20代の終わりと白紙の未来。通過点の街「中津」で人生を取り戻すまで

著者: 金井塚悠生

 

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小学生のころ、塾に通う途中、1度だけ電車を乗り過ごしたことがある。

 

地元の阪急池田駅から宝塚線大阪梅田行きの電車に乗って、数駅隣にある豊中駅の小さな進学塾に通っていた。ある日、ふと窓の外を見ると見覚えのない景色がながれていく。気づいた時には急行電車の中に閉じ込められていた。電車はいくつもの駅をすっ飛ばして走る。

 

それまで豊中駅より先に行ったことがなかった僕は、突然知らない街に連れ去られたみたいな気分になった。 

 

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結局その後は、終点の大阪梅田駅まで乗ってそのまま同じ電車で引き返して塾に行った気がする。たぶん小テストには間に合わなかった。その時、十三(じゅうそう)と梅田の間に小さく地味な駅がぽつんとある光景が何故か脳裏に焼きついていた。

 

阪急中津駅。

 

その駅の名前をちゃんと認識したのはそれから少し先のことだった。無事に中学受験で志望校に合格した僕は、地元の池田から梅田を経由して電車を乗り継ぎ天王寺の1つ手間の駅まで通学するようになっていた。

 

各駅停車しか止まらない中津駅は、通学路の途中にある毎日2回通り過ぎる駅になった。その時はまだ僕の人生にとって中津は、「ただの通過点」に過ぎなかった。大阪梅田駅を利用する年間50万人以上のほとんどの人にとってもきっとそうに違いない。

それから10年以上の月日が流れ、欲張りで負けず嫌いで夢見がちな少年は、拍子抜けするくらい平凡な青年になった。

 

そして、あの小さくて地味な駅阪急中津は、僕の最寄駅になっていた。

 

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線路に並走する国道176号線。梅田まで後一歩の場所に中津はある

 

3度の脱線の末にたどり着いた運命の街

この街に住み、もうすぐ5年になる。

思えば脱線の多い半生だった。

 

これまでの人生で3回、大きく道を踏み外したことがある。そのたびに別の世界線に飛ばされて、新しい人生を生き直しているような感覚になった。

 

1度目の脱線は、家庭の問題で心を病み不登校になって進学校の高校を中退した時。2度目の脱線は、健康上の不安からせっかくつかんだ大手企業の内定を辞退した時。そして最後の脱線は、大学卒業後新卒で入った会社を1年で退社した時。3度の脱線の末に流れ着いたのがこの街だった。もう元の道には絶対に戻れない気がしていた。

 

この街に引越してきたのは、いつになくむし暑い夏のはじまりのころだった。毎晩「news zero」の終わりに流れる宇多田ヒカルの「真夏の通り雨」を枕元で聴きながら「今日も、部屋の片づけをしていたら一日が終わってしまったな」と床に散乱した本の海を横目に力尽きていたのを覚えている。また、ゲームリセットだ。

 

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「3度目の脱線」の後にはじめた仕事は、これまで全く接点がない児童福祉の仕事だった。意外と性に合っていて今でもこの仕事を続けているのだけど、当時は大阪に戻れるならもうなんでもいいという心境だった。目標を見失って、人生の迷子になっていた。

 

そんな思い通りにならないことばかりの半生のなかで、住んでいる街だけは、自分にとってこの上なくぴったりのところに巡り合えた気がしていた。

 

振り返ってみると、中津との出会いにはいくつかの伏線があった。

 

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阪急中津駅のホーム。幅が狭くてベンチはない

 

大学生のころ、父親の職場がある大阪市内のオフィスビルに居候をしていた。この時はじめて地元である郊外のベッドタウンを飛び出して、都心での生活を経験した。梅田や天満や福島で何時まで飲んでも徒歩で帰れる。終電のない世界は大学生活にはうってつけだった。

 

家庭の問題を抱えていた僕にとって、幸せを絵に描いたようなファミリーホームが立ち並ぶ地元は正直ちょっと息苦しかった。有象無象の無数の人が渦巻く都会の中心で、群衆の一部になることではじめて自由を手にした気がした。

 

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もう一つ、大学生の時の話がある。

 

中学校からつるんでいる悪友と、あてもなく大阪市内の街を歩き倒すのが好きだった。ある日の夕暮れ、十三の歓楽街を散策していると、頭上に人が渡れそうな大きな橋があることに気づいた。好奇心のままに階段を駆け上がると、それまで建物に阻まれていた視界が一気に開けた。目の前には夜空にきらめく梅田の摩天楼、その間には海まで続く群青色の淀川が静かに横たわっていた。

 

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世界中どこにでもある、ありふれた風景かもしれない。でも、その時の僕は誰も知らない秘密の絶景を見つけた子どもみたいに興奮していた。

 

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あの日見つけた橋の名前は、新十三大橋(しんじゅうそうおおはし)ということをしばらくしてから知った。それから幾度となくこの場所を訪れた。親友や恋人ができたら必ず連れて来た。いつしかこの橋は自分にとって特別な場所になっていた。そして、十三から梅田を目指して橋を渡り切った先から、中津の街がはじまる。

 

そんないくつかのきっかけが重なって、24歳で人生の再再再スタートをきった僕はこの街で暮らすことにした。

 

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ビルの谷間の静かな楽園

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住所の上での中津は、梅田の都心のビルの谷間を縫うように淀川沿いに東西に広がる小さな街だ。

 

いわゆるお洒落で現代的な街ではないが、家賃の相場もまわりと比べるとそこまで高くない。関西最大のターミナル阪急大阪梅田駅やJR大阪駅周辺の巨大なショッピング街や、新幹線に乗るための新大阪駅、関西国際空港や伊丹空港へのアクセスも抜群なので、気軽に都会暮らしを満喫にするのにはうってつけの場所だと言える。

 

転職して1年が過ぎたころから、副業で観光系の企画の仕事やライターの仕事をはじめて、休日は東京や地方に行くことが多くなった。そんな二重生活でもこの無敵のアクセスを誇る好立地に住んでいるおかげで、フットワーク軽く飛び回ることが出来た。

 

だけど、それだけでは中津の魅力を半分も語れていない。中津には、都心の近くとは思えないくらい人々の暮らしや歴史、四季の移ろいが感じられる風景がたくさんある。

 

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街を歩くと意外と公園が多いことに気づく。阪急中津駅前の「中津中央公園」は、キャッチボールをする子どもたち、お昼休憩のサラリーマン、お年寄りの団欒などさまざまな人間模様が垣間見える、街のちょっとしたオアシスだ。

 

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誰が世話をしているのか、一歩住宅街に入ると、路上の植え込みにたくさんの花が咲いている

 

また、団地が密集するエリアにある中津公園は広い敷地が優しい緑にあふれていて、郊外のニュータウンかと錯覚するような風景が広がっている。僕が学生のころと比べるとファミリー用のマンションが増え、親子連れや子どもたちの姿を見かけることが多くなった気がする。

 

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下町情緒あふれる古い街並みが残っているのも魅力のひとつだ。

 

阪急中津駅の東側のエリア、大阪メトロ中津駅のまわりには個人経営の飲食店が軒をつらねる。仕事終わりの帰り道、お店の前を通ると、いつも香ばしい匂いにのって楽しげな声が聞こえてくる。ちょっとゆるくて、あたたかくて、風通しがいい。だけど時代に流されない個性をもっている実力派。そんな一筋縄ではいかない粋な飲食店が中津には多い。

 

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「SOMA」カレーの激戦区中津が誇るスパイスカレーのお店。毎日お昼休みには行列ができる人気店。こだわりのスパイスが効いたインドカレーは絶品。店内には緑が溢れていて、植物によるモジュ―ラーシンセの演奏が流れる

 

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「new iloilo」中津商店街の中でひときわ目をひくエスニック料理屋さん。パステルカラーで彩られた店内はちょっとした旅行気分を味わえる異空間

 

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「カンテグランデ 中津本店」青々と植物が生い茂る階段を下るとそこは異国の楽園。高い天井の広い窓からさんさんと日が降り注く中庭を眺めながらゆっくり食事を楽しむことができる

 

そんなお店が立ち並ぶ楽しい通りを歩いていると、突如、中津商店街が姿を現す。このあたりは、戦時中、奇蹟的に空襲を免れた建物が残る昔ながらの住宅地となっている。

 

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はじめて見つけた10年前くらいはシャッターが目立っていたけれど、最近は若者に人気の新しい飲食店などが入居して、また人通りが増えている。昔からずっと営みを続けている電気屋さんや理髪店などもあって、一歩足を踏み入れると一瞬昭和にタイムスリップしたような感覚になる。

 

どれだけまわりが開発されても、この場所だけはかつての街の記憶をとどめている。

 

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数年前、写真家の川島小鳥さんが阪急沿線の街を舞台に撮影した写真展「そこに何があるか知りたくて」では、この中津商店街で撮影した写真がイメージビジュアルに使用された。展覧会のタイトルに心からぴったりの場所だと思った。

ここで暮らしている人たちのことを僕はよく知らない。だけど、古い街なみが残っている街は、ちゃんと人に愛されている街な気がする。

 

 

飲食店以外の商店はまだまだ少ないけど、セレクトショップや雑貨屋さんなども最近増えてきている。

 

元ビームスのバイヤーやファッション雑誌『カジカジ』の編集長などが仕掛けるセレクトショップ「イマジン(IMA:ZINE)」や、煉瓦のビルにカフェ、バーバー、セレクトショップが入居する「34Kitchen」などは、そんな中津のニューウェーブな流れをくむスポットと言ってもいいかもしれない。

 

今年に入ってからも、オフィス×カフェ×セレクトストアの複合施設「N6(エヌロク)」のオープンや、身体にやさしい季節の料理が楽しめる人気店「Dining & Cafe mikuri」が移転と、勢いは止まらない。

このまま進化し続けたら30年後くらいに、大阪の中崎町か東京の下北沢みたいなカルチャースポットにならないかなと妄想がふくらむ。

 

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「西田ビル」築50年を超えるヴィンテージビルが総合ローカルカルチャー施設としてリニューアル。コワーキングスペース「creativeQuarterNakatsu」や縁側でクラフトビールが楽しめるコミュニティースペース「Nakatsu brewery」などが入居する

 

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「ぷれこぐ堂」平日は夜の24時まで営業している古本屋さん。サブカルごころをくすぐる高密度の本棚は意見の価値あり。ちょっとの寄り道のつもりが、ついつい長居してしまう

 

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「富島神社」住宅街の一角に静かに佇むパワースポット

 

未来都市を夢見ながら変貌を続ける再開発地区

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一方、僕が住んでいる家のまわり、阪急中津駅から西側のエリアは、新築の単身世帯マンションや真新しい駐車場、会社のオフィスビルなどがランダムに配置され、ある意味殺風景な街並みが広がっている。突然空地になった場所を見ても、前に何が建っていたのか思い出せないことが多い。 

 

家のベランダからの風景を眺めていると、時々ビルの谷間の箱庭に住んでいるような感覚になる。

でも、この無機質な風景も僕は気に入っている。

 

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お互いがほど良い距離感を保って、必要以上に干渉し合わない。ここでは匿名の存在として生きられる風通しのよさがある。元来、近所付き合いが苦手な僕は、未だにこの街で知り合って仲良くなった人はひとりもいない。マンションの住人はみんないつの間にか何処からともなく来て、いつの間にかどこかに去っていく。

 

僕とこの街は、5年経ってもずっと敬語で話しているみたいな絶妙な距離感だけど、それが案外心地良かったりする。

 

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高架になっている阪急中津駅からは、都心にぽっかり空いた巨大な空白地帯が見える。ここは梅田北ヤード、通称「うめきた」と呼ばれる大規模再開発地区。2025年の大阪万博の前の年には、緑あふれる巨大な都市公園が出現するらしい。

 

ひとりで毎日同じような生活を繰り返していると、たまに時代が流れ、自分が歳をとっていくことを忘れてしまいそうになる。

 

でも、梅田北ヤードの未完の楽園を眺めていると、時代は少しづつ、だけど確実に前に進んでいることを実感させられる。学生時代は遥か未来の出来事だと思っていた2020東京オリンピックの年は気づけば追い越してしまっていた。

 

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広大な更地に大型の重機が幾重にも折り重なる様子はSFっぽさを感じる

 

再開発地区の一部には未来の開業に先駆けて芝生のスペースが設けられている。梅田北ヤードの風景はここ数年で一変した。これからも理想の未来都市に向かって日々変貌を続けていく。

 

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たまに遭遇する、中村佑介のイラストに彩られた大阪芸術大学の通学バス。走る青春の塊

 

再開発地区に隣接するエリアは新梅田シティと呼ばれ、梅田スカイビルを中心にモダンな空間が広がっている。この「シンウメダ」という響きが、SF漫画にでてくる未来都市っぽくて、密かにもっと広まればいいのにと思っている。

 

ビルには飲食店やミニシアター系の映画館が入居する他、屋上の展望台に登ることができる。僕は家から徒歩数分のところにあるこのビルが好きで、暇をみつけては敷地内を散歩して、時々展望台に登る。

 

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高さ173mの空中庭園展望台まで上がると眼下に広がる景色がすべてジオラマになる

 

何かに煮詰まった時、よくこの展望台に来る。ソーダ色に輝く空の底に沈む普段生活している街を見下ろすと、頭の中が静かになる気がする。たまには、日常から意識を引き剥がす時間が人生には必要なのだと感じる。

 

ふと、眼下に広がる淀川を目でたどっていくと、想像以上に海が近いことに気づいて驚いた。大阪がかつて「水の都」と呼ばれていたことを思い出す。

 

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夜になると、街は深い海の底に沈んだみたいに静かになる。

 

深夜の街で、自転車をこいで家に帰る日がたまにある。午前2~3時になると、都心でも帰り道にほとんど人とすれ違うことはない。誰もいない街でわずかな光が灯る黒いビルの群れを眺めていると、だんだんこれは夢の中の世界なんじゃないかと思えてくる。

 

地元も、家族も、同級生も、かつての自分のことを知っている人たちと疎遠になるたびに、いつか自分が何者でどこから来たのか忘れてしまうんじゃないかと時々不安になった。

 

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どこへも行くあてがないなら、ずっとここにいてもいいのかもしれない

この5年間、人や環境に恵まれたおかげで、なんとかやりたいことをやっていけるくらいにはなった。自分にチャンスをくれる人たちには感謝してもしきれない。人に生かされていると感じる。 

 

だけど、20代の後半になると行き詰まりを感じることも多くなっていた。若さと直感だけを頼りに突き進んで来た自分は、30歳を前に人生の可能性をすべて使い果たしてしまったような気がしていた。

 

SNSを見ると、同級生が着々とライフステージのコマを進めていく。みんなどこか人生の次なる目的地に向かって進んでいく中で、自分だけが同じ場所をぐるぐるさまよっているような感覚になる。

 

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まもなく20代が終わろうとしている。かつては自分がこのまま30歳を迎えることなんて想像もできなかった。自分は既にライフステージの終点にいて、30歳から先は行き止まりなんだと思っていた。

 

でも今は、このなんとなくだらっと続く日常の先に、当たり前に30代があるような気もしている。そう思えるようになったのは、この街のおかげかもしれない。

 

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ずっと自分の中に特別な価値が欲しかった。ある時はそれを学歴や会社のステイタスや仕事での自己実現に求めたり、ある時は誰か憧れの人に承認されることで満たそうとしていた。結局そのほとんどは、ありえたかもしれないけど実現することのない未来として消えた。

 

だけど、5年間この街で過ごした日々の中で、大阪や中津に不思議な愛着が芽生えていた。いつしか、この街で暮らしてきた日々が僕の人生にとってかけがえのないものになっていた。

 

「そろそろどこか人生の次のステージに行かないと。でも、どこへも行くあてがない」

 

そんな風に悩んでいた僕に、この街は

 

「ずっとここにいてもいいんじゃない?」

 

と言ってくれている気がした。

 

おおげさに聞こえるかもしれないけど、大好きなこの街で暮らしていることが、僕が僕の人生を生きていることの証明であるように思えた。

 

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僕はたぶん、この先もずっとこの街で暮らしていく。

 

今となっては、たとえ何度人生をやり直したとしても結局この街にたどり着くような気がする。僕がここにいることは、世界のほとんどの人にとってはどうでもいい話だ。人生は有限で、僕がこの先新しく出会える人も親しくなれる人も、それほど多くはないかもしれない。だけど、確かに僕はこの街にいて、この街のことが好きで、今日も生きている。これからも変化していく街の姿を見守り続けたいと思っている。

 

そして、いつか機会があったら、誰かに話したい。

 

人生の通過点でもがいていた20代の後半を過ごした、大好きな街の話を。

 

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著者:金井塚悠生

金井塚悠生

1991年大阪生まれ。乙女座。日本のカルチャーをこよなく愛するパラレルワーカー。教育・福祉、観光系の事業会社で企画・広報等の仕事をしながら、個人でライター・PRとして活動。言葉と写真で世界に触れる日々。

Twitter:@kyukirrs
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編集:Huuuu inc.