
「ポジティブで明るい子」
そう言われて育ってきた私が、19歳で、突然うつ病になった。大学近くの下高井戸で、人生初の一人暮らしを始めたばかりの頃だった。
引き金になるような出来事は思い浮かばず、それゆえ漠然とした不安に襲われる日々。一日中ただただ泣き続けたり、うまく呼吸ができずに苦しんだりしていた。息を吸っても吸っても吸えた気がしない。夜だろうと昼間だろうと関係なく、そんな感覚が続いていた。
一人暮らしの寂しさがそうさせたのか。たまたまその時期だったのか。いつしか私は、一人で家にいる時間を怖いと感じるようになった。

そんな私がすがる思いで飛び込んだのが、シェアハウスでの暮らしだった。後に「シェアハウスガール」として芸能デビューするきっかけになった生活スタイルも、始まりは苦しい日々から逃れるための、苦肉の策にすぎなかった。
初めて住んだシェアハウスは、20人を超える大所帯。それまでまったく知らなかった人たちとの、賑やかな共同生活だった。
朝はリビングから聞こえてくるルームメイトたちの笑い声で目を覚まし、夜は誰かと語り合いながらそのまま眠りにつく。そんな毎日を繰り返すうちに、泣いて一日が潰れることも、呼吸が苦しくなることも、漠然とした不安に飲み込まれることも、少なくなっていった。
ただ、果たしてこの心の安定は本当に自分の力で手に入れたものなのか、それとも皆と一緒にいることで成り立っているだけなのか。いつかまた一人になったとき、私は元気にやっていけるのだろうか。新たな心配事が心を占め始めると、いてもたってもいられなくなった。

私はすぐに賃貸サイトを開き、一人で暮らすための部屋を探した。そうしてたどり着いたのが、西永福という街だった。京王井の頭線の各駅停車で、渋谷から約18分。大学へも通いやすい距離にあった。
選んだ家は、築40年ほどの木造2階建て。もっと古いのでは? と疑ってしまうほど、年季の入ったアパートだった。不安定な外階段を上り切ると、真昼間だろうが薄暗く、不気味な廊下が続いている。なんとも頼りない玄関の扉は、母や、不動産屋のおじさんまでをも不安にさせるものだった。
ところが私は、そんな家に一目惚れをしてしまった。ずっと古い家に憧れていたのだ。おそらく邦画の見過ぎだろう。主人公はいつも2階に住んでいて、階段を下りてくる俯瞰の画は決して欠かせない。
室内は小さな1DKで、ドアを開けるとすぐキッチン。という構図が、少し前に流行っていた映画『愛がなんだ』や『南瓜とマヨネーズ』の部屋と似ていて、まるで憧れの世界に入り込んだようだった。

そんなこんなで始まった、数年ぶりの一人暮らし。不安と期待が入り混じるとは、まさにあの時のことをいうのだと思う。引越しを終えたその日の夜、新しく買ったお気に入りの家具を眺めながら、心なしか呼吸のペースが早くなっているのが分かった。吸っているのに、どこか足りない。忘れたはずのあの違和感。次の日もまたその次の日も、見極めるようにその違和感と向き合った。
部屋にいることに耐えられなくなると、逃げるように家の外へ出ていった。そうしたつらい日は、駅前の広場や商店街、線路沿いの道をよく歩いた。そこには買い物袋を提げた人々が行き交い、夕食の支度を思わせる、懐かしい家庭の匂いが漂う。
犬の鳴き声や自転車のベル、商店から漏れ聞こえる話し声が聞こえる。越してくるまで名前しか知らなかった西永福の街並みは、いつしか私の毎日に欠かせない景色になった。この場所で触れる何気ない暮らしの気配が、張り詰めていた気持ちを自然と和らげてくれた。

家の周りを歩くだけでは物足りない時は、少しだけ足を延ばし、和田堀公園へ行くのがお決まりだった。家から徒歩15分、公園内を流れる川沿いを歩いていると、ある日、明るいオレンジ色の小さな建物に出会った。
色とりどりのパラソルが並ぶ、テラス席だけのガーデンレストラン、「テラスりばぁさいど」。森の中で突然小さな家を見つけたような、まるで童話の世界に入り込んだような気分のまま、そのパラソルの下の席に腰を下ろしていた。
そこでは葉と葉が触れ合う音だけが聞こえ、澄んだ緑の匂いが鼻を抜ける。呼吸を整えようとしていたことも忘れ、ただ向こうの木々が揺れるのを眺めていた。
家を出る時には重たかった足取りはいつも、帰る頃には少しだけ軽くなる。私にとってそのパラソルの下は、自分だけの秘密基地だった。

そうやって少しずつ積み重ねてきた日常は、長くは続かなかった。
2020年の春。新型コロナウイルス感染症の流行、そして、緊急事態宣言。街からはあっという間に人の気配が消え、どこを歩いても心細かった。駅前の広場も商店街も、和田堀公園でさえも。張り詰めた静けさに包まれた西永福の街は、それまでのように私を安心させてはくれなくなった。
ただ一人部屋に籠って、その日が終わるのを待つ毎日。ふとした瞬間に理由もなく、涙がこみ上げるようになった。昔、下高井戸の部屋で味わった、あの孤独と息苦しさ。一人でいることへの恐怖。少しずつ遠ざかっていたそれらが、心の奥から顔を出し始めた。

さらに私を追い詰めるような出来事が起きた。真下に住む男性とのご近所トラブルだ。私が家にいる時間が長くなったせいなのか、コロナのストレスで相手も神経質になっていたのか。とにかく毎日の生活音を、驚くほど雑なやり方で指摘されるようになった。
なんと1階のベランダから、私の住む2階の部屋に向かって、延々と叫んでくるのである。「ステイホーム」を徹底中のご近所中に響き渡るような大声でだ。けれど、こちらも黙って耐え続けるようなタイプではなく、 昔から変なところで気が強い。ある日私はたった一人で、顔も知らない相手の部屋を訪ねた。
ドアを開けて現れたのは、思っていたよりずっと小さく、腰の曲がったお爺さんだった。
そしてなんとも拍子抜けするほど柔らかな口調で応じてくれたその様子に、私の身構えていた気持ちはすっとほどけていった。「うるさくしてしまっていたら、ごめんなさい」そう口にすると、お爺さんも「こちらこそ、ごめんね」と申し訳なさそうに返す。互いに抱いていた悪印象は崩れ、すぐに和解した。気がつけば私はその部屋で、足を崩し、お茶を飲んでいた。
それからというもの、ときどき部屋へ遊びに行ってはよく話し込むようになった。テレビの音を聞きながら、他愛もない話をしては笑い合う。そんな時間を重ねるうちに、お爺さんはよくレトルトのパスタを作って、私の部屋の玄関前に置いておいてくれるようになった。
食べ終わったお皿はもちろん洗って、今度はお爺さんの部屋の玄関前へ。1階と2階を行き来する1枚のお皿が、お互いが一人ではないということを知らせてくれていた。

そんな穏やかな時間に救われる一方で、コロナの終息時期は依然として見えないままだった。芸能の仕事はほとんどなく貯金も底をつきかけていた頃、私はついに、鎌倉の実家へと戻ることにした。
引越し当日。空っぽになった部屋を眺めながら、私はお爺さんのことを考えていた。家を出ることをずっと伝えられないまま、その瞬間を迎えた。顔を合わせてしまったら、それが本当の別れになる。そう思うと足がすくんだ。結局私は手紙だけを残し、その場所を去った。

あれから6年の月日が経つ。久しぶりにあのアパートを見てみたくなり、カメラを片手に西永福へと向かうことにした。
渋谷から井の頭線に乗り、各駅停車にゆっくりと揺られていく。窓の外を眺めていると、少しずつ、見覚えのある景色が流れ始めた。
商店街。駅前広場。線路沿いの道。何度も歩いた西永福の街は、今もほとんど変わっていない。足取りは自然とあの頃をなぞり、いつの間にか当時暮らしていた場所までたどり着いていた。
ところが、何度通りを行き来しようとも、もうあの家を見つけることはできなかった。そこにはあの古びたアパートの面影を少しも残さない、真新しい一軒家が建っていた。
私はゆっくり息を吸い込むと、また同じ道を歩いて駅へ向かう。西永福には、帰れない。それでも不思議と怖くなかった。

著者:冬由

俳優。明治大学卒業。大学在学中にバックパッカーとして各地を旅し、帰国後、日本テレビ系列『幸せ!ボンビーガール』に「国際シェアハウスに暮らす女優」として出演しデビュー。以降、映画・テレビなどの映像作品を中心に活動し、映画『虚空』では主演を務めた。地元・鎌倉では一日警察署長も務めるなど、多方面にわたり活動している。
Instagram:@fuyu.______
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編集:岡本尚之
