街の先輩と酒場に可愛がられて、僕は上京します【大阪・キタ】

著者: 乾隼人


雑誌の編集者に憧れていた僕は、22歳でなんとか大阪の出版社に転がり込んだ。

大阪で暮らした3年半の間に出会ったのは、扉を開くたびに違った世界を見せてくれる「酒場」の数々だった。



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この街でどれくらいのグラスを飲み干し、アテを食べ、人と話しただろう。

毎晩のように酒場を渡り歩くなかで僕は、たくさんの先輩たちから街のことを教えてもらった。


彼らとの挨拶はいつも「最近はどのあたりで飲んでんの?」。話が弾んでも連絡先なんて交換せず、どちらからともなく発する「またどっかの店で〜」でお別れする。

そして大抵、また会う。そういう出会いを繰り返した。



もしもあの時間がなかったら。全く違う人生になっていた。

酒と酒場と人の出会いにまみれた編集者が、大阪から東京へと引越すまでの話を少しだけ聞いてほしい。


酒場を知ること=街を知ること

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生まれ育ったのは兵庫県の宝塚市。深夜の街とは縁遠い、ありきたりで本好きな学生だった

元々は、先輩の少ない人生だった。

生まれて26年間ずっと関西で暮らし、小学校から大学までずっと兵庫県内の学校に通った。その間、部活やサークルにはほとんど所属してこなかった。



そんな僕にハッキリと「先輩」ができたのは、大学を卒業して関西の出版社に入ったときだった。

雑誌が好きだった僕は、数多の出版社を受けては落ち、卒業する年の3月までだらだらと就職活動を続けた。ギリギリ転がり込む形で入った会社は、大阪で毎月、主に雑誌をつくる出版社。


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会社に入って数カ月もすると、月刊誌の部署に異動になった。その雑誌は街遊び……特に「酒場へ繰り出す」雑誌と言えばイメージが近い。



「酒場を知ることが、街を知ること」。


ハッキリ言われたわけでは無い。けれど、夜も早々に会社を出て、街へと向かう先輩たちの足取りを見ていると、どうやらそういうものらしかった。



街に出て、人と会い、店に入り、酒と料理とおしゃべりを楽しむ。そうした時間のゴキゲンさを、現地取材の熱気とともに誌面に載せる。そんな雑誌の編集部には、酒場と人が好きなスタッフが集まっていた。



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編集部は社内外の友人を誘いながら、毎晩のようにロケハン(=今後取材しそうな店の下見&街のリサーチ)へと出かけていく。当時最年少の23歳で、お酒が飲めるほうだった僕も、よく連れて行ってもらった。



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大阪の街は、駅ひとつ変わるだけで店の雰囲気もガラッと変わる。



大阪の玄関口でもあり、店のバリエーションが豊かな「梅田/北新地」。ちょっぴり落ち着いたバルや日本酒酒場の多い「福島」。駅周辺に若者ウケするビニシー居酒屋(※1)が連なる「天満」。大人の立ち飲み文化圏を築いている「北浜」……。

※1:ビニールシートで屋外との仕切りをする居酒屋。春から夏にかけてシートは開け放たれ、開放的な夜風に当たりながら飲むことができる


小さな生態系が林立する大阪は時に、「イチイチ説明してられへんわ」とばかりにザックリと南北に分けて語られる。地下鉄の中央線を境にして、シュッとしたキタ(北)と、コテコテのミナミ(南)だ。



僕は会社と家がある「キタ」にいることが多く、ロケハンと遊びを問わずに出歩いた。

そうして通い始めた酒場でも、僕は新しい「先輩」たちと出会うことになる。


店の扉を開けるたび、知らない時間があった

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先輩編集者たちに連れられて、たくさんの「はじめまして」と引き合わせてもらった。それは店も、人も。


会社を出た先輩たちの仕事は、基本的に「街で顔を売る」ことだった。

いろんな酒場で顔を知られていて、「久しぶりやな!」「あそこにめっちゃいい店できたん知ってる?」『知らなかったっす!どこすか?』「最近どっかいい店あった?」『あの店行きました?イイですよ』などと情報のハブになり、街にあふれるゴキゲンな時間を受け渡ししていく。

ぼくもいつしか、その輪の中に巻き込んでもらっていた。



彼らから、たくさんのことを教わった。

・自分は街の物語に途中参加していて、自分が来る前に長い歴史があったということ

・店主や常連客に会うために店にくる人が、大勢いるということ

・店の楽しみ方は人それぞれで、無理に踏み込んではいけないこと

・人とかかわりあう以上、ダサいコミュニケーションはしないこと


年上との交流に慣れていなかった僕は、行く先々で知り合う人々との関係性を、なんと名付けたらいいのか分からなかった。

ぼくは、会社の先輩たちがよく使う言葉を借りて、心の中で彼らを「街の先輩」と呼ぶことにした。



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バーでいただいた誕生日のカード。お客さん全員の誕生日に一筆書いているのだとか。マスターと客との間にこんなコミュニケーションがあり得ることを、20代そこそこの僕は知らなかった



23、24歳だった当時の僕は、行く先々の酒場で最年少の称号をほしいままにしていた。本当にいろんな店と「街の先輩」たちが、自分のことを可愛がってくれる。



一回りくらい年上のカメラマンさんからはよく電話がきた。「いまなにしてんの?」「〇〇におるねんけど」だけ告げられて、二つ返事で店に向かうのは楽しかった。

酒場歴の長い先輩から聞かせてもらうのは、僕が成人する前からあった店と、街の歴史のこと。



なかには、顔を見るだけで安心できる街の先輩もいた。店に入るとその顔が遠くにあって、「おう!」と口を動かしてくれるだけで、「ああ、自分もこの酒場にいていいんだ」というメッセージを受け取った。




そんな安心する「街の先輩」の、結婚パーティーを手伝わせてもらったことがある。

新郎のことは編集部の上司から紹介してもらった。上司も長年お世話になっている人だった。



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大阪でも歴史あるレトロ建築「芝川ビル」の屋上で開かれた集まりは、たくさんの人がかかわってつくる、さながら「街のパーティー」。



新郎新婦と仲の良いフラワーデザイナーが屋上を花で飾り付け、彼らの日々のハシゴ酒の道中にある飲食店のマスターたちが、何本ものウイスキーとビールサーバーを持ち寄って参列客を出迎える。立ち飲み屋の店主たちも、立食パーティーにもってこいなフードを提供した。



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会場では、新郎新婦に似せたイラスト入り缶バッジが配られた。こんなものまで準備してもらえるなんて、彼らがいかに愛されているのかよく分かる



当時付き合っていた彼女にもお願いして、僕らは二人で受付に立った。次々と集まってくる人たちの中には、大阪の酒場で何度も見かけた顔ぶれがいた。



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本当に良いパーティーだった。普段は街で散り散りに暮らす人たちが集まり、二人を祝い、そんな幸せな場所に「街の酒場で出会った若者」である僕まで立ち会わせてもらえた。

街の先輩に連れられて結婚パーティーを手伝ったこの日、ハッキリと「この街で暮らしているんだな」と実感できた。


あのころ通った酒場たちのこと

「ここにいても良い」と思える場所があることは、まだ仕事もうまくいかない20代前半の精神安定剤だった。

そして、たくさんの好奇心を与えてくれた。


スタンド ニューサンカク

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「コの字型カウンター」のおかげで、お客みんなの目線もフラットになる「スタンドニューサンカク」。中心に立つ店主・ケンケンさんは忙しなく動き回りながらお客に目を配り、気を配り、ふと手の空いたときに話しかけたりしている。

こちらが人好きだと分かると、話の合いそうな常連さんと緩やかにつなげてくれたりもする。そうでなければ程よく放って置いてくれる。コの字を囲むお客が、そこに好きなように居られる心地よさがある。


wapiti(ワピチ)

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「東横堀川」という川沿いにある立ち飲み酒場「wapiti」。研究熱心な燻製のアテやハイボールの美味しさはもちろん、店主・秋谷さんのフラットな接し方は本当に居心地がいい。慕おうとする僕を「いぬい!また来たんか!(大阪では「帰れ!」もしくは「ゆっくりしていけ」を意味する)」とイジってくれる懐の深さが好きだ。


テケレッツ

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落語好きの店主による鉄板居酒屋「テケレッツ」。演目「死神」に出てくる死神を追い返す呪文「テケレッツノパア」が店名の由来だった。取材の後に「もしかして店名、落語の『死神』ですか?僕も好きなんですよ……」と言ったら、次に飲みに行ったときも「死神の!」と覚えていてくれた。ふわふわのお好み焼きは一人でも食べられる小サイズで、絶品。


カミヤ

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今は店名の変わってしまった、「大阪駅前第2ビル」内にある日本酒居酒屋。月刊誌の先輩方と初めて「店でばったり鉢合わせた」のもここだった。先輩方が合流すると、店の冷蔵庫からどんどん新しい日本酒が出てくる、どんどん空ける。すごいサービスだ!と思っていたらきっちりお勘定はついていた。確か、ほとんど先輩方が払ってくれた気がする。




店に行くたび、新たな街の先輩と出会った。それはまるで図鑑が1ページずつ足されていくような、辞書に言葉が増えていくような楽しい感覚だった。

彼らは皆、自分とは年齢も、仕事も、趣味も、生い立ちも、過ごしてきた時間も何もかも違う。だからこそ、一緒にいる時間は「他人の生活を知る」ことの喜びに満ちていた。



遠いところに存在したはずの他人の時間を、狭い酒場にこもる熱気やお酒とともにひたすら飲み込んだ。その体験は雑誌と近くて、それよりも濃かった。



この場に居続ければ、見たことのない時間をもっと見られるんじゃないか? そう思いながらグラスを空け、家に帰れなくなる夜も一度や二度ではなかった。


世の中には「知らない時間」が山ほどある

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朝になるまでお酒を飲んで、歩いて帰った時の堂島川。酒場から歩いて帰れるようにと大阪市内に住んだりしなければ、この時間のことも知らなかったはずだ



「街」という言葉は漠然としている。学生時代の僕は街のことを目的地までの通過点、つまり「道とか駅とか」くらいに思っていた。でも、あのころはハッキリと、街は路上ではなく「店の中」にあった。酒場には人が大勢いるが、彼らにはそれぞれ「店に来る理由」があって、彼らの物語があった。



そんなこと、お酒を飲むまで知らなかった。編集部に代々伝わる街とのかかわり方に触れなければ、通らずに大人になったかもしれない。



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編集部の男連中の間に一瞬流行した「ストリート相撲」。投げられているのが僕だ。人通りの無くなった深夜のビル内で、卓上の活気がなくなったころに始まる。本屋に通うだけが趣味だった高校生の僕は、まさか社会人の僕が酔って相撲を取ることになるとは思わなかっただろう



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縁があって、バーに立つ経験もした。仕事の先輩や、よく酒場でばったりと会う先輩方も遊びにきてくれて、少しだけカウンターの中に立つ気持ちを味わえた気がした



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たくさんの店で話を聞いた経験は、大きな財産になっている。ご飯とお酒を求めて店に入るたび、何かしらリスペクトしたい部分を見つけられるようになったから



僕は酒場に出会い、「世の中には知らない時間が山ほどある」という素晴らしい事実を身をもって実感した。(ストリート相撲だけは、くだらなくて愛おしい時間の例だけれど)



その気持ちは、本を読むだけでは絶対に得られなかった。



編集部は、出歩いて知った店のこと、夜の酒場で聞いた四方山話を毎月の雑誌に、特集に込めた。そこにあるのは徹底的な現場主義。どんな企画を提案しても、先輩方には「お前は行ったんか?」「お前はその場で、どう面白いと思ったん?」と聞かれる。



きっと僕はあのとき、一生モノの遊びを教わったんだと思う。「地域性(=Regional)と出会う」という雑誌の精神は、今も自分の中で息をしている。


「酒場」で感じた感情を、今は「地元」に抱いている

街の酒場には通い続けたけれど、会社では2年近くいた月刊誌の編集部から外れることになった。悶々としていたとき、とあるローカルメディアの編集チームに会った。もちろん、それも酒場で。



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大阪の先輩方の助け舟のおかげでつながった縁。彼らを知れば知るほど、かつて「酒場」へ抱いた気持ちと似た胸の高鳴りを覚えた。濃厚な物語を受け取ることのできる現場が、思わぬところに見つかったのだ。



次は、「地元」が僕の現場になると思った。「ちゃんと行ったんか?」「そこでお前は何が面白いと思った?」先輩たちの声が聞こえてくるようだ。



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彼らと一緒に行った長野県飯山市の祭りで、獅子舞を踊る男性たちを見た。「10年後にまた見に来てください」と言った彼の言葉を聞いて、10年同じ土地に住み続ける覚悟と、祭りの時間軸の長さに目が眩んだ



酒場を渡り歩く中で知ったワクワクする感情を、今は日本全国にある「地元」に抱いている。



日本全国にあるローカルな場所に行き、そこで暮らす人々の暮らしを、仕事を、歴史を、思想を受け止め続ける。そんな彼らと一緒に仕事をしたくて、僕はチームの拠点がある東京へ引越すことにした。



一緒に過ごす時間を増やしたかったし、また違う土地で、違う生態系に触れたくなったのだ。



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ローカルメディアのチームと友人たち。徹底的な現場主義と、酒が好きなところは昔いた編集部の先輩たちと近しいものがある



実際、酒場では嫌な思いをする夜もあったし、これから渡り歩く場所が「地方・地元」に変わったって、僕が想像できていないハードな時間があるかもしれない。



でも、それも含めて「僕の知らない時間」だ。予定調和な時間を過ごすより、他人の生活に触れてみたい。




大阪の酒場で、僕は街の先輩たちに出会った。



これから行く先々でも、新しい「街の先輩」のような人が見つかるだろうか。思いもよらない存在との出会いがあるかもしれない。

編集者としてこれから何に出会い、影響を受けていくのか、僕はまだ知らない。「行ってから言えよ」という、先輩たちの声が聞こえた気がした。


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著者:乾隼人 

乾隼人 

Huuuu inc. 所属 フリーの編集・ライター。兵庫県宝塚市出身。関西の出版社で、酒場やイベント会場をかけずり回っていました→→→上京して、ローカルを駆けずり回るインタビュアーを目指します。飲食店のメニューばかり撮り貯めるのが趣味。 Twitter note

編集:Huuuu inc.