演技は「普通の生活」から生まれる。滋味豊かな街、武蔵関で掴んだ演劇の種

著: 木村美月 

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演劇での挫折 自分の居場所はここだけではないと気付けた

 私は俳優の仕事をしている。初めて舞台に立ったのは9歳のとき。もともと学芸会は好きだったし、通っていた大泉学園にある小学校でも、教科書の朗読はいつも褒められた。妄想癖があって、自分を、読んだ本や漫画の主人公に見立てて過ごすことも多かった。あるとき、ソファーに置いてあった新聞を覗き見ると「市民ミュージカルの人員募集!」という文字が目に入り、夏休みに応募をした。

 すると、あれよあれよという間に舞台に立つことができ、2年間ミュージカル漬けの毎日を送った。しかし突然、祖父が亡くなった。それから家族は忙しくなって、私もミュージカルを辞めてしまった。「大人になってもやりたいと思えていたら、それは本物だ」。そう思いながら。

 やがて大学生になり、再び演劇の舞台に上がった。演技を本格的に学ぶため、レッスンに通い、オーディションを受けるようになった。その間、勉強も兼ねて、さまざまな舞台を観る中で、心惹かれた劇団があった。エネルギッシュで巧みな俳優、自分ごとのように、心に刺さる台詞の数々。

 19歳、大学一年生のとき、憧れていたその劇団にオーディションを経て入団した。しかし、現実は大変だった。未成年の私にとって、そこは「大人の世界」で、人間関係の難しさを痛感した。さらに、いつも緊張が解けず、稽古への恐怖で体が震えることは日常茶飯事だった。もちろん、楽しいこともあったし、家族みたいな時間を過ごしたこともあったけれど、私は初めて、演劇で挫折をした。

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この日はきれいな夕焼けだったが、帰路に着く私の心は限界だった

 入団してから1年経った20歳のとき、客演(自分の所属していない劇団に臨時で出演すること)として出ていた劇団の稽古で、台詞を少し言っただけなのに、目の前がぐにゃりと歪み、過呼吸を起こしてしまった。目の焦点が上手く合わない。ごまかしながら舞台には立ち続けたが、過緊張、過呼吸は繰り返し起こった。治すことよりも、バレないようにする術を身に付けるほうが早かった。

 そんな状態にもかかわらず、本番を観に来てくれるお客さん、ファンになってくださった方々は、私を純粋に応援し続けてくれていた。本番での充実感、楽しさ。お客さんの生き生きとした表情……稽古への恐怖、体が言うことをきかない絶望。心は引き裂かれて、どこにも逃げ場がないように感じていた。

 心の疲労がピークに達したのは、23歳のときだった。「辞めたい」、初めてそう思えた。一人暮らしを始めて環境が変わったり、20歳からの3年間でたくさんの人に出会い、「自分の居場所はここだけじゃない」という実感を持てたりしたのが大きかった。勇気を持って「辞める」と伝えたとき、私を支配していた行き場のない閉塞的な感情が消え、久しぶりに、自分に会ったような気がした。

西荻窪は私に決して寂しい思いをさせなかった

 辞めることが正式に決まってから、ある人に「あなたに何があるの?」と言われた。目立つような個性がないから、これからやっていけないんじゃない? という意味だと推測する。少し前の自分であれば、焦ってショックを受け、自分の個性をどうにか捻り出そうとしたに違いない。その方法も間違っているとは思わない。

 けれど、そのときにふと、「本当にそうなのかな」という考えがよぎった。「『個性的な演劇人』というステレオタイプを演じなければ、本当にやっていけないのだろうか?」と。「私には何があるのだろう」と焦るのではなく、冷静に、そう思った。

 劇団を辞めて、しばらく西荻窪で一人暮らしをしていたが、さすが傷心の私を癒やした街だ。どこもかしこも楽しくて、発見、喜びに満ち溢れていた。飲み屋街の柳小路は、私に決して寂しい思いをさせなかったし、「古書音羽館」や「盛林堂書房」といった古本屋に毎日通った。「海南チキンライス夢飯」や「フレンチカレーSPOON」、タンメンの「はつね」などたくさんお店があって、ランチの豊富さは地上の天国みたいだった。

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駅の南口から右手に進むと、西荻窪では有名な「やきとり戎 西荻南口店」や、昔ながらの醤油ラーメンが味わえる「丸福中華そば 西荻店」の看板が目に入る。この通りの隣にあるのが柳小路。「ハンサム食堂」「ミルチ」「Bar le matin」などディープな店が軒を連ねる

 アルバイトも西荻窪でしていたため、友人もできた。その環境に甘んじていれば、嫌なことも起きず、幸せだったはずだ。けれど「劇団を辞めた」私には何も残っていない。23歳、お金も、時間もなくなっていた。西荻窪という街が私の空洞を埋めてくれたが、それも対症療法に過ぎず、このままの生活を続けていては危ないと、直感的に思った。

 ふと気が付いたら、賃貸サイトを毎日漁っていた。西東京市や練馬区、杉並区、中野区、合わせて1000軒は見ていたと思う。あまり遠くを探さなかったのは、まだ精神安定剤のように機能していた西荻窪から、離れがたかったからかもしれない。

 そして、中央線沿線よりも家賃が手頃で交通の便も悪くない、西武新宿線沿線に絞った。1000軒探した中で決め手となったのは、天井が高く開放感があり、日当たりの良い部屋と、2口コンロのキッチン。ここじゃなきゃ引越さなくても良い、というくらいには惚れていた。そして街に、遊ぶ場所がないこともあと押ししてくれた。流れ着いたのは、「武蔵関」という街だった。

地味というより「滋味」な街

 「今どこに住んでるんですか?」と聞かれた際に、「武蔵関に住んでいます」と答えると、多くの人は、「武蔵……?」とハテナを浮かべ、頭に「武蔵」と付いた地域(武蔵境や武蔵小杉など)と関係があるのではないか? と想像力を働かせたまま、フリーズしてしまうパターンが多い。それくらい、武蔵関は東京でもあまり知られていない街だ。

 23区の最西端、武蔵野市吉祥寺の真北にありながら練馬区内。こぢんまりとしていて、地元の人が不便なく暮らせるくらいには、何でも揃っている。「丸忠」や「屯縁房」などの飲み屋、蕎麦屋の「甚作」や「板蕎麦山葵」、和菓子屋の「いぐち」など、古き良き風情の店が点在している。もちろん、ファストフードのお店もいくつかある。

 そうそう、この街を語る上で忘れてはならないのが、線路のすぐ側を流れる一級河川「石神井川」と「桜」である。都市の中小河川としては珍しく、いくつかの公園や緑地と接しているため緑豊か。桜は、線路沿い(あるいは川沿い)に植えられているので、電車の車窓からも眺めることができる。

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石神井川に沿って咲く桜並木

 春になると、河川に枝垂れかかるように咲く美しい桜並木を見ようと賑わいを見せ、桜を撮影している人たちも目立つ。おそらく、遠方からわざわざ赴く人もいるだろう。あまり知られていないこの街にスポットライトが当たるのは、これから訪れる春のシーズンになってからだ。

 さらに、武蔵関から徒歩5分。東伏見駅方面に向かって歩けば、ひょうたん型の大きな池「富士見池」のある「練馬区立武蔵関公園」が現れる。この公園も、桜の名所の一つだ。ボートに乗りながら桜を見ることもできる。

 そして私はというと、ほとんど知られていないこの街に、なにやらご縁があるらしい。

 自分にとって意味のある街、というのは、多くの人が持ち合わせているのではないか。例えば、単身赴任で暮らした街、恋人がいた街、恋人と別離した街、仕事で訪れた街、楽しい思い出や、つらい思い出のあった街。私にとって武蔵関は、記憶のない街であり、「生活」をやり直すための街だ。

「演劇人」とは何者で「私」には何があるのか

 久しぶりに武蔵関を訪れたとき、「あ、ここは!」という感慨はまったくなかった。それまでの人生でも、ちっとも思い出せなかった。それもそうか、当たり前だ。住んでいたのは2歳までなのだから。入居が決まり、母に報告したところ「生まれたときに住んでた街だね」と言われて、初めて生まれ故郷だと気が付いた。

 おそらく私の一番古い記憶は2歳のとき、大泉学園に引越してからのものだ。まっさらな団地の部屋にカーペットだけ敷いてあって、父が遊んでくれたのをぼんやりと覚えている。妹も産まれたばかりだった。だから、最初の記憶は大泉学園のもので、どうもこの「武蔵関」は、私に忘れられていたようだ。

 西荻窪を離れて、武蔵関駅から徒歩7分ほどの、練馬区関町北というところに住み始めた。東京23区内なのに地味。だけど、不便さとは無縁だったし、文句も思いつかないくらい居心地が良かった。心のわだかまりや、奨学金支払いの気苦労を忘れてしまえるほどの華やかさや、狂瀾じみた雰囲気は1ミリもない。

 けれど、ほかの街に引越すのが怖くなるほど、肌に合うのだ。この街で生活をしている実感を日々を得ている。「生活」とは何だろうか。街で買い物をして、駅を利用する。銭湯を使う。喫茶店に行く。住宅街を散歩する。ただそれだけのことだが、しかしそれでも立派に街の一員である。今は胸を張って言える。「生活」するということは、「普通」である、ということと同義なのだと。

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駅前通り商店街。設立は1950年。かつての雰囲気さながら、レトロなお店が並ぶ

 武蔵関は、西荻窪のように、そこかしこに私を誘うトラップのような娯楽が置かれているわけではない、ごく普通の街である。私は「普通」でい続けるために、ここで暮らすのだと言い聞かせ、なにより地に足を付けようと思った。そうだ、今まで、地に足を付けて一つの場所にとどまることを怖がっていた。その背景には、言うまでもなく「あなたに何があるの?」が憑いて回っていたからだ。

 そして私は、私の原点であるこの場所で、もう一度演劇に向き合う決意をした。演劇に集中できる環境として、これ以上のものは望めない、というのも、理由として大きかった。

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所属の劇団・阿佐ヶ谷スパイダースの稽古風景。このときは演技をする前のウォームアップとして、輪になってシアターゲーム(俳優の演技力向上のために用いられるさまざまなゲーム式のワーク)をしている

 23歳で演劇を辞めたときに言われた呪縛のような言葉は、ときに肉体の自由までも奪い、あれから数年経っても引っかかり続けていた。この街で過ごす中で「私には何があるのか」、そのことにひたすら向き合い続けた。そもそも「演劇」とは? 「演劇人」とはいったい何者で、誰なのだろうか? 

 「演劇人とは?」の答えを考えていくうちに、輪郭が見えてきた。演劇に惚れ、舞台上から見える景色に惚れ、その道を極めることを志した人はみな、「演劇人」と名乗る資格があると私は考えている。「個性的」で「特別」である必要はない。

 コロナ禍で、演劇界は大きなダメージを負った。それは劇場もスタッフも、作家も、役者もだ。だから仕事は少しセーブせざるを得ない。けれど、今も年に数回、舞台に出る。出るだけではなく、今は阿佐ヶ谷スパイダースという劇団に所属していて、下北沢や高円寺、吉祥寺などで、俳優として舞台に立っている。

 衣装管理や制作の手伝い、パンフレットの製作など裏方の仕事もする。どうだろう、世間的な「演劇人」のイメージもクリアしているつもりである。その一方で「あなたに何があるの?」という言葉が今もなおリフレインする。ただ、武蔵関を選んだ私は一味違った。個性的で変わった、面白い表現者になるのは私じゃなくてもいい。今の私に必要なのは、自分らしく生きること、しっかりと生活をすること、そしてそれを演技に落とし込むことだ。

 武蔵関での暮らし、というか、私の作戦は成功したように思う。地味で滋味な街に引越して、毎晩飲み歩くのをやめ、文章を書く日もあれば、日記を書く日もある。本を読み、スーパー「アキダイ」で食材を買って料理をし、舞台があるときは家で静かに台詞を覚える。暮らしぶりに個性はないけれど、これも「演劇人」の生活である。

「演技」というのは普通の生活から生まれる

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アキダイで買い物をする人たち。駅からは徒歩約6分。無料の駐車場や駐輪場もあって便利だ。自家製お漬物「しょうちゃん漬」やオリジナルのお惣菜、駐車場に併設されている「炭火焼鳥 あきとり」という店で焼き鳥も販売されている

 前述したスーパー「アキダイ」は、武蔵関ではちょっとした名物になっている。武蔵関でメディアに取り上げられるのは、アキダイが唯一と言っても過言ではない。野菜と果物、それから肉がメインで、とにかく安い。季節ごとにいろいろな種類の野菜や果物、魚や肉が並ぶ、素敵なお店だ。ドラゴンフルーツが置かれていることもあるし、食用なのか観賞用なのか不明だが、クリオネを売っていることもある。

 ここでは値段を気にせず、安心して買い物ができる。100円以下で売られている野菜をごっそりカゴに入れて、溢れるくらいのボリュームでもレジで1,200円。家に帰って、その野菜を刻み、大きな鍋にいれて40分ほど煮込む。できあがった自家製「季節のアキダイスープ」は、朝夜食べても1週間は持つので、とても助かっている。このスープをポットに入れて稽古に向かう。アキダイスープは、おまじないのように私を安心させてくれる。

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北口から歩いてすぐの実川珈琲。ブレンドはフレンチブレンド、ハウスブレンド、ミディアムブレンド、ハイブレンドの4種類から選ぶことができる。ストレートコーヒーはなんと10種類もある

 文章を書くときは、必ず「実川珈琲」に行く。スコーンの美味しい実川珈琲で、私は本を読んだり、台本を書いたり、エッセイを書いたりしている。数席しかなく、客層も地元のお爺さまやお婆さまが多い。いつもカウンターにサブカル好きなおじさんが座っていて、マスターに映画や漫画の話をしている。私もその話を聞きながら、自分の原稿を進める。

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疲れたときに行くのは2匹の招き猫が出迎えてくれる「松乃湯」。サウナ完備。もうひとつ「第二亀の湯」という銭湯もあるがそちらにはサウナがない

 稽古終わりの疲れた体を癒やしてくれるのは「松乃湯」という銭湯で、大のお気に入りだ。人気の炭酸泉や半露天風呂、電気風呂などさまざまあって、サウナも2種類もある。顔見知りになった人たちと入浴することが多く、カッピングで背中が青紫になったおばさまとか、美容グッズをサウナに持ち込むおばさまとかがゆったり世間話をしている。私はあまり話かけられないけれど、聞いていないふりをして、ぼーっと耳をそばだてるのが何よりも楽しい。

 そして、日々この街で「普通の生活」を送っていると、「私には何があるのだろう」「個性がないのなら(役者として)死んでしまえ」(それくらい私には刺さった)という地獄のような呪いから、たくさん距離を取ることができる。

 演技というのは、そんなに狭いものじゃないだろう。生活の中から生まれるものなのだろう。演技に必要な体験は、そんなに激しいものである必要はない。日常をよく見つめること、普通の生活を送ること。すべての答えはそこにある気がするのだ。

そして「特別ではない私」の生活は続く

 この街で、私はポロポロと垢を擦り落とすように、ゆっくり摩擦を受けて磨かれ、以前より普通になっていった。そうして、「特別でなければいけない演劇人」に抗うように過ごしている。いまだに、過呼吸のような症状はごくたまに起きる。体も心も以前の悪い状態に戻るときもある。けれど、落ち着いて、周りを見る、日常を見る。そうすると、自分を取り戻すことができる。何度でもやり直せると、背中を押してくれたりもする。

 かつて、大泉学園に引越して生活を送っていた私の家族は、今、以前の形ではない。母と一番下の弟は、今も大泉学園の団地で暮らしているが、妹は彼氏と同棲し、父はどこに住んでいるのかよくわからない。バラバラな私たちだけれど、2歳まで住んでいた街で暮らしながら、今の私はこんなことをよく考える。

 20年以上前に住んでいた街とまったく同じこの地で、私と、産まれたばかりの妹と、結婚して間もない父と母が、この街を選んで住んでいたこと。それから何もかも忘れてしまったけれど、赤ん坊の私がここできっと、生き生きと赤ん坊らしく「生活」していたこと。赤ん坊の私に会いに、祖母や亡くなってしまった祖父が、きっと会いに来てくれていたこと。

 武蔵関に来たとき、「あ、ここは」という感慨は全くなかった。ちっとも思い出せなかった。けれど、「なぜ私はここへ来たのだろうか」の答えは、もう出ているような気がしている。人生を改めて始めたかったからなのかもしれないし、記憶にはないけれど、どこかで覚えている自分がいて、還りたいと願ったのかもしれない。私は全部ここから始まったんだよと。

 この街での始まりは、きっとすごく幸せだったはずだから、私もまた、ここから始めていく。そして、「生活」と「演劇人」をこれからも続けていく覚悟を決めた。​

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著者:木村美月(きむら みつき)

木村美月

1994年、東京生まれ。劇団阿佐ヶ谷スパイダース所属。俳優部。直近の出演に、劇団阿佐ヶ谷スパイダース『老いと建築』(吉祥寺シアター)、ゆうめい『娘』(スズナリ)などがある。また近年では『まざまざと夢』『転がって若草』『カレーライスの幼なじみ』などオリジナル脚本を執筆。ほかにタクフェス『天国』の舞台パンフレット執筆、講談社「tree」での読書コラムの連載など活動の幅を広げている。Twitter:@MiChan0315 
(プロフィール写真 撮影:椙本裕子)

 

編集:岡本尚之