「結婚する?」「する!」
わたしのそんな問い掛けが二つ返事で受け入れられたのは、もう4年前のことだ。
「じゃあプロポーズして!」
「結婚しよ!」
「オッケー!」
「やったー!」
あまりにも軽やかなプロポーズだった。
そしてすぐさま形式的に両家の顔合わせを済ませ、その翌日にすっかり存在を忘れていた結婚指輪をわずか数分で購入して、翌週にわたしたちは入籍した。
婚約指輪はつけるタイミングがなさそうだから要らない。結婚式は準備が面倒だからカット。結納もよくわからないから省略。新婚旅行は……まあそのうち行きますか。
我ながら、かなりスピード感に長けていたように思う。
それこそ新居が決まっているわけもなく、「お互い仕事が忙しいしさ、落ち着いたら新居探しをしよう」とふんわりした約束をして、わたしたちの結婚生活は別居の状態でスタートした。
入籍の1週間前に慌てて購入した結婚指輪
入籍した翌日、勤めていた会社に「イェーイ! 結婚しました!」と浮かれながら報告をした。
当然「おめでとうございます!」と祝福の言葉をかけられると思っていたのに、返ってきたのは想像に反して冷たい宣告だった。
「じゃあ今住んでるマンションをさっさと退去してくださいね」
わたしが当時住んでいたのは、大阪の十三にある会社借り上げの独身マンション。
その名の通り、社内規定上では独身者しか住むことができないらしい。
生活はまったく変わっていないものの、書類上では既婚者であるわたしには住む権利がないのである。
「そもそも今現在も住んでること自体許されない」「本来であれば始末書ものですよ」などと無慈悲なことを言われたが、きちんと調べていなかったわたしに全面的な非があるのは事実だ。
どうにかこうにか懇願し、引越しまで1週間の猶予をもぎ取った。
とはいえ、なにをどう頑張っても仕事をしながら新居を探し、契約を済ませ、それぞれに荷造して引越しするのは無理である。
結果、わたしは一人暮らしをしている夫のもとへ転がり込むしか選択肢がなかった。
夫が暮らしていたのは、京都府長岡京市。
最寄り駅の阪急長岡天神駅から徒歩5分のところにある、間取り1DKの単身用マンション。
わたしが住んでいた最寄りの阪急十三駅から特急で30分程度のところにあり、結婚前から何度も通ったそれなりに馴染みのある場所だ。
付き合っていたころ、夫に会いに行くときは、決まって十三駅の目の前にある喜八洲総本店でみたらし団子を買うのだ。まだあたたかいみたらし団子を膝に乗せ、電車に揺られながら淡路、茨木、高槻市を通過する。
北海道で生まれ育ったわたしは、電車に乗っているだけでいとも簡単に県をまたいでいる事実にえらく感動したものだった。
長岡天神に到着したら、駅前のドトールで夫の仕事が終わるのを待つのが恒例だった。
「面倒くさい」「必要性を感じない」という理由から散々新婚時の醍醐味を省略したものの、新居探しくらいはするつもりだった。
北海道出身のわたしと沖縄出身の夫。お互いが関西に縁もゆかりもなかったこそ、住む場所はどこだって選べた。
正直なところ、長岡天神はたまたま夫がもともと住んでいただけに過ぎなかったし、自分の愚かさ故に住まざるを得なかった場所だ。
それでも、なんとなくわたしは長岡天神という街を気に入っていた。
長岡天神は、都心に住んでいる人からしたら少し物足りないかもしれない。
大阪の梅田や京都の河原町、神戸の新北野と比べると、たしかにこじんまりとしている。
むしろそこがいいのだ。
スーパーも、ドラッグストアも、百均も、クリーニング屋さんも、喫茶店も、居酒屋も、カラオケも、弁当屋も、全て徒歩5分圏内。
都会で暮らしている人からしたら、こんなのは当たり前かもしれない。
でも、北海道の江別市出身のわたしからしてみたら十分すぎるほどだったし、それでいて肩肘を張らなくてもいい。
知り合いはほとんどいない。土地勘もない。この街が、わたしの小さい世界で全てだった。
入籍からほどなくして、わたしは仕事を辞めた。
ありがたいことに夫からは「何か好きなことを始めるといいよ」なんて言ってもらえたが、特にやりたいことも将来の見通しもない。
職なし、夢なし、それでいて家事も大嫌い。毎日床に転がってすることと言えばインターネットのみ。立派なニートである。
そんな生活をしばらく送っていたところ、出版社から「書籍を出しませんか」と、ネットメディアからは「連載をしませんか」と文章を書く依頼がきた。
それによって運よくニートを脱却できたものの、わたしの日常は大きく変わらなかった。
部屋はマンションの2階に位置し、そこそこ大きな公道に面している。
その窓際にベッドがあるせいで、いつも通学中の子どもたちの声で目を覚まされていた。
正社員を辞めたのだから規則正しい生活を強いられる謂れはないはずなのに、なんとなく「そろそろ起きなくちゃ」と思わされる。
運動不足で重たくなった体を起こし、のそのそと最低限の身支度をして家を出る。
マスタード号と名付けた悪目立ちしてしまうほどの真っ黄色な自転車に跨り、駅前へと向かう。
駅までの道のりは、ゆるやかな下り坂になっている。
コーヒーショップ、眼鏡市場、ほっかほっか亭、スギ薬局、カラオケBanBanを通り過ぎ、風を切ってアゼリア通りを下って行く。
駅前は人通りが多く、数多の飲食店が軒を連ねているが、わたしが一目散に向かうのはドトールだ。
暑い日はアイスカフェラテを、寒い日はアメリカンコーヒーを注文するのがわたしの決まりだった。
2階の喫煙席の端っこを陣取り、パソコンを開いてウンウン唸りながら原稿と向き合う。
書けない。書くことがない。書きたいこともない。書きたくない。
阪急電車の車輪の振動、駅前で待ち合わせをしている人たちの喧騒、隣のおじさんが競馬新聞を畳み直すガサガサという音、「バイト行きたくねぇな~」「ブッチしちゃえよ」という男子大学生と思しき二人組のざっくばらんな会話の中、書いては消し、書いては消しを繰り返す。
ふとスマホの画面に目をやると、近所に住む友達から「今ドトールにいるでしょ。店の前にマスタード号が停まってたからすぐわかっちゃった!」とからかい混じりのLINEが来ていた。
一行も進んでいない原稿。氷すら融けてなくなった空のグラス。吸い殻が今にも溢れそうな小さな灰皿。
知らない人たちの囲まれ、生産性のある人間に擬態し、なんとか暮らしに解け込む素振りを見せるためにこのドトールで時間をつぶすのが、わたしの日常だった。
ドトールで過ごす時間はそれなりに悪くはなかったが、ふと「このままでいいのか?」と不安がよぎる瞬間があった。
ポーズだけで何も生み出していないという事実が、自分を責め立てているようだった。
頻度は1カ月に1~2回程度だが、なんとなく居心地の悪さを感じてしまう。
そんなとき、わたしは自分に「じゃあさ、パフェを食べてもいいよ」と許可を出してやるのだ。
長岡天神駅近くの線路沿いには、喫茶フルールという昔ながらの喫茶店がある。
建物に古さは感じるものの、天井は高く席数も多いため解放感がある。
かしこまりすぎない接客が、妙に心地いい。
場所を変えたからといって、原稿が進むなんてことはない。
書けない現実は、変わらない。
でも不思議と「そんな小さいこと考えなさんな」とやさしく受け止めてもらえたようで、肩の力が抜けるのだ。
わたしはいつもここでチョコレートパフェをつつきながら、アルバイトの女の子たちおしゃべりをしながら小さく盛り上がっているのを眺める。
世の中には「勤務中は常にお客様を意識しろ」なんて言うやつもいるが、彼女たちの後ろ姿からは「やるべき仕事はちゃんとしてますので、それ以外の時間は楽しく過ごしたっていいでしょ」というオーラを勝手に感じていた。
ちゃんとしている人間への擬態を解けるひとときだ。
夫に言えば「自分だけずるい!」と言われることがわかっていたので、こっそりパフェを食べていたのは今でも内緒にしている。
いつだってわたしのご褒美は、パティスリークルクリュのケーキだった。
浪人を経て国家試験に合格したときも、仕事で表彰されたときも、書籍を出版したときも、結婚記念日も、誕生日も、なんてことのない日の「たまには自分を甘やかしちゃおっか」という気分になったときも、決まってここの小ぶりで繊細なケーキを買いに行った。
パティスリークルクリュは、住んでいたマンションの1階にあった。
エントランスを出て、たった数歩の距離だ。
外に出てもギリギリ許される程度のラフな格好でお店に入るのも、いつの間にか慣れていた。
ただ、毎回「お持ち歩きのお時間はどれくらいですか?」と聞かれるたびに「いやもう、すぐそこなんで……」と答えるときの気恥ずかしさは、最後まで慣れることはなかった。
紅茶を淹れ、綺麗なお皿に盛り付けて華奢なフォークでいただくケーキ。そんなかしこまらずに食べてもいいケーキ。
パティスリークルクリュは、そのどちらでも許される気がする。
夫と肩を寄せ合い、「あーやだやだ、わたしたちなんて行儀が悪いんだろうねぇ」「こんなにおいしいケーキ屋さんが近くにあるのも考え物だよ」なんて笑いながら、広げた箱の上でそのまま食べる。
結婚生活を慌ただしく始めてしまった、いかにもわたしたちらしい幸せな時間だった。
部屋の窓から体を乗り出せば、長岡天満宮がすぐそこに見えた。
原稿の締め切りに追われてボロボロだったとき、職場で理不尽な目に遭いいつまでも怒りが収まらないとき、明確な理由はないけれどなんだかムスムスしていたとき、夫は決まってわたしをそこに連れ出した。
「ほら、気分転換になるからさ。行こうよ」
そう促されるたびに「嫌だ、面倒くさい」「精神的にも時間的にも神社に行く余裕がないの」「行きたくない、だって行ったところで何も変わらないもん」なんて罰当たりな返事をしてみるも、それでも「いいからいいから」と半ば強制的に連れて行かれるため、より一層不機嫌さが増してくる。
それでも、歩き始めたばかりとは打って変わって、池のまわりをぐるりと一周歩き終えるころには、不思議と機嫌は直っていた。
少しだけわたしが笑顔を見せると、夫はいつも「ほうらね、おれの言う通りだったでしょ。君はこうすればすーぐご機嫌になるのを知ってるんだ」と得意そうな顔をした。
ベンチに座って眺めた静かな水面、夏の強い日差しを遮る東屋、踏みしめる地面に落ちている桜の花びら。
ここにはわたしがご機嫌になれるスイッチがたくさんあったのかもしれない。
長岡天満宮の桜
わたしたち夫婦は、よく夜の散歩に出掛ける。
これは、結婚したばかりころから続いている習慣だ。
どちらからともなく誘い、「疲れて足が痛くなったら帰ってこよう」と大した目的もなくひたすら歩く。
「今日は南のほうに行ってみよう」「大きな歩道橋を渡って上から道路を見下ろそう」「あそこの病院の裏にある自動販売機のラインナップを見に行こう」と、いつだって行先はテキトーだ。
それでも必ず最後に吸い寄せられる店がある。
ヴォロンテというフレンチ料理店だ。
婚姻届けを役所に出した帰りにたまたま入ったのがはじまりで、店主とは初対面なのに妙にウマが合い、いつしかプライベートでも遊ぶほどの関係になっていた。
わたしたちが外食をするとなれば決まって行くのはヴォロンテだった。
しょっちゅう店に行って「ねぇ! こんなにおいしくて量が多いのに値段が安すぎる! もっとお金取ってよ!」「ヴォロンテのせいで舌が肥えちゃって酒飲みとしても拍車がかかっちゃったじゃん」と何度軽口を叩いただろうか。
口は悪いが、料理の腕は天下一品。京都で初めてできた友人だ。
面倒見が良すぎる彼は、いつだってわたしたちを存分に甘やかした。
新たにお店を開拓しようなんて気には到底なれないほど、ヴォロンテの料理は信じられないほどおいしかった。
散歩の帰り道、店の外から耳を澄ませて、他のお客さんが誰もいないことを確認する。
そっと扉を開けるわたしたちに気づいた店主が「なんや! まーた来たんか!」と悪態をつくが、その顔はまったく嫌そうではない。
「いつもの散歩か?」「一昨日も来てたやろ、頻度が多いねん」「そういや新メニューつくってん、次来たとき食べや」と言いながら席に促され、何も頼まなくともわたしたちの目の前にはグラスが用意される。
勝手に注がれた白ワインを飲み干して、わたしたちは夜の散歩のゴールを迎えるのだ。
ヴォロンテのごはんはいつだっておいしかった
いつか行きたいねと言いつつも素通りしていたおばんざいのお店。疲れたときに頼ろうと思っていた総菜屋。気後れして入れなかったバー。最後まで何かわからなかった駅前に高く掲げられたバナナセンターと書かれた大きな看板。
わたしたちは生活のほとんどをこの街で完結させていたのに、行ったことのないお店、知らない道のほうがずっと多い。
知れたのは、たぶんほんの一部だ。
ちゃんとした人間に擬態して時間を溶かす空間、自己嫌悪を拭い去ってくれる喫茶店、甘やかしのケーキ、ご機嫌になるスイッチが押される天満宮、世界で一番おいしい料理と人の懐にグイグイ入ってくる友達。
たった2年間の暮らしだった。それでも、長岡天神での記憶は今も色濃く残っている。
右も左もわからない、縁もゆかりもない土地で、慌ただしく始まった新婚生活。
小さくまとまった世界の、限られたいくつかの“とっておき”があったのは、きっと幸福だった。
もう、あのころとは街並みが変わっているかもしれない。
変わってしまうことに切なさはひとつもないし、変わってほしくないなんて思わない。
街も、人も、大きく変わっていくのが普通だから。
それでも、わたしはずっと愛せると思う。
最後まで何かわからなかったバナナセンターの看板
著者:ものすごい愛
北海道札幌市在住。エッセイスト、薬剤師。心身ともにド健康で毎日明るく楽しく暮らしている。明朗快活で前向きな発言、夫との仲良しエピソードを綴ったツイートで人気を博す。回転寿司では最初と最後にアジを食べる。結婚生活をテーマにしたエッセイ『今日もふたり、スキップで ~結婚って“なんかいい”』(大和書房)をはじめ、『命に過ぎたる愛なし ~女の子のための恋愛相談』(内外出版社)、『ものすごい愛のものすごい愛し方、ものすごい愛され方』(KADOKAWA)が好評発売中。現在はAMにて『命に過ぎたる愛なし』、NAOTマガジンにて『きみがいるから明日も歩ける』を連載中のほか、様々なWEBメディアにエッセイを寄稿。
HP:https://monosugoiai.com/
【今日もふたり、スキップで ~結婚って“なんかいい”】発売中
くるり 岸田繁氏・アルコ&ピース 平子祐希氏が推薦!大和書房WEBの同名連載に書き下ろし15本を加えた結婚生活にまつわるエッセイ。食べさせたいのはきれいに焼けたほうのハンバーグ、シャンプーを詰め替えるタイミングの攻防戦、コンビニにアイスを買いにいく本気のじゃんけん、眠れなくて夜中に誘う近所の散歩。日常のほのぼのエピソードから義理の両親との関係、お金のつかい方、家事分担など夫婦円満生活の根底にある考え方まで、ものすごい愛にまみれた一冊。
編集:ツドイ