勝負【坂の記憶】

著: TUGBOAT 麻生哲朗

「都心に住む by SUUMO」で、2009年10月号~2018年1月号まで連載されたTUGBOAT・岡康道氏と麻生哲朗氏による東京の坂道をテーマにした短編小説「坂の記憶」をお届けします。

◆◆◆

f:id:SUUMO:20181031114132j:plain

 朝6時半。まだ寝ぼけている息子と中根公園に向かう。ふたりともジャージ。簡単な準備体操をして、中根公園を囲う住宅街をジョギングする。まずはなかなかな上り坂。左折を繰り返すと、旧岡田邸の門が見える寺郷の坂の下り。通りに出て左折すると、再び中根公園。距離はないが、上りと下りが入った、ほどよいトラックという感じのコースになる。公園に戻ると今度はそれを逆に回る。計3周、それが僕と息子の、最近の朝の日課だ。

 息子は近隣の公立小学校に、今春入学した。それまでは、福岡の私立幼稚園。入学を機に、息子と妻が上京してきた。

 福岡の大学を卒業し、福岡では大手に入る番組制作会社に入社した。テレビ番組、テレビCMの実制作を請け負うプロダクション、そこの企画部採用、それが15年前。福岡は、地方都市のなかでは、テレビ、CM業界が活況だ。東京の影響をあまり受けず、これも地産地消とでもいうのか、東京の数分の一の予算で、結構地元の企業が広告を出稿する。当然、仕事の座組みは、東京に比べればコンパクトで、企画は代理店の人と一緒にやるし、時には丸ごと委託される。加えて、企画部、演出部の人材が決して豊富ではないので、機動力重視の仕事であれば、企画をやりながら、そのまま自分で演出、つまりCM監督をやることも多い。僕は代理店の採用に落ちて、制作会社に入った口だったので、はじめは企画志望だった。数年経つうちに、実際に画を作り、編集し形にする、演出の仕事が圧倒的に面白いと分かって、そこからは、演出を軸に、企画も手伝うというステイタスで仕事に臨むようになった。

 自分の手で、つまりクラフトワークとして広告を作るには、規模が大きすぎる東京より、福岡のほうが、作り手の、僕が作ったんだ、という満足度は高いのかもしれない。

 30過ぎあたりから、九州内での広告賞に、自分の仕事がちらほらと入選するようになった。そのころ、同じ会社の経理の女の子と結婚した、つまり今の妻だ。

 地方で実績ができた仕事を、試しに東京の、つまり全国規模の広告賞に応募してみたら、毎年ひとつふたつ、大賞とはいかずとも入選するようになった。バジェットが違いすぎるので、同じ土俵で、東京の仕事と賞穫りを張り合うのは限界があるが、福岡の一連の仕事の、このディレクターは誰だ? ということにはなったみたいで、つまり僕は、福岡にいる割に広告業界でそこそこ名前が売れた。

 東京から、仕事がくるようになった。僕は会社をやめ、まずフリーになった。最悪東京からの仕事がうまくいかなくても、福岡でフリーでやっていけるという算段はあった。東京の仕事はやはり予算の考え方も、人の量も、福岡とは比較にならなかったが、自分のやり方をあまり変えずに、この規模感にさえ慣れれば、なんとかなるかもしれないという密かな感触もあった。

 2年前、思いきって拠点を東京に移した。妻と幼稚園の息子を福岡に残しての単身赴任、目黒のマンスリーマンション。遠い存在だった大御所のディレクターに話を聞けたし、福岡にいては到底オファーできないフォトグラファー、スタイリスト、なによりテレビタレントがいる、それが東京だ。

 彼らから見れば僕は「コイツは誰だ」と、値踏みされる存在だ。ここから数年が勝負だと思う。妻と息子が上京してくれると聞いたときは、嬉しくもあり怖くもあった。もう戻る場所はない。

 うちの息子はおとなしい。僕はそんな彼が大人っぽくて好きだが、知り合いが誰もいない小学校へ入学し、妻の話では、まだ友達作りに苦労しているみたいだ。同級生が遊んでいる公園にも、あまり行きたがらないというメールが、夕方妻からきたりすると、すこし胸の奥底が重くなる。

 何の解決になるか分からないが、息子と朝のジョギングを始めた。まぁこれですこしでも脚が速くなって、クラスで面目が立てばそれもよし、そうでないにしても、朝ごはんをしっかり食べればちょっとは元気が出るだろう、少なくとも朝いきなり学校のことを考えるよりはいいんじゃないか、そんなことを思いつつ、息子と並んで、走る。福岡にいれば、大濠公園を走っていたはずで、この狭い住宅街を走らせているのは、すこし申し訳ない。

 いつもついてくるだけだった息子が、寺郷の下り坂で、ふざけて僕を抜かしていった。僕もそれを追い抜かす。息切れしながら、ふたりで爆笑した。

 そうだよ、東京を味方につけようぜ、どっちがうまいことできるか、オレたち競争だな。


f:id:SUUMO:20181031114247j:plain

寺郷の坂
住所:目黒区中根2丁目と緑が丘1丁目の境界
アクセス:東急東横線都立大学駅徒歩約8分

寺郷の坂の名のルーツは、坂上に立源寺があったことから一帯が「寺郷」という地名で呼ばれ、それが坂の名にも用いられたことである。また、「寺郷」は村でいえば衾村に属していたが、坂の周辺に評判の水茶屋があったことから「衾の茶屋坂」という別名もあった。坂の半ばには歴史のありそうな屋敷の門があるが、これは江戸時代、このあたりの名主であった岡田家の長屋門。当時、岡田家は森の中にあり、寺郷の坂の坂下である呑川緑道はまだ川の姿を露わにしており、水車も回っていたという。かつて目黒が農村であったことを感じさせる寺郷の坂である。



賃貸|マンション(新築マンション中古マンション)|新築一戸建て|中古一戸建て|土地




■坂の記憶 その他の記事
suumo.jp



著者:麻生 哲朗

あそう・てつろう/株式会社TUGBOAT CMプランナー。1996年株式会社電通入社(クリエーティブ局)。1999年「TUGBOAT」の設立に参加。主な仕事にライフカード「カードの切り方が人生だ」シリーズ、NTTドコモ「ひとりと、ひとつ。」、モバゲーなど。CM以外にも作詞、小説、脚本などに活躍の場を広げている


写真:坂口トモユキ

都心に住む by SUUMO」2017年7月号から転載