職場もないし、どこに引越していいのかわからない
私たちを大人にするのは住んでいる街なのではないかと思う。どこかに友達に連れて行ってもらったり、人と付き合ったりして経験が広がっていくこともあるけれど、親元を離れて自分一人で生きていくなかで、住む街にかかわることほど真に自分に影響することって無い気がする。そして、私を大人にしたのは間違いなく中野だった。
中野に住むことを決めたのは大学を卒業したときだった。同級生たちが次々と就職をしていくなか、私は「アーティスト業」という名の無職になることを決めた。将来の計画なんてなく、「やってみないと後悔しそう」なんて、そんな気持ちだけで真っ暗な海に飛び込むことにしたのだ。
通っていた武蔵野美術大学は東京の端っこ、西武国分寺線の鷹の台という駅にある。学生たちはみんな、在学中はその辺りに住んでいるのだけど、交通の便は悪いし、天然酵母を使ったパン屋「ポム・ド・パン」はあるけれど、日常生活に便利なお店はほとんどない。だから卒業と共にみんな引越していくのだ。
友人たちが職場に合わせて引越し先を選んでいるのを横目に、私はまた突っ立っていた。だって職場もないし、どこに引越していいのかわからない。何をするにも中央線で国分寺かその先まで出なければならなかったので、なんとなく中央線沿いの駅を物色してみる。
吉祥寺……なんかオシャレすぎて気が引ける。家族連れも多いし、キラキラしすぎている。高円寺……知り合いが結構たくさん住んでいるけど、なんだか「夢の底なし沼」みたいで苦手。みんなずっと追いかけている夢の話ばかりしている。
中野……中野か……何度か「まんだらけ」とギャラリー「Hidari Zingaro」目当てに来たことはあるけれど詳しくは知らない。中央線、総武線、東西線が走っていて新宿まで快速で一駅という利便性の割に、駅から少し離れれば家賃があまり高くない……良いかもしれない。
都会につきものである「キラキラ感」が良くも悪くも中野にはない
JR中野駅北口。「中野サンモール」「中野サンプラザ」そして飲み屋街などは、北口に集中している
中野はユニークな街だ。有名なランドマークは「中野サンプラザ」や「中野ブロードウェイ」だろうか。新宿から中央線で一駅という便利な立地にしては、イマイチパッとしない。商店街は基本、飲み屋ばかりで、怪しいお店もたくさんある。
一度、中野駅からブロードウェイをつなぐ「中野サンモール商店街」で歩いている人を観察してみたのだが、職業がわからない人やサラリーマンが混ぜこぜで、なぜか誰もイケていないように見えた。総じて、都会につきものである私の苦手な「キラキラ感」が良くも悪くも著しく無いのだ。そんな根拠のない好みと勢いで住む街を決めた。
いつも人通りが絶えない中野サンモール商店街。約224mある
住むことにしたのは小さいけれど新築のアパート。一人暮らし用にしてはなかなかしっかりしたキッチンがあり、バストイレも別。JR中野駅の「騒がしくないほう」の出口、南口から出て徒歩10分ほどの住宅街のなかにある家で、家賃も都会にしては悪くなかった。フリーランスの外国籍ということで不動産屋はだいぶ怪訝な顔をしていたが「まあここの大家さんは外国人とか気にしない方なんで」という謎のコメントに首を傾げながら賃貸契約を結んだ。
フリーランスを始めてから、今現在アメリカで生活するまでの3年間、その小さな中野のアパートでたくさんの初めてを経験した。ホームセンター「島忠」で、自分一人で家具を買って組み立てたり、知らないレストランを開拓したりした。そのなかで大きく印象に残っているのは初めて行った立ち飲みバー。「松五郎」(現在の店名はハイボールバー「COPAIN(コパン) 中野店」)という渋い名前のお店は、南口の商店街の先にある。ちょうど五差路の手前くらいの立地で、仕事帰りのサラリーマンホイホイになっていた。
初めての行きつけのバーができ、「安心を見つける」ことができた
閉店した「松五郎」を受け継いだ新しいお店として、ハイボールバー「COPAIN(コパン) 中野店」をオープン(立地は変わらず)
名前の割にモダンな見た目で、ガラス戸に装飾のライトが反射していて綺麗なのだが、いかにも常連さんばかりという雰囲気で、入るのには勇気がいる。けれど、引越してからしばらくしたある日、居酒屋に行った帰りにお酒の勢いもあって、えいやと気合を入れて入ってみた。えりなさんというバーテンダーが一人で切り盛りしている小さなカウンターには人がぎゅうぎゅうだった。「やったー! 女の子だ!」とえりなさんが嬉しそうな声をあげる。確かにカウンターにいるのは男の人ばかりだ。
そこで私は生まれてほぼ初めて「オタサーの姫」状態になり、お客さんの奢りで無料で飲み食いをし、生まれて初めて酔っ払った男性2人が私を取り合うという経験をした。最終的に、「頬を叩いてほしい」と懇願されて、生まれて初めて知らない人にビンタをした。
エキサイティングな初めてをまとめて経験したこともあって、忘れられないお店となった松五郎は、初めての行きつけのバーになった。そこで出会った人と友達になって一緒にご飯を食べに行ったり、遊んだり、私が記事に取り上げられたときは、えりなさんがそれを見つけてラミネート加工をし、お店に置いてくれたりした。自分で見つけたコミュニティに属し、「安心を見つける」という感覚はとても新鮮で楽しいものだった。
そこでもやっぱり魅力的だったのは、誰も無理にキラキラしようとしていない、厭らしくギラついていないという事実だった。仕事で成功している人もしていない人も、お金がある人もない人も、その小さな飲み屋ではただの客同士として話すだけ。ほかのコミュニティでの飲み会に行くと、仕事や自分の成功話をひけらかし、権力にへつらうばかりになりがちなのに、松五郎ではそういうラベルを引っ剥がしたコミュニケーションが求められていると感じた。ほかのお店もそうだが、中野の多くの飲み屋ではみんなおんなじ土俵に立って話をしている感じがする。
自分のことを祝う習慣ができた「アザミのハンバーグ」
2020年12月26日、地域住民に惜しまれつつ閉店した「アザミ」
もう一つ印象に残っている初めては、「ご褒美のハンバーグ」だ。もう閉店してしまったのだが、南口から中野通り沿いに下っていくと「アザミ」というお店があった。ひっそりとした喫茶店兼洋食屋さんで「アザミ」と大きく書かれた看板以外は特に目立たないのだが、ランチタイムはいつも行列ができていた。ランチはリーズナブルにナポリタンやロールキャベツ、ディナーはその日限定のメニューや、ステーキやハンバーグなどの定番メニューまで、良いお値段の洋食を食べることができる。
何のきっかけだったか忘れたが、口コミを見て、ふらりと夜にアザミに行った。予約もなしに入れたのは、今考えるとなかなかラッキーだ。オーナーの趣味が見え隠れする可愛らしい小物がところどころに置かれた、こぢんまりとした店内のテーブル席を通り抜け、奥のカウンターに通されてメニューを見る。その日は、当時付き合っていたパートナーと喧嘩をしたか何かでむしゃくしゃしていた。「高いやつを選んでやる!」と意気込んで「ハンバーグステーキ フォアグラとブリーチーズのロッシーニ風」という、「いかにも高級です」という名前のメニューを選んだ。
ハンバーグステーキ フォアグラとブリーチーズのロッシーニ風。何か良いことがあるたびに食べていた
サラダの後に運ばれてきたその一皿は、なんとも美しかった。食用花と野菜で彩られたハンバーグに、ドン! とフォアグラがのり、さらにその上には少しとろけたブリーチーズ。そして甘く、コクの強いソースに余すことなく浸っている。甘味・コク・酸味・旨味、すべてが口のなかで混ざり合い、脳を右ストレートで殴られているような暴力的な美味しさ。当時食べたハンバーグのなかで間違いなく一番の味だった。
そのときの感動は深く記憶に刻み込まれ、何か良いことがあるたびにご褒美として「アザミでハンバーグを食べよう」と思うようになった。初めて自分を自分で祝ってあげる習慣ができたのだ。余談だが、このお店は「カスタードプリン」もずば抜けて美味しかった。少し硬めで、バニラと卵の味が突き抜けるプリンに、苦味が効いたカラメルと甘いクリームソース。ハンバーグの後にコーヒーとプリンを食べるという儀式は、私をいつも幸せにした。中野は自分で自分を幸せにする術を教えてくれたのだ。
ハンバーグ後のコーヒーとカスタードプリンは自分で自分を幸せにする術を教えてくれた
アザミだけでなく、中野駅南口は閑静だがきらりと光るお店がある。商店街のビルの二階にひっそり隠れている「日本酒処 845」という小料理屋は、店主ご夫婦がさまざまな土地を訪れて見つけた美味しい日本酒と、その日本酒に合う最高の料理を出してくれる、まさに隠れた名店だ。ここの海鮮丼は新鮮な刺身からご飯の薬味まで、細部まで気が利いていて、思い出すだけで涎がでる。駅から少し離れたところにある「Hamburger ISLET」ではジューシーすぎるほどの佐世保バーガーが食べられる。
「Hamburger ISLET」で食べられるジューシーな佐世保バーガー。テレビ番組で紹介されたこともある
新中野のほうに足を伸ばせば、「讃岐のおうどん 花は咲く」でコシのあるうどんを啜ることができる。北口にも好きなお店ができた。中野駅北口の商店街はお酒も肴も美味しい店が所狭しと並んでいて、いつでも誰かが飲んだくれている。
おすすめはあげていくとキリがない。大きなマグロの切り身をスプーンで食べるメニューがある「マグロマート」や、パクチー好きを虜にする「タイ屋台 999」などの人気店、サバ料理専門で、バターたっぷりのトーストに分厚いしめ鯖が挟まれた「サバサンド」という天才的に美味い食べ物を提供してくれる「さば銀」ほか、お好み焼きからもつ鍋、餃子専門店までなんだってある。開拓し尽くせないほどだ。
マグロマートのメニュー「本マグロ中落ち」。骨付きのマグロをスプーンで削って食べる
飲み屋だってイカしている。特に早稲田通りにほど近い狭い路地にある「BAcafe」というバーでは、ここでは書けないような酔い方を何度もした。趣味のゲーム用のギア(道具)はブロードウェイに行けばすぐに見つかるし、どうしようもないことが起きればブロードウェイのなかの占いに行って愚痴をこぼした。桜の季節は「中野セントラルパーク」で花見をした。美容院やマッサージ屋さんもたくさんあって予約に困ることもない。夜の街を探索すると男装バーやメイドバーもあって、本当に飽きることがない。
中野は周りを気にせず自由であることの楽しさを教えてくれた
中野北口三番街。この飲み屋街から歩いて帰れる距離に住んでいて良かった……
遊びやすさだけではなく、仕事の打ち合わせで使いやすいカフェもいくつか見つけた。交通の便が良いのをいいことに打ち合わせのたび、家の近所のカフェを指定するようになった。特に五差路をさらに進んだ先にある「Mugs」というカフェは、駅から離れているのもあって、いつもちょうどよく空いている。打ち合わせはもちろん、何時間も居座って漫画のネームを書いたりペイントのラフの案出しをしたりした。
エスニック料理が頼めるという理由で、店のど真ん中に仏像を置いてしまうようなゆるさがいつも居心地が良かった。仕事も趣味も遊びもすべてが中野で事足りるのだから、すごい街だ。仕事でも遊びでも、中野を開拓しながら私は大人になっていった。
中野は気取らない。キラキラしていないけど、批判もしない。みんな結局どこかダメ人間だろう、という優しさをこの街は孕んでいる。ジャージで出かけてもゴスロリで出かけてもいい。酔って馬鹿みたいにお金を使ってもいいし、知らない人とキスをしてもいい。
中野周辺は至るところに野良猫がいる、猫の多い街だ
フリーランスで、知らない街で一人暮らし、初めてルールから解放されて迷いに迷う私の手を取ってくれて、中野は周りを気にせず自由であることの楽しさを教えてくれた。今は海外と日本の往復で家を転々とする毎日だが、この街に立ち寄るたびに、子どもと大人を行き来した甘痒い記憶が蘇る。どの街を選んでもきっと面白い経験ができただろう、だけど私は中野を選んでよかった。この街で大人になって本当によかったなと思う。
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著者:チョーヒカル
1993年東京生まれ。2016年武蔵野美術大学・視覚伝達デザイン学科卒業。体や物にリアルなペイントをする作品で注目され、衣服やCDジャケットのデザイン、イラストレーション、立体、映像作品なども手がける。多数のメディア出演に加え、企業とのコラボレーションや国内外での個展など多岐にわたって活動する。著書に『じゃない! 』『やっぱり じゃない! 』(フレーベル館)、『絶滅生物図誌』(雷鳥社)、『ストレンジ・ファニー・ラブ』(祥伝社)。近著に『エイリアンは黙らない』(晶文社)がある。絶賛発売中!
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編集:岡本尚之