「ひとりで楽しむこと」を学べる街、西荻窪。小説家・角田光代が語る“小さな文化”の魅力

編集: 小沢あや(ピース株式会社) 取材: かなめゆき 写真:曽我美芽

多くのクリエイターに愛される街、西荻窪。小説家・角田光代さんも、この街に魅了されたひとりです。

1990年にデビュー後、直木賞を受賞した『対岸の彼女』、映画化でも話題になった『八日目の蝉』『紙の月』など数々の代表作を持つ角田さんは、西荻窪で暮らし始めて約27年。

「引越した瞬間、ここだと思ったんです」。そう語るほど惹かれた西荻窪の魅力と、ものづくりをする人たちにとっての“吸引力”とはなにか? また、小説の舞台となる街の選び方も伺いました。街と人々の息遣いが鮮やかに浮かび上がる巧みな描写は、どのように生まれるのでしょうか。

狭さがほどよく、のんびりできる─「小さな文化」が魅力の西荻窪

―― 角田さんは中野、高円寺、南阿佐ヶ谷、荻窪などを経て、西荻窪に落ち着かれたそうですね。

角田光代さん(以下、角田):引越してすぐ「ああ、ここだ」としっくりきました。西荻窪は、吉祥寺や荻窪に比べるとこぢんまりとしていて、時間の流れもゆるやか。飲み屋や古書店、雑貨屋などいろんなお店があるのもいいし、住人同士で「新しいお店ができたよ」と話す村のような雰囲気もあって、よい意味での狭さとのんびりさが気に入ったんです。

―― 中央線沿線以外の場所に住まれたことは?

角田:中野の前に野方のこぢんまりとしたエリアに住んでいましたが、大学に通うにはよかったんですが、卒業後は乗り換えなどの不便さを感じ、同時に「もっと大きな町に住みたい」という気持ちにもなりました。中野に引越したときは「こんなところに住みたかった!」とほっとしました。中野で中央線の魅力に目覚め、次は数年荻窪に住みました。

―― どうして、そんなに気に入っていたエリアからお引越しを?

角田:荻窪から引越したのは、家賃改定がきっかけでした。家賃がバブルのころと同じ高い金額のままなので契約更新を機に下げると言われて、「今まで払ってきた家賃はなんだったんだ!」と、なんかすっごくムカついて(笑)。

離れた直後は中野や荻窪を恋しく思っていましたが、西荻で暮らすようになってからは、「中野も荻窪もにぎやかすぎたかな」と思うようになりました。

―― 角田さんにとって、暮らす街は“ほどよいにぎやかさ”が重要なんですね。住まいを中央線沿線に絞ってきた理由は?

角田:中央線沿線には文化がありますよね。それも大きな文化じゃなくて、サブカルチャー的というか、小さな文化。とくに西荻や阿佐ヶ谷などこどんまりした街になるほど、小さな文化を大事にしている印象があって惹かれます。西荻だと、雑貨や骨董のお店が多かったり、日曜には朝市がやっていたりするんですよ。

―― 人々の営みが感じられる街ですよね。

角田:食材を買うときも、私はスーパーではなく個人商店に行くんです。とくに八百屋さんは仲が良くて「今日はこれがおいしいよ」と声をかけてくれたり、知らない野菜の調理法を教えてくれたり。そんな交流も魅力です。

「大人が平日昼間にうろうろしても浮かない」自由業にやさしい街

―― 西荻は文筆家をはじめ、クリエイターの方が多く住んでいます。なぜ選ばれると思いますか?

角田:西荻って、いい大人が平日の昼間にうろうろしているんですよ。ファミリー向けの街だと浮いてしまうけど、西荻はそれが全くない。

中央線沿線は全般的に、自由業の人間にとって居心地がよいから、クリエイターが集まりやすいんだと思います。実際、私が20代で西荻窪にやって来たときに、いちばん気に入った点ですね。

―― それでいうと三軒茶屋や下北沢も条件は満たしていると思いますが、そちらにご興味はなかったんでしょうか?

角田:実は中野から引越すときの選択肢が「下北沢」か「荻窪」でした。家賃の都合で荻窪にしたんですけど、もし下北を選んでいたら今、この取材で世田谷について熱く語っていたと思います(笑)。

世田谷区の下北や三茶と、こちら側の吉祥寺や西荻窪って、カルチャーのある街の二大巨頭。どちらも“沼”があるから、あっちに行っても、きっと抜け出せなかっただろうと思うくらい魅力はわかります。

―― 例えば港区のような全くカラーの異なる街に住んでいたら、角田さんが書くものは変化していたでしょうか。

角田:そうですね。文章自体は変わらないですが、興味をもつ対象が、人間にせよ、事象にせよ、今とはやっぱり違っていたと思います。

ビールが飲める、個性豊かな古書店も。自然豊かなエリアも近くに

―― 西荻は書店の多さも魅力のひとつですが、角田さんおすすめのお店はありますか?

角田:残念ながら新刊書店は次々と閉店してしまったんですが、唯一残る「今野書店」は、選書に個性があり、かなりおもしろいですよ。

古書店はものすごくたくさんあって、カラーも豊富。品ぞろえがオールマイティーで、かつサブカル的に楽しめるのは「古書音羽館」さん。児童書や絵本など、特定のジャンルに特化している店もありますね。あとは、「古本バル 月よみ堂」というお店はビールを出してくれて、いい雰囲気でした。

―― 西荻だと「BREWBOOKS」さんでも、ビールが楽しめますよね。

角田:そちらも新しくできた、おもしろいお店ですよね。

―― お店以外だと、お気に入りの場所は?

角田:年齢を重ねるにつれて、やはり緑が恋しくなってきて。西荻を基点として、四方に自然豊かな場所があるのも嬉しいですね。ものすごく広い「善福寺川緑地」という公園や、善福寺川の源流となる池がある「善福寺公園」。「井の頭恩賜公園」や「東京都立石神井公園」など、いずれも家から往復で10キロくらい。私は散歩やジョギングをよくするので、気持ちのいい環境です。

「魂の修行」のため、ひとり飲みに挑戦─世界が変わった

―― 角田さんといえば「執筆は仕事場で9時から17時まで」という規則正しい仕事のスタイルでも知られています。お仕事後は、街でどんなふうに過ごされますか。

角田:仕事場を出たら頭のスイッチを切り替えるよう心がけています。パンデミックの前は、仕事に関係のない趣味の本を持ってひとり飲みに行くことも多かったんです。よく行く店ばかりなので、お店の方も私が何をしている人間か大抵は知っているんですけど、本を開くと話しかけずにそっとしておいてくれます。これも、西荻の文化なのかなと思いますね。「ひとりでいたい」という気持ちを尊重してくれるお店が多いんです。

―― 「ひとりで飲みながら、本を読むのに最適」という店は?

角田:私のお気に入りは、多国籍ビストロの「コノコネコノコ」さん。箸置きもお店の飾りも猫だらけの、かわいいお店です。お店の方と猫トークをしたり、ゆっくり読書をしたりします。メニューは羊をよく使っていて「羊の麻婆豆腐」という変わったものも。少食なので、ひとり分の量で出してくれるところもありがたいんです。

―― 角田さんと、夫で音楽家の河野丈洋さんがふたりで訪れたおいしいお店について綴った共著『もう一杯だけ飲んで帰ろう。』(新潮社)では、西荻窪のお店も数多く登場しますね。

角田:あの本でも書きましたが、駅前の有名店「戎」もおすすめです。大衆居酒屋なのでひとりだと最初は入るのに勇気がいるかもしれないけれど、とにかくメニューが豊富で安い。名物のイワシコロッケが好きです。

―― 角田さんがお好きな、レモンサワーがおいしいお店はありますか?

角田:「コノコネコノコ」さんもおいしいですし、「ビストロキッチン ルポン」もおすすめです。スタンディングバーの店舗があって、そこはレモンサワー専門で、4種類から選べるんですよ。

―― 個性豊かなお店が多いですね。お店はどのように開拓していきますか?

角田:「パトロール」と称して、新しいお店をチェックしています。間違ったところには行きたくないので、かなり慎重に……人から評判を聞いたり、店構えを確認したり。ぱっと通って「あ、ここ絶対いい」と思うと、外れがないですね。西荻はたいがい気持ちよく飲めます。ほかの街に行くと「店員さんの対応がロボットみたいだ」と驚くくらい。

パトロール中に一目惚れしたお店は、「イトキチ」さん。スペイン料理とワインのお店で、メニューが毎回違うから選ぶ楽しみもあるし、量を少なめにもしてくださるので、食事もしっかり楽しめます。

―― 最近ようやく社会情勢が少し落ち着き、お酒の席が楽しめるようになってきましたね。

角田:そうですね。最近また、しばしば足を運ぶようになりました。パンデミックのときは、西荻はどのお店も閉まっていて。二人が入ればいっぱいになる雑貨屋さんだったり、ボタンがたくさん置いてあるお店だったり、数々の古書店さんだったり……。

そういう店が閉めざるを得ない状況のとき、すごくさびしかったんです。「この街は不要不急でできている。でも、人間の魂を生かすのって不要不急じゃないの?」と。不要不急のものを禁じるとこんなに殺伐とするんだと、あのときは街について本当に考えちゃいましたね。

―― ひとり飲みは、もともと趣味だったのですか?

角田:むしろ苦手でした。ひとり飲みを覚えたのは、今の夫と結婚してから。夫は当時バンドをやっていて、全国ツアーなどで不在がちだったんです。そこに不満を抱いてしまう自分を変えるために、ひとり街に繰り出していました。「魂の修行」と呼んでいて(笑)。ひとりで飲む楽しさに気づいてから、かなり世界が変わりましたね。ひとり飲みが難しい街だったら、つらかっただろうな。内にこもっていたかもしれない。

小説の舞台となる街、ポイントは「海の有無」

―― 角田さんの小説は、どれも街の描写にリアリティを感じます。物語の舞台になる街は、いつもどう決めますか?

角田:最初に決めるのは「海があるかないか」。海の有無は、人の性格に影響を与えるんじゃないかと思っていて。私自身も、かつて海まで電車で40分の学校に通っていました。決してきれいな海ではなかったけれど、「海がある」という事実に救われた部分があった気がするんです。

おもしろい街を人に聞いたり、自分が訪れたときに「ここから始まる物語が書けるかも」と思ったりもしますが、どんな場合でも、話を考えるうえで「海があるかないか」は重要です。

―― 地方の街を描くことも多いですよね。『八日目の蝉』は小豆島、新刊『タラント』(ともに中央公論新社)は香川県が登場します。長期滞在して雰囲気をつかむんですか?

角田:いえ、滞在しても1~2日くらいですね。『タラント』の主人公の出身地が香川なのは、たまたま香川に行ったときにテーマを思いつきました。うどん屋の娘という設定にしたのは、香川のうどんがあまりにもおいしかったから(笑)。

―― これまで、街のどんなところを作品に取り入れていきましたか。

角田:連載を始めるにあたって、改めて香川に足を運び、高松市内の駅の周りを歩きました。海があって、山があって、空が広くて……ぐるぐる歩くうちに「観光客の私にとっては自然を感じるいい街だけど、思春期のときは窮屈に感じることがあるかも」と思ったんです。飛行機や船に乗らない限り出ていけない、という窮屈さがあるんじゃないかと。

―― 『タラント』の冒頭、主人公が飛行機の中で故郷の閉塞感に思いを馳せるシーンは、そんな気づきから生まれたのですね。

角田:私の場合、実際の街を見えたまま描写するのではなく、空の広さや日差しを意識して書いています。観光客が多いか少ないか、シャッターが閉まっている店はどのくらいかなど、ざっくりとした街の印象を感じるようにしています。

―― 角田さんの“体感”が落とし込まれているんですね。角田さんの作品には、街の固有名詞はそれほど出てきませんよね。お店とか、施設とか。それは、何か狙いがあるんでしょうか?

角田:現実に寄せすぎてしまうと、ガイドブックでもないのに「あの店は何年にはまだない」みたいなクレームが届きかねないので(笑)。街の名前を借りても、どこかで現実との線引きをしたほうが、書き手も読み手も心の平穏が守れると思っているんです。

―― 『ドラママチ』(文藝春秋)は杉並エリアを描く連作短編集で、ほかにも中央線沿線の街が舞台となる小説が多いですよね。

角田:『ドラママチ』は同じく西荻に住む編集者に、「中央線の良さを世界に知らしめたい」とオファーをいただいたんです。作中に登場する喫茶店を決めるために、高円寺、阿佐ヶ谷、中野と巡ったんですけど、似ているようでいて1駅ごとに個性があるので、中央線が舞台の小説はすごく書きやすい。4月から『週刊新潮』で始まった新連載『方舟を燃やす』でも、高円寺に住む人物が出てきます。

西荻窪は「ひとりで小さな物事を楽しむ」ことを学べる街

―― ここ数年、角田さん原作の映画『愛がなんだ』や、『花束みたいな恋をした』『明け方の若者たち』など、街を舞台にした恋愛/青春作品が話題になりました。街の描き方はそれぞれですが、今回お話を聞いて、角田さんの街を楽しむ暮らしぶりが、角田作品のリアリティの源なのかなと感じました。

角田:坂元裕二さんの『花束みたいな恋をした』といえば、主人公たちが同棲した家が駅徒歩30分でしたよね。最初は一緒に待ち合わせて帰ったり、散歩したりで楽しそうだったけど、次第に30分が呪いのようになっていって……でも、物件自体は素敵なお家でね。あの映画を観たとき、若いころの家探しを思い出しました。「この物件と景色が別の立地にあれば、どれだけいいだろう」とか。

―― 角田さんも、西荻窪に27年もお住まいになっていると、つらい失恋の記憶もあるのでは。

角田:かなりひどい失恋をしたのが西荻で、今でも当時住んでいた家の前を通ると「つらかったな」と思い出すことがあります。失恋当時は街に色がついていないように見えて、よく通っていたお店のはずなのに、ベコベコした畳しか覚えていないほど、うつむきっぱなしになる状態でした。

―― まさに、角田さんの小説のようなエピソードですね……。失恋後、「気分を変えよう」と西荻から引越しを考えたことはなかったんですか?

角田:なかったですね。今でも「ここで失恋したな」と思うくらい。それも街にしみこんだいい思い出になりました。

―― もし西荻で同棲を考えているカップルにアドバイスするなら……?

角田:駅から徒歩30分とかの物件は、絶対やめたほうがいい(笑)!

―― (笑)。西荻は今、家賃が上昇傾向にあります。憧れている若い世代も多いと思いますが、背伸びしてでも住む価値がありますか?

角田:そうですね。「ひとりで小さな物事を楽しむ」ことを学べる街だと思います。

私が若いころは、恋人や友だちと一緒にいることに重きを置いていたので、ひとりでいると楽しいことを逃しているような焦りがありました。西荻は、そんな焦燥感を解消してくれる街。飲み屋さん以外でも、例えば雑貨屋さんに入って、「かわいい!」と眺めるのも、なんか幸せじゃないですか。そういう時間の過ごし方を、私自身、この街に引越して学んだと思います。


お話を伺った人:角田光代(かくたみつよ)

角田光代(かくたみつよ)

1967年生まれ、神奈川県出身。90年、『幸福な遊戯』で海燕新人文学賞を受賞してデビュー後、05年に『対岸の彼女』で直木賞、以降も07年『八日目の蝉』の中央公論文芸賞などをはじめ、多くの文学賞を受賞。また、5年掛けて取り組んだ『源氏物語』の完全新訳も読売文学賞を受賞するなど話題を呼んだ。最新刊は、家族、戦争、パラスポーツなどをテーマに人生の使命を掘り下げる『タラント』。現在は『週刊新潮』の連載『方舟を燃やす』など精力的に執筆中。

聞き手:かなめゆき

かなめゆき

編集者/ライター。インタビュー記事を中心に制作。池袋と大衆居酒屋と短歌が好き。Twitter:@asunihayokunaru

編集:小沢あや(ピース)