父の上京【坂の記憶】

著: TUGBOAT 麻生哲朗

「都心に住む by SUUMO」で、2009年10月号~2018年1月号まで連載されたTUGBOAT・岡康道氏と麻生哲朗氏による東京の坂道をテーマにした短編小説「坂の記憶」をお届けします。

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 上の娘が、カナダの大学に留学することになった。短期留学ではない。もちろん親として多少の不安はあったが、娘の本気を信じ、送り出すことになった。そして昨日、娘は無事に成田から出発した。親の不安をよそに涙もなく、実にからりとした見送りであった。

 見送ったのは私、妻、高1の長男、そして私の親父。

 何カ月か前、娘が留学したいと言っている旨を電話で伝えた際、親父は「頼もしい」と、孫のその決断を褒めた。親父にとって、娘は初孫。目に入れても痛くない、いくつになっても可愛くて仕方ない存在なので心配するかとも考えたが、そんなことはなかった。孫を褒める親父の声を聞きながら、まぁそうだろうなと改めて思った。

 一昨日、娘の見送りのために、親父は神戸から新幹線で馳せ参じた。昔からフットワークが軽く、定年退職後はそれにむしろ磨きがかかり、サラリーマン時代より忙しいのではという毎日を、親父は送っている。趣味の写生、短歌では地元の集会の理事を長年務め、健康管理にも余念がない人だ。

 今回も、上京した日にわが家で娘の壮行会をかねた夕食、翌日に娘を見送ったかと思えば、もう明くる日、つまり今日には神戸に戻るという慌ただしさだ。予定が詰まっているとのこと。

 母が他界して10年。母が生きていたころは、定期的にふたりで東京のわが家へ、孫に会いにやってきた。親父が一人になってから(それは孫たちが次第に成長し、それぞれが部活動なり、自分の生活が出来始めたこととも無関係ではないが)その頻度は減ったものの、それでも不定期に、なにか機会があればパッと新幹線に乗ってやってきて、楽しそうに過ごしたかと思えば、パッと帰っていく。孫たちも、いつもどこか豪快でせっかちな親父にはなついていた。愛でる祖父と孫、というよりは年齢差を超えた友人という関係に見える。こちらで一緒に住まないかという打診もしたことはあるが、神戸を離れる気はないと即答された。会いたくなればいつでも会える、と。

 健脚自慢の親父は、新幹線を降りると品川から五反田まで山手線で移動、そこから中原街道をとことこと歩き、桐ヶ谷坂を上って、わが家まで一人でやってくるのが常だ。送り迎えを嫌い、自分のタイミングで動くことを好む。約束の時間に縛られるのが疎ましいらしく、妻は、自分が義父のケアをしない嫁、ということになるのではと、結婚当初は気にしていた様子もあったが、今となっては「うちのおじいちゃんはそんな人」という構えだ。

 私は大学入学を機に、神戸から上京、そのまま東京の企業に就職し、現在に至る。一応関西の企業も受けようかと思っているというようなことを、就職活動のときに親父に話したら、くだらない保険をかけるな、なんのために東京に出たのだと、嗜められ、結局ずっと東京暮らしだ。東京で同僚と結婚し、東京にマンションを買った。本社勤務でおそらく今後も転勤はなく、子どもたちも東京以外の土地を知らない。神戸には時々帰省していたが、母が亡くなってからは、むしろ親父が上京してくることのほうが多くなった。親父曰く「俺が動いたほうが早い」のだそうだ。

 私はもちろん、経済的には自立しているし、一家を養っている自負だってあるのだが、今でも時折心の中で、こういうとき親父はなんと言うだろうか? ということを自分の判断基準にしているところがある。うだうだと迷っていることを、親父の、ある種無責任な、しかし端的な一言で、自分なりに解決できた記憶がいくつかあるからだと思う。そしてそう思いめぐらすことは、若いころよりも、結婚し夫となり、父となり、会社では管理職になりと、自分の人生が多層的になればなるほど、増えた気がする。親父に直接聞くことはないのだが、そう考えてみることで、自分の居住まいというのだろうか、生き方の指針を微修正している自分がいる。

 朝食をすませると、親父はそそくさと準備を始め、それじゃ戻るからと玄関へ向かう。日曜なんだからもう少しゆっくりしたらと妻が引き止めたが、今帰れば向こうで半日あると笑う。親父を見送るために、中原街道まで出るが、そこから先はやはり一人で帰るらしい。「タクシーに乗ったら? このまままっすぐ行けば、品川なんだから」と言うと、その地理的な事実は知らなかったようで「そうなのか?」と珍しく反応したが、少しだけ考えた父は「まだ早いな、それは」と提げたショルダーバッグをポンと叩き、歩き出した。

 坂を下っていく父の背中は、どうしたって幼いころのそれよりは細く小さく見える。あぁ私はまだあの人の息子なんだなと、その背中を見ながら思う。

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桐ヶ谷坂
住所:中原街道、品川区西五反田6丁目付近
アクセス:東急池上線大崎広小路駅より徒歩約8分

中原街道の坂の名だった桐ヶ谷坂。名の由来は周辺の地名「桐ヶ谷」だ。その名は桐の木が多く茂る窪地、または霧の深い谷だったことが命名の理由といわれている。このエリアを中心とする桐ヶ谷村は、1878年(明治11年)の郡区町村編制法施行で隣接した大崎村に吸収合併された。しかし、街には交差点をはじめ名が残っているものが多く、桐ヶ谷坂もそのひとつといえるだろう。といいつつも、現在の中原街道、桐ヶ谷坂は上を走る首都高速2号線の工事によって原形はほとんどとどめていない。ちなみに首都高速完成以前、明治のころの中原街道、桐ヶ谷坂は水田の中を通っている道だったという。


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著者:麻生 哲朗

あそう・てつろう/株式会社TUGBOAT CMプランナー。1996年株式会社電通入社(クリエーティブ局)。1999年「TUGBOAT」の設立に参加。主な仕事にライフカード「カードの切り方が人生だ」シリーズ、NTTドコモ「ひとりと、ひとつ。」、モバゲーなど。CM以外にも作詞、小説、脚本などに活躍の場を広げている


写真:坂口トモユキ

都心に住む by SUUMO」2016年9月号から転載