願いしてつくっていただいたんです。とてもかわいいですよ。

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コロナ禍で、商店街の良さが見直されている?

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―― そういえば、霜降銀座商店街のホームページは、中村さんがリニューアルを担当したんですよね。それはどういう経緯で?

中村:9年前、パリーシューズに戻ってきた時に、かつての活気が失われていることに気づきました。昔ながらのお店も徐々になくなっていき、子どものころに見ていた風景が変わりつつあるなと。自分なりに何とかしたいと思い、最初に取り組んだのが商店街のホームページのリニューアルでした。

―― とはいえ、当時は戻ってきたばかりで、しかも商店街組合のなかでもかなりの若手ですよね。ホームページのリニューアルという大役を、よく任せてもらえましたね。

中村:若手どころか、最年少でした。ただ、父が過去に組合の会長をやっていたり、母が広報担当をしていたこともあって、新参者でも任せてもらえたのだと思います。また、自分の店だけでなく商店街全体のために働く両親の姿も見てきたので、自分もそういう気持ちになれたのかなと。

―― あのホームページ、すごくいいですよね。デザインもかわいいし、ほとんどのお店の人が顔出ししていて、人肌が伝わってくるというか。

中村:ありがたかったですね。お店に戻ってまだ2〜3年の、なんの実績もない若造のお願いを聞いてくれて、みなさん快く協力してくれましたから。

―― コロナ禍になる前は、商店街のイベントも多かったですよね。中村さんが企画したものもあるんですか?

中村:はい。もともとイベントが多い商店街なんですけど、僕もたくさん企画を出しています。なかでも「浅見光彦のミステリーウォーク」は一番の集客力がありました。毎年2万部の冊子がすぐにはけてしまうほどの人気ですよ。

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―― 先ほど商店街を歩いて思ったのですが、すごくにぎわっていました。ホームページやイベントでの集客の効果ですかね?

中村:それもあるかもしれませんが、最近はコロナをきっかけに、客足が戻ってきた部分もありますね。

―― そうなんですか? コロナで逆に苦戦しているのかと思っていました。

中村:おそらくステイホームで遠出が難しくなり、地元で買い物をする人が増えたのだと思います。そして、そこで改めて商店街の魅力に気づいていただけた部分もあるんじゃないかな。

お肉も野菜も魚も、やっぱり専門店のものは美味しいんですよね。普段はスーパーで買う豆腐なんかも、たまに商店街の豆腐屋で買うと感動しますよ。霜降銀座にも「とうふのかさはら」というお店があるんですけど、ここの白和えは絶品です。店主のムキムキな見た目とは裏腹に、とても繊細な味付けなんです(笑)。

―― 他に、カフェやかき氷専門店など、新しめのお店もちらほら見かけました。

中村:ここ数年でお店もけっこう増えましたね。新しく商店街に入ってくれた人たちには早く馴染んでもらいたいので、組合では下っ端の僕が積極的にコミュニケーションをとるようにしています。組合の重鎮のみなさんは優しい人たちなんですが、パっと見はやや威圧感がありますからね(笑)。

―― 商店街の周囲にもマンションが増えているし、街全体に新しい風が吹いている印象です。

中村:特にここ数年はマンションやビルがどんどん建っていて、駒込に移り住む人が増えていると感じます。これは、いい変化ですね。一方で、商店街ではなくなるお店もやっぱり多くて、こっちは悪い変化。代わりに新しいお店が入ってうまく循環できればいいんですけど、そのまま店舗ごとつぶして住宅が建つケースもあります。これは、商店街全体の課題だと思っています。

「人情」や「ふれあい」だけでお客さんは来てくれない

―― 中村さん行きつけの、駒込のお店を教えてください。

中村:やっぱり商店街のお店がほとんどですね。朝は「飯粉屋」のパンを食べ、昼は「キッチンK」でランチして、夜は「細野商店」で野菜を買います。本を漁るときは「フタバ書店」ですし、髪は「カットコミューン」でカットしています。昨日は、商店街の入口近くにある「SHOGUN」で焼き鳥を買いました。

―― 本当に商店街だけで生活が完結していますね。

中村:駒込に戻ってきてから、街にお金を落とす意識が強くなりました。僕が子どものころから商店街のお店を積極的に使っていた両親の気持ちが、ようやく分かってきた気がします。助け合いじゃないけど、お店とお店が互いにお客さん同士になる文化が、商店街には自然と根付いているように思いますね。

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フタバ書店で本を物色し

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SHOGUNで「皮にんにく」を買うのが定番コース

―― 今日こうやってお話を伺って、商店街の良さを改めて感じました。そして、もっともっと多くの人に知ってほしいな、とも。

中村:ありがとうございます。ネットショッピング全盛の時代に、あえて商店街を選んでもらう理由って何だろうって、ずっと考えているんですよ。昔はリアルな店舗ならではの強みとして「人の魅力」や「商品にストーリーがある」みたいなことが語られてきました。でも、今はネットにもそれがあるんですよね。WEBサイトでも生産者の顔が見えたり、商品の背景までも魅力的に紹介されている。

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中村:じゃあ、どこでネットに勝つか。僕はシンプルに「商品の魅力」じゃないかと思います。霜降銀座商店街には、わざわざ足を運ぶ価値がある一流の品が並んでいると、自信を持って言えます。

―― 商店街の良さって「ふれあい」や「人情」あるいは「庶民的」といった抽象的なイメージで語られがちですが、「商品が良い」というのは分かりやすく魅力的ですね。

中村:はい。この場所には長年にわたってその道のプロが商売をやってきた礎がある。これは、十分に誇れる価値なんじゃないかと思いますね。

―― 最後に、中村さんが目指す「商店街の未来」を教えてください。

中村:なんだろうな……。ここに来れば駒込の良さが分かってもらえるような、魅力の詰まった商店街にしていきたいですね。そのためにも、まずは足を運んでもらわないと始まらないので、イベントなどを通じたきっかけづくりに力を入れていきたいです。そして、多くの人にとって商店街に行くことが生活の一部になったら最高ですね。

あと、個人的にはお客さんの顔を見て、パっと靴が選べるようにしたいかな(笑)。まだまだ未熟者ですが、早くおじいちゃんのようなかっこいい姿で、このお店に立てるようになりたいです。

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霜降銀座商店街

www.shimofuri-ginza.com


著者: 小野洋平(やじろべえ)

 小野洋平(やじろべえ)

1991年生まれ。編集プロダクション「やじろべえ」所属。服飾大学を出るも服がつくれず、ライター・編集者を志す。自身のサイト、小野便利屋も運営。Twitter:@onoberkon 50歳までにしたい100のコト

 

※読者様からのご指摘により、霜降銀座商店街の所在地についての記述を4月22日(木)19:30に修正いたしました。ご指摘ありがとうございました。

編集:榎並 紀行(やじろべえ)