六茶で過ごした三茶の日々
僕の人生は三軒茶屋と共にあるといっても過言ではない。そもそも実家から近いというのもあるのだが、高校時代は仲良し6人グループで毎日のように三茶に入り浸っていた。
どれくらいどっぷりだったかというと、自分たちのことを『六茶』と名乗るほどである。思春期ならではの香ばしいネーミングセンスだ。もちろん今でもわれわれのグループLINEの名前になっているので安心してほしい。
高校を卒業して『六茶』で集まることはめっきり減ってしまったが、大学に入ってからも生活の基盤は三軒茶屋にあった。というのも、そのときからお笑い芸人を志していた僕は、養成所の入学金を稼ぐために三茶にある『まんがの図書館 ガリレオ』という漫画喫茶でバイトを始めた。文字どおり図書館のようなオープンスペースで漫画を楽しめるお店で、最近では珍しい個室ゼロというストロングスタイル漫喫だ。
トレンドには逆行しているかもしれないが、地元の常連さんに愛されているとても温かくて落ち着く雰囲気が他店には出せない魅力だと思う。決して高くはない時給だったが、幸い大学にはどっか遊び行ったりするような友達がまったくできなかったので散財することなく、見る見るうちに入学金がたまっていった。
ハメを外し過ぎて単位を落としてしまうなどという大学生あるあるを一切経験しないまま順調に大学を卒業した僕はその後プロダクション人力舎の養成所に入り、プロのお笑い芸人への第一歩を踏み出した。そこで今の相方を含む同期たちと出会うことになるのだが、その中でも僕の三軒茶屋ライフに一番影響を与えたのが鳥山大介という人物だ。
入学当初、鳥山とは別のクラスだったのでほとんど交流はなかった。しかし養成所ライブが始まった9月あたりから徐々にお互いを認識するようになり、しゃべる機会も増えていった。話していく内にどうやら彼も地元が近く、三茶も生活圏内だということがわかった。それからふたりでお茶をしたり飲みに行ったりと、当時尖っていた僕がつくり上げた分厚い心の壁を天性の人当たりの良さで壊してきた。あのときのベルリンみたいなことが三茶でもひっそりと行われていたのだ。
ほどなくして僕らは養成所を卒業し、正式にプロのお笑い芸人として活動を始めることになる。とはいえ、夢見たスター街道をいきなり歩けるわけもなかった。なんならわれわれが芸人を始めた2013年は近年稀に見るお笑い氷河期といわれていた。テレビからネタ番組がなくなり、ライブからお客さんが遠のいた冬の時代に僕らは産声を上げた。
若手芸人のオアシス「まめ牛」
月数回のライブをこなすだけの生活が続き、そのほかの時間はネタをつくるかガリレオでバイトをするかの日々。その中でも僕らは運良くごく稀にメディアに出させていただける機会を何度かいただいたが、それで生活が大幅に変わることはなかった。それでもなんとかモチベーションを保ちつつやっていたが、状況を打破できない自分の無力さにやるせなさを感じていた。
こうして否が応でもたまっていくフラストレーションを吐き出す唯一の場所があった。それが鳥山と行く月に数度の『まめ牛』だった。『まめ牛』とは三軒茶屋に現在もある焼肉屋さんで、当時はソフトドリンクが80円だったり、煮込みが100円だったりと、とにかくリーズナブルにおいしいご飯がお腹いっぱい食べられるお店で、まるで若手芸人をターゲットにしているんじゃないかと錯覚してしまうほどのユートピアだった。定期的にどちらかが
「今日まめどう?」
というLINEを送り、お互い基本的に暇なのですぐに快諾し、数時間後には焼肉に舌鼓を打っているというのがいつもの流れだ。そこで最近あった出来事をシェアしてお互い心の内にあるドロッとしたものを吐き出してデトックスする。それだけではなくもちろん前向きな話もたくさんするのだが、その中で「いつかふたりのトーク配信をやりたいね」という目標ができた。
今でこそ芸人が自主的に配信をすることは当たり前になっているが、そのときはまったく市民権を得ていなかったので近いようでとても遠い目標だった。ふたりの間でも「まあ当分は無理だな」というのが正直な気持ちだったのか、それ以降話題に上がることはなかった。
ガリレオの救世主になったカミセキさんと、心のモヤモヤと
それからしばらくして、いつもどおりバイト先のガリレオに向かうと、店員たちが何やら騒がしい。「レジ金でも合わないのかな」などと呑気に事情を聞くと。
「うち、閉店するみたい」
一気に心拍数が上がる。完全に平和ボケをしていた。実はこのガリレオ、大阪で別事業をされている社長さんの漫画愛が高じてオープンしたお店なのだ。だからこそ、多少経営がうまくいってなくても大丈夫なのかなと思っていたが、そりゃあビジネスなので限界はある。いつまでもあると思うな親と金とガリレオ。
「食えるようになるまでは、ここでお世話になろう」と思っていた場所がなくなることになる。また新たにバイト先を探して、業務を覚えて、一から人間関係を築いて……。考えるだけでも億劫だし、あらためて芸人として売れてない烙印を力強く押された感覚になる。少なくとも食えてさえいれば、こんなこと考えなくてよかったのに。情けなさと悔しさでいっぱいになった。
閉店まではしばらくの猶予があったので、ひとつひとつの出勤を噛み締めながら働いていた。下世話な雑誌だけ読んで帰るおじいちゃん。なんかずっとタメ口の女性。いつも持ち込んだ柿ピーを食べながら幸せそうに漫画を読むサラリーマン。名前も知らないししゃべったこともないけど、この人たちにとっての居場所もなくなるんだなと思うと感傷的になる。
ぼちぼち新しいバイト先を探さなければいけなくなってきたころ、またしても店員たちが騒がしい。何事かと思って話を聞くと
「カミセキさんがお店を引き継ぐって!」
あまりに予想だにしない返答に理解が追いつかなかった。というのも、カミセキさんというのは僕よりもあとに入ったアルバイトの女性で、その人がガリレオを引き継ぐと言われても意味がわからなかった。
聞くところによると、人一倍ガリレオ愛のあるカミセキさんは「なんとか閉店を回避できないか」と考えた結果、自分がこのお店を引き継いで店長になるという結論に至ったらしい。なんだよその思考回路。さすがにマインドが主人公過すぎる。
そこからカミセキさんは毎日のようにガリレオの隅っこの席で経営についての本を山積みにして猛勉強を始めた。僕が見ても何がなんだかわからない用語や数字がノートにびっしりと書かれていた。明らかに疲れているのにもかかわらず、愛するガリレオのため、ガリレオを愛する人たちのために努力を惜しまなかった。
「がんばってください。お疲れ様でした」
勉強するカミセキさんに一言声をかけてタイムカードを押して退勤する。心に得も言われぬモヤモヤを抱えたまま。
新たな手応えを感じた、あの夜
忘れもしない2017年12月1日のこと。
「今日まめどう?」
鳥山からのLINEだ。その日はライブもバイトもなかったので、早いうちからまめ牛に集まった。いつもどおりのメニューに、いつもどおりのバカ話。でも何かがいつもどおりじゃない。何かがずっと引っ掛かっている。
今まで自分の置かれた環境を何の考えもなしに受け入れてきたけど、一回でも抗ったことってあったっけ。お笑い氷河期だからなあ。こんなにも愛したお笑いの世界に足を踏み入れたのに、愚痴を言っていいくらいがむしゃらにがんばれてたっけ。勝手に動かないと決めつけていた歯車が、ゆっくりと回り始めた。
「あのさ、配信やんない?」
当時、インスタグラムの新機能でインスタライブというのが始まったころだった。いわゆる生配信ができる機能なのだが、ほかと違ってアーカイブが24時間で消えてしまう。一見デメリットにも思えたが、僕らにとってはそれが好都合だった。なぜなら万が一事務所から怒られたとしても、記録さえ消えてしまえばバレないからである。氷を使った殺人トリックと同じ考え方だ。
とんとん拍子で話が進み、僕らは焼肉もそこそこに三茶で一人暮らしをしていた鳥山の家でインスタライブを始めた。こたつの上に置いてあったティッシュケースにスマホを立てかけ、すこし緊張しながら初めてふたりでよそ行きのトークをした。
あっという間に1時間の生配信を終えたふたりの率直な感想は「性に合ってるかもしれない」だった。得意かどうかはさておき、まったくもって苦じゃなかった。その日以降タガが外れたかのような頻度で生配信をするようになり、われわれはこの番組を『おこたしゃべり』と名付けた。
あの日から5年がたつ。今でも『おこたしゃべり』を毎日のように続けている。あまりの得体の知れなさに興味をもって今までたくさんのゲストが来てくれた。フワちゃんや岡田康太さんなど、あの日生配信を始めてなかったら仲良くなってないかもしれない人たちがたくさんいる。
ちなみに、あの六茶メンバーもゲストに来てくれたことがある。どんな芸能人が来るよりもレアかもしれない。もちろんバズってるわけでもないし大金が稼げているわけではないんだけど、そんなことどうだってよくなるくらい得たものがたくさんあったしこれからもあるんだろうなと思う。
ガリレオも僕も、未来へ進んでいく
そしてそのきっかけをくれたカミセキさんはというと、勉強のかいあって無事ガリレオを引き継ぐことができ、今も立派にお店を経営されている。自らの力でみんなの居場所を守ったのだ。
数年前になんとかお笑いだけで食べていけるようになった僕はガリレオを辞めたのだが、今も僕は三軒茶屋で一人暮らしをしている。街に思い入れがあるのはもちろん、一人暮らしをするにあたって三茶というのは非常に便利で、駅から徒歩3分圏内に基本的なお店はすべてそろっている。スーパー、薬局、コンビニ、カフェ、ファストフード。そのほとんどに向かうとき、ガリレオの前を通る。そのたびにあの日々のことを思い出す。未だに芸人として売れてはないが、後悔のない芸人人生は送れている。
ガリレオを通り過ぎた辺りで前の方から歩いて来るやけに見覚えのある男性とすれ違った。絶対知ってるのに名前がまったく思い出せない。自分の記憶力のなさにへきえきしていたらようやくピンと来た。
なんだ、柿ピーのサラリーマンか。
著者:森本晋太郎(トンツカタン)
プロダクション人力舎所属のお笑いトリオ「トンツカタン」のツッコミ担当。同事務所のお笑い養成所スクールJCAの21期生を経て2013年デビュー。「NHK新人お笑い大賞」2年連続決勝進出を果たす。現在も定期的に新ネタライブを開催中。レギュラー番組は、テレビ朝日「トンツカタン森本&フワちゃんのThursday Night Show~学ばない英語~」など。趣味は「配信」。100回ツッコむまで部屋を出られない「タイマン森本」の他、多くのYouTubeチャンネルを持つ。
編集:小沢あや(ピース)