広島県尾道市に暮らす髙橋玄機さんは、茶葉の加工・製造から、小売り・卸、直営店の立ち上げ・運営、商品開発や他店のプロデュースに至るまで、お茶にかかわるあらゆる仕事を請け負っています。もともと広島市生まれだった髙橋さん。2016年に自身が代表を務める「TEA FACTORY GEN」を設立し、県内でも山間にあたる世羅町に茶畑を借りて無肥料・無農薬での栽培・管理・製造を開始しました。2017年には、移住先の尾道市でカフェ兼販売スペース「TEA STAND GEN」をオープンし現在に至ります。現在、尾道と世羅の2拠点で活動する髙橋さんに、それぞれの土地の魅力と製造するお茶の面白さを語っていただきました。
若い移住者のチャレンジを応援してくれる、尾道の街
── 髙橋さんの茶畑は広島県東部の世羅町にありますが、カフェ兼販売スペースである「TEA STAND GEN」は尾道市にオープンしています。尾道という場所を選んだ理由は何だったんでしょうか。
髙橋玄機さん(以降、髙橋) 尾道は商売をするうえで、地の利があると感じていたからです。国内のお客さんだけでなく、海外のお客さんも多いんですよね。観光客、移住者、古くから暮らす地元の方が混在している土地で、多くの方に届くと思いました。
── 尾道という街にはどんな印象がありましたか。
髙橋 尾道の人は、とても外の人に優しいと思います。初めて物件を探すときも、自分のことを知らないような一般の方でも親身になって一緒に探してくれました。不動産業者でもないのに、実績もないふらっとやってきた27歳に対し、こんなに親切にしてくれるのかとうれしかったです。
── とてもあったかい街なんですね。
髙橋 そうなんです!まだ尾道に来たばかりで右も左もわからない時、地元のお好み焼き屋さんに行って、物件の情報を聞いたこともありました。2度目にそのお店に行くと「あそこの物件、もらえるらしいよ」とか情報を教えてくれたり。
「尾道めちゃくちゃいいよ!」という感じで地元の人が尾道について教えてくれるんです。「何なら家に泊まってもいいよ!何週間か居てもいいし、家探すのも手伝うよ!」なんて言われることも(笑)。尾道の方々のそういった助け合いの姿勢にはシビれましたね。
移住者にも寛容な文化はどんどん次の世代に引き継がれていて、ぼくが移住してきた頃よりも移住者は増えているようですね。特に20代〜30代が増えている印象です。
ぼくも今では、移住を検討している方を自分がもっている物件に無料で泊めて、尾道の良さを伝えています。
── 今では尾道の良さを伝える側にまわっているんですね。移住者にとって、尾道はどんな良さがあると思いますか。
髙橋 誰もがチャレンジできるところではないでしょうか。住みやすいだけでなく、家賃も安い。中には、ほとんど無料に近いような条件で住める家もまだまだたくさんあるので、設備投資が数百万円などの少額でも、自分のやりたいことを始められるんです。
── 地方都市でありながら、若い人のチャレンジを応援できる街って、いいですね。
髙橋 尾道は年々勢いを増している街だと思います。文化的に豊かな側面もあるし、港町特有の開放感があって、街並みも美しい。地元の人は移住者に対して関心があるので、「こんなお店をやります」と言って回れば、けっこうみんな興味をもって来てくれたりするんですよ。
── すぐに仲間ができそうで心強い!
髙橋 たいていの事業者さんとはお知り合いになれているように思います。規模としてもそんなに大きな街じゃないので、何かみんなが知り合いのような感覚というか。お互いに紹介し合うし、ライバル視するような感覚もないですね。
お茶によって日本人である自分のアイデンティティーが確立
── そもそも、茶農家が自らお茶を提供するお店をオープンするのって、かなり異例ですよね。なぜそんなことにチャレンジしようと思ったんですか。
髙橋 誰が飲んでいるかわからないお茶をつくりたくなくて。自分たちがつくっているお茶を飲んでいるお客さんの顔が見たいんですよね。自分でつくったものをお出しして、その場で直接フィードバックをもらうことにも大きな意味がありました。
──「おいしかった」と言われると、モチベーションも上がる、と。
髙橋 それはもちろんなんですが、はじめの頃は「おいしくない」と言われることもかなりあって、それも「改善して、ちゃんと良いものをつくらないとな」というモチベーションになっていました。つくり手として、必要なコミュニケーションだったと思います。
──「おいしくない」という声もモチベーションになっていたとは……。そんなにお茶にハマったきっかけは何だったんでしょうか。
髙橋 高校2年生の頃、カナダでホームステイをしたことで、海外に興味をもつようになったのがきっかけです。大学時代に中国などのアジアからオーストラリア、ヨーロッパなど20カ国くらいを旅してみたのですが、海外へ行けば行くほど、日本に興味をもつようになりました。
── 海外に興味が膨らむにつれて、日本に興味……? どういうことですか。
髙橋 海外に触れたことで、日本古来の文化や風土に対する関心が芽生えて、「日本人としての自分」を強く意識するようになったんです。お寺に入ったときの落ち着く感じとか、茶室に入ったときの凛(りん)とした感じとか。そういった部分に引かれていったというか。そうやって日本の文化を学んでいくうちに、「お茶」の重要性に気がつきました。
──たしかに日本の文化を学ぶ時に、お茶は避けて通れないですよね。
髙橋 そこから、これまでまったく気にもとめていなかった「お茶会」に参加したり、茶道に触れたりしてみました。すると、心がすっごく落ち着くんです。日本人としての自分のアイデンティティーが確立されたような安心感がありました。
── 「お茶」のどういう部分に、心が落ち着いたのでしょう。
髙橋 例えば、これまで「花は満開がいい」と思っていたけど、お茶の世界では咲く前の段階も、散った後の枯れた段階も楽しむような文化があります。自然の真理を楽しむような世界ですね。そんな価値観をもった人たちが、400〜500年前の大昔の時代から存在していたことを知ると、「ゆったり構えて生きていっていいんだ」という心持ちになるんです。
── 飲み物としてのお茶というよりも、お茶の文化に対して、強い関心をもったんですね。
髙橋 そうですね。飲み物というよりも、新しい「教え」に出合ったような感覚があります。心のよりどころを見つけたような感覚ですね。お茶の世界観は、日本ならではの価値観だと思います。
自然農法のお茶は「土地の味」が出る
── 大学を卒業して、京都のお茶の製造販売会社に入社されたとお聞きしていますが。
髙橋 そうです。ニューヨークに店舗を持つ会社だったので、ニューヨーク支店に配属されたい一心でした。ところが、実際に配属されるまでには長い時間がかかることを悟って、2年程度で退職しました。その後、自然な姿のお茶に魅力を感じるようになり、鹿児島のオーガニックのお茶を製造する会社に就職しました。
── ここから「自然な姿のお茶」への探求がスタートする、と。
髙橋 そうなんです。その後、自然農法のお茶づくりに関心をもち、公益財団法人自然農法国際研究開発センターで自然農法を学びました。無肥料無農薬でお茶を育てるという方法です。
── 無肥料無農薬って、たしかに究極的「自然」ですね……。
髙橋 最初は有機栽培(オーガニック)に憧れて、有機栽培の農家さんに入ったんです。でも、有機栽培の場合、化学肥料を使う慣行栽培よりもずっと大量の有機肥料が必要になってきます。そこでガソリンを使って、大量の有機肥料を遠くから運んできて、大きな機械でまくというやり方になるんですが、自分はそこに違和感を覚えたんです。たくさんのエネルギーを使って、もともとその土地になかったものを新たに持ち込んで耕すのは、環境に大きな負担をかけていると感じました。
── たしかに、言われてみればそんな気もします。それで、無肥料無農薬の探求が始まったわけですね。自然農法の難しさは、どんなところにありますか。
髙橋 そもそも、どこでも無肥料で育てられるわけではないですね。雑草が生えないところは作物も生えない。さらに、自然農法だと、自然にできる量しか収穫できないので、最終的な収量は少なくなります。
── それもかなり非効率だし、大変ですね。それでも、自然農法にこだわりたくなる魅力はどこにあるのでしょう。
髙橋 昔の人が飲んでいた「お茶本来の味」を楽しめることに大きな魅力と憧れを感じます。江戸時代の文献を見ると「お茶を飲んだ後に清らかな風が吹く」と表現されているんですよ。
── 自然農法で栽培したお茶を飲むと、清らかな風が吹く……!何だかかっこいい。
髙橋 飲むと体感できますよ。また、その土地の土でつくるので、土地の味が最大限お茶に出ることも魅力です。
── お茶にも「その土地の味」があるとは驚きです。
髙橋 はい。その土地の自然な状態の土でつくるので、その土地の味になります。ある程度平均値の味がするお茶って、肥料配合でできてしまうんですね。一方、自分の場合はここでしかできないお茶をつくることに大きなやりがいを感じています。
世羅の茶畑をGoogleマップの航空写真から見つける
── 広島県の中でも、世羅は県の東部にあり、いわゆる中山間地域ですよね。ここで茶畑をやろうと思った理由は何ですか。
髙橋 広島県で茶畑があるところはかなり限られる中、世羅の環境が一番気に入ったからです。地元の人がすごくウェルカムな感じで、明るくて、雰囲気がすごく良かったんです。
── 尾道に続いて、世羅の魅力も「人」にあった。
髙橋 そうですね。困ったことがあったら、自分ごとのように考えてくれて、助けてくれることもありました。若手の方々が農業で頑張っている姿も目にして「ここだったら、何とかやっていけそうだ」と思えました。さらに貴重な「在来種」という、もともとお茶の種から植えられた木がたくさんあったことも重要な決め手です。
── さまざまな条件がそろっていたんですね。とはいえ、茶畑を始めるなんて、大変だったんじゃないですか。
髙橋 まずは、Googleマップから航空写真を見て、茶畑を探しました。それをもとに現地へ赴き、片っ端から周囲の方に持ち主がどなたなのかを聞いて相談して。そのうちに当時栽培は行っていなかったけど譲っていただける茶畑を見つけられたんです。
── Googleマップで見つけるのが今の時代ならではという感じがします。それにしても、しばらく放置した茶畑だと、また元のように収穫できるようにするのは相当な苦労があったかと察しますが。
髙橋 自然農法的な考え方でいうと、むしろ荒れ果てていたほうが良いんですよ。一度、自然に返っているので。
── 確かに。自然な状態の方がいいから、これでいいのか。まさに逆転の発想……!
髙橋 荒れ果てている方が、土地の力をMAXに活かせます。
── 荒廃農地って、社会課題でもあると思うんですけど……。自然農法という解決策もあるということなんですね。考えたこともなかったです。
品種改良が施されていない、在来種ならではの魅力
── 髙橋さんが無肥料無農薬で栽培しているのは、品種改良されていない「在来種」のお茶なんですよね。
髙橋 はい、80年近く植えたままの状態で現代に至っている在来種を栽培しています。100年前の茶畑の写真もあるので、もしかすると100年以上そこにずっと植わったままの木もあるかもしれません。
── なぜ世羅に在来種が多く残っていたと思いますか。
髙橋 世羅が有名なお茶の産地ではないことが良かったんじゃないかと思います。
── えっ、それはどういうことでしょう。
髙橋 産地になると、どうしても品種改良したものを植えるようになるんですよね。世羅には、その流れが来なかったのだと思います。その土地の経済も関係しているのかもしれませんが、わざわざ今ある木を抜いて、新たに栽培するようなケースも少なかったのではないでしょうか。
── なるほど、それで幸運にも在来種の木がそのまま残っていたということですね。なぜ、在来種は減っていったのでしょうか。
髙橋 在来種は木ごとに味が異なるので、商品化が難しいんですよね。それで、味が安定する品種改良された品種茶が一般的になっていったんです。現在在来種の茶葉を使用しているのは、市販されているお茶全体の3%以下だといわれています。
── たったの3%ですか!かなり貴重なんですね。いったい、どんな味がするのか気になります。
髙橋 在来種の味は、うまみが強くなく、すっきりしています。土っぽさがあってごぼうのような風味がするのが、在来茶の特徴ですね。
── 独特な味わいなんですね。
髙橋 好みはかなり分かれると思います。ぼくも最初に在来茶を飲んだ時は「これもお茶なんだ」と衝撃を受けました。
尾道から世界中にお茶の魅力を発信したい
── これからはどのような活動を行っていきたいですか。
髙橋 栽培の面でいうと、来年、尾道にある向島という島に茶畑をつくる予定なんです。向島ではかんきつ類の栽培が盛んなので、かんきつと一緒にお茶を育てて、かんきつの香りがついたようなお茶を生産してみたいと考えています。
── かんきつの香りがついたお茶……! またそれも、面白そう。
髙橋 商売の面では、やっぱり海外にお茶の魅力を広げたいという思いがあります。自分はお茶の魅力に海外で気づいたので、今度はお茶の魅力を海外に発信したいですね。
── やはり海外への思いは強いんですね。
髙橋 これからもお茶の魅力を世界中に発信していくということを、極めたいと思います。どこにもないような雰囲気のお茶、空間、体験を尾道から発信していきたいです。
お話を伺った人:髙橋玄機
学生時代からお茶に興味を抱き、卒業後は国内各所で自然農法による茶葉の栽培方法を学ぶ。2016年に「TEA FACTORY GEN」を設立し、山間の世羅町に畑を借りて、栽培・管理・製造をスタート。2017年には、尾道市に拠点となるカフェ兼販売スペース「TEA STAND GEN」をオープンし、国内外に活動の幅を広げている。
WEB:https://tea-factory-gen.com/
Instagram:@tea_stand_gen.onomichi
聞き手:大塚たくま
1987年、福岡県生まれ。ライター、編集者、株式会社なかみ代表。SEOを専門としつつも、独自のキャッチーな切り口と深く取材するスタイルでコンテンツを作成している。
編集:はてな編集部