記憶を引き連れ、今に耳を澄ませる「青梅」【街と音楽】

著者: 君島大空

 

自室、スタジオ、ライブハウス、時にはそこらの公園や道端など、街のあらゆる場所で生まれ続ける音楽たち。この連載では、各地で活動するミュージシャンの「街」をテーマにしたエッセイとプレイリストをお届けします。

 

◆◆◆

私が育ったのは東京都西部、西多摩の果て、青梅市という辺境である。実家は多摩川の近くにあり、夏になるとよく川原でギターの練習をした。

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中学の夏休みの終わりごろだったと思う。いつものようにギターを持って川原に行くと、夕暮れの空気は少し冷たく、すすきの穂を風が揺らしていた。太陽は沈みながら水面にきらきらと光を撒き散らして、川のせせらぎは光の音のように聞こえた。

その光景を見た私は何かに取り憑かれたように、ぬるぬるとリズムを変えながら延々とEb9のアルペジオを弾いていた。まるでその景色に弾かされたような感覚だった。 

夕暮れの世界に自分の音と記憶や妄想の断片が重なり、あたかも誰も知らない自分だけの映画の世界にいるような、不思議な時間が流れていた。

 

far west tokyo

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新宿から中央線で(運良く特別快速に乗れたら)約1時間。立川からは青梅線に乗り換えて25分ほどの場所に青梅はある。「そこ本当に東京かよ?」と何度嘲笑を喰らったか分からないが、たしかに小旅行と言っても過言ではない距離だ。私も都心に出る際は「東京に行ってくる」と、言った覚えがある。

立川を過ぎると電車の扉はボタン式になる。この仕掛けのおかげで、何度電車を逃し、そして乗り過ごしただろうか。電車の進行方向に山々が見え始め、車窓を占める空の面積が大きくなってゆくと、「ここは紛れもなく東京の外側だ」と感じる。終点は更に西へ進んだ奥多摩駅だが、青梅駅には一つ目の終着駅のような雰囲気がある。

 

青梅はかつて宿場町として栄えた。今も駅周辺の商店街には、いくつか宿が残っている。鳶職人が使う道具を扱っている店や、足袋や雪駄を取りそろえる履物屋などの専門店が街道沿いに軒を連ねる。その中に私の大叔母にあたる親戚が営んでいる店がある。祭り用品や職人の作業服、ジーンズまでを扱っている変わった店だ。

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青梅には毎年5月初頭に「青梅大祭」という祭りがある。幼いころ、大祭の2日間はその大叔母の店を拠点にし、出店に遊びに行ったり、店番を手伝ったりしていた。

街道は歩行者天国になり、出店が数キロに渡って続き、12基もの山車が引かれる。山車と山車がお囃子の鳴らし合いをする「競り合い」という出し物がある。それぞれ別の曲目を物凄い気迫で演奏するのだが、違う世界に精神が持っていかれそうな、熱狂的な音の渦がそこに生まれる。

後年、バリのガムランや、サイケデリックトランスという音楽に触れた時に、幼い日に聴いた山車の競り合いが生む異形の音塊がフラッシュバックした。

 

駅を背にして線路沿いを左手へ少し東へ戻ると、見晴らしのよい跨線橋がある。その袂に、「夏への扉」という喫茶店が佇んでいる。 

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高円寺ネルケン、阿佐ヶ谷gion、神田の伯剌西爾(ぶらじる)など都内にも好きな喫茶店はいくつかあるが、ここには浮世離れした雰囲気が充満していて、別格の輝きを放ち続けている。

初夏。木造の店内は少し蒸し暑いが、全ての窓を開け放っているのでとても気持ちのよい風が吹き抜ける。お店は老夫婦が営んでおり、旦那さんはキッチンにいて、注文は奥さんが取りに来てくれる。お冷にはレモンの香が移っていて、にんじんの自家製クッキーと梅スカッシュなる自家製ドリンクがとてもおいしい。

建物のすぐ下が線路なので、電車が通過するたびにお店が大きく揺れる。初めのうちは毎度驚くが、1時間も居座っていると次第に電車が通る間隔を体が覚えてくる。 

一番大きな窓の傍に写真集や画集、小説でいっぱいになった背の低い本棚があり、カバーの擦り切れたロバート・A・ハインラインのSF小説、『夏への扉』がそっと置いてある。それを初めて見つけた時、初夏の西陽も相まってか、時間に恋をするような甘やかな目眩がしたのを覚えている。 

時間と空間が扉のように作用して、違う世界に繋がってしまいそうな気配が、この小さな喫茶店の中にはいつも流れている。今時珍しく、紙煙草も吸えるのでつい長居してしまう。静かに長く続いてほしい大切な場所だ。これだけ強い思い入れがあるのは、私が人生で初めて入った喫茶店だからかもしれない。

街道に戻りまた東へ進む。左手を見ると「住吉神社」の長い階段が、石造りの鳥居の向こうで一際存在感を放っている。先ほど述べた青梅大祭の神事を行う神社だ。長くてきつい傾斜の階段を登り切ると、鬱蒼とした木々に囲まれた本殿が現れる。

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青梅には八月の一週目に花火大会がある。青梅駅の丁度裏山にある永山公園が打ち上げ会場になり、駅の周辺は毎年結構な人集りになる。住吉神社本殿の裏手は花火の開花点に標高が近く、うまい具合に木々の隙間に居場所を見つけられると、終始大輪の降り注ぐような花火を見ることができる。

遠くの山に花火の音が跳ね返り、遠雷のようにくぐもってゆく音を追いかけるのが好きだった。物好きな方は是非、意中の人の手を引いて誰にも見つからないように神社本殿の裏へ回り、花火を垣間見てほしい。

 

街道を東に進み、青梅駅を離れるにつれて、宿場町の名残は薄れていく。シャッターの閉まっている店が多く、改めてこの町の音の少なさ、静けさに気付く。

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私の住んでいた場所は青梅駅から東にふた駅ほど戻った辺り。青梅市の中でも人口が多く、比較的栄えた町の坂の下にある。家から多摩川には2分程度で下りられ、南西向きのベランダからは、あきる野の丘陵と奥多摩方面の山並みが広がっている。

最寄駅からは離れているが、夕方になり町が静まると、電車の走る音が坂の下にこだますることがある。建物が少ない分、音が遮られずに坂下まで届いていたのだと思うが、幽霊列車が夕空を駆けてゆくようで、私はそのたびに少しどきどきしていた。

やはりこの町は夕暮れから夜になる手前の時間がとても綺麗だと思う。空が広いので、陽が沈みきるまでの体感速度が長い。私が自信を持って知っていると言えるものは、案外この夕暮れと空のことくらいなのかもしれないなと思う。この夕景に重なる曲をいくつも書いた。私にとってかけがえのない風景である。 

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こうして青梅での生活を思い返すと、あの日川原で聴こえていた音楽はギターの音だけではなかったんだなと、改めて気づく。

始めからその場所にある音、すすきの穂の揺すれる音、川のせせらぎ、遠くの高速道路を走る車のエンジン音、河川敷のグラウンドの子どもの声。夕暮れの世界の色や温度が、自分の内部と響き合って、映画のサウンドトラックのような大きな音の塊になり、私の中で音楽になって聴こえていたんだと思う。

 

目に見える景色は無声映画のようなものではない。どんな場所にも切り離すことのできない音がある。これは日常生活の音を風景の概念で捉えるという意味で「サウンドスケープ」と呼ばれ、日本語では「音風景」と訳されている。

音は環境をつくる大きな要素になり、人の心や行動も実は大きな影響を受けてる。そして人の耳は意識して塞がない限り、呼吸をするように音を吸い込み続けている。 

サウンドスケープ、という言葉を初めて知った時に、自分の知っている「場所の音」の感覚に名前がついたような気持ちになった。

 

街の余白/浮かぶ情景

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私は現在、青梅に比べると都市部に近い東京に住んで、音楽を聴いたり音楽のようなものをつくっては捨てたりしている。

久々に青梅へ赴くと、住んでいた以前にも増して、ここも東京なんだな、という客観的な感慨が込み上げる。青梅でなくても、喧騒の外れや、都市部の隙間にある、立ち止まって耳を澄ませたくなるような、背筋が凛とするような余白の多い場所が好きだなと改めて想う。

 

以前、友人が青梅と青海を間違えて、待ち合わせに大失敗したことがある。青梅に海はないが、その街角に海が見えることはあるかもしれない。ここで、私の好きな詩人・三好達治氏による「郷愁」という詩の一節を引用したい。

 

「蝶はいくつか籬(まがき)を越え、午後の街角に海を見る」

 

籬(まがき)とは柴や竹で編まれた垣のことを指す。私にはそれが、俗っぽい観念や情念の垢のようにも思える。生活の時間から外れた、新鮮な空気に体が触れると垢はするりと落ちる。その心の余白に映し出される映画の断片に、私はいつも恋を覚える。

 

東京都心にお住まいの方は、もし時間に余裕があれば小旅行気分で(怖いもの見たさのような気持ちでもいいかもしれない)、お気に入りの音楽を聴きながら、普段は足を運ばない東京の端っこへ向かう下り電車に揺られてみてほしい。

次第に広がっていく空や、増えてゆく緑に、いつもと違う角度で音楽が結びついたり、記憶や妄想が重なったり、心の内の思いも寄らなかった場所に余白を見つけたりすることがあるかもしれない。 

その電車が青梅に着いたら、きっと「ここ本当に東京かよ」って言うんだろうな。住んでいた私もそう言ってしまったんだから。

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<君島大空のプレイリスト>

平日の昼下がり。青梅行きのいつもより静かな電車に乗って、窓越しに夕焼けてゆく町並や時間の移ろいを眺めながら、地元の旧い友人や家族のことを思い出しながら選曲しました。ここにある半分以上は中高生時代に出会い、それからずっと偏愛し続けています。どんな時も心の底の穏やかな部分を守ってくれている曲たちです。


 

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著者:君島大空

君島大空

1995年生まれ 日本のソングライター/ギタリスト。2019年に1stEP 『午後の反射光』をリリース。ギタリストとして 高井息吹、坂口喜咲、吉澤嘉代子、adieu(上白石萌歌)などのライブや録音に参加する一方、劇伴、楽曲提供など様々な分野で活動中。
Twitter:@ohzr_kshm 

※記事公開時、中央線に関する記述に誤りがありました。読者様からのご指摘により、6月23日(火)16:00に修正いたしました。ご指摘ありがとうございました。

編集:Huuuu inc.