戦わなくてもいい街「両国」で、僕は戦い続ける。

著: 横川良明 

東京は、戦いに行く街だった

大阪生まれの僕にとって、引越してきて17年になる今も、東京は戦いに行く街だというイメージがある。BUMP OF CHICKENの『車輪の唄』を聴きながら夜行バスに揺られること8時間。降り立った新宿のビル街は、目も眩む威容だった。

新卒で入社したのはテレビ業界。会社の所在地が銀座であることが、ミーハーな僕のひそかな自慢だった。だけど昼も夜もないAD業務に音を上げ、あっという間に退職。その後、南青山、丸の内で働いたのち、28歳でフリーランスのライターという道を選んだ。思えば、職場を選ぶ決め手の6割くらいがエリアだった。ミーハーにも程がある。

エンタメ業界を取材して回るようになってからも、赴く先は華やかなエリアが多かった。恵比寿、六本木、中目黒。初めて訪れたときはおっかなびっくりだった足取りもすっかり慣れ、合間に立ち寄る人気のカフェやダイニングが取材の楽しみの一つになった。

大阪にいたころ、僕はドラマに出てくる都会の暮らしにいつも憧れていた。『29歳のクリスマス』みたいに表参道を闊歩したかったし、『恋ノチカラ』みたいに広尾のベーグル屋で朝からベーグルを買いたかった。

気づけば29歳のクリスマスはとっくに過ぎてしまい、広尾の『PAPAS PANYA』も恵比寿の『ZEST CANTINA』もなくなってしまったけど、それでもそうやって画面の向こうで見ることしかできなかった世界で働いていることは、自分を誇らしい気持ちにさせてくれた。小さなことかもしれないけど、夢がかなったみたいだった。

観劇オタクにはたまらない、交通アクセス良好の「両国」

一方で、住む場所はというと、対照的に下町ばかりを選んでいた。最初に住んだのは、葛飾区の立石。そこから墨田区の押上に移り住み、千葉県の浦安を挟んで、また墨田区に舞い戻った。中でも両国は特別な愛着のある街だ。

あまり知られていないが、アクセスはすこぶるいい。東京駅まで13分。新宿にも1本で行けるし、JRと大江戸線の2路線が使えるのも便利だった。六本木まで乗り換えいらず。牛込神楽坂にも直通で14分だったので、神楽坂でしこたま飲んだ夜でさえ0時を回ってもまだ電車で帰れた。

いろんな劇場への便がいいのも、観劇を趣味としている身としてはありがたかった。明治座(浜町)ならチャリで行けるし、劇場が密集する日比谷・有楽町近辺には最短約15分。TDCホール(水道橋)ならわずか9分。北の最果てと言われるシアター1010(北千住)でさえ新御徒町経由で18分というツワモノぶり。劇場を出て30分も経てば家でゴロゴロしていられるのは、ソワレで帰りが遅くなる観劇オタクにはうれしいポイント。渋谷方面に行くには多少時間がかかるけど、山手線の東側に主に用事がある人にとっては、かなり使える街だと思う。

心をほぐしてくれる、個性豊かな飲食店と銭湯

それでいて、実はおしゃれなスポットもそこそこある。オススメなのは『ボンズハウス』。店外のテラス席は冬はこたつになっていて、下町の住宅街に突然現れるその店構えは抜群のインパクトがある。麹を使った料理がメインで、体にもヘルシー。黒い革張りのソファは座り心地が良くて、1人で来てものんびり過ごすことができる。夜は煌々としたオレンジの光に照らされながら、若い人たちが楽しそうにお酒を飲んでいて、横目で通り過ぎるだけでも不思議と幸せな気持ちを分けてもらえた。

『ボンズハウス』からさらに北に行くと『LEAVES COFFEE ROASTERS』というロースタリーがある。以前は肉屋と魚屋だったところを改装した店内はザ・ブルックリンスタイル。それが両国の下町情緒に調和していて、自然と街並みに溶け込んでいる。店内に鎮座する焙煎機によって自家焙煎されたコーヒーは、後味がすっきりとしていてフルーティー。営業日は土日月の3日間のみで予定が合わないことも多いけど、隅田川の向こう側には系列の『LEAVES COFFEE APARTMENT』というコーヒースタンドがある。そちらは月曜以外は営業しているので、散歩がてらよくテイクアウトをした。

1日、自宅仕事になることも多い身としては、気分転換できる場所も重要だ。そこで頼りになったのが、『Theater Zzz』。茶と花と果物を自分好みにセレクトできる「SUKICHA(数寄茶)」は優しい味わいが心をほぐしてくれたし、テントの張られた店内は何とも言えない巣ごもり感がある。靴を脱いで、クッションにダイブし、PCのキーボードを叩いていると、自室のデスクよりずっと柔らかい文章が書ける気がした。

しっかりとした公衆浴場があるのも、風呂好きにはたまらない。1947年創業の『御谷湯』は、感度の高い若者にも刺さるデザイナーズ銭湯。木目と黒タイルが生み出す格調高い空間はモダンでありながら両国らしい江戸前の雰囲気も感じられて、ワンコインで贅沢な気分を味わえる。サウナがないのが難点と言えば難点だけど、その分、お風呂に集中できたし、隣の錦糸町にはサウナーの間では知らない人がいないと言われるほど人気の『黄金湯』があるので、用途に応じて使い分けができた。ハードなスケジュールでクタクタになった体をよく『御谷湯』が癒やしてくれた。

そうした若い感性によってどんどん進化していく一方で、この土地に古くから住む人たちによって守られている両国らしさも、僕は好きだった。おしゃれなカフェに憧れる一方、個人経営のレトロな喫茶店に落ち着く自分もいて。

清澄通り沿いの『一丁目茶房』は、まさに昔ながらの古き良き喫茶店だ。年配のマスターとママによって営まれているそのお店は、初めて訪れた人でもまるで何度か来たような懐かしさがある。下町の女性らしいママはよく笑いよく気が利く人で、グラスが空になるとさっとお冷やを注いでくれた。アナログな店なので電子決済はできない。それに気付かなかった若いサラリーマンが現金を持っていないことを告げ、来週に来たときに払いますと詫びると、ママは「いいのいいの」とさっぱり笑っていた。そのやりとりを見ているだけでほっこりしたし、自分がいつも戦っている場所とここが同じ世界線で結ばれていることが何だか信じられなかった。

同じ通りにある『幅田屋』は、自炊をする気がまったく起きないときの駆け込み寺だ。周辺で働くサラリーマンに愛されるそのお店のカツ丼は、とろりとした卵との絡み具合が絶品で、そばとセットで頼めば成人男性の胃袋も満足のボリューム。何でもないと言えば何でもないお店なんだけど、1000円足らずで満腹になれるチェーン店ではないお店が近所にあるのは、独り身にとっては心強かった。

「数字にしか自分の価値はない」と思い込んでいたあのころ

この街に住みはじめた30代半ばは、仕事の面でも大きな転機を迎えた時期だった。『おっさんずラブ』というドラマへの愛をぶちまけた記事がバズり、僕を知っている人の数が急激に増えた。

自分から営業をかけたときは相手にされなかった大手メディアから、こぞって「うちで記事を書いてください」と依頼が来る。すごくありがたかったけど、SNSのフォロワーが増えただけで扱いが一変することに、少し戸惑っていた。

それでも僕は「いつかこのお祭り騒ぎも終わるんだろうな」と妙に冷静な気持ちだった。自分の文章なんてあっという間に飽きられるだろうし、あくまで僕は作品のブームに乗っかっているだけで、書き手として評価されているわけではない。この熱狂は決して自分に対するものではないんだ、と浮かれそうになる功名心に自制をかけていた。

その一方で、注目が集まっているうちに結果を出して、ポジションを掴みにいくしかない、とはやる気持ちもあった。仕事はスケジュールの許す限り全部受けたし、出す記事の1本1本が自分にとっては勝負だった。

つまらない記事を書いたら一瞬で見限られる。あれはほんのまぐれだったのだとバレるのが怖くて怖くて仕方なかった。あのころは、記事が公開されるたびにTwitterに張りついて、感想をあさっていた。自分の価値は、ページビューとかインプレッションとか、目に見える数字の中にしかないのだと思い込んでいた。

両国は、戦わなくてもいい街だった

そんな、拡散とか、知名度とか、成功とか、ステータスを追うことに躍起になっていた僕にとって、両国はバズらなくてもいい街だった。外に出れば、誰もそんなことは気にしてない。『一丁目茶房』のママはSNSなんて見てもいないだろうし、『御谷湯』でスッポンポンになれば誰もスマホは持っていない。

エンタメの世界はいつも華やかだ。テレビ局に行くといまだにおのぼりさんみたいな気持ちになるし、天井の高いスタジオで1着何十万円もするハイブランドを着こなす俳優の撮影をそばで見ていると、なぜ自分がここにいるのかわからなくなる。憧れの場所ではあったけど、いまだにどこかサイズの合わない服を着ているような違和感はこびりついている。日々の情報量は膨大で、新しく出てくる人気者の気配を常に敏感にキャッチしなければいけなかったし、トレンドになりそうな作品をチェックするのに必死だった。気づけば、自分が本当に好きだったドラマや映画は何だったのかわからなくなりそうだった。

それに引き換え、両国はちっとも華やかじゃない。気合を入れてめかしこまなくても、スウェットで出歩ける。雑誌に特集されるような最新のスイーツはないけれど、『浪花家』の鯛焼きはいつだっておいしかった。戦わなくていいということが、僕には何より心地よかった。

心が疲れたときは、よく隅田川に足を延ばした。隅田川はいつものどかで、川沿いの遊歩道を歩くと、幼稚園の子どもたちがカートに乗せられてお散歩をしていた。先生がトンボを捕まえる。それを見て、園児たちがうれしそうに声を上げる。忙しない世界で、ここだけトリミングされているようだった。

水上バスが、川の上を走る。昔、一度だけ乗ってみたことがあるけれど、実際に乗ってみたら川の臭いがキツくて、そんなにいいものではなかった。でも、こうして外から眺めてみると、決して美しいとは言えない隅田川を走る水上バスは、やっぱりキラキラして見えた。

たぶん、あらゆることがそうなのだろう。ドラマの主人公みたいになりたくて東京に来て、何かを掴んだ気はするけど、だからと言って満たされているとは限らない。川の臭いみたいに、不安はいつもつきまとっている。それでも進むしかないのだ。どこかに辿り着くことを信じて。

そう言えば、この隅田川の景色も昔よくドラマを見て憧れたな。森下に住む瀬名と南は、隅田川をバックに最終回でキスをした。川は続いているのだ、あのころから今へと。そう思うだけで、胸がじんわりと熱くなった。

いつの間にか園児たちはいなくなっていた。この世から音がなくなったみたいに、静かな時間が流れる。あと少しだけぼーっとしたら家に帰って原稿を書こう。僕はまだ戦うことができる。

著者:横川良明

横川良明

ドラマ・演劇・映画を中心にエンタメ分野を取材。著書に、『役者たちの現在地
』(KADOKAWA)、『人類にとって「推し」とは何なのか、イケメン俳優オタクの僕が本
気出して考えてみた』(サンマーク出版)がある。
Twitter:https://twitter.com/fudge_2002

 

編集:小沢あや(ピース)