野方に「らしさ」を求めるな|文・金井球(タレント・執筆家)

著: 金井球
ちょうどいいタイミングの依頼だった。約3年半住んだ大好きな街を離れることを決め、引越しの準備を進めている最中である。街のことを書くなら野方しかありえない!
小さい頃から引越しが多く、地元愛のようなものから縁遠かったわたしにとって、はじめて愛を持って暮らした自分の街!

登山家のようなスタンスで生きていたい。山があるから登る。着てみた服が似合ったので外に出る。自然な流れに乗って、選択をしていないみたいな顔をしてふらふら生きる。わたしはそれ以外が恥ずかしくてまだできない。

野方での生活は、まさに「流れついた」という感じで始まった。社会人一年目、3カ月で辞めることになる美容院の社員寮でドキドキはじめての一人暮らし。憧れの街ではなかったはずなのに、3カ月も住んでみたら、野方に骨を埋める覚悟が生まれるほど好きになってしまっていた。早期も早期な早期退職をしたあと、寮から徒歩4分のアパートに引越し、そこから丸三年暮らした。
偶然流れついただけなのに、ギャルの先輩からの「心臓強いね」という嫌味にも屈さず根を生やしちゃうような街。

この居心地のよさはなんなんだ!

わたしが思うに、野方はなんか、ちぐはぐ。

例えば、環七を南に行けばすぐの高円寺は「古着と音楽の街」、中野は「サブカルチャーの街」と、説明しやすいテーマみたいなものがある気がする。野方ってなんの街でもない。野方らしい光景を思い浮かべようにも出てこない。ラベルをつけようがないちぐはぐさがある。

昭和から続く定食屋の隣の松屋、やたら多い無人古着屋、元気すぎる韓国料理屋など……。街を構成するものたちの方向性が全然揃っていない。

単純に「力の抜ける街」と言ってしまうには、ちょっとおしゃれすぎたりする店もある。「DAILY COFFEE STAND」である。
駅から徒歩2分ほど、居酒屋やパチンコ屋の並びに、急に空間の重力が変わるような感じで現れる、コーヒースタンド。おしゃれで、気が利いていて、この街ではちょっと浮いている。最初に見かけたときは、正直「なんてそぐわない場所!」と思った。

わたしはよくここでチャイティーラテを頼んで、家まで歩いたり、散歩をしたりする。野方はチャイティーラテを持って歩くには垢抜けてなさすぎる街なので少し恥ずかしかった。似合わないなーと思いながらも、美味しくてすてきで何度も通っているうちに、それが自然になっていた。生活に必要とされて、街に馴染む前に生活に馴染んでいく。だから、違和感を醸しながらもこの場所に存在し続けているのだとおもう。

そして、一見そぐわないものがふつうに共存していること。それがきっと、野方を「なにかの街」と括ることのできない、唯一無二にしているんじゃなかろうか。

そういえば、野方に暮らしていて、空きテナントに新しい店が入っては撤退していく様子を何度も見てきた。大抵は飲食店で、今度行こうと思っているうちに看板がなくなっていて、少し寂しい気持ちになることもあった。そのサイクルを何度か目にするうちに「野方は、この街に必要ないものを自然に淘汰していく街なのだ」と気づいた。言葉にするとちょっと怖いけれど、たぶんこれは、街が“住人のためだけにある”ということだと思う。ただ毎日の暮らしに必要なものが、住んでいる人たちによって選び取られ、残っていくだけ。この街にあるもの全てが、なんとなくあるようで、必然なのだ。

「セワロ」というインド・ネパール料理屋が、野方でも特に入れ替わりの激しいテナントに、突如あらわれた。前ここにあったお店は2カ月くらいで潰れてしまった気がするが、セワロはたぶん、もう1年くらいここにいる。
ある日、食事を終えてお会計していたら、カウンターに座っていた男性に話しかけられたことがある。「どうしてこのお店に入ろうと思ったんですか?」と尋ねられたので、お店の人かと思いきや、ただの常連のお客さんだった。
話を聞くと、この場所でどうにか生き残ってほしいから、チラシをつくったりして手伝っているのだという。こうやって、人の愛によって街のかたちがつくられていくことがうれしかった。
ちなみに、わたしの自宅で収録しているラジオ「知らねえ単語」では、いつもセワロのカレーをテイクアウトして食べている。めちゃくちゃおいしい。

どうかこれからも野方にいてください。

野方の変わることを恐れない風通しの良さが好きだ。でも、ずっと変わらないものがあることも野方のよさだと思う。「野方食堂」は、昭和11年から続く町の定食屋だ。わたしが生まれるほんとずっと前からほとんど変わらずそこにある。決して派手な場所ではない。でも、お昼どきは人でいっぱいで、なかなかスッとは入れない人気ぶりだ。

わたしのおすすめはA定食(生姜焼きと唐揚げの定食。野方食堂の唐揚げが1番美味しい!)何も特別じゃないのに、完璧なごはん。日々新しいものが生まれるこの世界で、この食堂は、毎日変わらないスピードで、同じようにごはんを提供し続けている。

流れついた住人にも、ずっと暮らしている常連にも、分け隔てなく、同じようにおなかを満たしてくれる。変わらない味が街の中心にあるからこそ、新しいものが生まれては消えても、野方が野方のまま存在できるのだと思う。

野方の本丸。南口を出て少し歩くと、「野方文化マーケット」という闇市跡地がある(野方のパルコとも呼ばれている)。
電気がついていないと、昼間でも暗くて、異様な雰囲気を醸し出している。少しこわい。全てを飲み込むようなインパクトがあるのに、自然に街に溶けているのが不思議だ。生活の一部としてただそこに佇んでいる。何かを象徴したり、街の主役になったっていいのに、野方文化マーケットはずっとただそこに存在しているだけなのだ。

入口ではおじさんが、謎めいた時計を売っていたり、奥にはナイスな古着屋「吊り橋ピュン」など個性的なお店が詰め込まれている。文化マーケットという名前のとおり、野方のカルチャーな部分を担っている場所だ。

スーパーの帰りに、文化マーケット内の貸しスペースで「真空パックに詰められたぬいぐるみにカビを生やす」という展示をたまたま見たことがある。帰り道は、住んでいる街でこんなに尖った光景を目撃できたことへの喜びで胸がいっぱいだった。そのときに購入した、カビの生えていないぬいぐるみは今も大切に家にいる。

ここまでで、もしかしたら結構かっこいい街を想像しちゃっているかもしれない。でもじつは、ものすごく愉快な街である。町の至る所に謎のジョークが書かれた張り紙があったりする。もうひとつ、野方の愉快さを語る上で欠かせない“かわいさポイント”といえば、南口を出て左へまっすぐ、ものすごく短いアーケード、「ヤッホーロード」である!

ヤッホーロードの名前の由来って想像できますか。わたしはくだらないことを考える脳だけが異常に発達しているので、一瞬で気づいてしまったのですが「野方→やほう→ヤッホー」ということじゃないでしょうか? かわいすぎる。
野方に友だちを連れてくるたび、ヤッホークイズを出題しているけど、一発で当てられた人間は今のところゼロ人。街に住む何人がこのヤッホーのことを考え、何人が真実に気づいているのだろうか。ぜんぜん違う由来だったらすみません。そしたらわたしがかわいすぎるのだと思います。

じつは、わたしは代々木上原に住むのに憧れている。代々木上原で、部屋着のまま犬を散歩させたい。もし住むことになったら、もっと理想の暮らしを妄想しちゃったりして、自分を代々木上原ナイズドしてしまうんだと思う。
野方は雑多でちぐはぐでヘンテコだから、かっこつけなくてもいいし、どう合わせにいくのが正解なのか、とかがない感じがする。おしゃれカフェを軸におしゃれ生活をしてもいいし、たくさんある居酒屋を軸にへべれけに生きてみてもいい。
どういたって、勝手に自分にフィットしてくる街だった。

登山家のようなスタンスで生きていたい。山があるから登る。着てみた服が似合ったので外に出る。流れついたからこの街に住んで、あと3日もすれば、恋人に手を引かれてこの街を去る。自然な流れに乗って、選択をしていないみたいな顔をしてふらふら生きる。わたしはそれ以外が恥ずかしくてまだできない。できないけど、ちょっとずつできていきたい。


野方の婦人服屋で思わず二度見した服

著者:金井球(かない・きゅう)

金井球

2001年9月、日曜の新宿に生まれる。寿司屋のバイトを「賄いに寿司が出ない」という理由で辞めたこともあったが、最近は執筆やZINE制作、Podcast番組「ラジオ知らねえ単語」の制作・出演、演技など、精力的に活動の幅を広げている。

編集:ツドイ