カーブの向こう【坂の記憶】

著: TUGBOAT 麻生哲朗

「都心に住む by SUUMO」で、2009年10月号~2018年1月号まで連載されたTUGBOAT・岡康道氏と麻生哲朗氏による東京の坂道をテーマにした短編小説「坂の記憶」をお届けします。

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 まだ遊びたがっていた上の娘を、おばあちゃんとご飯を食べにいくよと無理に説得して、公園から野川沿いの緑道までなんとか連れ出した。上の娘はこの春から小学生だ。東京なら、お受験で騒がしいかもしれないが、筑波の集合住宅住まいのわが家は、家から徒歩5分の公立小学校に入学するだけだ。

 土曜日。母の68回目の誕生祝いで、成城の実家に戻った。「実家は成城」というと、知人たちは相当な誤解をするが、そういう「成城」ではない。僕が生まれ育ったのはごく普通の、喜多見に近い庶民的な成城だ。喜多見不動のはす向かいの小振りな一軒家、生まれてから就職するまで、一度も引越しすることなく、僕はそこで育った。

 昼前に実家に着き、母のつくった昼食の後は、案の定取り立ててすることもなく、上の娘を連れて、野川を挟んで反対側の小さな公園に散歩に出た。今年は都内でも雪が数回降ったらしく、春というにはまだまだ風が冷たく、今はもう知り合いもいないので、公園にもそう長くはいられなかった。

 野川を眺めながら緑道を歩き、左に折れると、小田急線の高架をくぐる。そこから実家までは、かなりな坂道になっている。娘も、公園に向かうときは、はしゃいで駆け下りたりしていたが、おそらくこの帰りの上り道は、途中でごねだすんじゃないかとうすうす思う。坂は右に、左にと大きくうねっていて、坂上まで見通すことはできない。箱根の一部分だけ、移植してきたような坂道だ。昔から変わらない。

 僕が小学生のころ、父の職場は生田の方にあって、父は毎日、小田急線で通勤ラッシュとは逆方向に出勤していった。会社が生田に工場をつくったタイミングで、技術者だった父も生田に転勤になった。余裕で座って本が読めると父が喜んでいたのを覚えている。

 父の帰りはいつも遅く、会うのは朝と休日だけ、夜は僕と妹が寝た後に帰ってくる日々だった。そんななかで週に一度、水曜日だけは会社が「定時間日」、今で言うノー残業デーを設けていて、よほどの会合でもない限り、父は夕方に家に戻った。僕と妹にとって水曜日は「父の帰りが早い日」だった。

 父は急行に乗り継いだりするのを面倒くさがった。だから成城学園前ではなく、ひとつ手前、各駅停車の喜多見駅で降りて、家まで歩いて帰ってきた。急行に乗るには向ヶ丘遊園で一度降りて乗り継がなくてはいけない。

 そんな水曜日の父の帰宅時間はだいたい決まっている。僕と、3つ違いの妹は、夕方父が帰ってくる頃合いになると、坂を下って、父を迎えに出た。

その日だけ、父は駅前のケーキ屋(といってもチェーン店だが)でエクレアを家族の人数プラス1個分、買ってくる。プラス1というのは、4人家族でひとつずつという、その4という数字を嫌っただけなのだが、このプラス1は僕と妹にとっては重要なプラス1で、僕と妹の2人で分けるのだけれど、どちらか片方が半分に割り、割らなかったほうが選ぶ権利があるという決まりだった。自分のを大きくしようとすると、それは相手にとられてしまうという絶妙の決まり事で、当然僕も妹も、じっくり選ぶ役がよかったから、どっちが半分に割るかを毎回じゃんけんした。じゃんけんに負けるとそれは真剣に、どっちを選ばれてもいいようにきっかり半分に割ろうと神経を使った。

 妹はエクレアが楽しみだったのかもしれないが、僕は坂の途中で父を見つけるのがゲームみたいで好きだった。

 左右にうねるその坂は、先が見えない。あのカーブを曲がったら父がいるか? 次のカーブを曲がったらいるか? それがなんだか面白かった。その面白さに気づいてからは、むしろ「2つ目のカーブを曲がったところでお父さんにちょうど会う」、そのタイミングで家を出る、という遊びになった。

 出るのが早過ぎると、坂下までいってしまって子どもながらに悔しかった。父が雑務で少し遅れたりすると、川の近くで待ちぼうけをくらい、それは当時の僕には大ハズレだった。

 やはり疲れたと言ってごね始めた娘の手を引いて、坂を上る。

 あのころ、父と僕とエクレアの紙袋を持った妹が坂を上っていくと、家の前に母が待っていた。その母の姿も、坂のカーブを曲がると見える光景だった。 父はもういない。母がこの住み慣れた家で独り暮らしになって5年になる。

 夕食の後にでも、一緒に住まないかと、僕はおそらくまた母を誘ってみる。そしておそらく母はまた断るだろう。僕も父と同じようにメーカーの技術職になった。「筑波は遠いよ」と母は笑う。

 娘を抱き上げ坂を上る。今日もあのころと同じように、母が坂の上で立っている気がした。

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不動坂
住所:世田谷区成城4丁目喜多見不動付近
アクセス:小田急線成城学園前駅、喜多見駅ともに徒歩約8分

世田谷区は意外なほど緑に恵まれているが、人気の住宅街である成城でも、少し歩けば一級河川、野川にぶつかる。この野川のそばにあるのが不動坂。名前の由来は坂の途中にある喜多見不動尊とされている。創建は明治9年(1876)とされているから、不動坂の名も、少なくともそれ以降についたものであろう。この坂の特徴はまず急であること。そして、都合4度、カーブが続くことである。急であるだけに、坂上や喜多見不動からの見通しはよい。実際、近所には成城富士見坂と呼ばれる坂もあるほどだ。人気の住宅街とこうした場所が隣り合わせになっているのも、また東京、都心の奥深さである。

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著者:麻生 哲朗

あそう・てつろう/株式会社TUGBOAT CMプランナー。1996年株式会社電通入社(クリエーティブ局)。1999年「TUGBOAT」の設立に参加。主な仕事にライフカード「カードの切り方が人生だ」シリーズ、NTTドコモ「ひとりと、ひとつ。」、モバゲーなど。CM以外にも作詞、小説、脚本などに活躍の場を広げている



写真:坂口トモユキ

都心に住む by SUUMO」2011年5月号から転載


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books.spaceshower.jp