ジャズもそよぐよ中野新橋【銀座に住むのはまだ早い 第11回 中野区】

著: 小野寺史宜 

家賃5万円弱のワンルームに住みつづけてうん十年。誰よりも「まち」を愛し、そこで生きるふつうの「ひと」たちを描く千葉在住の小説家、小野寺史宜さんがいちばん住みたいのは銀座。でも、今の家賃ではどうも住めそうにない。自分が現実的に住める街はどこなのか? 条件は家賃5万円、フロトイレ付きワンルーム。東京23区ごとに探し、歩き、レポートしてもらう連載です。

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 中野区には、便利、という印象がある。区内ならどこでも新宿に近いからだろう。

 千葉県育ちの僕にしてみれば、中野には、総武線の終点、という印象もある。総武線の各駅停車はほとんどが中野行きか三鷹行き。だから地名は小学生のころから知っていた。秋葉原や新宿よりも先らしい。どこなんだ中野、と思っていた。

 今回はその中野区。町は中野新橋と初めから決めていた。

 さっそくSUUMOで検索。意外にも、物件はそこそこあった。さすが中野。早くも便利。

 駅から徒歩2分。築40年。6畳で家賃5万円。いつもの条件5万円で収まった。

 中野新橋に行くには、東京メトロ丸ノ内線の方南町行きや中野富士見町行き以外に乗った場合、中野坂上で方南町支線に乗り換えなければならない。面倒かとも思ったが、駅から徒歩2分、でそれも解消された。

 いや、その前にまず。中野新橋は、中野坂上からでも歩いて15分程度なのだ。ついでに言えば、新宿からでも30分強。歩いて30分ならそれはもうほぼ新宿ですよ、と僕のなかでは、中野新橋≒新宿、という公式が完成。かくも狭き東京。素晴らしい。

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 徒歩2分なので、初めにちゃちゃっと物件の位置を確認。駅に近いからコンビニも近い。スーパーも近い。言うことなし。

 欄干が赤く塗られた中野新橋を渡り、支線中野新橋駅と本線新中野駅と支線中野富士見町駅からなる丸ノ内線本線支線三角ゾーンを歩く。一戸建てにアパートやそこまで高くはないマンションが交ざる東京らしい住宅地だ。
 支線の中野新橋から本線の新中野の近くまで北上し、そこから鍋屋横丁通りと中野通り経由で支線の中野富士見町へ南下。中野富士見町の西、次の駅が支線の終点方南町。そこはもう中野区ではない。杉並区だ。

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 余談だが。後楽園だの御茶ノ水だの四ツ谷だので地上にちょいちょい姿を現す丸ノ内線はとてもかわいらしい電車だと思う。池袋から大まわりをして新宿に行くあたりも愛らしい。実際にそれで行くと35分ぐらいかかるのだ。JRの埼京線や湘南新宿ラインなら5、6分なのに。

 実際にそれで行く人は一日に一人でもいるのだろうか。

 いるだろう。人には、他人が想像もできない事情や心情があったりもするから。

 普通いないでしょ、と普通多くの人は思ってしまう。普通そこで終わりにしてしまう。でもその普通に意味はない。その先を考えるのが作家の仕事だと僕は思っている。と、久しぶりにちょっとカッコをつけてみましたよ。

 中野富士見町からは神田川沿いを南に歩く。

 そこには、杉並区編の西荻窪で訪ねた善福寺川のように、すぐわきを歩ける小道がある。少し進むと、まさにその善福寺川との合流地点に着く。杉並区の善福寺公園にある善福寺池から始まる善福寺川は、ここで神田川と一緒になって終わるのだ。

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 杉並区編と中野区編がこうしてつながる。こんなリンクが不意に現れるから23区町歩きはおもしろい。いずれ、世田谷区を歩いてたらいつの間にか中央区にいました、みたいなミステリー展開になることも期待。

 東京メトロの中野車両基地のわきを行く。

 大田区編の蒲田でもJRのこうした車庫があった。考えてみれば、当たり前。走っていないときも電車はどこかに存在する。電車という役者にだって、控室は必要なのだ。

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 方南通りを東進し、右折。中野区立南台いちょう公園沿道のいちょう並木を眺めながら歩く。植物に疎い僕もさすがにいちょうぐらいはわかる。いちょうの葉のあの独特な形は何故か好き。

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 公園に沿って左折し、そこからは一方通行路をさらに東へ。

 すると一軒のコンビニに突き当たる。ファミリーマート。たぶん、30年前にも僕が来た店だ。そのころは店のロゴが今とちがっていた。ファミマという略語もあるにはあったが、まだそこまでなじんではいなかった。

 僕が小学生から高校生にかけて思っていた、どこなんだ中野。その中野が新宿から案外近いことを知ったのは大学生のときだ。

 僕にとって中野といえばそのもの中野ではなく、ここ中野新橋。この町は本当によく来た。一時期は毎週に近い感じで。大学の友だちが住んでいたのだ。

 月曜から金曜まで銀座の串焼き屋でバイトをしたあと、丸ノ内線で中野新橋に行った。ファミリーマートでビールやつまみを買い、午前0時すぎから飲みはじめた。そこまでは普通に生活していたはずの友だちにしてみれば、何とも迷惑な話だ。

 ビールにビールにビール。飲んで飲んで飲んだ。途中で追加の買出しにも行った。二度行ったりもした。その二度めでもまだ大瓶を二本買ったりした。そう。そのころはビールを瓶で買っていた。

 アパートはワンルーム。ベッドは一つしかないので、冬はエアコンをつけたまま木の床に寝た。敷ブトン代わりに背中にクッションを敷き、掛ブトン代わりに自分の上着をかけた。

 親切にも、友だちが代わってくれることもあった。何でだよ、と自分でも思う。何で部屋の主が床に寝なきゃいけないのよ。当時の僕は21、2歳。若く、元気で、アホだった。今もアホだが、それ以上。

 ファミリーマートの周辺を歩いてみる。

 友だちがそこに住んだのは大学3、4年の丸2年。そのあいだに少なくとも30回は行った。そんなにも通ったのに、アパートの位置をまるで覚えてない。小刻みに角を曲がっていくわかりにくい場所ではあったが、現地に来ても思いださない。たどり着けない。時が経ったのを感じる。

 友だちもアパート名ぐらいは覚えているだろうから、訊けばいいのだ。でもそれはしない。別にそういうのではないのだ。わざわざ訊いて訪ね、おぉ、懐かしい、ノスタルジ~、と言いたいわけではない。彼とはまだ付き合いがあるからそう思うだけかもしれないが。

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 北上して中野新橋駅の近くに戻り、今日のランチは初イタリアン。初パスタ。コルニーチェさんに入る。

 和風、イカ・大葉・うめ、のスパゲティと、せっかくなのでベーコンのスモールピザも頂く。ありがたいことに、パスタにはコーヒーも付いてくる。

 食べながら、ふと思う。

 僕の母はスパゲティを3種類しかつくれなかった。ナポリタンとミートソースとたらこ。汁気がなくて全体的にもっちりした母たらこスパはかなり好きだった。よそであれは食べたことがない。店のそれも含めたすべてのたらこスパゲティのなかで、今もあれがベストかもしれない。母、結構やる。

 こちらの和風スパゲティも、もちろん、おいしかった。和を絡めたパスタはいいですね。合わせられる食材はまだまだありそうな気がします。

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 後半は、東側。丸ノ内線本線支線の分岐点、中野坂上のほうへ行ってみる。

 看板に書かれた、渡嘉敷ボクシングジム、の文字に目が留まる。ライトフライ級の元世界チャンピオン、トカちゃんのジムだ。23区町歩きにはこんな楽しい発見もある。へぇ、それ、ここにあるんだ、という。

 小学生のころのプロレスに始まり、僕は格闘技が好きだ。肉体的な強さへの憧れは、50を過ぎた今もある。ただ、自分でやれる感覚はない。こわがりで痛みにも弱い。やれるわけがないのだ。

 とはいえ、これでもちょっとはスポーツを得意としていた時期もある。まさにちょっと。

 僕の運動能力は小学三年生のころがピークだった。運動会の紅白リレーにも地区対抗リレーにも出ていた。肉離れを起こした腿を包帯でぐるぐる巻きにして出たりもした。プロ野球選手になりたかったし、プロレスラーにもなりたかった。

 が、その後は徐々に下降。中学に上がるころには、僕は無能となっていた。自意識が高まる中学生。よかったときのイメージは残っているので、なかなかきつかった。

 自分の限界を決めるべきではない。それは確かにそう。でも一方で、はっきりと見えてしまう限界、突きつけられてしまう限界もある。難しい。

 ボクサーは一度書きたかったので、自作『今夜』に直井蓮児を出した。格闘家ということでは、デビュー作『ROCKER』に出した総合格闘技の女子選手、新妻里世以来。『今夜』は決して明るい小説ではないが、書いていて楽しかった。楽しい楽しいの勢いで、あやうく蓮児にバンタム級の世界タイトルを獲らせてしまうところだった。

 東進して行き着いた山手通りを北上し、中野坂上で左折。青梅街道に入る。

 中野新橋に自作の登場人物は住んでいないが、この中野坂上には住んでいる。これから出る小説なので、今はまだ、藤巻順馬(ふじまきじゅんま)、という名前のみで失礼。

 また左折し、南下。その名のとおり安らげそうな中野区立本二東郷やすらぎ公園をかすめ、コーヒータイム。

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 今日は、中野新橋駅から徒歩3分ほどのところにあるジニアスさん。こちらはジャズ喫茶だ。といっても、少しも堅苦しくなく、カフェとして普段づかいもできそうなお店。

 コーヒーは先ほど一杯飲んだので、ここではカプチーノを頂く。僕はシナモンパウダーが好き。おいしい。

 ジャズ喫茶にはよく行った。大学生のころは、新宿のDUG。小説の新人賞に落選しまくっていたころは、銀座のJAZZ COUNTRY。懐かしい。それは、まあ、ノスタルジ~。

 ナッツ。スイーツ。読書。コーヒーに合うとされるものは多い。

 でも間食を一切しない僕は、やはりジャズ。

 中野新橋自体もいいが。アパートの近くにジャズ喫茶。しかも大いに寛げるジャズ喫茶。これはデカい。

 住む町の決め方。そういうのもありかもしれない。

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『銀座に住むのはまだ早い』第12回は「港区」へ。10月末更新予定です!



過去の記事

suumo.jp

著者:小野寺史宜(おのでら・ふみのり)

千葉県生まれ。2006年、『裏へ走り蹴り込め』でオール讀物新人賞を受賞。2008年、『ROCKER』でポプラ社小説大賞優秀賞を受賞。『ひと』で2019年本屋大賞2位を受賞。著書は『ひりつく夜の音』、『縁』、『食っちゃ寝て書いて』など多数。エッセイ集『わたしの好きな街』(監修:SUUMOタウン編集部)では銀座について執筆した。

写真提供:著者

編集:天野 潤平