中退【坂の記憶】

著: TUGBOAT 岡 康道

「都心に住む by SUUMO」で、2009年10月号~2018年1月号まで連載されたTUGBOAT・岡康道氏と麻生哲朗氏による東京の坂道をテーマにした短編小説「坂の記憶」をお届けします。

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 高校をやめたのは、特に明確な理由があった訳ではない。もともと第一志望の私立に落ちて、仕方なく通い始めた都立だ。行きたくないと感じ始めたら固執する理由もなかった。

「高校をやめる」という15歳の決断は、周囲に波紋を呼ぶ。両親はとっくに離婚していて、僕を連れて実家に出戻っていた母は「やはり女親一人の子育てだから、こういうことになるんだ」という世間の目(実際には、そんなふうに因果関係を持ち出す人などいないのにもかかわらず)をひどく気にしていた。その実家、つまりは鳥居坂下の母の生家から、その窮屈な二世帯住居から逃げ出した父親は、仙台坂上に一人で暮らしていた。父は父で「放蕩息子になったのは、父親がいないからだ。自分の勝手な行動が子どもには良くない影響がある」という、これまた実在しない世間体に悩み始めた。そもそも僕は放蕩などしていない。ただ学校がどうしても趣味に合わない、自分がいるのにふさわしくない、という身勝手で切実な感覚に正直になっただけだ。

 母の実家は鳥居坂下を青山方面に歩いたところにあった。最近でこそヒルズやテレビ局が出来てにぎやかな場所になったけれど、僕が子どものころは六本木が直ぐ近くにあるわりには、人通りのさほどない地域だった。歩道に沿って建てられた5階建ての小振りなマンションが、母の実家。その1、2階を店舗に貸し出し、3階〜5階を住居としていた。

 祖父が亡くなったのは僕が生まれる前なので、僕の記憶は4階に住む祖母と、上の階の僕たち3人家族から始まる。しかし、近くの中学に通い始めたころに、父が家に帰って来なくなった。そのことと符合して、祖母が一緒に夕食をとるようになり、すぐに朝食にも参加し始めた。可愛がってくれた祖母は、父を悪く言うことも多く、その度に僕は黙り込みそっぽを向いたりした。父がどこに住んでいるのか、初めは知らされていなかったけれど、歩いて15分くらいに父がいることを知り大きな安心感となった。

 暗闇坂を上り、一本松坂も上り、仙台坂上まで10分かからない。そこから、有栖川公園に向かって少し歩いたところが父が住むマンションだ。3階建ての戸建てで、玄関は共通だがエレベーターで直接3階に着く構造だ。大家さんは1階で暮らす感じのいい老夫婦だった。

 高校1年の夏休みに僕は退学を決めた。そして、祖母と母の叱責から逃れるために、父の住むマンションに小さな引越しをした。実際には、母の家も僕の部屋はそのままにしてあったわけで、引越しというより平行移動に近い。父は突然の僕の闖入に戸惑っていたが、そして高校をやめたことに当初混乱しているようだったが、それよりも一人息子が自分を頼ってくれたことを喜んだ。少なくとも僕にはそう映った。

 土日の食事は外食。今までには行ったこともないレストランに父が毎週連れて行ってくれた。自分が急に大人になった気がした。実際には、目標も指針もなく中卒の資格しかない、非常にまずい状況ではあったのだが。平日の食事は、自分でつくるか、それも面倒なときは母の実家に向かった。

 有栖川公園の図書館に毎日通った。本を読んで秋から冬を過ごした。孤独ではあったが不幸ではなかった。充足と疎外を同時に抱えながら、僕は16歳になった。

 次の春の休日、ピーコックからの買い物の帰り道、ちょうど一本松坂にさしかかった辺りで「一本松、って恥ずかしい名前だな。マニッシュというか、筋が通り過ぎるっていうか。こういうことをいうのは俺も苦手なんだが」と前置きして、「学ばないのなら、働かねばならない。僕も母さんもいつかいなくなる。君は一人で生きてゆく方法を得なくてはならない」と父は言った。

 ネットで調べて、下町の鳶職や大工さんを毎日見学させてもらった。職人の方たちはみんな優しくて、とびきり若い新人を喜んで案内してくれた。2カ月後に僕は、結論を父に伝えた。

「僕にはできない」と。

「それなら、勉強を続けなくてはならないよ。何を仕事にするか、決まるまでの間、人は学び続けるんだ」と父は言った。固くて強い何かを父のなかに見た気がした。

 その時から2年半かけて僕は大学受験資格を取得した。

 大学を出て父と同じ半導体メーカーに就職した。父は僕が入る前年に早期退職し、今は山中湖畔に恋人と暮らしている。祖母は他界した。母はまだ勤務医を続けている。僕は、一本松坂の下のマンションに暮らす。近くの母を気遣い、遠くの父を思いながら。


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一本松坂
住所:港区元麻布1丁目と2丁目の境界
アクセス:各線麻布十番駅徒歩約8分

高台のある麻布は坂の宝庫。一本松坂は麻布十番の商店街から道沿いにオーストリア大使館を有する暗闇坂を上ったところにある。今も坂上にある一本の松が名前の由来だ。この松は江戸時代、「秋月の羽衣松」と呼ばれていた。「秋月」とは近くにあった大名・秋月家の屋敷から。「羽衣松」とは、かつて平安時代の武将、源経基がこの地を訪れた際、着ていた京装束を脱いで松にかけ、別の衣服に着替えたというエピソードによるもの。ただし、この松は明治時代に枯れてしまう。その後に植えられた二代目の松も太平洋戦争の戦災で焼け、現在の松は戦後に植えられた三代目の松である。



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著者:岡 康道

株式会社TUGBOATクリエイティブディレクター、CMプランナー。早稲田大学法学部卒業後、株式会社電通に入社。1999年、日本初のクリエイティブエージェンシー「TUGBOAT」を設立。主な仕事にTOYOTA「ハリアー」、サントリー「ペプシ」、キヤノン「70D」シリーズ、大和ハウスなど。ADC賞、TCC最高賞など受賞歴多数。また、小説に『夏の果て』(小学館)がある



写真:坂口トモユキ

都心に住む by SUUMO」2017年4月号から転載


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books.spaceshower.jp