著者: つっきー
2020年の暮れ、私はひとり暮らしのマンションの片隅でうずくまっていた。冬眠したかったのである。
なぜ冬眠を試みたか。何もかも限界だったからだ。最初はそこそこ楽しんでいたリモートワークも、独身・ひとり暮らし・ワンルーム住まいの人間が一年続ければ「ここは独居房か?」と思うほどの閉塞感に襲われた。2020年の記憶は、ほぼあのマンションの一室の景色しかない。ちなみに住んでいたのは池尻大橋のマンションで、立地・間取り・インテリアともにかなり気に入っていた。5年以上住んでいたので近所には行きつけのお店もいくつかあったし、土地自体に思い出も愛着もたっぷりあった。それでも一年間引きこもれば限界が来るのである。家賃は決して安くはなかったし、都心の主要エリアやオフィスへのアクセスの良さも込みで支払っていたそのお金が、どんどん延長されていく「自由に外出できない期間」にも支払いを余儀なくされることがストレスに拍車をかけた。
勤務先は出社を全面禁止していたわけではなかったが、私は感染が怖くて満員電車に乗りたくなかったので「気分転換にたまにはオフィスで仕事」といったスタイルも選べなかった。よって必然的に仕事・食事・睡眠・余暇を、すべてワンルームの中で行うことになる。同じ景色だけを一年間見続けた。「知ってる、天井」がずっと続くと、かなりしんどい。
暮らしのベースがしんどいと、ちょっとしたことでもすぐに落ち込むようになった。どうということもない仕事のチャットのやりとりで「私って仕事できないって思われてるのでは……」と感じたり、「このままひとりでここで死ぬのかな……」という不安に襲われる。ついには突如老人ホームの入居費用を調べたり、コロナ関連の国の後手後手対応に「もういっそ外国へ逃げたい」などと考えて「国外 移住 おすすめ 国」で検索したり。寂しさが不安を増大させて、それをうまく解消できなくて、わかりやすく負のループに入っていった。その成れの果てが「冬眠」願望であった。
移住当日の空っぽの部屋。気に入っていた部屋だけど限界が来てしまった
「ひとりで生きられそう」は幻想だった
それまで私は、自分のことを「ひとりでも生きていけるほうの人間」だと思っていた。仕事もそこそこやって、お金もたくさんじゃないけど困らないくらいにはあって、海外にもひとりで行ける。もしかしたら自分はひとりで生きることになるかもしれないし、それもそれでまあかっこよくてアリかも、と考えていた。
が、予期せぬ「まるっきりのひとりぼっち」生活によって考えは変わった。「私、ひとりは無理!」。上京したときだって初めてひとり旅したときだって感じたことはなかった、「圧倒的な寂しさ」が押し寄せてきた。とにかく寂しい。誰かと話したい。テレビと会話するのはもう限界だ。
さすがに耐えかねて、普段特に用がなければ連絡しない親にLINEした。「しばらく実家でリモートしてもいい?」。寂しさを打ち明けるのが恥ずかしくて「コロナが怖いから」と言ったけど、本当はコロナよりも、孤独がずっともっと怖かったのだ。
かくして、私は東京のマンションを引き払い、実家のある長野でリモートワークをすることになった。オフィスのある都心の駅からは、新幹線を使って2時間ちょっとの距離。どうしても出社が必要なときは、朝ちょっと早めに出社すればコアタイムに間に合う距離なので安心感がある。さらには運よく東京の友達のマンションの一部屋が空いていたので、大きな荷物はそこへ置かせてもらった。片足は東京に突っ込んだまま「なんちゃって移住」ができたのである。
帰省に使うローカル線の車窓
長野市「なんちゃって移住」という選択
「地方移住」と聞くと「都会の何もかもを捨てて知らない田舎へお引越し」なイメージがあってハードルがかなり上がるが、「仕事の拠点は東京にあり、住むのはよく知っている地元」というスタイルはお手軽でかなり良い。まったく知らない土地にいきなり引越すと、周辺環境や人間関係で「思っていたんと違う」案件が頻発しそうだが、良さも悪さも勝手知ったる土地なら安心だ。
そんな感じで私の「長野なんちゃって移住生活」が始まり、半年以上が過ぎたわけだが、もう「英断オブザイヤー」ならぬ「英断オブザライフ」受賞を確信している。
まず、メンタル面は確実に好転した。家族との他愛もない会話や、規則正しい生活(田舎はみんな日の出とともに起き、大体22時には寝ているので、自分もだんだん染まっていく)、何よりも豊かな自然が心を癒やしてくれた。仕事がひと段落した夕方から夜の時間帯に田んぼの中を散歩すると、熱くなっていた脳みそがクールダウンされていくような感覚になる。畑の果樹も道の草花も毎日成長していて、鳥や虫の声も季節と一緒に変わってゆき、同じ景色は一日として無い。
散歩コースの田んぼ。夕日が水田に映る
学生時代は「こんな何もない、変化もない田舎はさっさと出て、東京で一旗上げてやる!」と思っていたのに、そんな田舎に救われる日が来るなんて。人生は何が起こるか本当にわからない。
私が東京で格闘している間に、長野市も進化していた
予想外の発見は自然以外にもあった。地元の面白さと車の面白さである。
私の地元は県庁所在地である長野市の近隣の町で、近くは善光寺、少し足を延ばせば戸隠や軽井沢、霧ヶ峰、安曇野、上高地などの観光地が盛りだくさんで全く飽きない。温泉も野沢温泉や別所温泉などの有名どころから、地元民に愛されるローカル温泉まで数え切れないほどあるので温泉好きにはたまらない。
あまりに行きたい場所がたくさんあるので、ペーパードライバーな私もついに運転の練習を始めた。東京にいたら運転しようなんて全く考えなかっただろうが、自分の運転でどこかへ行けるというのはちょっとパワーアップできたみたいで嬉しい。目下の目標は山奥の温泉まで自分で運転してひとっ風呂浴びて帰って来られる女になることだ。
霧ヶ峰へ行った時。空が広かった
著名な観光地だけではなく、自宅の近くも私が学生だったころよりさらに観光地・移住地として盛り上がっていて、新しいお店やコミュニティがどんどん出来ている。長野は県外からの移住者が増えている場所が多く、外から来た人にもウェルカムな雰囲気の自治体もたくさんあるそうだ。もう少し落ち着いたら、会社員を続けつつ地域おこし関連の団体で地元をもっと面白くするお手伝いができたらいいなあ、なんて妄想している。
新しくできた中国茶と台湾スイーツのカフェ「暮らす店 実と花」は地元の友達に教えてもらってお気に入りの場所に
伝統と文化がある街
長野の伝統や文化は知れば知るほど面白い。7年目に一度しかない戸隠神社の式年大祭がちょうど今年だったので行ってみたのがきっかけで、長野の文化や伝承に興味を持つようになった。来年は同じく7年目に一度の大イベントである御柱祭と善光寺のご開帳が同年開催となる、いわば長野の盆と正月がいっぺんに来るような年なので、それまでにもっと歴史と文化を勉強しておきたい。部屋には民俗学や長野の民話などの本が増えてきている。
戸隠神社に行く前の予習で読んだ本。歴史や民間伝承は知れば知るほど面白い
そして意外に思われるかもしれないが、長野県は博物館・美術館の数が345館で全国1位である。いま注目なのはなんと言っても今春リニューアルした長野県立美術館で、2021年8月15日(日)までMame Kurogouchi展が開催中だ(デザイナーの黒河内さんは長野県出身なのだ。誇りすぎる)。
他にも、葛飾北斎や東山魁夷、横山大観などの本物の作品が見られる美術館が近隣にあり、端から見に行こうと目下計画中だ。
そんな土地なので文化芸術に対するウエイトは高く、コンサートホールや劇場も充実していて演劇や歌舞伎、オーケストラの演奏が常時楽しめる。オタクの地方移住への懸念「現場が遠くなる問題」は確かにあるが、長野でしか出会えない芸術やエンタメもたくさんあって今のところとても楽しい。
リニューアルした県立美術館。子どもが駆け回れる広い公園も
信州まつもと大歌舞伎に行った時の。豪華な役者さんの歌舞伎が地元で観れて感動
地元に住み直し、肩の荷が下りた
大人になったことで地元の良さに気づけるようになり、さらに地元が観光資源を活かして発展したことで故郷を再発見することができた。「地元に戻った」というより、「住み直している」と言った方が感覚が近いかもしれない。
もちろん、私のような「実家に戻ってリモートができる」「地元に観光資源が多く再発見できる部分がある」というパターンは、かなり恵まれていると自覚している。実家との関係性や働き方の形、地元の現状などあらゆる条件がそろったラッキーな状況だ。
しかし、最初は「なんちゃって移住」のつもりだった私だが、本格的に長野で物件を探して東京の荷物も全て長野に運び、本格的に生活拠点を長野に移して仕事でたまに東京に行くスタイルも視野に入ってきている(もちろん会社との相談は必要だが)。
なんちゃってで長野移住を始めた当初は、正直東京に戻りたくなったり、なんだかんだ困りごとが発生したりすると思っていた。しかし、半年暮らしてみて本当に困ることが一つもない。仕事は基本オンラインなので「私今長野にいて……」と自分から言わない限り誰がどこから参加しているか全くわからないし、業務は全てPCで完結するので問題はない。買い物も欲しいものはネットで買える(物流に感謝)。
実家の自室のインテリアを変えて居心地良い空間をつくった
一番の懸念は人との出会いが減る可能性だったが、そもそも東京にいたって自分からガツガツ人に会っていくタイプではなかったので心配はいらなかった。むしろ「東京23区内に住んで東京23区内で働いている人」としか関わりがなかったところから、より多様な生き方をしている人に出会うチャンスが必然的に増えて、「人生いろいろだな〜」と、気楽になれたと思う。
いわゆる「東京の成功者」にならないといけない、と心のどこかで思っていたけれど、世界は広いし幸せの形も多様なのだ。かつては東京から地方に住処を変えることを「都落ち」などと呼んだが、好きな場所を選んでフットワーク軽く住処を変え、どんな生き方が自分にしっくりくるか色々試してみるほうが身軽で性に合っている。
心身のバランスをとるための、私なりの(仮)住まい
「コロナの後、これから住処どうしよう?」と考えている人は、実家や地元、学生時代に住んだ街などでのなんちゃって移住をしてみることをおすすめする。旅行で気に入った土地での長期のワーケーションでもいい。しっくりきたら定住を考えればいいし、そうでなかったら別の場所を検討すれば良い。
時代が読めなすぎるので、ヤドカリみたいに臨機応変に住処を選べるようになることは、これからを生きていく上でちょっと心強いやり方なのでは? と思う。
冬眠から目覚めて半年、私は日々田んぼを散歩をしたり、花を愛でたり、温泉に癒やされたりしながら同じ仕事を続けている。今のところ心身ともに健やかである。
庭の紫陽花をいけた。自然や植物との距離が近いのが嬉しい
ちょうどよく生きることもちょうどよく働くことも諦めたくないから、バランスをとるための試行錯誤はこれからも続けていくつもりだ。私にとっての長野は、「出ていきたかった地元」から「新しくて懐かしい場所」になった。ここが「ちょうどよく生きる」と「ちょうどよく働く」のやじろべえがしっくり落ち着く支点なのかもしれない。
さて、そろそろ散歩の時間である。PCを閉じて田んぼに映る夕陽を見にいきたい。もう緑の稲が伸びて風にそよぐころになってきた。外で深呼吸をして暗くなったら寝て、明日からもここで生き、ここで東京の仕事をする。やっぱりなんちゃって長野移住は「英断オブザライフ」受賞確実だと私は思うのだ。
著者:つっきー
feministな会社員。個人でコラムやエッセイのお仕事も。今は東京のIT企業でフルタイム・フルリモートしつつ、長野で暮らすという二拠点生活をしています。植物・ドラマ・宝塚が好き。Twitter:@olunnun
編集:小沢あや