過ぎた日のロマンティックは、東横線の「桜木町」

著: Q本かよ 

あのころ、東急東横線の終点は「桜木町」駅だった。
桜木町の駅前で待ち合わせをして、汽車道を歩き、ワールドポーターズの5階にある映画館でチケットを買い、映画の始まる時間まで、赤レンガ倉庫のカフェでお昼ごはんを食べたり、お茶を飲んだりする。映画を観たあとは、ランドマークタワーやクイーンズスクエア、コスモクロックが並ぶ夜景を眺めながら、ふらふらと散歩をする。気分が乗れば大さん橋まで足を延ばして、海風の吹くデッキで、とりとめのないお喋りを飽きるまでする。あのころ、毎日のようにそんなデートをしていた。いろんな人と、代わる代わる。

18歳の春。わたしは大学への進学を機に、横浜に住み始めた。最寄りは東急東横線の東白楽駅。通うキャンパスは湘南台だったので少し遠かったけれど、部活で日吉キャンパスにも通うことや、同居する姉との兼ね合い、諸々の折り合いをつけた結果、そうなった。そしてこれが、記念すべきわたしのアーバンライフ第一歩であった。

生まれ育ったのは、石川県の能登半島だ。チェーン店のチェーンがまったく届かない、小さな港町だった。マクドナルドもミスタードーナツも無い。ツタヤも無い。もちろん電車なんて走っていない。最寄りのコンビニまでは車で30分かかる。そんな街で、わたしは15歳まで暮らしていた。中学を卒業すると、いわゆるスポーツ留学というやつで、地元を離れ群馬県高崎市の高校に進んだ。高崎には多分、チェーン店のチェーンは十分に届いていたはずだ。しかし高校時代は厳しい寮生活で、行動範囲といえば学校と寮とテニスコートのみ。わたしは相変わらず、世間知らずな田舎者のまま、18歳の春を迎えたのだった。

というわけで、晴れて大学生となったわたしは、アーバンライフに大いに浮かれた。能登にいたころには想像も出来なかったような有名な大学にうっかり入れてしまったうえに、お洒落もお菓子も携帯電話も男女交際も禁止だった高校時代の反動もあった。とにかく目にするもの全部が新鮮で、少しおっかなく、とびきりにエキサイティングだった。なにせ電車の乗り方すら知らなかったのだ。映画館で映画を観たこともなかったし、ミルクレープを食べたこともなかった。入学してすぐのころ、大学の先輩が奢ってくれたミルクレープにいたく感動して、家に帰って姉に自慢したことがある。「日吉駅の近くにすっごい美味しいケーキのお店あったよ、ドトールっていうところ」と話したら、めちゃくちゃ笑われた。

ところで、そんな田舎者であったわりに、大学時代のわたしはモテた。いや正味な話、小学校でも中学校でも、けっこうモテてはいた。何というか、そういう性質なのだ。しかし高校3年間を部活に捧げ、厳しい女子寮生活を送っていたわたしは、自分が異性にモテる性質だということをすっかり忘れていた。ので、大学生となった自分のモテっぷりには、やはり大いに浮かれた。浮かれていたので、デートに誘われればホイホイついていった。如何せん都会の「デート」そのものに興味があったし、大学で出会う人たちは、生粋の都会っ子だったり、ものすごく文化に精通していたり、信じられないくらい頭が良かったり、それまで出会ったことのないタイプの人ばかりだったので、「こういう人でも自分に興味をもってくれるんだな」と嬉しかったし、断る理由がなかった。そうしてわたしはメキメキとデートの経験値を高め、二十歳になるころには、冒頭の「桜木町デート」をマイベストデートプランとして確立していた。

わたしは、大学時代から現在に至るまで「デートが趣味」と公言している。わたしにとってデートというのは「仲良くありたいと思う人と、日時を決めて会い、二人で同じ時間を過ごすこと」なので、相手の性別や恋愛感情の有無はあまり関係がない。重要なのは、二人きりということだ。二人きりで、お互いの心を開き合うということ。少しずつでもその人生を見せ合って、似た部分を笑ったり、違いに思いを馳せたりする。そういう時間がたまらなく面白いし、興奮する。

大学のころはとくにデートが楽しかった。正真正銘の世間知らずだったので、出会う人すべてにカルチャーショックを受けていたし、逆に自分への不安も大きかった。自分がどのくらい物を知らないのか、知っているのかも判断がつかない。自分を客観視するための材料が圧倒的に足りなくて、怖かった。だからこそ、研究資料を漁るみたいに色んな人とデートをした。目の前の人に自分がどう見えているのか、あるいは自分がどういう人や事に心が動くのか、知りたかったし、探るのが面白かった。あのころのわたしは、知らない世界の話や新しい価値観を、ものすごい勢いで吸収していったのだ。

「デートはどこに行くかではない、誰と行くかだ」などとのたまいながら、バカの一つ覚えみたいに繰り返していたマイベストデートプランの詳細を、ここに記してみようと思う。桜木町は、「わたしの思う理想のデート」をするのにぴったりの街だった。

まず、スタートは桜木町駅。東急東横線の桜木町駅は、出口が一つしかなかった。そこがよかった。わたしはひどい方向音痴なので、待ち合わせがうまくいかず時間をロスすることがよくある。なので、シンプルな構造の桜木町駅での待ち合わせは気持ちが楽で、ありがたかった。

そして、桜木町を入口とした「みなとみらい21地区」。このエリアのいいところは、道がきちんと整備されていて、広くて歩きやすいところだ。平日はもちろん、週末で人が多いときでさえ、人と二人並んで歩きづらいというようなことがまずない。都心の繁華街などでは、人混みの中ドラクエみたいに縦並びで歩いたりすることがあると思う。わたしはあれが大嫌いだ。せっかくのデートなのだから、周りを気にせず自分たちのペースで歩きたいし、お喋りもしたいし、手だって繋ぎたい。

そして、駅から延びる汽車道を天気の話などをしながら歩き、二人の空気が馴染んだころにちょうどたどり着く、ワールドポーターズの映画館。当時はまだオンラインチケットなどは普及していなかったので一度窓口に買いに行ったものだけれど、会ってまず二人でクリアすべき小さなタスクがあるというのは、デートの滑り出しとして悪くないことだったと思う。

それから映画までの時間は、赤レンガ倉庫に入っていた「chano-ma」というカフェによく行っていた。chano-maには分厚いマットが敷かれた「小上がり」という席があって、靴を脱いでそのふかふかのマットに腰をおろすと、とても寛いだ気持ちになれるので気に入っていた。chano-maには一人で行くことも多かったけれど、デートのときも必ず行った。靴を脱いでふかふかのマットに腰をおろすと、どんな人でも、心の門番が1人減る。ように思う。chano-maの小上がり席では、喋っても、喋らなくても、面白くても、面白くなくてもいいような、ゆるやかな時間が流れるのが好きだった。この時間をつくるために、観たい映画よりもずいぶん早めの時間に待ち合わせをしたものだ。

そして、二人で映画を観る。とくに初めてのデートに、映画はいい。映画自体が面白ければ最高だし、面白くなくても、一緒に観ればその後のお喋りの糸口が無限に増えるし、感想を言い合えば、その人にとってどういうことが笑えて、何を大切に思って世界を見ているのか、よくわかる。ただ向き合って食事をするよりも、よほどたくさん人間を知れる気がする。

そして映画を観た後は、やっぱり海だ。横浜といえば海。海と、ビルと、観覧車。わたしはたいへん健やかな田舎者であったので、ベタ中のベタともいえるそのロケーションに、それはもう心を踊らせたものだった。昼の薄青い海も、日が落ちた後の夜景も、夕暮れ時の高層ビルのシルエットも、いつ行っても、誰と行っても、大好きだった。誰彼かまわずデートをしていると、時々は楽しくないことも起きたものだけれども、きれいな景色を眺めていればご機嫌に時間は過ぎていった。

とりわけ、大さん橋は特別に好きだった。2002年、ちょうどわたしが二十歳になるころに完成した大さん橋に初めて行ったときは、それはそれは感動した。海外の建築家がデザインしたという奇抜な形にも驚いたし、そこから一望できる横浜の街も、海も、停泊している国際船も、吹いてくる強い海風も、ほんとうとは思えないくらい綺麗で、カッコよくて、心地よくて、広い広い世界!という感じがして、叫びたいほどわくわくした。

大さん橋からのビュー

大さん橋は、桜木町駅から少し遠のく位置にある。「大さん橋まで行こう」と、言うときと、言わないときがあった。特別に好きな場所だったので、ちゃんと好きな人としか行きたくないような気持ちもあった。とくに夜の大さん橋は、良くも悪くもロマンティックが過ぎるのだ。逆に、よくわからないけど、一緒に大さん橋まで来てしまったということは、わたしはこの人のことが好きなのか?みたいな、試金石的な場所でもあった。告白を、したりされたり。誰かと別れ話もしたような気がする。思い出深い大さん橋は、今でも大好きな場所だ。

そんなこんなで「桜木町デート」もいよいよ大詰め。ほとんどの時間を他愛ないお喋りに費やすタイプのわたしのデートは、二人ともじゅうぶんに喋ったなあというあたりで「帰ろう!」と唐突に終わる。終わらないこともまあ、時々はあったけれども、大体は終わる。来たときに天気の話をしながら歩いた汽車道を手を繋いで戻って、桜木町駅でさようなら。デートはおしまい。
デートというのは、その最中がロマンティックであればあるほど、二人の親密さが膨らめば膨らむほど、ばすんと終わるのがよいと思う。次の日に、なんだか幻みたいに楽しかったな、とあやふやな手触りが残るくらいがちょうどいい。それが「わたしの思う理想のデート」だ。

こんな、同じようなデートを、代わる代わる色んな人とした。「この道昨日も歩いたな…」と自分で可笑しくなることもあったけれど、大した問題ではなかった。むしろ同じようなコースを辿ることで、一緒に歩く人の多様さを感じていた節もある。そうやってわたしは、デート相手を鏡のように見つめながら、都会で生きていくための自我を形成していったのだ。

20年前と変わらずにあるコスモクロック

大学4年生になるころに、みなとみらい線が開通して、東急東横線から「桜木町」駅はなくなってしまった。と同時に、わたしのデート三昧の日々も何となく終わっていった。就活がとか、恋人がとか色々理由はあるけれど、そのころにはもう、わたしは怖くなくなっていた。もう、スターバックスで臆せず注文が出来るし、お洒落な美容室にだって通っているし、お気に入りのセレクトショップのお姉さんとも仲良くなった。「変じゃない?」といちいち姉に確認しなくても、自分で好きな服を着て出かけられるようになった。都会の暮らしを知ったことで、生まれ育った田舎の良さもわかるようになったりした。この街で生きる自分の輪郭を、ちゃんと捉えることが出来るようになっていた。

大学を卒業し、名古屋に就職したり大阪に引越したり結婚したりした十数年を経て、わたしは今、また東急東横線沿いに住んでいる。東京に越してきてすぐのころ、夫と「桜木町デート」をしてみたことがあった。開発が進んだみなとみらいのビルの多さには圧倒されたけれども、流れる空気は変わっていないように思えた。心をほんのり日常から剥がして、風を通してくれるような。世界はどこまでも広くて自由なのだと、励ましてくれるような。そういう清々しさが、変わらずにあった。わたしはやっぱり、桜木町が好きだなと思った。みなとみらい線の駅はたくさんありすぎて、どこがどこやら分からず散々迷ってしまったけれども。

夫とも、やっぱりお喋りをしながら歩いた。大好きな大さん橋にも行って、ちょうど停泊していた豪華客船を眺めながら「いつか世界一周クルーズ旅行とか行けたらいいね」と老後の話をしたりした。あのころ、若くて無知な自分が不安でたまらないという気持ちで眺めていた船を、今は老後を思いながら見ているのが可笑しかった。都会に憧れるたいへん健やかな田舎者であったわたしは、今や田舎暮らしに憧れる膿んだ都会人になりつつもある。

けれども、それは何だか誇らしいことのようにも思えるのだ。あのころの自分がもしも今のわたしを見たら、「都会人みたいなこと言っちゃって」と笑いながら、きっとそれなりに頼もしい気持ちになると思うから。もちろん、今には今の憂いがある。だけど、それでも。これまでだって、そのときそのときの不安やコンプレックスと戦いながら、それなりに一生懸命、頑張って生きてきたじゃないか!と。吹き抜ける海風の中で、二十歳のわたしが笑っているような気がする。

昔はなかった、未来みたいなロープウェイ。かっこいい

著者:Q本かよ

Q本かよ

1982年生。石川県能登半島出身。慶応大学環境情報学部を卒業後、広告業界でデザイナー・コピーライターとして活動。30歳から芝居の道を志し、大阪にて舞台を中心に活動。2016年の上京後も多くの演劇作品に出演し、近年ではTVCMや声優としてアニメーションやオーディオドラマに出演するなど活動の場を広げている。

 

 

編集:ツドイ