町に紛れる大森海岸【銀座に住むのはまだ早い 第9回 品川区】

著: 小野寺史宜 

家賃5万円弱のワンルームに住みつづけてうん十年。誰よりも「まち」を愛し、そこで生きるふつうの「ひと」たちを描く千葉在住の小説家、小野寺史宜さんがいちばん住みたいのは銀座。でも、今の家賃ではどうも住めそうにない。自分が現実的に住める街はどこなのか? 条件は家賃5万円、フロトイレ付きワンルーム。東京23区ごとに探し、歩き、レポートしてもらう連載です。

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 名前は知っているが一度も乗ったことがない電車。都内にはそれが結構ある。
 
 この企画はあくまでも住める町探し。とはいえ、知らないものにはなるべく触れていこうと思っている。

 23区でも東部以外は疎い僕にとって、品川区では京急がそれ。京浜急行電鉄。青物横丁という駅名が昔から気になってもいたのだ。

 実際、前回の葛飾区編のお花茶屋のように、名前で決めそうになった。

 が、それが続くのもどうなんだ、と踏みとどまり、今回は、南端も南端、ギリ品川区の大森海岸を選んだ。もうギリもギリ、駅から出て大森海岸通りを向こうへ渡ってしまったらそこは大田区、という位置だ。JRの大森駅にも10分かからずに歩いていける。

 SUUMOで検索。さすがに品川区なので、いつもの条件の5万円では収まらなかったが、いいのが見つかった。駅から徒歩5分。築35年。6.5畳で家賃5万5千円。

 初京急。品川から赤い車両に乗りこんだ。厚みがあってやわらかな座席シートを10分間楽しみ、大森海岸で下車。

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 まずは物件の場所をチェック。

 駅名に海岸が付くぐらいだから、品川区のなかでも海寄り。周りに一戸建てはほとんどない。アパートやマンションは多いが、これぞまさにの住宅地、ではない。住むというよりは、居る。町に紛れる、という感覚になりそうだ。

 でも僕、その感覚はかなり好き。第1回千代田区編の神保町でも思ったが。家を出たらそこは街、すぐに街、という環境にはそそられる。何なら、家そのものは雑居ビルの一室でもいい。家感はなくてもいい。

 街なかにぽんと自身の私的空間がある、それを確保できている、という事実にそそられるのかもしれない。別に隠れるわけではない。紛れる。消えるわけでもない。居る。そのあたりは、いずれ小説に書いてみたい。

 交通量の多い第一京浜を渡り、しながわ区民公園へ。

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 大森海岸駅から隣の立会川駅に迫るところまで続く広い公園だ。そこにはしながわ水族館がある。

 考えてみたら、水族館にはあまり行ったことがない。50を過ぎて植物のことも魚のこともよく知らないのは恥ずかしい。川が好きだというなら、そこにいる生きものたちのことを知るべきかもしれない。アパートからここまで近ければ、年に一度は行けるだろう。行け。行くためにも、住め。

 水族館の横は、勝島の海。といっても、本物の海ではない。運河の海水を浄化して取り入れた池らしい。そこにはレストランがせり出している。水辺でご飯。悪くない。

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 公園を北上し、競馬場通りに出て、西へ。

 勝島橋で京浜運河を渡る。運河、のイメージを超えて、幅が広い。川と言われてもわからない。見分けはまるでつかない。

 東京は、川も多いが運河も多い。特に江東区から港区、そして品川区にかけてだろうか。

 運河という言葉にはちょっと惹かれる。水運を用いるために人工的につくられた水路。陸地を掘ってでも水を引く。人が水を求めるその感じがいいのかもしれない。

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 橋を渡った先は、大井ふ頭中央海浜公園なぎさの森。

 ここは、確かに森。唐突に、森。鬱蒼感もそこそこある。公園なのに人は少ない。この感じはすごい。品川区はこんな場所です、とここだけを紹介したら、まちがいなく誤解されてしまう。

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 京浜運河沿いの夕やけなぎさに出る。

 広くはないが、ちゃんと砂浜。潮も薫る。ひざまで水に浸かって釣りをしている人もいる。ただし、一人。地図で見ると、この辺りまでが品川区らしい。

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 また森を抜け、公園をあとにする。

 競馬場通りを戻り、左折して、旧東海道を南下。

 旧東海道、と聞けば華やかそうだが、何のことはない。ただの一方通行路。その旧の文字に過ぎ去った時間を感じる。

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 そこを進むと、いきなりこれが現れる。

 鈴ヶ森刑場跡。

 読んで字の如く。死刑が執行されていた場所だ。江戸時代の慶安4年から明治4年までの220年続いた刑場だという。火炙や磔などがおこなわれていたらしい。

 町には人がいる。人がいるということは、当たり前に死があり、時には罪もあるということだ。

 のんきに町歩きをしているだけではあるが、あらためてそんなことを思う。過ぎ去った時間のおかげで、僕らは、刑場、を生々しく感じずに今この瞬間を過ごしていられるのだな。と。

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 歩道橋で第一京浜を渡り、京急の高架をくぐって、桜新道へ。

 さっき見かけたので、忘れないうちに書いておく。現物を見つけたときに書こうと、前々から思っていたのだ。

 何も23区に限ったことではないが、町には駐車場が多い。機械式駐車場。狭いスペースに何台も駐められるよう設置された、ものによっては上下何段にもなっているあれ。

 車に乗らないからか、僕はいまだにあの仕組がわからない。車はどうやって上段に行くのか。下段にほかの車が駐まっていたら出られないのか。どのタイミングでドライバーは車に乗るのか。

 町で見かけるたびに思う。あとで調べよう、とも思うのだが、忘れる。結果、ず~っと謎。

 で、調べる前にこうして書いてしまった。書いてしまったから、たぶん、もう調べない。この先も、ず~っと謎。

 不思議なもので、この手のちょっとした疑問は、誰かに答を聞いても忘れる。だから自分が誰かに訊かれても答えられない。あ、これ、答聞いたんだよなぁ、と思いつつもその答自体は思いだせないもどかしさたるや。じゃあ、今ここで調べなさいよ、とさらに思うが。調べないんすね、これが。何せ、ちょっとした疑問だから。

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 ついでにもう一つ書いてしまう。これも忘れないうちに。

 よく個人宅に隣接した駐車場の壁や柵などに、前向き駐車、と書かれていることがある。あれはその個人宅に排気ガスが向かわないようにするためらしいが、あの文字を見るたびに僕は笑ってしまう。駐車がんばります! 自分なりにやってみます! と苦手な駐車に前向きに挑む健気なドライバーをついつい想像して。

 似たようなものでは、燃えるごみ、もそう。これも笑ってしまう。ごみ置場に置かれたパンパンにふくらんだごみ袋が、うぉ~、やったるでぇ~、と熱くなっているのをついつい想像して。

 燃えるごみ、という文字は、前向き駐車、とはくらべものにならないくらいよく見る。ほぼすべてのごみ置場に書かれているから当然だ。なので、僕はほぼ毎日、町を歩きながら笑っている。うぉ~、歩いたるでぇ~、と密かに燃えたりもしながら。

 以上。

 余談、長すぎ。

 と、ここでランチタイム。環球中華食堂南大井店さんに入る。

 台湾味噌ラーメンと麻婆飯、という若々しいセットを頂く。おいしかった。どう調理されてもやはり豆腐は好きだな、と実感。

 その後は、ここもギリ品川区の映画館、キネカ大森へ。

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 アパートの近くに映画館があるのはデカい。そこはスクリーンが3つ。週替わりで、名画座2本立て、などもやっている。そんなところへ歩いていけるのなら、行ってしまう。下手をすれば毎週行ってしまう。

 それが西友のなかにあるというのもいい。かまえずに行ける。2本立てなら4時間。これまでのところ、僕は西友に4時間滞在したことはない。

 今日はランチ前に長く歩いたため、ここで早くもコーヒータイム。大森海岸の駅前も駅前、駅出入口のすぐ隣にあるUCCカフェプラザ大森海岸店さんに入る。

 意外にもストレートコーヒーを置いてくれていたので、コロンビアスプレモを頂く。

 決して広くはないし、内装もシンプル。UCCさんの名を冠しているわけだから、チェーン店はチェーン店だろう。

 でもこの手のお店、実は書くのに向いている。

 僕はパソコンで本書きする前に必ず手書きで下書きをするので、たまにはそれをカフェでやることもある。最近はもうわざわざやりに行きはしないが、下書きをしている時期に打ち合わせなどで町に出る機会があればやる。カフェで2時間がっつり書く。たまのそれは、いい気分転換になるのだ。

 新人賞に応募していた20代のころは、もう、気分転換の嵐。銀座のカフェを3軒まわって書いたりもしていた。

 毎回、コーヒー3杯で2500円ぐらい払っていた。ほかに往復の電車代も1000円以上払っていた。銀座で書けばいいものが書けるとでも思っていたのか。

 結果は。落選落選また落選。アホだ。

 そのアホさが懐かしい。と言ってはみるものの。もう若くない今、僕はまた別の種類のアホだったりする。いやぁ。成長しませんよ、人は。

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 自作『東京放浪』の長谷川小春がかつて大森に住んでいた。豊島区編で訪ねた要町のあとにそこへ移ったのだ。そして次は荒川区の町屋へ移る。まさに東京放浪だ。主役は森くんこと森由照で、この小春は脇役なのに。

 自身あちこち歩いた今はその気持ちがわかる。あ、ここは住んでみたいな、と思わせる町が多いのだ。東京は。

 大森海岸。微かに潮が薫り、もう若くない僕をも紛れさせてくれそうな町。

 紛れたい。


『銀座に住むのはまだ早い』第10回は「荒川区」へ。8月末更新予定です!



過去の記事

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著者:小野寺史宜(おのでら・ふみのり)

千葉県生まれ。2006年、『裏へ走り蹴り込め』でオール讀物新人賞を受賞。2008年、『ROCKER』でポプラ社小説大賞優秀賞を受賞。『ひと』で2019年本屋大賞2位を受賞。著書は『ひりつく夜の音』、『縁』、『食っちゃ寝て書いて』など多数。エッセイ集『わたしの好きな街』(監修:SUUMOタウン編集部)では銀座について執筆した。

写真提供:著者

編集:天野 潤平