ぼんやりした味【坂の記憶】

著: TUGBOAT 麻生哲朗

「都心に住む by SUUMO」で、2009年10月号~2018年1月号まで連載されたTUGBOAT・岡康道氏と麻生哲朗氏による東京の坂道をテーマにした短編小説「坂の記憶」をお届けします。

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 坂と同じ名前のラーメン屋が魚籃坂下にあって、東京に出てきたてのころは坂の名前なんて知るはずもないから、てっきりその店は海鮮系の出汁をとる店だと思っていた。味噌の店だと、同僚に教わって、後から知った。白金高輪の駅ビルに入っているオフィスからは、歩いていける距離だ。この店の人気は、強い辛みのオロチョンラーメンだが、僕は普通の白味噌ばかりを注文する。そしてこの店には、できる限りひとりで行くようにしている。

 札幌郊外で生まれ、すすきのをテリトリーにしていくことが青春だった高校生活を経て、大学進学で上京した。私立文系の受験は、滑り止めを含めて2週間にも及び、その間の新宿でのホテル暮らしは、初めて感じる孤独だったけれど、それは遠足の前日の、眠れない布団の中の孤独に似ていた。どこかには受かるだろうと楽観していたし、実際いくつかの大学に受かった。そんなことより、4月以降のその先の生活にワクワクしていた。そもそも当時はまだ、ツイートやら、SNSで孤独でないことを確認しあう文化にはなっていなかった。

 結論から先に言うと、僕は上京して1年で大学を中退し、札幌へ戻った。実家住まいながら、あまり実家には寄り付かず、すすきのでお金を稼ぎ、すすきのにお金を落とすフリーター生活は2年半続いた。あっという間の2年半だった。僕が通っていた大学に再入学制度があると教えてくれたのは兄だった。見かねたんだろう。再入学できる期限としてはギリギリで1年の留年も許されないようだったが、僕は実に速やかに再入学の申請をし、審査を受け、もう一度東京に戻った。そう、実に速やかに。つまりその2年半のすすきの時代は、僕にとってそういうものだったということだ。

 初めて東京に出てきたとき、それなりに東京に期待していた。そして期待の仕方を決定的に間違えていた。東京が僕を楽しませてくれると、おそらく僕は思っていた。東京と夢という使われすぎてすり切れた単語は、えてしてセットで扱われるけれど、それについても、僕は東京で自分の夢を叶えるでもなく、見つけるでもなく、東京が僕に夢を与えてくれると思っていたような気がする。そんなはずはないと気づくのに1年はいらなかったけれど、その1年で、そこから人生を修正するほど大人にもなれておらず、ただつまらないという落胆だけを抱えて、僕は札幌に舞い戻った。

 2度目の東京は、期待するものではなく、利用するものになった。接し方を変えれば、確かに便利な街だ。夢、のようなものは、多くのまがいものを含めていくつでも転がっているし、それらは相対的で、はっきりとした成功もない代わりに、はっきりとした失敗もない。なにより、日々が面白くないのは東京のせいではない、単に僕のせいだということに気づいているだけでも、ずいぶん気が楽だった。

 首都圏の中古マンションを一棟買い取り、リノベーションして再販売する、中規模のマンションデベロッパーに就職して、今も東京に暮らしている。あと数年で、札幌よりも長く東京で暮らしていることになる。それなりに頑張ったんじゃないかと自分では思う。どんな間取りにするか設計士と話し、顧客と話し、図面を引くのも、暮らすのも自分ではないが、何か新しく始まるちょっとしたことにちょっとした形でかかわれているこの頃合いで、僕の夢のようなものはうまいこと消化されているのかもしれない。この仕事でなくてはならなかった、ことなどまるでない。この仕事でなくても、きっとまた違う形で折り合いはついたんだろう。そして、だからといって今の仕事を疑っているわけでもない。

 味噌ラーメンが大好きだったかと言われると、根っからの、とは言えない。たださりげなく、自分のルーツを確認するための味だ。だから辛みの強いオロチョンだとかえって困惑してしまう。

 ルーツを確認する儀式は、無意識ながら同時に、きっと今いる東京を確認する儀式でもある。つまりそもそも期待する場所でもない代わりに、僕に対して、徹底的に無責任な代わりに、見方によっては、実はとても自由な空間に自分は今いるんだということを、確認している、という意味で。

 一度東京に傷つけられた自分と、無言で、そんな自分をしばらくの間慰めてくれていたすすきのの2年半と、何事もなかったかのように再び自分を取り込んだ2度目の東京と、それらをすべて、なんとなく味わうには、仕事の隙間に、ひとりで食べる、温くて、どこかぼんやりとした白味噌ラーメンがちょうどいい。

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魚籃坂
住所:港区三田4丁目8番と高輪1丁目5番の境界
アクセス:各線白金高輪駅徒歩約5分

国道1号線、魚籃坂下交差点から上る坂。坂上は伊皿子坂へ通じる。古くから近辺に住む人にとって「魚籃坂下」は都電の停留所の名として記憶している人もいるかもしれない。名の由来は坂の途中にある魚籃観音が安置された魚籃寺。江戸初期に現在の大分県中津市に建立された魚籃院が前身で、1652年に現在の場所に本尊が移された。以降、江戸三十三観音札所の第二十五番として信仰を集める。「魚籃」とは魚を入れる籠のこと。魚籃観音は唐の時代の中国で仏教を深く信仰する魚を扱う美女が、死後に観音の化身とされたのがルーツという伝説が残っている。



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著者:麻生 哲朗

あそう・てつろう/株式会社TUGBOAT CMプランナー。1996年株式会社電通入社(クリエーティブ局)。1999年「TUGBOAT」の設立に参加。主な仕事にライフカード「カードの切り方が人生だ」シリーズ、NTTドコモ「ひとりと、ひとつ。」、モバゲーなど。CM以外にも作詞、小説、脚本などに活躍の場を広げている


写真:坂口トモユキ

都心に住む by SUUMO」2017年9月号から転載