家賃8千円の部屋で下積み。ブレイクして初めて「東京に来た」感じがした――髭男爵・山田ルイ53世さん【上京物語】

インタビューと文章: 戸部田誠(てれびのスキマ) 写真:関口佳代

進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。地方から東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。

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今回の「上京物語」にご登場いただくのは、お笑い芸人・髭男爵の山田ルイ53世さん。

成績優秀で「神童」と呼ばれ、地元・兵庫県で有数の進学校に合格しながらも、中学2年生から引きこもりに。大検を取り大学に通うも中退し、「逃げるように」上京したそうです。

短くない下積みを経て「ルネッサーンス!」のフレーズとワイングラスでの乾杯漫才で大ブレイクしましたが、その後、テレビの仕事は激減し「一発屋」と呼ばれるようになりました。現在は、執筆業で再び注目を浴びている山田さん。そんな激動の東京生活について伺いました。

6年間の引きこもり生活から、愛媛の大学へ

―― 地元の兵庫県三木市は、どんな街でしたか?

山田ルイ53世さん(以下、山田):ホントに田舎です。自転車でちょっと走ったら牛のフンの匂いがするような。手引のこぎりの生産量が日本一で、金物の街ですね。僕が住んでいたのは、神戸で働く人たちのベッドタウンとして開発が進んだような、何の変哲もない住宅地でした。思い出といえば、近所のお寺の境内できれいなタマムシを見つけて「町内で唯一タマムシを捕まえた男」と呼ばれたくらいで。

―― 中学2年生から引きこもりになったそうですが、そのころ、東京に出て一旗上げようみたいな野望はあったんですか?

山田:まったくないです。そもそも「東京」っていうのを意識したことがなくて、先のことは何も見えてない、考えられない、みたいな状況でした。

―― 大検を受けて愛媛大学に行かれました。なぜ愛媛だったのですか?

山田:引きこもっていた20歳手前くらいのときに、成人式のニュースを見たんです。同世代が手の届かないところに行っちゃうという焦りから、大検を取りまして。何で愛媛かというと、すごくぼんやりとしたモチベーションなんですけど、おふくろの出身が今治で、少しは知っている土地だったんです。あと、本当に失礼な理由なんですけど、単純にセンター試験の点数だけで通れるところはどこかって調べたら、愛媛大学の法文学部の後期日程だったんですよ。引きこもっていた直後なんで、試験にも極力行きたくなかったんですが、そのときだけぐっと我慢して息を止めるくらいの気持ちで、神戸まで受けに行きました。

合格しても、「おめでとう」の感じがすごく嫌で、入学式すら行かなかったです。自分的には決して春の門出みたいな感じじゃなかったから、そういうのに触れたくなかった。大学には、新入生歓迎みたいな空気感が全部沈静化してから初めて行きましたね。

―― 大学時代は一人暮らしだったんですか?

山田:一人暮らしです。家賃3万円くらいのアパートで、単身赴任者用みたいな感じでしたね。

―― それはどのように決めたんですか?

山田:親父と一緒に決めました。僕が愛媛大学に行くことが決まって、やっと引きこもりの息子が家にいる状況から解放されるっていう気持ちが勝ったんだと思うんですけど、部屋探しは熱心にしてくれましたね。実際、送り出すときは晴れ晴れとした顔をしてました。確かに息子が6年間も引きこもっていろいろトラブルを抱えている状態は大変だっただろうから、しょうがないなって思いますけどね。

大学時代にお笑いを始め、“夜逃げ同然”で上京

―― 大学時代にお笑いを始めたそうですね。

山田:入学式にも行かなかったくらいだから、正直大学の授業に身が入ってなかったんですよ。中学1年生のときに「山田くんはこのままいけば東大に入れる」って先生に言われて有頂天になったんです。だから、本当に失礼な話なんですけど、愛媛大学に入って引きこもりを脱することはできたけど、たどり着いた先が、ここかぁ……みたいな思いがあって。

適当にやっていたら早々に4年で卒業できないことが分かったので、引きこもりのリハビリを兼ねて、いろいろなバイトをしていました。そこで知り合った1学年上の人に、その人の彼女が通ってる大学の学園祭で、漫才をやってみないかって誘われたんです。引きこもり明けで漫才なんてできるのかなって思いながらも、リハビリだと思ってやることにしました

―― そのときはどんなネタを?

山田:なぜか僕がネタを書くことになって、通販番組のパロディのようなごくごく普通の漫才をやってみました。そうしたら、お客さんもみんな身内だからめちゃくちゃウケたんです。それで二人ともお笑い芸人になろうって盛り上がった。吉本興業さんがやってる「よしもと大博覧会」の四国予選や、大阪にあった心斎橋筋2丁目劇場のゴングショーにも出たりしてました。

―― そこから大学を2年で中退し、上京したんですね。

山田:中退というより、僕の中では除籍だと思ってます。誰にも言わずに勝手に出ていったんで。夜逃げ同然、失踪ですよ。

―― 当時の相方さんと一緒に行こうとは思わなかったんですか?

山田:裏切られたような気持ちになる出来事があったんです。「よしもと大博覧会」で自慢の通販ネタをかましてやろうかってときに、その人が緊張して、ネタを全部飛ばしちゃったんですよ。そんな出来だったから、僕は帰りの車で「こいつのテンパリ癖をなんとかせなあかんな」みたいなことを考えながら、後部座席で寝たふりをしてたんです。そしたら、当の本人は運転してくれてた女友達に「実はお笑いより小説を書きたい」「だからお笑いはこれで終わり」みたいなことを話し始めて。

―― ああ、一緒に芸人になろうって言ってたのに。

山田:絶望的な気分になりました。でも考えてみたら、やっぱり一生懸命勉強して大学入ってって人生を積み重ねてきた人が、全部捨ててお笑いやろうってならないですよ。僕はそういう過程を経てなかったから、前のめりになってたんです。それから、一人で何とかしようと思って東京のNSC(吉本総合芸能学院)の試験を受けて合格して、家も全部引き払って上京しました。

―― 兵庫出身だけど大阪のNSCではなく、いきなり東京に行ったんですね。

山田:もういい歳だったので、大阪から始めるよりは直接東京に行った方がいいと思ったのと、あとは大阪が怖かったんですよね。大阪の笑いや芸人が、っていうのももちろんあるんですけど、関西人としては「大阪」自体に畏怖する気持ちがあった

家賃8千円、北大塚の部屋で過ごした下積み時代

―― 初めて東京に来た印象は?

山田:最初に住んだのは北大塚っていう街でした。でも、中学は進学校に行って調子に乗ってたけど、引きこもりになって、大学には入ったけど結局だめで、一緒にお笑いやろうって言ってた相方は小説家になるって離れていって……って感じで、負けに負けてたどり着いた感じなんです。だから「上京」って感じじゃないんですよね。反対に「下京」あるいは「落京」。逃げてきたって感じで、夢は何にも抱いてなかったです。

最初の北大塚の部屋は、電話だけで決めたんですよ。4畳半の風呂・トイレなしの部屋。しかも、事情があって入居日の1週間前に東京に着いたので、入居するまで北大塚の路上で暮らすことになりました。っていうのが、初めての東京です。そんなにいい思い出ではないですね。

―― 住んでみて北大塚の街はどうでしたか?

山田:JRの最寄駅で言うと大塚駅なんですけど、話に聞いていたような東京感はなかったですね。でも自分にとっては、東京感がないのは逆に良かったかなって。

最初に住んでたアパートは家賃が1万9千円くらいで、普通に考えたらめちゃくちゃ安いんですけど、当時の僕はそれすらも払うのが厳しくなった。それで不動産屋さんに「1万円を切る物件はないか」と相談したら、何を言ってるんだこいつ、とんでもないやつが来たぞみたいになったんですけど、結果的に「3畳で8千円」っていう掘り出し物を探してくれたんです。結局、お笑いでご飯が食べられるようになるまで、ずーっとそこに住みました。

―― 8千円! そこも北大塚ですか?

山田:同じ町内です。上京するときは服2枚と手荷物くらいしか持ってきてなかったので、台車を借りて全部の荷物を運び入れただけで引越しが完了しました。大家さんが1階に住んでて、僕が借りた2階の部屋は、亡くなった旦那さんの釣り道具置き場だったんです。

風呂はもちろんなくて、トイレは共同。ホントに座敷牢みたいな狭い部屋。それでも人間って、ちょっとでもよくしようと思うんですね。部屋の押入れの引き戸を取っ払って、そこに布団を敷いて少しでも広くして寝ようと。そうしたら、押し入れの真下にちょうど仏壇があったんです。朝5時くらいになったら、1階から背中を貫くように「チーン!」って音が響いてくる。そして、ここの家賃も滞ることになるんですけど。

―― バイトはしていたんですか?

山田:最小限ですね。全部を捨てて逃げてきて始めたお笑いだったんで、芸人がバイトしたら負けみたいな気持ちがあったんですよ。「東京まで来て、お笑いやらんとバイトばっかりしてたらあかんわ」って。本当は、バイトした方がいいんですよ。生活がちゃんとあってこそ、お笑いに集中できる。僕はお金がなくなったら、たまに肉体労働をやっていました。荷揚げ屋っていう、建築現場でもとりわけキツい重労働があって、それで日銭を稼ぎました。

―― そのころ、思い出深い場所や店はありましたか。

山田:30歳くらいまでお金がない状態で暮らしてたので、取り立ててあの店のあれを食べた、みたいなことはないんですけど、「ぼんご」っていう有名なおにぎり屋さんは覚えています。その店の前をよく通って「ええなあ、美味しそうやな、でもお金ないからこんなところで食べられへんなあ」って。決してそんなに高くないんですけど、当時はそのお金もなかった。それで、売れてから食べに行ったっていう収まりのいい話はあります。

乾杯漫才でのブレイクと、結婚を経て

―― 北大塚にはどれくらいまで?

山田:30歳くらいまではいましたよ。『進ぬ!電波少年』に出たときも住んでいたし、ちょっとご飯を食べられるようになってからもしばらくいましたね。当時、付き合っていた女性がいまして、全然売れてないころから支えてくれていたんで結婚しようと思ってたんです。乾杯漫才でブレイクして、正直バーっとギャラも入ってきたんで、いよいよ引越すときだなって、三茶に引越したんですよね

―― おお、いきなり三軒茶屋!

山田:そのときに「俺は成功したな」って気持ちは禁じ得なかったですね! それまで家賃8千円だったのが、三茶に引越して一気に19万円くらいになったんです。結構キレイな新築のマンション。もし結婚を考えるような彼女がいなければ、ネタになるから8千円のアパートのままでも良かったし、引越すにしてももうちょっとおとなしいところでも良かったんですけど、まあ、奮発しようってことで。

―― 部屋はどのように決めたんですか?

山田:物件は彼女が探してきました。僕は「金は何とでもなるから。住みたいところに住めばいいさ」みたいな。でも、今考えたら三宿の淡島通り沿いの環境的にも閑静なところで、学校も近くにあるし、結婚生活を踏まえて選んでくれたんだと思います。

―― それで、結婚されたんですか?

山田:いや、2008年に彼女の浮気が発覚しまして。別の男と箱根旅行に行ってたみたいなんですよ。ちょうどその数日前に、ずっと彼女に苦労をかけてたから、恩返ししないとと思って、ものすごく高い時計をプレゼントしたんですよ。「今までありがとな。これは手始めではございますけど……」って。僕の買った時計で旅行の待ち合わせしたのかなとか思うとムカッと来て(笑)。「どういうことやねん」って、相手の男に会いに行ったんです。

―― ええ!

山田:相手には、どこそこの交差点に何時に車停めといて、って言って。当時は一番旬な時期で自意識も高くて、顔バレしてしまうから喫茶店とかで会うのはマズイって思ったんですよ。長丁場に備えて自動販売機で缶コーヒーを相手の分と2本買って、助手席の窓をコンコンって叩いたら、彼は僕の顔を見て「ハッ……!」って。僕は「ええから、ええから」って言いながら、向こうの話を聞いたんです。最終的に彼女に任せようってなったんですが、その日のうちに向こうを選ぶって結論が出まして。「マジか……ッ!」って。

―― あー、彼女は自分を選ぶだろうって思ってた。

山田:もちろん長年付き合ってきたのもあるし、正直言って明らかに当時の僕の方が相手より稼いでた。自信はあったんですけど、彼女はすぐに荷物を持って出ていって、僕は三茶に1人残されるっていう。しばらく三茶に住んでましたけど、今の奥さんとお付き合いし始めたころから、奥さんが前の女性と住んでた家は嫌って言ったので、中目黒の青葉台一丁目のマンションに引越しました。家賃は23万円! そして、そこに引越してから急激に「一発屋」と化していくんです

―― うわあ。

山田:毎月気が気じゃないわけですよ。あー、ヤバい、ヤバいと。それに、子どもができたというのもあって、1回態勢を整えたいみたいな気持ちになったんです。中目黒ってステキな街だし「俺、芸能人してるな」とも思えたんですけど、お店がたくさんあってにぎわっているような雰囲気は、子どもを育てる感じじゃないかなって。家賃ももうちょっと抑えようと思って、今の家に引越しました。

“東京を持て余している気持ち”を抱えながら、踏みとどまっている

―― ブレイクしたあと、東京の印象は変わりましたか。

山田:変わりましたね。やっぱり「お金がない」って、絶望的に人生が広がらないんですよ。単純に物が買えないし、どこかに遊びにも行けない。まずは一応ご飯が食べられるようになって、さらにある程度お給料を頂けるようになってから、それまで行けなかったところに行けて、買えなかったものを買えるようになりましたから。だから、売れたときに初めて、「東京に来た」感じがしましたね。 

―― 今、よく行く街や場所ってありますか。

山田:ブレイクしたからといって、芸能人がよく通う西麻布みたいなところはそんなに行ったことがないし、好きなわけじゃないんですよ。結局、あんまり東京・東京していないところの方が落ち着く。自分が住んでいるところの周辺くらいしか、あんまり出歩かない。家族で外食するときも、決まった5軒くらいをルーティンで回してる感じですね。この取材的には「オフの日にはどこどこの街でボルダリングをしています」と答えた方がいいのかもしれないですけど。基本的に引きこもり気質は変わってないのかもしれないですね。東京ってホントに、休日にボルダリングするような精神状態の人間じゃないとなかなか満喫できないですよ。余分なオプションがいっぱいある

―― ああ、「余分なオプション」。確かに。

山田:「暮らしているだけなら、いらんでしょ。何でこんなもん付けたん?」っていうオプションが多すぎる。売れたときに、恵比寿のおしゃれな店に後輩たちを連れて行って1回に10万円近く払ったりとか、そういうことを一瞬やりましたけど、ホントに不毛だったなって。自分には合ってない。そういう意味では東京を持て余してる感じがあるんですけど、ありがたいことにまだお仕事をちょくちょく頂いているので、踏みとどまってるって感じですね

―― 今は節制している感じですか?

山田:奥さんと子どもがいる、というのがでかいですね。この1万円を、ええ日本酒を飲むのに使うのと、娘の学資保険に充てるのとどっちかって言ったら、娘に使いますよ。芸人としてはすこぶるダメなんです、何にも面白くないですから。でももともと、あんまり物欲みたいなのはないんですよ。引きこもったり、家賃8千円の何もないところで暮らしたりしていたから、ある種、削ぎ落とされてるんです。だから何にお金を使っていいのかも分からない。

―― 何か趣味とかはないんですか?

山田:趣味の類は一切ないですね。それは芸能人としても、人間としてもコンプレックスではあるんですけど、そういう人間だからしょうがない。そんな人間が果たしてオプションだらけの東京を満喫できるのかとは思うんです。東京ほど、余暇を充実させようという圧がスゴい街はないじゃないですか。そこにフィットできてないって気持ちはありますね。せっかく東京にいるのに、みたいな。

―― 今は山梨のラジオ局でレギュラー番組があって、営業などで地方に行くことも多いと思いますが、都市と地方で何か違いを感じますか?

山田:今のところ、東京に“実家感”がないんですよね。娘にとっては、今ここが実家なんだと思うんですけど、借家だし、実家という感じがしない。だから、“戻る場所”みたいな意味で、いつか東京を離れた方がいいのかなと思ったことはあります。

―― 芸人として、東京の街に住んでいたい、みたいな思いはあるんですか?

山田:テレビ局をはしごするような生活をしていれば、絶対東京なんですよ。でも年に何回かのテレビ仕事で、あとは地方での仕事という今の状況だと、ほぼ「地方に行って東京に寄って寝る」という感覚なんですよね。こんな大都会なのに僕の中ではベッドタウンになってるんです

―― 東京は山梨のベッドタウン(笑)。

山田:現状で考えるとまったく東京で仕事がないわけじゃないけど、率で言うと地方の方が多いから。最近は物書きの方のまね事みたいなことをさせてもらう機会が多いので、もしそっちの仕事で食べられるようになったら、もはや東京にいる必要性がないんですよ。そのへんは、もうちょっと先の話ですけど「考えなあかんのかな」って思ってますね。

―― 最後に、夢を持って上京しようと思っている若者にアドバイスはありますか?

山田:ワハハハ。アドバイス? 最近出した本(『一発屋芸人の不本意な日常』朝日新聞出版)の帯に「人生諦めが肝心」「全ては”なりたい自分”になれず、“自分らしく”生きることができなかった、『終わった人間』の世迷言」なんて書いてあるような人間ですよ。

もちろん、何者かになろうと夢を持って上京してくる若者は、そのまま「がんばればええやん」って思うんです。若い人がワクワクするような夢や希望は、東京にはたくさんある。けど、そうじゃない人もいると思うんですよ。僕みたいに、海のゴミのようにたまたまそこに流れ着いたっていう。

そういう人だったり、夢が叶わなかった人でも、東京にはしんなりと生きていけるキャパがあるとも思うんですよ。まあ、「機嫌ようやってください」と。何かしら生きていける方法は、東京には多いと思うんで。


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お話を伺った人:山田ルイ53世

山田ルイ53世

お笑いコンビ「髭男爵」のツッコミ担当。1975年4月10日、兵庫県生まれ。本名・山田順三。地元の名門中学に進学するも、引きこもりになる。大検を取得して愛媛大学に進学するも、中退して上京し、芸人の道へ。2017年に「新潮45」で連載した「一発屋芸人列伝」が「第24回 編集部が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」で作品賞を受賞するなど、執筆業でも注目を集める。著書に『ヒキコモリ漂流記』(マガジンハウス)、『一発屋芸人の不本意な日常』(朝日新聞出版)など。

ブログ:カンパイオトコ Twitter:@higedanshakuY53

聞き手:てれびのスキマ/戸部田誠 (id:LittleBoy)

てれびのスキマ/戸部田誠

テレビっ子。ライター。著書に『タモリ学』(イースト・プレス)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『人生でムダなことばかり、みんなテレビに教わった』(文春文庫)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮新書)など。近著に『全部やれ。日本テレビ えげつない勝ち方』(文藝春秋)がある。

ブログ:てれびのスキマ Twitter:@u5u

編集:はてな編集部