著: 新貝隆史
「ねぇ、うちのテレビ壊れちゃって、ちょっと見てくれないかね?」
近所のおばあちゃんが、僕の家にやってきた。どれどれ?とおばあちゃんの家にお邪魔させてもらい、テレビのリモコンをポチッと。
「ついた!」
「あらやだ〜、もう(照)」
笑い話とジュースをもらって、僕はちょっと誇らしくなって家に帰る。
こんな風に「あの子たちに頼めば、なんとかしてくれるかも」という家族のようなご近所さんとの距離感は、僕がこの街を好きな理由だ。
僕の人生を変えた、この街の古民家との出会い
僕が長野市門前界隈に暮らすようになったのは、今から約7年前、2011年のこと。
そのころの僕は、地元である長野県の信州大学教育学部(西長野キャンパス)に通い、教師になることを夢見ていた。しかし、そのまま学校現場に行くことに、不安と自信のなさ、煮え切らない気持ちがあった。何かやりたいけど、それが何かも分からぬまま、なんとなく日々を過ごしていた。
仲の良かった友人の白石雄大(以下、雄大)と夜中のスケボーに繰り出しては、アパートへ戻ってきていっしょに夕食を食べて、実家に帰るだけの毎日。呑気なもんだ、と焦る気持ちと、「まあ、なんとかなるよ」という楽観的な気持ちが入り混じっていた。
そんな平凡な学生生活も、日々の繰り返しとともに変わっていく。ふたりの夕食も、いつからか友だちが増えて、だんだん定期的にご飯会みたいなものを開くようになっていった。
それが楽しくて、僕は毎夜実家に帰る理由を失い、次第に「アパートじゃなくて、一軒家借りて、みんなでご飯食べられる場所つくったらおもしろくない?」と話が盛り上がった。おお、よう分からんけど、なんか面白そうじゃん!やろうぜやろうぜ!と話が進んでいった。
そしてある日、雄大が「空き家見学会」というものがあるらしいと噂を聞きつけてきた。どうやら、改修される前の手入れが必要な空き家や、雰囲気のある古民家を見学できるらしい。なんやなんや、めっちゃ面白そうやん!行ってみよう!と、トントン拍子にことが動いて、ふたりで参加してみることになった。
そこで出会ったのが、緑のトタンに全面ガラス戸の『シンカイ金物店』だった。
長野市にある善光寺の仁王門から東へ、くだり坂を駆け下りた先、ふたまたの角に立つのが『シンカイ金物店』。善光寺のお膝元、通称「門前界隈」というエリア。最寄りの「善光寺下駅」から地下を走る電車に乗れば、空を見上げることもなく、あっという間の約1.5時間で、東京の喧騒にタイムスリップしている。そんな感覚も嘘じゃないくらい、アクセスのいい地
目印となるのは、むかいの『音のハセガワ』の看板。レトロなレコードプレーヤーやオーディオが並ぶお店だが、現在は休業中。かつては音楽好きがこぞって集まる人気店だったそう
このエリアなら、友だちも遊びに来やすい! 2階の12畳間を2人で分ければ、難なく暮らせる!何より、外観がめっちゃかっこいいやん!と話が盛り上がり、「もう、ここでなんかやらんかったら、後悔するやろ!」と、すぐに見学会の主催者に相談した。
「2週間後に返事をします」という回答だけもらった僕たちは、ここ借りられなかったらどうする?そんなわけないやろ!なんて、浮わついたように見せかけたガチな態度で、この場所を借りられるという返事だけを待っていた。
その結果……「君たちに貸します」という返事が来た。よっしゃー!マジで!うっそー!うおお!と大盛り上がりで、僕らの古民家改修計画がスタートした。そしてそれは、僕らふたりの兄弟のような古民家暮らしのはじまりとなった。
「空き家見学会」を主催するナノグラフィカ(長野市西之門町)。喫茶店を営みながら、『門前暮らしのすすめ』という名で、この街のことを編集している。40代のメンバーの方たちは、もともと学生時代に空き家を改修して、ライブハウスをつくったり、写真の暗室をつくったりしていたこともあり、僕たち学生が空き家を借りることを好意的にサポートしてくれた
「これをやって、意味があるのか?」
僕らの古民家改修計画は、日曜大工が根っから好きだった雄大の指揮で動いていった(というよりも、僕は大工作業が根っからのド素人だったから、必然的にそうなる)。だが、ひとつ関門を乗り越えなくてはならなかった。
かっこ悪い話、僕らは大学生の身分で、保証人がいなければ、家を借りられるはずもないわけだ。僕も雄大も、両親に説明して、保証人のハンコをもらわなくてはならなかった。しかし、いざハンコをもらう段となり、実家のリビングで話を切り出した僕に、親父からこんなひと言が返ってきた。
「これをやって、何か意味があるのか?」
真っ当な意見だった。だけど、あのころの僕は頭で考えても、何も分からなかった。とにかく、やらないと気が済まないとしか思えなかった。そんな向こう見ずな若気の至りを決め込んで、「やるって決めたから」と言い張った。
ご近所さんの底知れぬあたたかさ
そんな私情とは裏腹に、物件の改修をはじめるやいなや、ご近所さんたちが次々とやって来た。「頑張ってるね〜」「学生さんかね?」と声をかけては、汗だくで埃まみれの僕らへアイスやらジュースやらを差し入れしてくれるのだ。もはや、孫同然の勢いで。
なんで?え?僕たち何かしましたか?と疑う、ひねくれた僕の心をよそに、「ここの金物店にはいっぱいお世話になってねぇ、私らがまだ小さいころよ、しょっちゅう来てたのよ。お母さんがいい人でねぇ」と、感動のエピソードをまんまと置き逃げされてしまう。
まいった。このやさしい人となりはなんだろう? いやはや、この場所が招く、うそいつわりのないあたたかさを大切にしよう。直感が僕に訴えかけてきた。
後々、ご近所さんに聞いたところによると、『シンカイ金物店』から善光寺に続くこの東参道は、かつて“生活道具がなんでもそろう商店街”だったそう。「今では空き家ばかりになってしまっているけど、この通りも昔はにぎやかでね。君たちみたいな若い子が、ここに居てくれるだけで安心するわよ」と、これまた胸キュントークで、僕らはすっかり骨抜きに
丸見えの暮らし。あらゆる人たちと囲むわが家の食卓に感じたこと
2011年4月。2月と3月の大学の春休みが終わり、改修も半ばになったころ。友だちが集まってきては、合宿のように、キャンプのように、みんなでごはんを食べる機会が多くなっていった。
1階の土間に机を並べたようすは、外から丸見え。僕らの生活はご近所さんにライブ配信されているようなありさまで、旧『シンカイ金物店』は、若者の集まる『シンカイ』と呼ばれるようになっていた。
そのころの門前界隈は、空き家をリノベーションしたお店が増えはじめていた時期。自分なりの生業を叶えようと、長野に居を構える人たちと出会う機会が多くなり、それまで知る由もなかったさまざまな人生の岐路を目の当たりにするようになった。
大学生活だけでは味わえない、リアルな社会が観れたような気がして、えらく感化されていたと思う。
そうして全国各地から、知り合いが知り合いを呼んで人が集まるようになっていった『シンカイ』。だけど、ここはお店でもなく、ただの僕らの家。出会った人たちとひとつの食卓を囲んで、乾杯をして、思い思いの世界観や価値観を語り合うのがまさに日常の光景となっていった。
それはまるで、家にいながらにして日本一周旅行をしているかのような、人との出会いと宴の連続だった。そんな光景を眺めているのが、どうしようもなく好きになった。
肩書きも、身分も誇張せず、腹を割って笑い話に花を咲かせる時間。家に招いて、いっしょにご飯を囲むだけ。
その光景には、「親戚の集い」のような親近感があった。そして、だんだん深まるお互いの信頼感に、まるで家族の絆のようなものを覚えて、僕の胸は熱くなっていった。
先代に託されたこの街の気概
『シンカイ』での暮らしも、僕らの学生生活が終わるとともに、現在の2018年までにさまざまな節目を迎えていった。
大学卒業後の僕は、教員を経験。その後、海外に一人旅に出た。そして、やっぱり『シンカイ』が好きで、この場所で生活することを楽しみたくて、戻ってきた。同時に、市内の洋服屋さんで働きながら、場をつくるとはどういうことなのか勉強させてもらうことにした。
そうこうしているうちに、いっしょに『シンカイ』をはじめた雄大も、途中からメンバー入りをしたゴンちゃんという学生も新たな門出を迎え、僕がひとりで『シンカイ』に暮らすようになった。
そんなこんなで時が流れても、出会った人をきっかけに、演奏会やごはん会、マーケットなどの企画が立ち上がる。僕は出会った人との「あれやってみませんか?」というワクワク感にあらがうことなく、いろいろなかたちで、この場所を開いていくようになった。
そんなある日のこと。大家の新貝和雄さんから、あるものを引き継ぐこととなる。それは、先代の親父さんとお袋さんが着ていた法被。さぞ深い思い入れのあるだろう両親の形見だ。
「2枚しかないけど、君たちに着てもらいたい」
僕は恐れ多いと感じながらも、新貝さんの気持ちを真っ直ぐに受け止めさせてもらうことにした。
自分の欲やプライドよりも、この街で僕らのような若者が伸びやかに暮らすことを、しかと受け止めてくれた新貝さんの心意気。そういう想いが、この場所には積み上がっている。
おそらく「新貝さんにはたくさんお世話になったから」というご近所さんの言葉の裏側には、その気概がちゃんと届いている。きっとこの寛容さが、あらゆる人を招き入れてきた門前界隈の風土なのだろう。
そして、そもそも「この場所を好きなように改修して、好きなように使っていいよ」と言ってくれたのも、新貝さんだった。「やりたいことをやってみなよ」と背中を押してくれる懐の深さに、改めて感謝するばかりだった。
新たにはじまるこの街との思い出
僕はますますこの場所を、いろんな人に好きになってもらいたいと思うようになっていった。僕一人の場所にするのではなく、もっといろんな人の想いが募った場所にすることができたら。
そんなことをぼんやりと考えていた矢先に、「お店をやる場所を探しているんだけど」と声をかけてくれた人がいた。僕は即座に、彼に託したくなった。彼なら新しい文脈と人脈を築いて、面白い場所にしていくだろうという勘に従ってみることにした。
そうして新しくオーナーを務めることになったのが、徳谷柿次郎さん(WEBメディアの編集・執筆を手がける株式会社Huuuu代表)だ。
彼を筆頭に、全国のデザイナーやクリエイターがリアルな場で、人と出会い、アイデアを共有することを大切にしたお店づくりをスタートした。
柿次郎さんがリリースしたクラウドファンディングの声がけで、一晩のうちに目標金額の100万円を越える支援金が集まったことからも、柿次郎さんの人望の厚さがうかがえる。新たな人脈と文脈を巻き起こす様子は脱帽、感無量だ。
今では、柿次郎さん(写真右) が先代から託された法被を背に、この場所に集う人たちへ「おかえり」と「いってらっしゃい!」、そして何かふつふつと煮えたぎらせている気持ちを鼓舞する「やってこ!」を届けている
2018年の春から、この場所に新しい風が吹いて、新たなにぎわいを見せはじめている。僕は、この街の寛容さに敬意を払って、わずかながらでも、できることをそばでやっていきたいと思っている。この街とこの場所を好きになってくれる人が集まることを楽しみながら。
ある日、新しいメンバーではじめたマーケットに、僕の親父が訪ねてきて、こうつぶやいた。
「やってよかったな」
向こう見ずな20代をこの街で過ごしてきたことに、どんな意味があったのかは分からない。だけど、この街の“人となり”は、きっとこれから先の僕の人生に、大切なことを教えてくれる。それを噛み締める度に、きっとまた、この街のことを好きになっていくのだろう。
僕は住居を変えて、新たな生活をはじめた。『シンカイ』へ向かう道中には、入園無料の「城山動物園」があり、のどかな動物たちの表情をときおり覗いている。それまで味わうことのなかった『シンカイ』への散歩道は、この街を俯瞰するいい時間になりつつある
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著者:新貝隆史
フリーライター。2011年大学3年の冬から、長野市「旧シンカイ金物店」に暮らしはじめる。生活拠点としながら、蚤の市や演奏会、食事会などを企画。大学卒業後、中学校教諭を経験し、渡米。帰国後はアパレル販売員を経て、フリーライターとして独立。Huuuu所属。general.PR代表。
編集:Huuuu inc.