導かれて【坂の記憶】

著: TUGBOAT 岡 康道

「都心に住む by SUUMO」で、2009年10月号~2018年1月号まで連載されたTUGBOAT・岡康道氏と麻生哲朗氏による東京の坂道をテーマにした短編小説「坂の記憶」をお届けします。

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 出羽坂を上って、駅の向こうの大学病院に15年も通ったのだった。

 発症の記憶はない。1歳半のときだからだ。親はわが子にさまざまなポージングを教えこむのは珍しいことではない。バイバイ、握手、女の子だったらキッス、頭をぺこっと下げるお辞儀。そんなふうに親は、僕に「万歳」を教えようとした。そう聞くと両親がずいぶん愛国主義的人物のようなイメージが起きるかもしれないけれど、そんなことはない。全然ない。ただ、簡単な言葉を理解して、会話までは到達していないけれど、身体的であってもコミュニケーションというものを二男に教えようと試みたのだ。そして僕の右腕は上手に天を指したものの、左腕は地面に垂れたままだった。兄は両親の不安な表情を今も覚えているという。

 5歳年上の兄には症状がなかった。左腕のマヒは、同じ環境に生活しながら僕にだけ起こった。それ以来、家の前の坂道を上って駅の近くの病院に通う日々が始まった。大学病院に家から行けるのは、不幸中の幸いである。病気の子どもを抱えて、電車に長く乗らなければならない母親の苦労は想像しただけでも大変だ。JRの線路に沿う出羽坂はやや急ではあるが、子どもの足でも15分も歩けば大学病院なのだ。

 母は僕を連れて、頻繁に大学病院に通った。僕の記憶も4歳になると、微妙にカタチをなしてくる。雲がゆっくり流れて少し晴れ間が見えるように、そのころの日々を思い出すことができる。元気な兄を家に残し、母と手をつないで歩く坂道の記憶。母を独り占めできるうれしさとともに。

 4年生になると、左腕の通院は週に一度になった。そして、母は僕を一人で通院させるようになった。症状に劇的な変化もなく、親が聞かなければならない医師の話もなかった。一人なので、病院の帰り道に駅の近くにある本屋で、漫画を立ち読みするようになった。読むだけではもの足りなくなり、描くことに挑戦していた。兄は僕の漫画の最初のファンだった。しかしそのころ、僕は次の大きな病気にかかった。

 「小児ぜんそく」はアレルギーによって起こる。ハウスダストやペットや時には気温の変化によっても。同じ環境で育っていながら、兄に発症しないのが不思議だ。「なぜ、いつも僕ばかりなんだ?」と人生の不公平を10歳で知った。神様は依怙贔屓をしている。気管支の発作は、寝ているときに起こる。母は起きだして背中を撫でてくれる。咳は容易にとまらない。しかし隣に寝ている兄は一度も起きない。熟睡できるのだ、隣で弟の発作を聞きながら。兄のタフネスを少し恨んだ。

 学校に行くのも2日に一度。体育は常に見学。「いつ咳が始まるかもしれない」恐怖から、僕はさらにおとなしい子どもになっていった。廊下を走りたくても、ゆっくりゆっくり歩いた。授業中にみんなと騒ぎたくても、発作が怖くて騒げない。授業中は先生の話をじっと聞いていた。他に選択肢はなかった。だから、成績はものすごく良かった。勉強と漫画のほかにすることもないのだから。

 中学も高校も家から歩いて通える公立を選んだ。高校生になると、なぜかぜんそくの発作はすっかり出なくなった。マヒしていた左腕は右に比べれば幾分かは細いけれど、日常生活に支障はない。僕はただ成績のいい静かな高校3年生になった。

 兄は野球で誘われた強豪高に進んだが、甲子園には出られなかった。野球で入学させてくれる大学はなく、かといって普通に受験するには偏差値が厳しい。強豪野球部と偏差値の両立はできない。兄は二浪して地方の新設の私立大学に受かった。初めての一人暮らしに興奮しながら、兄は楽しそうに東京を出た。「カラダに気をつけろ」と妙に当たり前のことを僕に言って。

 僕は、今、駅の向こうの大学病院に勤務している。健康と引き換えに得た「偏差値」の使い道として、15年通った大学病院の医学部を選んだ。進路としてほかになりたいものはなかった。僕は小児科医になった。漫画は今はもう読むだけだ。毎朝坂を上り駅前の横断歩道を横切り、病院に着く。この道を僕はずっと歩いている。母の言うように、「導かれている」のだとしたら、それは一体何によってなのかよく分からないけれど。

 東京から離れて中学校の体育教師になった兄は、生徒たちにこう語っている。「健康が一番。元気ならなんとかなる。でもな、病気になって元気がなくても素晴らしい人生をつくることもできる。つまり、どっちでも大丈夫だ」と。正月に家族で会ったときに、そう言っていた。僕は何も言わずに雑煮を食べた。


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出羽坂
住所:新宿区南元町4番、二葉乳児院と中央線線路の間
アクセス:総武線信濃町駅徒歩約8分

信濃町駅から四ツ谷駅方面へ向かう線路沿いの坂。かつてこの地には1949年から1960年まで営業していた「松平ホテル」という有名なホテルがあった。江戸幕府の将軍家・徳川家とのつながりを示す「松平」という名のとおり、明治初期、この辺りが江戸末期の松江藩主・松平出羽守の屋敷であった。「出羽坂」の名もそれが由来である。ただ、実は江戸時代の寛文・延宝年間には生実藩(現在の千葉市中央区周辺)の藩主・森川氏の屋敷もこの辺りにあり、当時の藩主・森川重信も官位はまた出羽守であった。つくづく出羽守と縁のある坂なのである。




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著者:岡 康道

株式会社TUGBOATクリエイティブディレクター、CMプランナー。早稲田大学法学部卒業後、株式会社電通に入社。1999年、日本初のクリエイティブエージェンシー「TUGBOAT」を設立。主な仕事にTOYOTA「ハリアー」、サントリー「ペプシ」、キヤノン「70D」シリーズ、大和ハウスなど。ADC賞、TCC最高賞など受賞歴多数。また、小説に『夏の果て』(小学館)がある



写真:坂口トモユキ

都心に住む by SUUMO」2017年10月号から転載


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books.spaceshower.jp