行きたいところに自分の力で行ける。街路樹のまち「仙台」を自転車で駆け抜けた日々

著: むらたえりか

仙台駅

行きたいときに行きたい場所に確実にたどり着ける。

そんな私にとっての「自由」を教えてくれたのは、大学入学から25歳で上京するまで住んでいた街・仙台だった。

自転車で駆け巡った仙台の「道」

仙台のことを考えるといつも並木道ばかりが思い出される。もともとは江戸時代に伊達政宗公の意向により街に緑が増え、明治時代には「森の都」と呼ばれたそうだ。その後一度は空襲で消失してしまうものの、復興などを経て現在は「杜(もり)の都・仙台」として親しまれている。そんな歴史から、繁華街・郊外問わず仙台には大きな街路樹が多い。

仙台

今年は少ないと聞いたが、秋になると銀杏並木の下には足の踏み場もないほどたくさんの銀杏の実が落ち、足の踏み場もないので踏んでしまう。学生のころには、友達とくさいくさいと大げさに騒ぎ笑いながら仙台駅までの道を急いだ。

仙台市の中でもいくつかの街に住んだが、大学時代の大半を過ごしたのは仙台駅西口からほど近い花京院のあたりだ。漫画『ジョジョの奇妙な冒険』を読んで地名だけは知っているという人にときどき出会う。

私は花京院からいくつかの坂を経る大学までの約6kmを、毎日片道1時間近くかけて自転車で通っていた。運動不足解消のためでもバス代節約のためでもない。

ただ、自分の足でペダルを繰り返し繰り返し踏み、ぐんぐん自転車を走らせれば、遠い学校にさえちゃんとたどり着くということが嬉しかったのだ

仙台

秋は自転車のタイヤで銀杏の実を蹴散らしながら学校へ向かった。冬は前日の雪が溶けて凍った道にまた雪が積もる中、自転車でどこまで坂道を登れるか自分との戦いをした。春には、学校帰りに少し足を延ばして仙台駅の隣、榴ケ岡駅付近にある榴岡公園(つつじがおかこうえん)まで夜桜を見に行った。夏は街路樹の木陰に上手く入り込みながら、日焼けするのも気にせずに自転車でどこへでも走った。

定禅寺(じょうぜんじ)通り、晩翠(ばんすい)通り、愛宕上杉(あたごかみすぎ)通り、広瀬通り、木町通り……。

仙台の通りの名前は古臭すぎずモダンすぎないところがいい。かっこよくてちょっと自慢に思う。まあ誰にも自慢したことはないけれど。

地下鉄南北線に加え、2015年には東西線が通ったので最近は地下鉄を使う人も増えたが、私は自転車やバスで移動することが多かった。だから、通りの名前を自然に覚えた。自分が通っている道の名前が染み付くのは、そこで暮らしてきた人の証みたいで誇らしい

ペダルを踏めばどこへでも。コンパクトシティ「仙台」

ぐんぐん自転車を走らせれば、学校以外の場所にもたどり着ける。

仙台駅の駅前通りから続く定禅寺通りは、12月には一帯が光に包まれるイベント「光のページェント」、略して「ひかぺ」がおこなわれる場所。

定禅寺通り定禅寺通り。この構図で写真を撮るのが定番だ

定禅寺通りの中心に建つ像に向かって左を見れば、ケヤキ並木越しに飲み屋街の看板やネオンが見える。東北随一の歓楽街・国分町(こくぶんちょう)だ。

学生のころは、いつも決まった居酒屋でサークルの仲間や友人たちとお酒を飲んでいた。2011年に東日本大震災があった後は、ボランティアや土木作業員、建設業の人たち、自衛隊員たちが来て潤ったと聞く。

私は震災の前後、国分町や、その隣の立町(たちまち)付近で働く女性たちにインタビューをしたり、店のサイトの更新作業を手伝ったりしていた。

歓楽街・ホテル街で出会った女の子たちは、地味でネオンの似合わない私にいつも優しくしてくれた。「男のスタッフやお客さんには内緒ね」と、秘密の話もたくさんしてくれた。こういう話す場をもたない人たちの思いを丁寧に言葉にできるインタビュアーやライターになりたいと初めて思ったのは、このころだ。

東京で何らかの経験を積んでいつか恩返しを、と私が悠長にしているうちに、店も女の子もどんどん変わるのが歓楽街。私がサイト更新を担当していた店の近くまで行くと、ビルの改修工事で店舗がなくなっていた。このあたりを歩くといつも、あの子たちの姿を探しては「元気でいてくれ」と祈りたくなる。

国分町通り定禅寺通りと交差する国分町通り。いつもみんなで行っていた居酒屋が見える

定禅寺通りに戻り、西へと少し行けば、「せんだいメディアテーク」が見えてくる。建設・建築学部系の大学生は「一度は見て来い」と言われるくらい、その業界では有名な建物だと聞く。

せんだいメディアテークせんだいメディアテークの外観。目の前の通りでは、映画『ゴールデンスランバー』(2010年)の「首相の凱旋パレード」シーンが撮影されたらしい

美術文化・映像文化のライブラリーがあったり、メディアに関するワークショップをやっていたりする複合施設だが、私は単純に「おしゃれで居心地が良い図書館」として利用していた。卒業論文を書くために、大学の図書館とメディアテークに日々通った。

初めて足を踏み入れようとしたときは、やりすぎだろと呆れるくらいキラキラと光を反射するガラス張りの建物に「入って良いものか……」と緊張したのを覚えている。ただ、意を決して図書館まで入っていくと、急にあたたかみのある空間に感じられるから不思議だ。広すぎず狭すぎない奥行きと天井の高さで安心感がある。

思えば、仙台は一事が万事そういうところのある街だ。何もすることがないほど狭くはないが、自分の足ではどこかにたどり着けないと感じるほど広くもなく、どこへでも行けそうなのに、それでいて先が見えて安心できる

一度だけ、自転車でがんばって八木山(やぎやま)まで登ったことだってある。八木山とは仙台市南西部に位置する標高100メートル前後の丘陵地だ。登った先には、遊園地「八木山ベニーランド」と「八木山動物公園」が待っている。

着ぐるみショーのアルバイトをしていた高校2年生から社会人2年目までのころ。先輩が運転するハイエースでベニーランドまでショーをしに来ていた。YouTubeで検索すると、お客さんの誰かが撮影したのであろう、当時の私が踊っている映像が出てくるので恥ずかしい。

園内には、「ジェットコースター」「八木山サイクロン」「コークスクリュー」という3つのジェットコースターがある。最も古いのは1968年の開園から稼動している「ジェットコースター」。園内の少し高い場所に建っていて、急降下のスリルを味わえるのが「八木山サイクロン」だ。

「あれは速いだけじゃない。今にも壊れそうなスリルまで加算されて、怖さが倍! お得だよなあ」

そんな先輩の話を聞いたのはもう10年近く前。八木山サイクロンは、以前と変わらず錆びた鉄をきしませながら動いていた。メンテナンスが絶妙だ。キィキィときしむ音、山に吹く強い風、怖いのか楽しいのかお客さんの歓声。そのどれも、10年後にも同じようにここで聞ける気がする。

八木山サイクロン八木山サイクロン
八木山ベニーランド八木山ベニーランドの観覧車と、ショーをおこなうステージ

楽天イーグルスの野球場、ベガルタ仙台のスタジアム、仙台文学館、宮城県美術館、仙台市科学館、プラネタリウム、バーベキューや芋煮会をした牛越橋(うしごえばし)、韓国映画を見に通ったミニシアター、初めてできた恋人のアパート、酔って寝てしまった後輩を起きるまで待った雑居ビル、初めて友達と外で缶ビールを飲んだ公園。

行きたいところは全部仙台にあって、どこにだって自分の足で行くことができた。自転車のペダルを踏んで、踏んで踏んで。

「私は行きたいところに自分の力で行ける」

そう実感できて、私に力と自信をくれたのが仙台という街だった。

自分が選んだ行きたい場所に、自分で行ける自由

仙台駅東口仙台駅東口から楽天の野球場へ続く道

東京は便利だ。電車に乗ってどこへでも行ける。でも電車中心の生活をしているうちに、自分の行きたいときに行きたい場所へ自由に行けるという感覚があまりなくなってしまった。何でもある都市に住んでいるはずなのに、自分自身はとてもスケールダウンしてしまったように感じる。

そんな感覚に抗いたいのか、東京でもつい「仙台に似た雰囲気の街」を探している。

西新宿五丁目駅から中野坂上駅のあたりは、広い道路の横に街路樹が並んでいて、どこか仙台の街並みを彷彿とさせる。自転車で東中野駅のほうまで駆け抜けたら気持ち良さそうだ。

一度、仕事で知り合ったAV男優が自転車で東中野のほうに走っていくのを見かけたことがある。東京に出てこなかったら、きっと私がAV業界の人と仕事をすることはなかっただろう。彼はどこから来たのか、どこまで行くのか。

いま住んでいる世田谷区のはじっこも、やっぱり街路樹が並ぶ広い道路が続いている。ただあまりにも道が長く、その道をずっと行ったらどこにたどり着くのかわからなくてちょっと怖い。

いまの私と、仙台と東京

東京

恋人と別れたら仙台に帰ろう。転職が上手くいかなかったら仙台に帰ろう。失敗したら、挫折したら、くじけたら、傷ついたら、もうダメだと思ったら、仙台に帰って仙台で暮らそう。そう思いながら、いつの間にか7年も東京で過ごしていた。

今も仕事や趣味の用事などで2~3カ月に一度は宮城に帰る。家族が喜んでくれるし友だちは構ってくれる。ただ、どこかお客さん扱い。7年の間に、私は宮城の人でも東京の人とも呼べない「何か」になっている、と気付いたのは最近のことだ。

消極的な理由で東京から逃げ帰っても、きっと仙台は私を受け入れて慰め甘やかしてくれる。でも、それは一度外に出てしまった私をお客さん扱いしているに過ぎない。今の私は、仙台を恋しがりながら東京にも良い顔をしようとする「卑怯なコウモリ」みたい。

慰められるための「逃げ帰る場所」ではなく、純粋に自分の意志で「行きたいと思う場所」として、いつか仙台に帰りたい。そのためには、取り繕って良い顔をしてやり過ごしてきた東京に、腹を括って向き合わなければいけないと思う。

もし次に引越しをすることがあれば、仙台ではなく東京を感じる場所を探してみよう。仙台について語るときのように自分にとっての「東京」を語れるようになったころには、仙台とのかかわり方も変わっているかもしれない。大丈夫、私は自分の足で行きたい場所に行ける。離れてしまっても、仙台が育ててくれたこの二本の脚は私のものだ。

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著者:むらたえりか (id:ericca_u)

むらたえりか

宮城県出身。東京でWeb広告制作ディレクター・コピーライターとして働いたのち、フリーランスライター・書籍編集者になる。ハロプロのライブ、手ごねパンづくり、フォークダンスのどれかが週末の楽しみ。

ブログ:静かなお粥のほとりから

編集:はてな編集部